第72話 襲撃
「それで、どういう事なのさ?」
俺は待ちきれなくて歩きながらギリアムに尋ねる。
外は天幕自体が光り人の姿は分かるものの、その陰影はぼんやりとしており、人の表情を見分けられるほど定かではない。
そんなブラックマーケットの路地を行きかう商人や客の中に三人もいる。
「暗いですが、地下では火の灯は使いません。その点お気をつけて」
黒蓮の商人に見送られ、天幕から出た三人は、「知り合いの店に行くぞ」というギリアムに従い、路地を歩いていた。
立ち並ぶ天幕前では珍しそうな品々の取引が行われていたが、いつもなら飛びつく俺も今は見向きもしない。
地上のバザールに増して混沌としたブラックマーケット独特の雰囲気も、今日の俺には関心がわかないのだ。
「うむ。ティンよ。風精の遮断魔法は使えるか?」
ギリアムは返事代わりに確認をしてきた。そんな商人の言葉に頷くと、俺は立ち止まって初歩の魔術式を唱える。
風の精よ。ともびとの語らいを守りたまえ
ventus……occultum……vocale verbum……
すると周囲に風の枠が発生し、俺が指定した三人の間にしか会話は聞こえなくなった。
しかも口を開け話す必要もない。口内で音を立てれば伝わるので、読唇術も通じないのだ。
「これでいいかい」
口を閉じている俺の声がはっきり聞こえた事で、ギリアムは魔法が成功したのを確認したようだ。
「そうじゃな。結論から言おうか。ここに万能薬は無い」
「なんだ、爺さんが嬉しそうだから、見つかったのかと思ったよ」
俺は落胆の色を隠さなかった。美雨もこころなしか顔を俯かせる。その雰囲気は周りで活発にやり取りを交わす人々とは対照的だった。
そんな二人に、ギリアムは肩をすくめる。
「お前はさっきの会話を聞いてなかったのか?あの男も無いと言っておったろうが」
老人の言葉に思わず俺は反論する。
「あれは、商人同士の暗号みたいな感じがしたぜ」
俺の不満げな顔に首肯すると、老商人はあっさり認めた。
「確かにそうじゃ。じゃが表の会話にも意味はきちんとある。でなけば誰だって気づくじゃろうが」
「全部教えてくれるのね?ギリアム」
美雨の質問に、商人は「もちろんじゃ」といいながら先を急ぐ。
「今回万能薬の情報を制限したのは、わしらが想像した理由どおりじゃ」
「つまり本物が取引されると推測させるため?」
「うむ。だが実際は嘘じゃった。というより餌じゃな」
「餌?」と鸚鵡返しになる俺には、老人の言いたい事がわからない。
「闇市場は、今回敵を罠にはめると同時に、その協力者へお灸をすえるつもりなんじゃよ」
ギリアムは見るからに意地の悪い顔になる。
「敵?」
考えずに単語をただ繰り返す俺に、ギリアムは質問の形で思考を促す。
「ティン、禁忌魔法具を売買する者にとって、一番うっとうしいのは?」
「魔法学舎かな」と直感で回答する。
ギリアムはにやりと笑うが頷きはしない。
「ギリアム、建前はそうでも実際は両者には色々あるでしょう?」
美雨の懐疑的な発言に商人は当然の如く頷き、俺には「師匠を見習え」と皮肉まで追加する。
「そうじゃな。長い魔術師の歴史でみれば、ブラックマーケットと魔法学舎は結構持ちつ持たれつなんじゃ」
だがギリアムは不意に翳った表情を示した。
「じゃが近年現れた過激な結社の噂を聞いたことはないか?」
美雨は心当たりがある様子だった。
「“神の御技で無き悪魔の道具は全て滅すべし”って標榜している所かしら?」
俺もそのスローガンには聞き覚えがあった。
「たしか……」と結社の名を思い浮かべる。
