第86話 暴刃
灼銅巨人は、どこか緩慢とした動きで凶戦士に接近する。
元々ゴーレムという物は、素早さには縁遠いのだが。
岩の地面を熱で熔かし、ずるりとした長い痕跡を残しつつ、人が歩む程の速度で進んでいく。
残念ながら有名なSF映画に登場した液体金属製の敵役とは違い、人間の擬態はとれず脚も早くならない。
「まだまだ改良の余地があるなあ」
俺のつぶやきと同時に、ゴーレムは戦斧の到達圏内へ踏み込んだ。
その一瞬後、巨鬼の肉厚の刃が熔けた金属人形を水平に切断する。
ひと吹きの暴風と共に、斬り飛ばされた上半身は離れて地上に落ち、その場には下半身だけが残った。
しばらく動きの無い熔けた体の断面から温泉の様に銅が湧き出し、それぞれが再び人型を模す。
二体となった銅のゴーレムは大きさも半分。
背中にはemethの文字が燃え、動きも最前と同じになり、平然と凶戦士へと向かい出す。
対する暗黒の眼からは、驚きはもとより目立った感情があらわされる事は無い。
唯一の例外は膨れ上がった殺意だけだ。
刃風を青銅の盾で防いだ俺は、意地悪い顔で笑った。
「文字自体を焔で書いたから、分断しても無駄だぜ」
ゴーレムの弱点は力の源である文字を破壊されると自然物へと還ってしまう点だ。
ギリアム爺さんのコイン。
巨大な巨人へ隠すにはいいアイデアだったが、美雨には通じなかった。
それがあの件から得た教訓だ。
「文字を傷つけないためには、固定した場所に刻まなきゃいいってことだな」
灼熱の焔は揺らめき、文字の場所も一定ではない。
また俺は文字自体に火を使う事で、延焼の概念を術式に盛り込んで、文字の複製を可能にしたのだ。
おかげで、身体上火のある場所ならどこへでも文字を移すことが出来る。
凶戦士との間に灼銅巨人を挟みながら、俺は敵の主人であるアスレイを何とかしようと脚を向けたが、式神はそれを許さない。
銅の人形を無視して、俺の動きを阻もうと牽制する。
ゴーレムよりも俺の方が脅威らしい。
そして俺と戦士はアスレイの結界を中心に時計の針の様に周り、膠着状態になった。
……やっぱ倒さないと駄目なわけか。
苦い顔になりながら、俺はゴーレムに指示を与える。
まあ、それならそれで方法はあるんだけど、時間がかかるんだよな。
「近づけ」
命令された灼銅巨人は何度も凶戦士へと突撃し、その度に両断されていく。
斧に斬り刻まれるばかりで、全く接近できない。
今や道端のお地蔵さんほどになったゴーレムは、その数を八体に増やしていた。
それでも熱せられた銅が噴出す様子に変化はない。
俺は青銅の盾を構えたまま、敵の後ろに倒れたアスレイを見やる。
土気色を通り越し、黒と紫の混じった顔色は酸欠症状か。
「急がないとな」
俺は少しだけ焦ったのかもしれない。
敵から意識が逸れたその隙を、凶戦士は見逃さなかった。
今までと違うコンパクトな振りで、巨鬼が得物を投げつける。
襲い掛かった戦斧を間一髪回避し、真っ二つにになった盾を投げ捨てた。
そしてのけ反る俺のこめかみの傍を、伸びきった鎖が通過していく。
視線に飛び込んだ敵は、斧の柄に巻きつけられた鎖を握りしめている。
鎖鎌、いや鎖斧か!
握りの造作と一体化して気づかなかった。
「〔黒坂赤盾〕っ」
青銅鎖を引き絞る音の届く前に、俺は体を投げ出し防御魔術を展開するため叫ぶ。
そして背後から己の首へ逆流する斧を、耳に聞こえる風のうなりだけで避ける。
後ろから迫る刃音は超低空だ。
俺は地面に伏すはずだった回避行動を片手一本で食い止め、そのままバネの様に空中へ飛び上がった。
破壊の塊となった敵の攻撃が、俺の直下の岩を吹き飛ばしていく。
魔術の物理防御があっても、これを喰らえば唯ではすまない。
俺は鎖の届かない距離まで退避すると、苦々しく思いながら立ち上がった。
さっきのアスレイみたいに顔中から汗が噴出している。
液体が地面に落ちる音が聞こえた。
「せっかく肩の脱臼を治したってのに」
俺は右手の指で、左腕を堅く握り締める。
その腕は手首から先が無かった。
凶戦士の斧が引き戻された際、避け切る事が出来なかったのだ。
傷口から血が溢れ、大地に落ちて描かれる赤い紋様。
ふらつく俺から滴る細い線が、何本も砂に吸い込まれた。
急いでバッグから出した魔法布で止血するが、急激な出血と激痛により、意識を保たせるのに苦労した。
「あー。あとで拾いにいかねーとな」
冷静になるため、あえて離れて落ちた左手首をながめながらうそぶく。
そして得物の射程距離が伸びた難敵を睨んだ。
さっきの激烈な動作が嘘の様にそいつは巨岩の壁となり立ちはだかっている。
鎖は柄に巻きとられているが、斧の凶悪さはいや増すばかりだ。
俺はうんざりしながらつぶやいた。
「痛いの苦手だし、これ以上は勘弁かなあ」
そう。このまま逃げ続ければアスレイは間もなくくたばるだろう。
そうすれば式神も魔力の供給が無くなって動かなくなる。対抗者が死ねば決闘も終了だ。
ただその場合……
「試合に勝って、勝負に負けるって事か」
幼馴染との口ゲンカを思い出しつつ、痛みのあまり油汗の浮いた顔に、また苦笑を浮かべる。
「かまわえねけどな。馬鹿平は逃げ足だけは早いもんねーとか、言われる程度だし」と一人うなずく。
正面の凶戦士からもれる、恐ろしい程の鬼気を感じて、俺の背中に汗が流れる。
何故かそこへ呆れた顔で小ばかにしてくる、少女の顔が重なった。
「やっぱ、これ以上馬鹿にされるのはムカつく」
俺は歯を強く噛み合わすと左腕を締め付けた布を緩める。
眉を寄せ、ぎしりと音を鳴らせながら笑うために口角を上げた。
俺の右目が輝きをを増してゆく。
そしてゆっくりと鍵語を詠唱した。
中学生のあの日、初めて里緒の目前で唱えた魔術を。