第84話 限界
俺は馬の腹を蹴り加速させると、身を伏せて突進する。
荒れた地面から跳ね上がった石くれが、後方に飛び散る。
そして敵と交錯する直前、馬を高く跳躍させた。
そのままなら、青銅馬の脚力は重騎士の巨体すら飛び越えただろう。
だが騎士は得物の大戦斧を両の腕で振りかぶり、縦一文字に斬り下ろした。
暴刃が奔る。
跳ね飛んだ勢いのまま、馬の下半身が空中で二つに割れていく。
横倒しになった馬の頭部を踏み潰して魔法具を壊し、巨鬼は辺りを見回した。
俺はその様子を空のさらに高い位置から観察する。
馬を騎士を越えるために操った際、俺は〔迦楼羅〕で再飛翔していた。
弓兵を倒した今、俺の飛行を阻む者はいない。
騎士を置き去りに、速度を緩めずアスレイの位置まで飛び込むと、右目を光らせながら魔術師の近くに走りこむ。
アスレイが焦って呪文を詠唱し、周辺の地面が光った。
ヤツの周りに防御結界が構築されていく。
俺は二メーターと離れていない場所で立ち止まる。
ここがヤツの防御結界の端だ。
油汗で顔をてからせた相手に、俺は平板な声で伝えた。
「この程度の壁なら、俺の解除魔術で一発だぞ」
俺の評価を聞いたアスレイは、ねばついた汗を滴らせる。
それでも諦め悪く、俺に嗤いかけた。
「無いよりマシだ」
「そうかな?」
そう言いいながら、俺も結界呪文の鍵語を唱える。
「〔賽〕」
即結界完成。
同時に、背後で金属的な衝撃音が大きく響く。
俺を追走した重騎士が、今まさに俺の張った防御壁へと、巨大な斧を叩きつけたのだ。
その破壊的な攻撃を、俺の結界は見事に防いでいた。
「そんな馬鹿なっ!?」
騎士による一撃逆転の当てがはずれ、失望で顔を歪める相手。
繰り返し巨鬼が斧で殴りつけても、アスレイとは比較にならぬ強度で魔法と物理防御を講じた結界は、震えることすらなかった。
ヤツの結界に顔を寄せ、俺は脅すように笑う。
これで詰みだ。
後は魔術師に負けを認めさせれば、決闘は終了する。
散々嫌な思いをさせられたコイツをどうするかは、師匠と相談する事にしよう。
すると意地悪い笑顔に怯えたのか、アスレイは魔力をふり絞って、己の結界を強化しやがった。
無駄な話だな。
こんなぐらいなら、大して変わらねえよ。
ところが俺が解除呪文を使うため唇を開けたとたん、アスレイの態度が一変した。
顔面が蒼白になり胸を押さえて苦しみ出したのだ。
「がっががが、ぐるじ……」
口から舌をだらんと出し、涙を流しながら小さく痙攣を繰り返す。
血走った目の瞳孔は、ヤツの苦しみが演技ではないと俺に伝えてくる。
「おい、どうした!?」
俺の問いに答えられず、もがいて身体を引きつらせるだけだ。
「お前、まさか」
俺は右目を使ってアスレイの状態を確認する事にした。
「……やはり魔力の過剰使用か」
魔術師の体内に魔力が残っておらず、その欠乏状態は内臓へ急激な異常反応を起こしていた。
昔、無茶な魔術の修練をした時、俺も似た経験があったから、突然の発症にもすぐ思い当たったのだ。
まあ、俺には美雨さんがいて、治癒してくれたけどな。
長時間のお小言付きで。
俺は原因について、素早く考えをめぐらす。
後ろでは、重騎士が俺の結界を破壊しようと、より激しく攻撃を加え続ける。
その衝撃が伝播し、内部に伝わる騒音は、結界を通しても遮断できない程だ。
おかげでおれは思考に集中できない。
……あれ?
「おい、なんでお前の式神は止まらねんだよ?」
俺は相手の結界に張り付き、アスレイに大声で尋ねる。
だが、激痛のためか、俺の質問が耳に入った様子はない。
ちっ。今コイツの結界を強制解除すると、反動で心臓が止まるかもしれねえし。
止まってもかまわねえといいたいトコだが、な。
……くそっ。変な約束しちまったな。
俺はドンドンとヤツの障壁を叩き、アスレイの注意を引く。
ようやく顔だけはこちらを向いたので、大声で怒鳴った。
「式神の活動を止めろ!」
最初は意味が分からないのか反応が無かったが、何度か繰り返す内に通じたらしい。
しかし体をさいなむ痛みに苦しみながらも、ヤツは質問に答える事をためらう。
活動停止したら俺に敗れるとでも思っているのか?
ここまできて馬鹿じゃねえの?
「式神止めねえと死ぬぞっ」
その瞬間、俺の言いたい事が理解できたのだろう。
アスレイは明らかに恐慌に陥った顔で、こちらに這いずってくる。
「そうだよ! お前の魔力を吸い取ってんだよっ」
使い魔や式神は、魔術師の願い・命令によって、その存在を維持している。
そして、その繋がりの基本は、魔術師の魔力だ。
子供の頃、美雨さんが異世界の青狐を救う手段として、俺の魔力を欲したのもそうだ。
本来世界に在らざるモノの存在を維持するために、常にその繋がりが必要なのだ。
そして、式神達を活動させるためには、常に魔術師の魔力を送り続けねばならない。
しかも支配隷属させる眷属の地力に比例して、その維持魔力も膨大なものになるのだ。
はっきり言って、魔法兵三体という式神は、アスレイには荷が重かったんだろうぜ。
なんとか維持していたが、無理矢理強め様とした、さっきの結界呪文が引き金になったか。
さっき移動速度向上の魔術を使用しなかったのも、魔力不足で発動に失敗したのかもしれない。
敵の攻め足が遅い事について、さっき俺がいだいた疑問は解けた。
「早く止めないと、お前の体が耐えられ無くなるぞ!」
こっちの声を聞く間にも、アスレイの顔は土気色になってくる。
アスレイは満足に動かない口元を蛙の様にひくつかせ、涎を垂らしながら伝えてきた。
「て、敵をたおさ、ないと駄、目だ」
搾り出すようにそう言うと、アスレイは意識を失った。
条件を聞いた俺は、助けようと思った相手の首を締め上げたくなる。
俺はひとしきり愚痴ると、ゆっくりと背中の敵へ向き直った。
プレートアーマーで完全装備の暴力の塊。
凶悪造型の肩当からガントレットの先で、破壊の嵐を巻き起こす戦斧を握り締め、俺を見下ろす。
大角の生えた兜はフルフェイスで顔は見えない。
しかし眼があるはずの暗い奥から、一切の抵抗の意志を折る殺意が溢れる。
その迫力は、ただの重騎士であるはずがなかった。
「凶戦士か」
さっきの二体とは桁違いの魔法兵に、俺の背中に戦慄が走る。
そしてやれやれと首を振った。
……約束守るのも結構大変だぜ、わがまま姫。
俺はどこか楽しげに巨鬼の仮面を見上げると、右目の輝きを増すと同時に防御結界を解いた。