その時、地下の大空洞に爆発が起こった。音が反響し鼓膜が痛い。炎の方向へ三人が眼をやると、三階ほどの高さの櫓から次々と人間が飛び出している。
赤地に白十字のローブを着た彼らは、同じ模様の仮面を被り、統制された動きで周りの天幕に向い魔法攻撃を開始していた。
火炎の塊をぶつけられた露天が一瞬にして燃え上がる。閉鎖空間に近い地下の市場の天幕群は、地上に比べ密集しており、見る間に延焼が広がっていく。
最初の爆発直後から走り出していたギリアムは、並走する同行者達に怯えも見せず告げた。
「二人とも見るのは初めてか?あれが闇市場にとって新顔の敵、焚書部隊じゃ」
三人は黒い煙と火の粉が舞いだした天幕の間を縫う様に駆け抜ける。
その間も焚書部隊の襲撃はますます激しくなり、突然の事で右往左往する闇市場の反撃は散発的なものだった。
地下空洞の壁に接する位置にある複数の櫓とその周辺は、全て赤い服で満ちている。
そこからミサイルランチャーの如く火炎弾が放たれており、闇市場の魔術師による魔法障壁の展開が追いついていない。
それでも市場の広さにも助けられ、火災はまだ全体の二割程度だった。
「どれだけで攻めてきたんだ?」
呆れた俺が声をもらすと、美雨がすぐさま答える。
「ざっと見ただけでも千人以上います」
俺にもこのままでは市場側の一方的損害になるのは明白だ。
しかしギリアムから焦燥感は全く伝わってこない。鋭い眼力で付近の状況をつぶさに見ながら目的の店の前にたどり着いた。
この辺りの天幕はまだ直撃弾をくらっていない。しかしそこには魔法で水の幕を張り、火の粉による類焼を防ぐ店主のずんぐりとした背中があった。
「ベア!ご苦労じゃったな」
ギリアムが声をかけると、その男はのそりと振り向き挨拶を返す。
男の視線が俺を一瞥し、美雨の上ではほんの少し長くとどまる。だがその表情はウドの大木に相応しい。
「ギ、ギリアムさん。お、俺がんばって火を防いだよ」
ベアと呼ばれた商人は、鈍そうな返事で自分のした事を自慢した。ギリアムは苦笑しながら話をあわせる。
「うむ。良くやったの。ここの仕事は終わりじゃ。奴らめ奇襲が成功したと勢い込んで、魔法をぶっぱなしとるわい。後は計画どおりにするんじゃ」
「ギ、ギリアムさんはどうするんだい?」
天幕の奥から小さな荷物を出して背負い、ベアが尋ねる。
「お客さんを逃がさんとな」
ギリアムの反応に納得したのか、男は一緒に行こうと誘わなかった。
「じ、じゃあ、また後で」
男は特に慌てる様子もなく、店からでて行こうとする。その先には暗い空洞の天井が火災で照らされてた。
「うむ。気をつけるんじゃぞ」
老人の言葉に、さっきまでのベアの鈍重は煙の様に消え、きびきびとした態度に変わる。
いつのまにか毒呪のダガーを両手に、獰猛な暗殺者の顔で嗤った。
「爺さん、気をつけるのはあっちだ。闇市場に喧嘩売ってきたんだ、飛びきり高く買ってやらなきゃな」
ベアの面には、焚書部隊を行きがけの駄賃代わりに血祭りにすると書いてあった。
男はきびすを返し一歩踏み出しかけたが、戻ってくるとギリアムに小さい袋を押付ける。
「なんじゃ?」
「ド素人が計画を知らずに売りにきた。下手に騒ぐと面倒だから買ったが、狩りの邪魔だから渡すぜ」
ギリアムはちらりと袋の中を覗くと値を尋ねる。
「いくらじゃ?」
「金七キロ」と売値を示すベアに「嘘じゃな。五キロといったところじゃろ」と老商人はすかさず答える。
「かなわねえ」
ベアは苦笑いしてそのまま天幕に挟まれた路地を去っていく。その背にギリアムが念を押した。
「振り込んどくからの」
「頼んだぜ」
その応えがギリアム達に聞こえた時には、暗殺者の姿は煙漂う闇の中に消えていた。
