第83話 突貫
遠くからこちらへ急ぐアスレイの姿を見ながら、俺は背のバッグからペットボトルを取り出す。
あの距離なら、魔法弓兵の射程にはいるまで、若干の余裕がある。
左肩を見ると、大きな裂傷が上腕筋まで走っている。肘を曲げると、腕を伝って血が流れ、肘の先から滴り落ちた。
泉水で傷の汚れを落すために、軽くこすりながら洗う。
指の動きに合わせ激痛が脳へと伝わるが、俺は無視して砂粒を流す。
これだけ大きな傷だとすぐには治癒しないので、大半の水を使ったが、裂けた皮膚は塞がらなかった。
「出血が止まっただけでもいいか」
ほんの少し残った泉水を、口に含んで飲み干す。
アスレイを見ると、まだ遠い。
俺は首を傾げる。
敵の魔術師が、移動速度向上の魔術を、使用しない理由がわからないからだ。
みすみす俺に回復のチャンスを与えるだけだろうに。
それでも俺を常に追跡して、もっと近くまで来ていれば、こんな結果は無かったかもな。
「とりあえず自分の防御を優先しすぎなのは確かだな」
戦いの初め俺がヤツに接近すると、魔法弓兵はアスレイを弓の弾幕で守り、騎馬兵も重騎士も主人をかばう様に動いた。
そしてある程度距離を取っても、三体はアスレイの傍から離れない。
「いのちだいじに作戦か」
そう読んだ俺は、どの程度の慎重さかを測るため、敵の集団と大きな距離を開けたのだが、それでも槍騎兵しかよこさない。
「どんだけ臆病なんだ」
俺は呆れながらも同時にほくそ笑んだ。これなら各個撃破が可能だからだ。
狙いどおり槍騎兵は倒せた。
ミスリル剣は勿体無かったけどさ。
俺は逃げもせずその場にたたずむ馬の横を通り過ぎると、倒した騎馬兵の脇にあった槍を持ち上げようと試すが、びくともしない。
青銅の素材自体重いが、何しろ五メーターもある槍は、多分大人数人ががりでやっとだろう。
右目を光らせ、次の戦いのための鍵語を唱える。
「〔手力男〕」
そして俺は、飛躍的に向上した筋力で長い槍と、中央が溶けて拳大の穴が開いた厚目の青銅盾を掴む。
持ち上げさえすれば、白天馬の糸が持つ付与効果が及ぶ。
つまり自重の軽減効力の影響下に入り、武器槍や盾も軽くなった。
〔手力男〕と白天馬の糸はこんな時も相性がいいよな。それでも重いけど。
……別に桜の病室行き特急券じゃねえからな。
最近やたら使った場面を思い出し、誰にでもなく言い訳めいた独り言をつぶやく。
そして序盤から〔韋駄天〕の魔法で身軽な俺は、あぶみに足をかけると、少しは軽くなった槍と盾を持ったまま、馬上に飛び乗った。
青銅馬は最初こそ落ち着きなく暴れたが、俺がたずなを捌くと、乗り手の技量がわかったのか振り落とす事はしなかった。
「マジ、地獄の道場合宿万歳だな」
俺は富士山麓の合宿で、乗馬術も指導する合戦剣術に感謝しながら、馬に白天馬の自重軽減効果が波及しないかと駄目もとで試したが、不可能だった。
馬の体重が軽くなれば、速度が上がると思ったんだけどな。
やっぱ自分の装備品やアイテムとして持てないと無理か。
「さて、そろそろか」
俺が瓦礫の丘から平坦な荒地に馬を進め、その馬上から目をやると、アスレイと俺の距離は、俺が逃げる前とほぼ同じ間隔になっていた。
魔法兵がその弓弦を張り、その間には輝く魔法の矢が光り出す。そこに焦る気配はない。
確かにあの魔法の矢は、やっかいだ。途中で無数に拡散する。
俺が空中から接近した場合、直前で散弾状になられてしまうと回避は困難だ。
そして今までは魔術師に張り付いていた重騎士が、初めて弓兵の前へと進みだした。
十メーター以上前に来てから立ち止まり、巨大な戦斧を両手で構える。
もうすぐ弓兵の射程限界にはいるってわけか。
そして俺が馬に乗ったのを見て、騎士で迎撃というわけだ。
逆に考えると、この青銅馬で突進すれば、魔法の弓矢を潜り抜ける事も可能らしい。
