第8話 アクアランプ
俺はいつもの様に、ランニングしながら中心街を抜けていく。
初夏の風はまだ大地にそれほど熱せられておらず、走る身にはずいぶんと心地良かった。
今日はそんなにさぼらなかったので、そこそこの時間で到着できるはずだけど、店に行くのがちょっと怖い。
目的地のバイトの店は、ヨットハーバー近くの海岸通りの所にある。
昔は薬局だったが、今はアクアランプと言う名の、ハーブなどを扱う料理店になっている。
外見は白壁に渋銀瓦の伝統的な酒蔵といった所だ。わざわざ本物を移築しただけあり、風格のある外観はそのまま保たれている。
一方、内装は元々の柱や梁を生かしつつモダンジャパニスク、落ち着いた色調の室内に改装されていた。
季節の印象は使われるファブリックで表現されており、今は青と白のかすり織りで初夏の海がテーマになっている。
ちなみに、夜は照明のトーンを落としてダイニングバーになる。
医食同源をテーマに、自然素材の料理やスイーツが並び、美味しくて手頃な価格なため、客には癒し&美肌系の料理店として評価が高い。
入口脇にある、びろうどの和提灯風ライトに半分ほど水が張られており、夜にそこに灯りがともると、ちょっとレトロで幻想的な雰囲気になる。
俺が店に到着しゆっくりと入口の格子戸を引くと、緑青の浮いたウエルカムベルがちりんと鳴った。
店長はカウンターのお客と話している様子だったが、俺を見て大げさな笑顔で迎えいれた。
「いらっしゃい、涼平さん」
店長は、妙齢の美人ってやつだ。
見かけは今年女子大を卒業したての様な初々しさがありながら、ふとした仕草に艶っぽさが感じられる。
ゆるく弧を描いて肩まで伸びる、濃い栗色の髪が落ち着いた印象を与えるし、どこか優雅な物腰なのだ。
おっとりした性格だが客に媚びる所が無く、そこが男性客はもちろん女性客にも人気がある所以だった。
常連の通う理由の半分は、この店長に会いたくて、と言っても過言ではないだろう。
今日は小さなフリルのついたシンプルな白シャツに、紺の軽い生地のスカート。海岸通りの店らしく、マリン系かつ清潔でフェミニンな装いが良く似合っている。
店の客は、美人の店長に微笑みかけられる涼平を見て羨ましそうだが、付き合いの長い俺は、彼女の眼が笑っていない事に気づいていた。
神妙な様子で挨拶しつつ、彼の仕事場である厨房へ逃げ込もうとするも、通り過ぎる途中で彼女から小さく告げられる。
「涼平さん、後で話があります」
「……はい」
うわあ、使い魔兼鬼コーチってばまだ怒ってるよ、と冷や汗が出る俺なのだった。
◆ ◆ ◆
アクアランプの営業時間は二十二時までとなっている。
閉店後片付けを手早く終わらせ、バイト仲間の大学生達は店長に挨拶をして帰って行った。
後に残ったのは高校生の俺だけだ。
「えーと、今日も残業? 明日は寝坊したくないんで、早く帰らせてもらえると嬉しいんだけど」
「今日は、主にお説教です」
俺と店長は従業員の休憩室で机を挟んで座っている。
エアコンが効いているはずなのに、自分の額に汗が浮かんでくるのは何故だろう。
「あーそれは昨日の帰宅後もさんざん聞いたから、お腹いっぱいなんだけどなあ。出来れば胃にもたれない、軽めのスイーツでお願いしたいかな」
俺はなんとか誤魔化せないかと企んで冗談を飛ばす。
「主?」
彼女は俺を呼ぶが、俺は相手の呼びかけが聞こえない振りで話し続ける。
「自然素材料理の店長としては、お説教もあっさり系が合うんじゃないかなあ、とか思ったり」
「あ・る・じ?」
言葉を区切りながらにっこり笑う自分の使い魔に、降参して頭を机にくっつけるぐらい下げて謝る俺。