「さて奴らがいい気分な内に、さっさと引き上げようかのう」
ギリアムが俺達に声をかけた時、離れた櫓から火炎弾が数発こちらに向かって打ちあがった。
放物線をえがき飛来する炎の塊は、ベアが残した水幕を一瞬に蒸発させ、天幕ごと三人を吹き飛ばすだろう。
「まかせておけ」
俺の前に出た美雨にギリアムは手を振ると、懐のコインを少し前になげ落とす。
コインには「emeth」と刻まれている。
岩よ土よ、砂となり立ち上がりて壁となれ
statum……arena……petra……
老魔術師が唱え終わると、俺達の眼前にはいきなり砂が噴水の様に複数噴きだし、並んだ壁よろしく高く立ち上がる。
硬い地面は瞬く間に砂へと変化し、大きな砂場となって前方へ広がっていく。
視界を塞さがれたその反対側を彼らが見れば、火炎弾の爆風と熱波が暴れまわっているのがわかっただろう。だが、こちらには全く影響が伝わってこない。
「砂の衝撃吸収力は馬鹿にできんのじゃよ」と詠唱を一旦区切る。
「火遊び好きな坊主共の悪戯程度じゃ、ビクともせん」
この砂状防壁は目立ったらしく、他の櫓周辺の焚書部隊からも飛来する炎弾が加わる。集中砲火を浴びた防壁の爆発音が今までになく大きく響きわたった。
「力押しばかりが好きな連中とは、情けないもんじゃ」
ギリアムは馬鹿にしたように鼻を鳴らすと、呪文の最終小節を唱える。
真理もて型代を呼び覚まさん
emeth……Shem……ha……mephorash
轟音とともに砂の噴水が盛り上がると、それは人の姿を模した。
焚書部隊の火炎攻撃が高い櫓をも凌ぐ砂の巨人に集中する。
爆発の衝撃で吸収しきれなかった体の表面部分が飛び散った。
しかし足元から魔法で吸い上げられる大量の砂によって、欠損部は直ぐに再生され、まったく効果がない。
「噴砂巨人かよ!」
俺は思わず叫ぶ。美雨は弟子の不用意な発言をとがめる様に、こっそり俺の足を踏んづけた。
ゴーレムは土素材が一般的で、高位魔術師の召喚では石や金属素材による物も見かけられる。
砂ゴーレムは魔法学舎の修了生の基礎科目で、土精霊を使役する魔法練習に使われる。
土に比べ固定化が難しいので、集中力を高めるのに適当なのが理由だ。
だが砂は土や石に比べ攻撃には弱い。木の棒で一発殴られれば容易く人型を崩されてしまう。
この老魔術師はそんな砂の崩れやすさを衝撃吸収力として利用し、循環させる事で弱点を強みに変えてしまったのだ。
「ほう、よく知っていたな? この魔法は余り知られていないと思ったがのう」
ギリアムは、禁忌スレスレの魔術式を持つこの魔法について、俺が知っている事が意外だったようだ。
「噂に聞いた事があったからさ」
俺は美雨にちらりと眼をやり、足の痛みに耐えながらとぼける。
この魔術式の中枢呪文である「循環式」構築を、自分と美雨が行った点は秘密だ。
実は美雨の依り代たるペットボトルに使われる、泉水の循環魔法付与のために構築したのだが、俺が中学の時にその術式情報の一部が洩れた。
多分この墳砂の魔術式もその情報が基になっているのだろう。
「この人形の防御能力は半端ではないぞ。ましてやここは砂漠の地下じゃ。材料には困らんしの」
ギリアムの言葉通り、砂の巨人は雨あられと降り注ぐ火炎弾をものともせず、その姿をさらに大きくしていく。
すでに高さは三十メーターを越え、両手を広げて三人を守る姿は、巨大な砂の十字架だ。
「炎の十字架と砂の十字架、強いのはどっちかの?」
ギリアムは皮肉を言いながら、涼平達を誘導する。
「こっちじゃ」
「やられっぱなしで攻めないのかよ」
俺の質問に老人は答えず、「いつの世も若人は血気盛んじゃの」とだけ感想を述べた。