16 馬車と洋館
ソラリスを隣に住んでいるおばちゃんに預けて、私とジャックはジルの馬車に乗った。
馬車なんて乗ったのは初めてだ。
私はジャックに貰った新しい制服(ジャックなりに気を遣った結果が制服だった)を着て、ネクタイを気にしながらちらりと二人を盗み見る。
私の向かいに、珍しく機嫌の悪そうなジャックがいて、隣にはただ微笑んで黙っているジルがいる。
ジャックの隣にはさっきの白髪の女の子が静かにたたずんでいて、そこだけなんとなく違和感がある感じがした。
もう一人の付き添いっぽい男は馬車を運転している。
まあそんな感じで。居心地が悪いのは相変わらず。
お父さんと兄貴が喧嘩した夜に似た緊張に似ている。
あれは本当に怖い。滅多に怒らない兄貴の機嫌悪い時ときたら…。
いや…。閑話休題。
しかし馬車というのは思いのほか乗り心地が良くない。
想像以上に揺れる。
酔ったらどうしようね。
そんなことを考えながら、隣のジルを窺う。
ちらりと横目で見ただけなのに、
「何でしょう?」
一瞬で気付かれた。すごい。
「えっと…あの、あー…。髪、銀色なん…だね。」
とりあえず訊いてみたけど、訊いて大丈夫系かな、この話。
私の心配をよそに、ジルはにっこりと微笑む。
「やはり目立ちますよね。これ。」
ジルは短い髪を撫でながら笑う。
「母がセノルーンとログダリアのハーフでして。ログダリアの血を濃く継いでしまったんですよ。」
なるほど。
「綺麗だね、その色も。」
「ナユ殿の黒髪も美しいと思われますが…。」
それは、珍しいからそう思うのだろう。
黒髪が、珍しいから。
私からすれば、青とか銀とかのほうがよっぽど珍しいのだけど。
さて、雑談もいいけれど。
そろそろ本題に入ろうかな。
「んで、ジル。」
私の言葉に、白い髪の少女がぴくりと目を細めた。
私は尊敬している人にしか「くん」も「さん」もつけないから。
王子だろうがそれは同じ。
そう睨まないでちょーだいな。
「なんでしょうか?」
ジルは少女を目でなだめながら応える。
「何しに来たの。」
私の言葉に、ジルは目を細める。
「ですから、ナユ殿を食事に招待しに…。」
「じゃなくて。」
私はジルの整った顔を見て。
「なんで夕飯に誘ってくれたのか。」
ジャックが少し真面目な顔になって私達の会話に意識を向けたのが分かった。
「それは先程も申しました通り、部下から黒髪の少女の話しを聞いたので。
失礼ですが、黒髪とはさぞ珍しい、と思いましてね。是非会ってみたいと、この場をもうけたのですよ。」
ジルはにっこりと笑う。
銀の髪がさらさらと揺れて、流れる。
「それだけ?」
私の言葉に、ジルはふっ、と笑みを消した。
「…と、言いますと?」
明らかにわざと、オッシャッテルイミガワカリマセンという風にとぼけているジル。
まあいいか。
「いや。ないならいいよ。」
私は話を打ち切って、こっちをただひたすら睨んでいた少女に微笑みかけてみた。
少女は僅かに俯いて、無表情に正面を見詰める作業に戻った。
すごい可愛いんだけどなぁ。
いつの間にかジャックはいつも通りのジャックに戻っていて、ジルも微笑みを湛えたまま普通に座っている。
「そういえばナユ、今日は途中で寝ちゃってごめんね。ヴァシュカが出て行ったのもわかんなかったよ。」
「謝ることじゃないよ。それと、ヴァシュカはあの後すぐ帰ったよ。」
そういえばあの時ジャック寝顔かっこよかったなー、とか思い出しながら答える。
「ヴァシュカ…。」
ふと、ジルがヴァシュカの名前を零す。
「ヴァシュカ・アディゼウス公とお知り合いなんですか。」
「あでぃぜうす?」
「ヴァシュカの家名というか…氏の姓だよ。」
ジャックが説明してくれる。
ふむ。名字か。
どうにも、ヴァシュカは有名人らしい。
「わたし個人の考えとしては、ヴァシュカ殿はもっと高い地位についても良いと思うのですが…。彼はわたし共の誘いを毎回拒否しているので。」
ジルは苦笑して言う。
へえ、そんなにすごいの。
「彼は優秀な銃士ですよ。」
ジルはヴァシュカに憧れを抱いているのか、弾むような口調でいう。
ジャックも、自分のことのように誇らしげに笑っていた。
なんとなくそんな感じはしてたけど、ヴァシュカはすごいんだ。
「ジルは…剣士なの?」
ジルが腰に携えている真っ黒な剣を見て言う。
「え?あ…ええ。まあ、そんな感じでしょうかね。剣技はそれほど上手くないのですが。」
ジルは曖昧に答えて微笑む。
そういえば。
「ジャックも剣持ってるよね。」
この間図書館に行くとき、短剣を差していたのを思い出す。
ジャックはにっこり笑って。
「うん。一応オーダーメイドのやつなんだ。」
へえ。オーダーメイドかぁ…。
その言葉のあとにジャックがジルに向けた意味深な笑みが気になった。
それを見たジルは顔を若干赤くさせる。今の笑みには何の意味が…?
こほんこほんと咳払いをしてジャックを恨めしそうに睨むジル。
なんか可愛い。
その態度の意味を知るのは、また別の話し。
長い間馬車に揺られ、やっと着いたと思って降りてみると。
そこには大きな館があった。
すごいなーとしばらく見上げてから、ジルの案内で中へと入る。
西洋風の館は、テレビでよく見るそれと同じに、赤いじゅうたんが廊下にすーっとのびていた。
ここは、ローレヴァンツ家の別荘なのだそうだ。
「本日はわたしの個人的な誘いなので、こちらで申し訳ないです。」
私からすれば、何が申し訳ないのか全然分からないのだけども。
この洋館に家が何件入るか頭の中で考えていると、廊下の途中にある大きな扉の前でジルが立ち止まった。
後ろに控えてきた体格の良い男が、黙ってその扉を押し開ける。
その中は、恐らく食堂だろうと思われた。
漫画などでよく見るような。
なっがい机に、真っ白なテーブルクロスがかけられていて、ずらりと造花や蝋燭が列を作っている。
10人くらいのメイドさんたちが壁に張り付くように並んで立ち、私たちが入って来たのを見ると優雅に頭を下げて挨拶をしてきた。
ここまで完璧に「お金持ち」だと逆に緊張してしまう。
「こちらが食堂です。」
ジルはそう言って、微笑む。
私が言葉もでないまま硬直していると、
「…しかし、まだ夕食には早いですね。時間潰しと言ってはなんですが、屋敷の中をご案内致しましょうか?」
そう言って、メイドに下がるように命をだす。
メイドは姿勢よくお辞儀をすると、右側にあったもう一つの扉の方から出て行った。
それから、背後で控えている大男にも下がるように言って、私に微笑みかけた。
「それでは、わたしにお付き合い願えますか?」
私に気を遣ってくれたのがよく分かって、私はジルの優しさを垣間見た。
ジャックと少女が同時に目を細めるのを横目で見ながら、私はジルの誘いに応える。
こういうのを王子さまっていうんだな、とジルの王子らしさを一人でしみじみと感じていた。