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魔術師涼平の明日はどっちだ!  作者: 西門
第七章 古里の陰影
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第70話 師弟契約

 冬の山は、まだ雪を積もらせていないが、吹き降ろす寒風が、山間の谷を駆け抜けていく。

 そんな谷にそって、古い道路がうねるように走っているのだが、村でちょっと有名な旅館は、そこから少し林の奥に入った場所に位置していた。


 昔ながらの民宿風の(おもむき)は、最近のリゾートペンション系とは全く異なっていたが、その古びた外観や内装を気に入ってくれる人たちも案外多い。


 亜米利加から来た魔法学者もそんな一人だ。


「温泉とは気持ちのよいものだ」


 ジョージ博士が風呂から上がって、肥満した体の汗をぬぐいつつ宿の部屋に戻ると、既に夕食の膳が用意されていた。


 大黒屋でもこの「竜胆(りんどう)の間」は高級で、十畳の部屋が二つあって片方は寝室、もう一方が居間として使用される。


 居間に据えられた飴色の四角い座卓の上には、料理したての山の幸が所狭しと並んでおり、そのふっくらとした香りは、昼食以降何も口にしていない彼の食欲を否応無くそそる。


「これは、おいしそうだね」


 彼はタオルで薄い髪の毛を拭き、特大の浴衣からはみ出そうな腹を叩いて、食事への期待を示した。

 分厚い眼鏡は雲って真っ白だが、レンズをぬぐいもせずどっかりと赤い座布団へ腰を下ろす。


「聡も温泉に入ってきたらどうだい?」


 顔は膳に向けながらも気配りしてくれた博士の言葉に、聡は首を振り周囲をうかがいつつ報告した。


「強固な結界を張りました。曾祖父といえどもこの部屋の中をのぞくことは出来ないはずです」


「聡は気が早いね」と博士は少し呆れた様子だったが、彼自身も呪文を少し呟き、独自の結界を重ねる。

 異国の学者によって、聡は部屋に見えない投網が被せられた様な術式を感知した。


「初めて見る呪文ですね」と聡は興味深々に問う。


 若い魔術師にとって、短い詠唱で空間内の物理法則・魔法法則双方に制約をかける魔術式は目新しい物だった。


「聡の術式はご家族も知っているだろうから、念のためだよ」


 博士は事も無げに笑って、漆塗りの箸を外国人と思えぬ器用さで持つ。

 川魚が香ばしく焼かれ、松茸の土瓶蒸しからかすかに漂う芳香に鼻をひくつかせると、彼はこれ以上待てないとばかりに皿の一品をつまみ上げて宣言した。


「さあ、まずはこの料理をいただこうじゃないか。話は食べながらでもできるさ」




  ◆ ◆ ◆




「それで聡は、今回がいい機会だというんだね?」


 煮しめた根菜から染み出る東洋の甘辛さに舌鼓を打ち、神主が以前から論じる仮説に耳を傾ける。

 そしてショージはぐい飲みの酒をほしてお代わりを注ごうと、すらりと品の良い徳利に手を伸ばした。

 聡は先んじてお銚子を手に取り、尊敬する博士にお酌をする。


 ありがとう、と礼を言う博士に笑みを返しながら、神主は熱心に自説を説く。


「どうですか? 複数の困難な召喚条件の内、霊場を満たす程度の実験であれば、大きな問題はないと思うのですが」


「確かに、過去の文献資料を元に召喚過程をなぞる程度なら、思考実験と変わりないんだが」


「でしょう」と聡は勢いづいた。だが、ジョージは杯を空けると、首を捻りながら前言を打ち消す。


「だが実験場の神社内は神域だろう?神域内は殺生(せっしょう)が禁忌と聞いた事がある。

 だが実験を行うなら形だけでも贄は必要になるぞ? 

