29 名前
- 五日目終了 -
いつの間にか寝ていたらしい。
目が覚めると、完全な夜中だった。
ヴァシュカは音をたてずに寝ている。
死んでるみたいだ。
額のタオルを取り換える。
そのときに手をあててみると、熱は少し下がっていた。
大丈夫そうだな。良かった。
ジャックとソラリスが心配してるかもしれない。
ガッツリ夜中だし。
ヴァシュカも大丈夫そうだし、帰ろうかな。
あ。
良く考えたら、夜じゃん。
帰れない…よね。
行きと同じ道じゃないもんな。
うわぁああなんだこのトラップ!
そうか、この世界はこういうこともあるんだ!?
外に出てみると、隣にあったロッティの小屋がまるまる裏側に移動していた。
うわわわわ。
ここはこれくらいの移動で済んでるんだ、良かった。
しかし、周りの景色が来たときと随分違う。
帰りの道は聴いてないからなー。
夜までいるつもりでもなかったし…。
私は中に戻って、入り口のとこにあった蝋燭に火をつけようと試みた。
しかし、火を点ける物がない。
んだよ魔法使い!!!
不便だわぁ。
電気通せ、電気。
まぁ、月明かりだけで十分明るいので問題ないといえばないか。
私は内ポケットから日記帳を取り出して、サイドテーブルに置いてあったペンを借りて昨日の出来事を書き綴る。
さらさらと書き終えて、ぱたんと手帳を綴じると。
「ほぅ。見ぬ顔じゃのう。」
突然の声に驚いて振り返る。
「ふむ。不可思議な器を持っておるの。久しい感覚じゃ。」
いつ開けたのか。開いた窓の窓枠に優雅に腰かけた、美しい女性。
床に付くほど長く透明な紫色の髪が、月の明かりを反射してきらきらと輝いている。
うすい金色の髪が混じっていることがわかる。
普通の人間じゃないことは、空気で感じられた。
色の分からないきらきらしたガラス玉のような瞳が、私の姿を映している。
白い肌に、細い体。
真っ赤なドレスに包まれた、美しい女性。
艶めかしく微笑む口は透き通るような紅色で、どこか違和感を呼ぶような亀裂を顔に生み出している。
美しすぎて、近寄りがたい。
本当にこんな人がいるんだ。
そして。
影がない。
どうして影が。
「妾の影に気付くとは。」
女性はそう言ってくつくつと笑うと、目を細めた。
「娘よ。名を名乗れ。」
「あ…、ゆ、弓塚…七夕…。」
無意識に、口から声がこぼれた。
「ほう。弓、とな。それに七か。」
「えっ?」
何故漢字まで分かるのだろうか。
「興味深いの。主には分からぬかもしれぬがのう。その名前には深き意味が込められているようじゃぞ。」
「意味?」
「主の両親は分かっていて付けたわけではないかもしれぬがのう。」
女性は、長い髪を掻き上げて微笑む。
指に絡みついては逃れるさらさらとした現実味のない髪が流れる。
「弓塚、のう。名字というものは思いのほか大事なものなのじゃぞ。」
この人は、漢字を知っている。
「そうじゃの。知識としてはあるのう。漢字という記号は美しい物じゃな。フォンという小娘にも教えてやるがよいぞ。そやつは喜ぶであろうよ。」
また…。何も言っていないのに…。
まさか、私が考えていることがわかるのか。
「考えていることがわかる訳ではないの。見えるのじゃ。」
「見える?」
女性は柔らかい動作でうなずく。
「まあそれはよい。
主の名前、弓塚は清い。弓は元より神器として使われ、聖なる力があると言われておる。
そして塚。面倒なので説明は省くが、こちらも清い文字じゃの。良き氏じゃ。」
へえ。よくわからないけどすごい感じはする。
「そして名じゃの。七夕。七月七日。異世界の者は何とも愉快じゃ。日付という物をつくり、七の連なる日に意味を持たせた。無意識とは恐ろしいものじゃのう。」
「あの。」
「妾も長話なぞ好かぬからの。これだけ言って終わらせよう。主は星に愛されておる。その名のおかげでの。」
女性はくっくと笑って、私の髪を撫でる。
「聴きたいことがあるようじゃの。娘よ。」
「あ、はい!まずは名前を教えて下さい!」
私が他人に敬語を使うのは珍しいことなのだが、自然に敬語がでてきた。
女性は少し驚いたように目を丸くして、それから笑った。
「面白い娘じゃの。まず戻る方法を聴いてくるかと思うておったのに。」
白い手を、軽く振って。
「ティアじゃ。特別に名で呼ぶことを許そう、娘。」
跳んだ。
勢いよく抱きつかれてバランスを崩し、後ろから倒れる。
「ナユ!」
あれ、ヴァシュカ起きてたんだ。
倒れる途中でスローモーションみたいに、布団から飛び出そうとするヴァシュカが見えた。
頭打つとか、何で抱きつかれたのかとか、そういうことよりもまず。
ヴァシュカに初めて名前を呼ばれたことが、嬉しかった。
ティアちゃん登場です。
波乱を巻き起こしてくれそうですね(笑)
そして、「ヴァシュカが初めて名前を呼んでくれる回」にしたかったんですけど、うっかり9話で呼んでました・・・。すいません。
他にも「ここで呼んでたよ!」って箇所があったら教えて下さい。
本当に不注意ですみません(汗)