第85話 凶戦士
「〔黒坂赤盾〕」
結界を解きながら鍵語を唱えて動くと、周囲に八重の花弁が開く様な薄光が広がった。
その途端、俺のいた地面は抉り取られた。
斧の刃先が触れた途端、固い岩盤は黒砂糖の様に粉微塵に爆ぜる。
重い一撃は岩の層まで深く割り砕き、衝撃の余波がアスレイの防御障壁をも激しく揺らす。
跳び避けた跡地で弾ける地雷さながらの爆発。
高く上昇する巨大な岩石群は、飽和迎撃のミサイルの様に天空を埋め尽くす。
凶戦士は、俺が空に逃げると読んだらしい。
もし俺が不用意に飛び上がっていたら、撃ち落とされていたかもしれない。
だが俺は身を伏せ、丸めて受身を取り、可能な限りダメージ軽減を図った。
それでも襲ってくる岩の欠片が、半端のない加速度で体を打つ。
砂粒までが散弾の様に、俺の肌に食い込んだ。
少し尖った石一つが背中にぶち当たった時には、呼吸が出来なくなるほどだ。
それでも我慢し回転して勢いを弱める。
なんとか骨折は防いだが、打ち身のあざで全身の皮膚の色が醜く染まっていく。
美雨さんの泉水は魔法や魔的存在からの攻撃防御がメインだ。
だから物理防御呪文の盾を八枚も発動したってのに、この強固な障壁で威力を減殺されてこれか。
直接武器がかすった訳でもないんだぜ。
「まともに喰らったら、風船みたいに破裂するな」
逃げながら首を回すと、騎士の両手で穿たれた穴の大きさは、戦車一台が埋まるほどだ。
先ほどこっちが槍騎兵に放った石礫など、これに比べれば豆鉄砲にもならない。
凶戦士は追撃の旋風を起こして、横一閃で腿の高さを薙ぐ。
俺は這いつくばる反動で下半身をバネと成し、魔法付与された敏捷性で、地と水平に巨鬼の脛当ての脇を跳ぶ。
そこへ敵は狙った様に右脚で蹴りつけてきた。丸太の鉄脚を眼前に捉える。
俺は急制動をかけるため、片腕を固い地盤に突き刺して無理やり勢いのベクトルを変化。
肩が立てる嫌な音は無視して戦士の斜め左に飛び込み、振り切った斧と体重の乗った左脚のわずかな隙間を抜ける。
振り返りながら分厚い戦斧を素早く構え直し、油断無い気配を湛えたままの凶戦士に向かって、俺はようやく距離を取った。
相手が近づいてこないのは、主人の魔術師を守れる範囲を保持するためだろう。
その後方では土気色になったアスレイがぐったりとしている。
「そっちが長く戦うほど、ヤツがくたばる可能性が高くなるんだけど」
脱臼した左肩を抑えながらのつぶやきも、凶戦士には届かない。
騎馬兵の魔槍、弓兵の光矢。
どちらも嫌な相手だったが、攻撃をかわす事による隙を衝くことが出来た。
だがこの式神はこの場面は主人の守護を優先し、積極的な戦いをするつもりが無いらしい。
逆に俺の攻めを受け流した上で屠るつもりだ。
そしてそれが出来ると踏んでいるのだろう。
「後の先かよ」
龍真の得意な戦法だな。そして俺の苦手な相手だ。
この際範囲魔術で対抗したいのだが、右目で計測しなくとも、その場合に起こる被害は明らかだ。
主人から一定の距離以上離れない凶戦士を倒すとなれば、貧弱な結界ごとアスレイも消滅するだろう。
美雨の支援が無くても範囲魔術の管制は出来るが、ピンポイントや複数対象への同時精密射撃となると、根がズボラな俺は正直苦手だった。
「ああ、また師匠に説教くらう」と俺は嘆き、当然の権利として八つ当たりをした。
「まったく、立場が逆だろ!」
あのクソ魔術師の命を保つために、アイツの式神を倒さなきゃならんとは。
息を止め外れた肩をはめ込む。
その痛みに顔をしかめながら、唐竹割りにされた青銅馬の後ろに立つ。
そして俺は肩の違和感に引きずられぬ様、意識を集中して呪文を詠唱しはじめた。
銅よ、燃焼し、液体となり立ち上がりて壁となれ
statum……umor……inflammatio……aes
俺の言葉に応える様に魔法陣が発生し、銅は赤く熱されるがその馬体は崩れていない。
いかに解けやすい銅といえども、溶かす炉も無しにはすぐ融解しないのだ。
しかもこの大きさなら通常一時間はかかるだろう。
ギリアム爺さんの噴砂巨人も、魔法具のコインが無ければ、構築までに相当な時間がかかったはずだ。
「〔火之迦具土〕」
そこで俺は神代の火を使って、その速度を急激に加速する。
さすがに始まりの焔による鍛冶場では、魔法の青銅と言えどもひとたまりも無い。
馬はあっという間に灼熱の粘性物へと姿を変えた。
俺は、指をふり、焔を使ってその塊へ真理の文字を刻む。
真理もて型代を呼び覚まさん
emeth……Shem……ha……mephorash
俺の呪文が完了した時、そこには焔をまとった人型もどきが立ち上がっていた。
身長は俺より少し背が高い程度。大きさで言えば噴砂巨人の方がとてつもなく大きい。
その上急いで作ったので、目鼻もなきスライム人形で、常に火を噴出する体だった。
そのゴーレムの背中には「emeth」の文字が燃える。
溶けた銅は冷却されず、常に中から吹きこぼれる。金属さえも循環させる魔術の基礎理論は、砂の巨人と似た術式が使われているのだ。
もともと、俺と美雨さんの術式だからな。
ま、爺さんが砂なら俺は火ってことで。
俺は、魔法の盾を拾いあげながら、その熔けた金属の人形に命じる。
「灼銅巨人、反撃と行くぞ」
俺が指し示した先には、破壊の鬼が禍々しい沈黙とともに待ち構えていた。