「すいません美雨さんごめんなさい」
その光景は新人のほんわか女教師に対し、土下座せんばかりに謝罪するダメ高校生の雰囲気に近い。
美雨は俺を見ていたが、本当に反省していると判断したのか、ため息をついて許した。
「まあ、主の行動は読みきれませんから、慣れていると言えばそうですが。今、正体の知れない魔術師と関わるリスクは、もっと考慮して下さい」
「うん、わかってる。ごめん」
「それと、これもいつも言う事ですが、ちゃんと予備のボトルを持っていて下さい」
美雨は鍵付の冷蔵庫からラベルの無いボトルを2本取り出す。
この冷蔵庫は店長専用として従業員には触らせないと宣言している。
「私は依代であるこの水が傍に無いと実体化出来ませんし、状況を把握する事も加護を届けることも困難ですから」
「わかってるんだけど、あの泉の水はおいしいから、つい飲んじゃうんだよ」
「ではなおさら予備を持って下さい、とり頭の主?」
美雨に突っ込まれて、俺は苦笑しながら頭をかいて頷く。
この無印のペットボトルに入っている水は、アクアランプで販売している商品とは全くの別物だ。
人が飲めば、簡単な体調不良なら治癒し、細胞を活性化する。
また、精神的に癒しを与える効果も持っている。
俺の屋敷の中庭に湧き出す泉とその水脈の井戸から汲み上げ、美雨が魔法処理した魔法飲料なのだ。
だが重要な点は人への効果ではない。
使い魔の美雨は、泉の水を媒介として実体化する。
この水がある場所ならどんなに距離があっても、一瞬にしてその場に姿を現す事が出来る。
実体化した彼女が泉から遠く離れていても、源泉の持つ霊力を引きだすことも可能だ。
何しろ、昔、泉を見つけた俺の先祖は、その泉を囲う様に屋敷を建てたと言い伝えられているぐらいだ。
いつから湧いているかは分からないが、とても高い霊性を保った場所と言えるだろう。
もっとも、この霊性というのが厄介でもある。
この泉は湧き出るモノとしての言霊、連続性の概念も含めて霊性が宿っている。
そのため汲んだ水はしばらくすると霊力を失ってしまう事になるし、普通の器に入れて封をした所で若干長持ちするだけで、やがては唯の水に変化する。
こうなると美雨の依代にはなり得ない。
だから昔の美雨は屋敷の敷地内程度しか動き回る事が出来なかった。
その欠点を補うため、俺と美雨が苦心して工夫した結果、器として作成した物が、この無印のペットボトルである。
このボトルは、魔法によって擬似的に泉と似た霊力の対流現象を発生させる機能を付与している。
湧水、という現象を常に繰り返す様に見せかけていると言ってもいい。
これによって、このボトルに入った泉水は、開封されても蓋をしている限り、霊力を維持出来るのだ。
そして美雨は行動の範囲について自由を手に入れた。
これこそがこの霊水と、その器としてのボトルの最大の魅力なのだ。
「肝心な時に主の傍でその身を危険から守護出来ないなんて、使い魔としては失格です」
ふいに美雨がうな垂れて言うので、俺は慌てた。
美雨は、俺がカマイタチに襲われた際、なんの手助けも出来なかった自分自身を責めているらしい。
「美雨さんのせいじゃないよ。それに大した事なかったから大丈夫」
「いえ、私は主のお役に立っていない使い魔ですから」
やべ、美雨の目が辛そうだ、と俺はますます焦る。
「そんなことないって。美雨さんが居なけりゃ、俺は困ってばかりなんだからさ」
美雨を泣かせたくなくて、俺は一所懸命宥める。
「じゃあ、主は私の忠告を聞いてくれますか?」
「聞く聞く」
そう答えたところで美雨の顔を見ると、してやったりと笑っていた。
