49 去勢
私は森にしばらく潜んで、暗くなって座標が変わってから街にでた。
なるべく下を向いて歩く。
人とすれ違うたびに緊張が走る。
ふらふら歩いていたところで。
ふと、後ろを歩く男二人の話しが聴こえてくる。
「そういえば、あの『黒魔女』はどうしてるんだろうな。」
「セノルーンにはもういないんじゃないかって言われてるらしい。」
「お前実際あの場所にいたんだろ?」
「ああ。顔はよく見えなかったけど、髪は間違えなく黒だった。知ってるだろう?容姿を変える魔法を使っても、紫と黒の髪には絶対に化けれない。本物だよ。あんな風の強い場所でカツラなわけもないだろうし。」
「本物の『黒魔女』だったら、俺らには太刀打ちできないよな。もしその辺にいたらどうするよ。」
「皆殺しかもな。」
二人は少し間を開けてから、笑う。
「まあ、そのときはそのときだな。」
「やばいのは『黒魔女』だけじゃないしな。俺はむしろ前回の戦争を止めてくれた魔女さまに感謝してるくらいだ。」
男が冗談っぽく笑った。
少し嬉しいと思ってしまった。
「まあ、どっちにしても『黒魔女』の命を狙ってる奴らに殺されてくれるのが一番だけどな。」
男たちは頷きあって笑っていた。
私は口の中で、
「私も同感だよ。」
誰にも聞こえない言葉をうずまかせた。
ネオンの魔法で街中が明るいこともあり、夜だからといって全く安心はしていなかった。
常に周囲に気を張って、息がつまるようだった。
私は紫の髪の精霊を注意深く探してみたが、当然見つからない。
心中ではこんな場所に堂々とティアがいるとは思っていなかったので、そこまで落ち込んだりはしていないけれど、街にでるのはそれなりに疲れるので、神経のすり減っていく状態には少しまいっていた。
そろそろ、寝床を変えようか。
まだログダリアの街を詳しく観察したいので国からは出ない予定だけど、寝床は定期的に変えたほうが良い気がする。
東北方面に、森が伸びていたので、そっちまで移動しよう。
そんな計画を立ててから、やっぱりビルの上から探そうと、屋上まで上がるために裏路地に向かう。
と、ドン、とすれ違う男と肩がぶつかった。
ぶつかった?
私は四方に注意を払っていた。決して人とぶつかることのないように。
なのにぶつかった?
否。
わざとぶつかられた。
私は急いでその男から距離をとるために後ろへ跳んだ。
しかし、一足遅かったようで、私の頭から帽子が吹き飛ばされる。
ふわりと宙に浮いたそれを慌ててひっつかんだがもう遅い。
「『黒魔女』さん、だよね?」
男は確かめるように私の顔を見詰めて、にやりと笑う。
くそ。
「まさか、ログダリアにいたなんて!前から歩いてくるの見たら、前髪が黒かったからもしかして、って思ってね。」
にたにたと。
男が笑う。
『黒魔女』は畏怖の対象だと聴いていたのに。
なんだこの男の緊張感のなさは。
「ひょっとしてここらへんにいたりしないかなーとか思ってたんだけどさ、本当にいたよ!」
男は偶然を喜んで笑った。
私は男に聞こえないように舌打ちをして、考える。
ここで口をつぐんでは駄目だ。
はったりでもなんでも、やらなければ怪しまれる。
私の武器はこの足と、髪しかないのだから。
「はっ、無礼なやつだな。私の人間観察を邪魔するなよ。」
足に力をこめて、いつでも動けるように重心を前に動かす。
ただ、完全な臨戦態勢だと余裕がないのがバレてしまうので、なるべく背筋をまっすぐ伸ばして、ゆったりと構える風に見せる。
周りにいた人々が私の髪を見て遠巻きに眺め始める。
今から逃げても仕方がない。
「人間観察、ねえ。」
男がまたもへらりと笑う。
いや、しかし。
よくみると男の手が震えている。
こいつも去勢を張っているだけのようだ。
ならば、人よりも陸上の大会とかのおかげで緊張がほぐしやすくなっている私のほうが少し有利かもしれない。
「お前、私に殺されたいのか。」
「いやいや勘弁!ちょっと興味があって声かけただけっすから!」
へらへらと、笑いながら男は言う。目が笑ってねえぞ。
「なんてな。私はまだ人を殺すつもりはない。好きな食べ物は後にとっておく派なんだよ。あとでいっぺんに殺した方が面白い。」
私は漫画の台詞などを思い出しながら、できるだけゆっくりと、余裕のある風に語った。
「だからそこをどけ。邪魔だ。」
私はそう言ってから少し間を開けるが、男はどこうとしない。
もうどいてくれよー…。
動かない男に焦りが募る。
顔に出ていないだろうか。
「〈空間転移〉でもして下さいよ。」
男の言葉に、一瞬息が詰まる。
そうだ。私は『黒魔女』なのだから、魔法が使えなきゃいけないのだ。
道を開けてもらわずとも、〈空間転移〉を使えばどこでも行ける。
それが魔女なんだろう。
どうする。
「…私は、通ると決めた道を変えることはしたくない。お前に邪魔されたという理由で道を変えてたまるか。」
必死で頭を回転させて言葉を紡ぐ。
「プライド高いんですね。魔女ってよりも、姫って感じですよ。美人ですし。」
男はにたにたと笑って言う。
うざいうざいうざい!こいつ絶対モテない!つーかもう爆ぜろ!
そんなことを考えていて、男に注意を払い過ぎた。
急激に背後に迫っていた別の男たちに、不覚にも気付けなかった。
こいつが余裕を持っていたのは仲間がいたからか!
私が背後に迫る何かに気付いて振り返ったときにはもう遅かった。
光の縄のようなものが、胸の上のあたりをぐるりと巻き付けてきた。
肩の動きを一気に抑制される。
それに続いて同じものがもう一本、腹のあたりに巻きつく。
両腕が完全に胴体に固定された。
すると巻きついていた縄が一本化されて輪になる。
二つの輪に上半身の自由を完全に奪われてしまった。
ちっ!
これは、ちょっとやばいぞ。
「『黒魔女』さん、俺らの平穏はあんたには渡せないんすよ。」
男がナイフを構えて私を見据える。
もう笑ってはいなかった。
銀の眼がしっかりと私を睨む。
縄を投げてきた男だろう、更に二人の男が同じようにナイフを構えて私を挟んで立つ。
ちくしょう。
ちょっとやばいよナユちゃん!