第78話 使い魔の尋問
俺がこの魔術師と会ったのは2回目だ。
しかも最初はバザールの通路ですれ違ったに過ぎない。にもかかわらず、ずいぶんと顔見知りの様な気がする。
歪んだ表情からは俺への敵意が溢れかえっているが、それは俺こそが感じている感情だ。
無理もないだろ。使い魔を通じて、こいつに殺されかけているわけだからな。
天幕が強風にはためく。砂混じりの大気によって、粗いヤスリで乱暴に削られるのに似た感触。露出した肌には痛みさえ与える。
砂漠もオアシスから前線へと表情を変えだしているようだ。
犯罪組織の集団が実際に集結しつつある事は、ブラックマーケットの情報網でギリアムに伝わっている。
結局俺は傭兵に応募する決断をしたのだが、その前に片付ける用事があると老人に告げ、ここにやってきたのだ。
こちらの呼びかけにアスレイは、くぼんだ眼の奥をぎらりと光らせ、きしる声で何か呟いた。
「聞こえねえんだけど?」
近づいて低い声で恫喝する。
俺も自分や委員長の命を狙った相手に優しくする気は無い。
時間もないしな。
だが魔術師は、俺の言葉にもふてぶてしく横を向いて沈黙した。
あー。やっぱ向いてねえなあ。ま、こんなガキじゃ迫力ねえか。
それでも美雨さんに尋問されるよりはマシだと思ったから、俺が立候補したんだけどな。ご愁傷様。
「師匠、交代」
俺は手を振って自分が対応するのを諦めた事を示した。
アスレイはそんな俺を蔑んで唾を地面に吐いた。体の自由はきかないが、首から上は動かせるようになったらしい。
俺の早々のバトンタッチ宣言に、美雨さんはにこやかに微笑みながら一歩前に進んだ。
彼女は魔術師の正面に立つとフードを少し上げて顔を見せる。奴は美雨さんの美貌に目を奪われたものの、すぐに下卑た面でわざと嗤った。
そんな態度は気にも留めず、美雨さんは端的に命ずる。
それは絶対王権を持つ女王が、僻地の土豪に下問するのと変わりない。
「語れ」
その直後、魔術師は自分が日本に入国してからの行動を説明し出した。
奴自身では止められず、顔には大量の汗を浮かべ、目じりや鼻の穴からは、それぞれに相応しい分泌液が出ている。
吹き付ける砂粒が張り付き、顔全体が白く覆われても、魔術師の説明は終わらない。
実は俺がコイツと宝飾商人の前ですれ違った際、俺に付いていた美雨さんの式神を尾行させた。
このカマイタチの主人とは決着をつけたかったが、バザール内での戦闘はご法度だし、万能薬を優先していたからだ。
結局、薬については骨折り損だったが、コイツを見つけられただけでも魔術師のバザールに来た成果はあったぜ。
「そういうわけで、このアスレイ様にかかれば、魔法具の強奪など朝飯まえだ」
強盗殺人犯の魔術師は、今や悦に入って自分の手柄を誇っていた。
最初は無理やり言わされていたのだが、話す事により脳内からエンドルフィンが大量分泌された結果、快感が増してきたのだろう。
いや、話す事と幸福物質を強引にリンクされ、さらなる快楽を求めて弁舌を止められないのだ。
我が師匠は、式神の尻尾の先をナノ単位の細さと十メーターの長さによりあわせ、奴が避難民の列にいた時から、服を突き抜けてアスレイの延髄へその針を突き刺している。
その上神経パルスを操ることで体の自由や脳内麻薬の放出をコントロールしているのだ。
さすが美雨さんのハニートラップは凄いな。
細胞レベルでの尋問。人体の八割は水で出来ている以上、水属性の美雨さんが支配可能な領域も八割あると言えるわけだ。
式神自身が美雨さんの髪を依り代にしているからできる芸当だけどな。
相手に激痛を与えて葬ることも、絶頂の中で命を果てさせる事も、美雨さんはまつ毛を揺らす手間もかけずやってのけるからなあ。
脊髄から脳髄まで極小の髪で螺旋状に絡めとられた哀れな男は、自分が話し続ける理由もわからず、ただ興奮と快楽に身もだえしながら情報を垂れ流し続ける。
その場から一歩も動けず、アドレナリンやドーパミンも強制放出させれて、性的快感に前だけは膨らませながら、銀髪の少女に抱いた自らの嗜虐性癖を唾を飛ばして自慢する。
その姿はもはや尋問ではない。そして快楽の意味は真逆に位置している。
少しばかり辟易した俺のそんな考えを見透かしたのか、師匠は中心に氷の玉座を据えた瞳でこちらをみつめる。
やめて下さい、美雨さん。その目は怖すぎです。
俺は凍えるほどの冷徹さを宿した、使い魔の想いを感じ取らずにはいられない。
主人を傷つけようとした相手に容赦する選択肢は、始めから持っていない彼女。
そんな時の使い魔は、はっきり言うと意地悪だ。敵に対して精神的ダメージを与えたがる。しかも少し捻くれている。
焚書部隊への徒労感やこの魔術師への快感物質による拷問などがいい例だ。
そこはかとない嘲笑と悪意を感じるんだよなあ。
その挙句に敵の肉体損壊はもれなくセットときては、彼女の性格を穏やかと誤解しているアクアランプの常連客が羨ましいぐらいだよ。
一方老商人は、いきなり始まった滑稽な自己紹介に最初こそ驚いていたが、美雨さんが何かやったと気づいてからは、欲望のカリカチュアの如き魔術師の能弁をニヤニヤと笑いながらきいている。
ギリアム爺さんも本気で人が悪いぜ。呆れた大人達に囲まれた俺って不幸だよな。
まあ、こんな師匠の唯一の弟子が、良い性格なわけはないけどな。
「師匠、その辺でいいんじゃない?」
俺が声をかけると、アスレイが自分自身を開陳し続ける狂態はピタリと止まる。
「そうですね。元に戻してあげましょう」
美雨さんが微笑む。そしてさっきまでとは逆に抑制物質が体内で強制放出され、奴は速やかに冷静さを取り戻した。
しかしそれと同時に直前までの自分の行動を振り返ったのだろう。アスレイは顔中を赤黒く染め、ゴミ箱に捨てられたくしゃくしゃの紙屑の表情で脂汗を流す。
自尊心のとびきり高そうなコイツの事だ、内心きっと死にたいほどの恥辱にまみれているに違いない。
美雨さんは身体機能のたずなを操り、魔術師の生理現象を全て奪わない事で、津波の様に精神的なダメージを与え続けていた。
酷いよな。でも命のやり取りをする相手に情けをかける奴は、魔術師としてはただの愚者だ。
指の一振り、片言の呪文で確保していたはずの優位があっさりと逆転するのがこの世界なのだ。
それが分かっているからこそ、焚書部隊を全滅させたギリアムを、俺は責めきれねえんだよ。
心の汚辱を他人に開示された魔術師は、しばらく立ち直れなかった様子で、何度も何度も息を吐く。噛み締めた口元からは血が流れている。ようやく喋れるほどにはなったのか、唇を震わして何か言おうとしている。
「お、お、お、お前らあ。ぜ、絶対に殺してやる」
憎悪に体がおこりの様に震え、眉間が割れるほどの縦じわを刻みながら、アスレイが毒づく。
師匠に制御されて動かないはずの指が鉤の様に曲がる。憤怒の程度が分かるってもんだ。
「どうやって?」
馬鹿にした声であえて尋ねる俺に、案の定血走った目で奴は答えた。
「ディ、決闘だ!」