「美雨さーん、それはないよ」
俺は机に両手をついてがっくりときた。
「押してだめなら引いてみろとは、古人の言葉です」
美雨は指を立てると、澄まして答えるのだった。
「なんだか喉が渇いたな」
からかわれた俺が情けなさそうに美雨を見ると、彼女は心得ているのか立ち上がり、手ずからハーブ茶を入れようと準備を始めた。
「それより、主の今後の方針をお聞かせください」
ポットにお湯を入れて器を暖めたあと、その湯を一旦捨てると、香草の茶葉を入れて、あらためてお湯を注ぐ。
「変更はしない。たまたま、行きずりの魔術師と揉めた程度で、いままでの努力を無にしたりはしないさ」
「わかりました。一応、その魔術師の件はこちらで探っておきます」
彼女持つツテがあれば、そう時間もかからず分かるだろうと俺はうなずいた。
「よろしく」
「では、魔力の貯蔵量が十分になり次第、計画実行でいいのですね?」
葉が開いてちょうど良い具合の頃、二人のカップに香りの良い茶をつぎながら俺に確認する。
「ああ」
「里緒さんや、龍真さん達は?」
この確認項目も毎度の事だなと、俺は苦笑いを浮かべる。
「変更なしだよ」
「主……」
美雨はそれ以上繰り返さず、本当にいいのですか?と表情で問いかける。
俺はその気づかいが嬉しい。
でも素直に感謝するのも照れるので、さっきのお小言への反抗も兼ねて、冗談交じりにニヤリと笑う。
「美雨さんはほんとーに気がつく優しい使い魔だね」
すると彼の親愛なる使い魔は速やかに逆襲してきた。
「我が主はとり頭で傲慢ですね」
「そ、そうだね」
彼女はさらに追撃する。
「むしろ小心者ですね」
「ううっ。否定できない」
すぐに白旗状態の俺に対し、勝どきを上げるかわりに、彼女は少し頷いた。
「でも、そんな馬鹿な主を嫌いではありませんよ」
「ありがとう」
お礼を言いながら、馬鹿だとは思っているんだよねと、俺はちょっと落ち込んでみせた。
そんな俺を慈しむ様に、目元だけで美雨は微笑む。
そこからは、二人で雑談をしながらカップを傾けた。
美雨は店長として、厨房を担当しているバイトの大学生が、就職活動を機会にもうすぐ一人辞める事に困っているとの事。
「まあ、ここで正社員としては雇えないですし。」
友達で代わりが出来そうな龍真は、道場の手伝いで無理だとわかっている。そこで俺は、絶対断られるだろうと思いつつ、もう一人の方を提案してみる。
「里緒にバイト頼もうか?」
「いいですね」
ところが以外にも美雨は乗り気だった。俺は、そこまで困っていたのかとちょっと驚く。
「でも主はチャレンジャーですね?」
「え?」
にやにやする美雨の意図がわからず、俺は目線で先を促す。
「推薦した責任かつバイトの先輩として、里緒さんの教育係は主にお願いしましょうか」
「待った。この話はなかったと言う事で」
店長の魂胆が分かった時点で、俺はあわてて撤退を決めた。
接客はともかく、あの里緒の料理センスで厨房を任せるのは店を潰すのと同じだ。
それをカバーする自分を想像して、俺は青くなった。これ以上突っ込まれないために違う件に話題を逸らす。
「そ、そういえば美雨さんは、夏のバザールはどうするの?」
「主、それは私へのいじめですね」
美雨は一転してげっそりとした顔になる。
「いやいや。でも結構掘り出し物が毎年あるでしょ」
「それはそうなんですけど……」
「ギリアム爺さんにも届け物があるしさ」
「それはそうなんですけど……」
たわいもない話を続けながら喉を潤していると、美雨お手製のハーブ茶からは彼女の優しさが沁み出してくる様で、俺の心はゆっくりと温かくなっていった。




