47 悪夢
残酷な表現が含まれてます。
苦手な方はご注意を。
その日の寝覚めは最悪の気分だった。
なんとも胸糞悪い夢を見てしまった。
私の周りの空間は全て真っ赤に染まっていて。
建物は燃えて崩れて、誰一人息をすることなく、血まみれで倒れている。
その真ん中で私はぽつりと立っている。
帰れないどころか、生きることすら困難に思われる世界。
生きているのは私だけ。
吐き気がして後ずさると、足を誰かが掴む。
私は驚いて足元を見る。
足首を掴んでいたのは、白目のドーラおばさんだった。
「 っ!!!」
私は悲鳴をあげて目を瞑る。
すると誰かが肩を抱き寄せてきた。
「大丈夫、ナユ。僕が守るよ。」
聴きなれた、優しい声。
私はその声に安心して目を開けた。
そしてそこにはジャック―――だったと思われる者が私を支えていた。
だったと思われる、というのは。
それには顔が無かった。
ぽっかりと、黒い穴が顔があるべき場所にぽっかりと浮いている。
「 ☐ XXX ☐ ■ ■ XX」
何かの音であふれて、私はその場で耳を塞いでしゃがみこんだ。
「お、にい、ちゃん…っ」
私は無意識に兄貴を呼んでいた。
「ナユ!大丈夫?」
「やめて…、」
ジルの声が、耳元で響く。
「しっかりして、ナユ!」
「んだよ、これ…、」
背中に手を置かれる。
目を開けちゃダメだ。
「一緒に逃げよう。」
「ジルは…!」
ジルは、
見たくもないのに、視界が開ける。
嫌だ。やめろ。
視界に入った瞬間、ジルの首が飛んだ。
「 ――― !」
何かを、叫んだような。
感覚だけが頭に残る。
ごとん、と首が落ちる。
気持ち悪い感覚が目の奥にたまって行く感覚がした。
涙があふれて止まらない。
助けを求めて振り返ると、ヴァシュカが十字架に磔になっていた。
「おいおい…、冗談やめてよ…。」
それは、声になってなかったかもしれない。
とにかく何かの感情を切り捨てなければ、息が止まってしまいそうだった。
「や…、」
次の光景に、私は目を見開く。
ヴァシュカの姿が、兄貴に変わる。
変わる。替わる。代わる。換わる。
磔にされた兄貴の後ろから、大きな斧を振りかざすソラリス。
「やめ…!」
私は戦慄した。
兄貴。
おい、これは、 〈兄貴の首に〉 夢だろう?な 〈斧の刃が吸い込まれていく。〉 らば早く〈ゆっくりとした動きで〉 覚め 〈魚を下ろすように〉 てくれ。私はもうこ 〈切り離されていく〉 んなもの、視たくな 〈そして、〉
「ッぃやぁあああぁあぁぁぁあああああ!」
叫んで、目が覚めた。
息が尋常じゃないほど乱れている。
心臓がありえないほどにバクバクと跳ねる。
「ち、くしょっ…、」
私はぽろぽろと流れ出てくる涙を拭って、膝を抱える。
あんな夢を見てしまったことが悔しかった。
「くそ…、ちくしょう…、」
胸にたまる、どろどろとした不安。
「兄ちゃん…っ、」
起き上がったら、足をもつれさせて木から転げ落ちた。
幸い下は土だし、草も沢山生えているのであまり痛くはなかったけど、気分的には最悪の朝だった。
空を見上げると、太陽がもう頭の上にまで昇っていた。
私は暗い気持ちを払拭させるように頭を振って、髪を手櫛で整える。
それから髪を後ろでくるりとまとめ上げて、帽子の中にしまい込む。
転げ落ちた拍子に、幹に手をついた所為で昨日の切り傷がいくつか裂けたらしく、ひりひりする。
その地味な痛みのおかげか、平常心が戻ってきた。
大丈夫。
森の中を進み、あの場所へと出た。
やっぱり、ギーツはもう来ていた。
「やあ。」
ギーツはキュレラの木にもたれて本を読んでいた。
本から目を離さずに私に声をかける。
「こんにちは。」
私は挨拶をしてギーツの元へと歩いていく。
「怪我してるね。どうかしたの。」
いきなりそんなことを言ってきて、私は少なからず驚いた。
ギーツはこっちを見てもいないのに。
それにこんなに小さな傷…。
ギーツは、こっちを振り向く。
「血の匂いがする。」
眠そうな目を私に向ける。
どき、として。
目を背ける。
「ちょっと擦りむいた。」
私はとくに嘘をついていない。
「…そう。」
ギーツは静かに頷いて、本に目を戻した。
「今日は遅かったね。来ないのかと思った。」
ギーツはぽつりとそう言った。
「いや、寝てた。」
「そう。…、」
何か迷うような間を開けた後、
「何かあった?」
と訊いてきた。
「…何で。」
「声が暗い。」
「そうかなぁ。」
「気のせいだったらごめん。」
まあ、気のせいではないけど。
何でわかるんだろう。
私ってそんなに分かりやすいのだろうか。
この世界にきてから、こんなことばかりだ。
人に心配されてばかり。
元いた世界では、これほど心配されたことはなかった。
いつも、
「ナユは何考えてるのかよく分からないから、悩んでる時に助けになれない。」
とか言われてたし。
ポーカーフェイスが上手いらしいのに。
どうしてだろうか。
「言っておくけど、ボクは人を慰めることは苦手だ。」
いきなり、ギーツはそう言った。
「でも、人の考えてることを見抜くのは得意。嘘と隠し事にはすぐ気付く。」
眠そうに。
大事なことを言う感じではなく。
普通に。
「だけど、ボクは人と話すのは得意じゃない。変なことを訊いて傷つけない自信がないし。」
だから、とギーツは間を置いて、隣に座った私を向く。
「今は何も訊かないけど、心配はしてるから。」
まっすぐ、私の眼を見て。
ギーツは言った。
「…ありがと。」
自然と、笑顔がこぼれた。
心配、か。
私はギーツの肩に寄りかかる。
あーあ、あったかい。
ジルと別れたときのことを思い出した。
「なんでみんな、大事なことをさらっと言うんだろうね。」
私の誰にともなくぽつりと呟いた言葉に、ギーツは何も言葉を返さなかった。
ギーツは多分さっき、私の眼の色に気付いたはずだ。
でも、何も言わない。
ありがたい。
怖がりもしないし、引いたりもしない。
それだけでいい。
それだけがいい。
それ以上何もしなくていい。
私に必要以上に関わらなくていい。
だから。
今だけ。
もう触れたりしないから。
今だけ。
あの夢を忘れられるような、あたたかさを。
大切な誰かが死ぬ夢。
これほど気分の悪くなる夢はないですね。