だからこそ槍がアスレイにとどかない位置で、俺を潰す必要があるってことだよな。
「なら一発突貫してみるかっ」
俺はたずなを軽く握り、あぶみで馬の両脇を蹴る。
青銅馬はいななきもせず砂をひずめで跳ね上げると、アスレイ達に向かって一直線に駆け出した。
アスレイがなにか叫んでいる。
きっと「俺を殺せ」とでも命じているのだろう。
俺は疾走する馬の背で盾で前面をかばうと、真ん中の穴から敵を覗き込む。
まるで、スコープみたいな丸い穴の向こうには、二体の魔法兵。
さらに後方にはアスレイが喚く姿もある。
そしてついにアスレイの弓兵が、魔法矢を連射しはじめるのが見えた。
放物線を描きながら青銅馬へと落ちる光の矢。
花火の様に空中で多くの光に分裂し、雨あられと降り注ぐ。砕かれ跳ね上がる地面。
一発でもその身に直撃すれば、俺に歩けないほどのダメージを与えるだろう。
俺は必死で馬を操りながら魔法の光をかわし、避けられない矢は盾で跳ね返す。
筋力強化した腕でもひしゃげそうな衝撃が、盾を通じて伝わった。
「助かるぜ」
穴あき盾の魔法障壁能力が減衰していない事に感謝しつつ、俺は額に汗を浮かべながら器用に攻撃をかわす。
まだ鋼鉄の矢には遠いらしく、魔法矢のみの着弾をさけながらも前進を続ける。
だんだんとアスレイへの距離が近づにつれ、迎撃すべく光矢の攻撃はさらに激しくなったが、俺はそこで眉をひそめた。
今着弾する攻撃は、何故か俺の両脇にばかり突き立ち、その前方には着弾しない。
左右の弾幕は隙も無い程に密集しているのに、馬首の向こうは一本道のように開けている。
俺はその先を見て、魔法兵共の狙いがわかった。
道の先には巨鬼の如き重騎士が、壁となって立ちはだかっていたのだ。
俺がちょこまかと逃げないように、高い弾幕で囲んだ片道の線路を作ったってわけだ。
その上終点には鬼の牙が待っている。
「一騎打ちってわけか? アスレイの式神にしては品がいいな」
俺は血の乾いた唇をなめてうなずくと右目を輝かす。
通常の詠唱に比べれば極めて短時間で完了した魔法を、さらに二重にかける。
いま瞳の中では、螺旋の呪文達が古代の風神の声に魅かれ、舞い踊っているはずだ。
俺は腕を突き出しながら、神代の風神に命じた。
「〔級長津彦〕!」
その魔法によって周囲の空気は一瞬にして筒状に圧搾されると同時に、一方向に開放された。
その圧力はベスビオ火山が噴火したときの爆圧を集約したぐらいか。
焚書部隊と遊んでいた時とは比較にもならないぜ。
それでも全力じゃないけどな。
そして俺は、その膨大な圧力を生かし、青銅の槍を前方に向けて射出したのだ。
鼓膜が破れるほどの轟音。大気を震わす振動が、俺を中心に伝播する。
風神のかいなによって投てきされた銅の槍は、発射された瞬間に融解した。
摩擦熱で細い棒状の熱塊となったまま、恐るべき速度で直進する。
本当なら蒸発してもおかしくない青銅槍は、俺の魔法で着弾ぎりぎりまで結界に包まれている。
重騎士は大きな斧を盾代わりに構えた。
だが灼熱の針はその角兜の上を超高速で通過する。
フルアーマーを軋ませる衝撃波を後に残し、後方の目標を貫いた。
そこには次弾を放つため、弓を構えたままの魔法兵。青銅の顔面が弾ける。
弓兵の頭部は、周囲の輪郭を薄く残したまま溶けた熱で煙を上げていた。
まるで底の無い鍋の如き顔で立ち往生の式神。貫通された頭部からは、後ろの荒地が見通せた。
彼方の大地に着弾した熱槍の欠片が、高く爆煙を上げる遠景。
また魔法兵に駆け寄ったアスレイが、「動け」とばかりに青銅の弓兵を必死でゆする近景。
馬上の俺からは両方の景色が見えた。
だが核となる魔法具を破壊された以上、二度と稼動する事はない。
「これで本当に一騎打ちだっ」
素早く視線を戻すと、俺は今や十馬身ほどに迫った重騎士を睨みつけた。