30 時の香
タイトルの読みは「ときのか」です。
ごんっ。
「いったぁ…。」
「だ、大丈夫か!?」
派手に打ち付けた後頭部をさすりながら慌ててベットから降りるヴァシュカを見る。
――ナユ!
自然と笑みがこぼれる。
「何を笑うておるのじゃ。」
「いや、そこツッコむ前に降りて…。重くはないけど、動きにく…。」
「当たり前じゃ。妾が重いはずなかろう。」
「いいから降りろって!」
私はティアの背中に手を回して、そのままの姿勢で腰を捻ってティアの体を放り投げる。
「うひゃあっ!」
可愛らしい声を上げて、羽のように軽い彼女はころんころんと転げていった。
がばっと起き上がって、
「何をするのじゃ!」
予想通りキレた。
「あっはは。」
その姿が何だかおかしくて。
さっきまで別次元の存在のようだった彼女が、転げてキレてる。
ティアはそんな私を見て、少しムッとした後に、子供っぽく笑った。
「攻撃してきよった輩は今までにもおったが、放り投げたのは主が初めてじゃ。」
「俺も初めて見たよ。精霊を投げた者は。」
ヴァシュカもホッとしたように笑った。
精霊?
言われてみれば、背中に透明な蝶の羽みたいなのがきらきらと光っている。
人間じゃないことは確かだ。
影がないのも。
纏う空気に違和感があるのも。
人の心が、見えるのも。
精霊だからか。
「しかし、主は考えていることがよく分からぬの。霞がかかってよう見えん。」
ティアは微笑んで、
「面白い奴じゃ。見えるのも、つまらぬものじゃからな。」
「精霊って、妖精みたいな?」
私の言葉に、ティアは顔をしかめた。
「妖精ではない、精霊じゃ。それも、妾は上級じゃぞ。大精霊じゃ。妖精なぞと一緒にしてくれるなえ。」
どうやら、妖精と精霊は違う物らしい。
「それほどの者が、何故こんなところに。」
ヴァシュカが、警戒した様子で尋ねた。
ヴァシュカの知り合いではないのか。
「小僧、アディゼウスの者か。ほう、よい眼をしておるの。」
ティアは長い髪を床に流しながらするするとこちらに寄ってくる。
私の首に腕を回してまたも抱きついて来た。うわお。
そしてその姿勢のままヴァシュカの耳に手を伸ばす。
「アディゼウスの者で瞳を濁しておらぬ。」
ヴァシュカの耳たぶをそっとつまんで、
「のう、小僧よ。」
切なさを漂わせた笑みを湛えて、ティアは言った。
「早くして死んでくれるなよ。」
ヴァシュカは瞳を伏せて、ティアの手を軽く掃う。
「…うるさい。」
押し殺したような声で、そう言ったのが聴こえた。
ヴァシュカ…?
どうしてティアがここに来たのか。
「久しく目が覚めたのじゃ。起き上がってみたら懐かしい香りがするでの。香りに惹かれて来てみたのじゃよ。」
「香り?」
「主の香じゃ。娘よ。」
は?
何それどういうこと?
「昔主と同じ香を漂わせておった男がいたのう。そ奴も愉快な奴じゃった。」
「私香水とかしてないけど…。」
「香の香ではない。別時空の者特有の香じゃ。」
まさか、私と同じ世界から来た人ってこと…?
「そうじゃのう。そ奴は江戸から来たと、言うておったの。あれはいつじゃったかの。もう三千年近くも前の話じゃったか。」
ティアは懐かしそうに目を細めて言う。
江戸…?
江戸時代とか、そこらへんの話ってこと?
いや、でも。
三千年…?
江戸って名前がいつからあったのかは分からないけど、三千年も前の話というのは。
「娘。ここは異世界じゃぞ。時の流れがずれることなぞ、不思議ではないじゃろう。」
ティアは色の白いほっそりとした指で私の髪を梳く。
くすぐったい。
ふと、ティアが顔を上げる。
「招いてもおらんのに、随分と面倒な輩が来たものじゃのう。」
ティアはそう言って私の頭を抱きかかえる。
え、何。
視界が一気に狭くなって、そこから見えるヴァシュカが、素早く立ち上がっていつでも受け身のとれるような中腰の姿勢になる。
2人してどうかしたのか、と聴こうとしたところで。
爆音。
家の入口が爆発した。
何これ!?
飛んでくる破片を、ティアが全てはじき落としているようで、私には何の被害もない。
守ってくれてるのか。
ヴァシュカは腕を顔の前で組んで衝撃を防いでいる。
さすが戦い慣れしているようで、傷ついている様子は見られない。
でもヴァシュカは今本調子じゃないから、心配は拭えない。
「無粋な輩じゃのう。妾と娘の話はまだ終わっておらぬのじゃぞ。」
ティアは不機嫌そうな声で言う。
それらは、砕けた扉のかけらを踏んで、音をたてて現れた。
「やっと見つけたぞ、大精霊ティア。」
そこに立つのは、数人の人間。
「主らを相手にするのは実につまらぬ。早々に消えよ。」
ティアは鋭い声でそいつらに言い放つ。
「私たちはあなたのチカラが欲しいの。消えられないわ。」
そこにいるのは三人。
その内の一人が声を弾ませて言った。
「面倒じゃが、妾の楽しみを中断させた礼じゃ。存分に後悔をせい。精霊狩り共よ。」
精霊狩り…?
ティアさんは軽いんです。
精霊なので、軽いのです。
全員が軽い訳じゃないんでしょうけど、とりあえずティアさんは軽いです。
一般人でも片手で抱きかかえられます、おそらく。
次回は精霊狩りさんが始動します。
ティアちゃんピンチ・・・?