 殺生を神社神職の君が行ったとあっては、示しがつかないだろう?」


 博士の忠告に聡は躊躇(ちゅうしょ)しながらも弁解する。


「確かにむやみな殺生は禁じられていますが、実際には神職の家族は、神域の川で魚を釣ったり、修行で兎をしとめて食したりもしています」


「だが、それは生きるために食しているのであって、小さな命でも不要な実験の為に殺めていいわけではない」


 杯を卓におきながら語るジョージ博士の声音は厳しい。

 それは成果を焦る余り、心得違いをしている魔法学の生徒を叱責するかの様だ。


「し、しかしっ」


 思ったより強い口調で指摘をされてしまい、聡は答えに窮する。

 普段信徒に説いている戒律を、逆に信者でない者から諭されるなど、恥ずかしくて顔もあげられなかった。


 その時聡は、外に翼ある式神が集まる気配を感じた。

 もちろん中に入ってくることは出来ないが、聡は自分が信用されていない事が腹立たしい。


 いつもならすぐに収まるはずの腹の虫が、心奥で憤懣となってなかなか静まらなかったのは、研究者として慕う博士に叱責された事への八つ当たりかもしれない。


「ご家族も心配している様だし、今回は諦めたらどうかな?」


 その烏の気配に博士も当然気づき、良い機会だと思ったのか、説得という形で聡の提案を否定する。


 聡はその瞬間、失望で目の前が真っ暗になった。

 共同研究者と言っても、博士の驚くべき魔法知識や幅広い協力なくして、神降ろしなど不可能な事ぐらい数年の研究で自覚した。


 そして博士が抱える数多い実験よりも優先してほしくて、何年も口説いてやっと博士をこの霊場へ呼び寄せたというのに、なんの成果も無く終わってしまうのか。


 他の研究スタッフに部外者と白い目で見られながらもやって来た事は、結局無意味だと断定された様で、聡の心に絶望感が広がる。


 この絶望感は以前にも味わった事がある。

 記憶を探って、神降ろしをすると大爺に告げた日の、妹との会話だと思い当たった。


「ありがとう、楓。俺もそんな事はわかっているのさ。それでも何か希望がほしい。そうしないと……」


 あの時は妹に最後まで語らなかった。だが、聡はこう続けたかったのだ。


「……そうしないと、いっそこの村を壊して自由になりたくなる」


 その時、大爺にも楓にも賛成されず、その実現の困難さを目の前にして絶望を感じていたのだ。

 だが、今はそれ以上だ。手ごたえを感じているにもかかわらずその先へ踏み出す事が出来ないのは、不可能だと思っていた昔より辛い。


 飢えきった者の前に食物を出して、手に取ろうとした瞬間取り上げられたら、その者は発狂してしまうかもしてない。それと同じだった。


 戒律と実験への熱意の間で激しく苦悩する、若い神主の姿を見て、博士は表情を緩め声をかける。


「……しょうがない。ここは不信心な外国人が境内で魚を捌くという、不埒な真似をしでかす事にするか」


 聡が面を上げると、顔を赤くしたショージがいた。酒精のためか照れているのかはわからないかったが。


「ありがとうございます! 私もお手伝いしますので」


 感動しながら頭を下げて言いかける聡に手を振る博士。


「いや、それは駄目だ。命じられた弟子でも無いのに手を貸せば、結局君も責められる」


 大学の生徒でもなく、名前だけの共同研究者の自分を三年に渡り辛抱強く指導し、今またここまで案じてくれる魔術師の厚意に、聡は不意に目が潤み胸が熱くなる。彼は湧き上がる感謝と信奉の気持ちが抑え切れなくなった。


「ならば博士。いえ、魔術師マーク・ジョージ。私を今からあなたの弟子にしてくださいっ」


 気がつくと聡は畳に正座し、深く頭を下げながら真剣にお願いしていた。

 冗談でない事は伝わったはずだ。しかし博士の応えは無い。部屋は沈黙に支配され、聡が不安を感じ始めた頃、ぼそりと返答があった。


「聡、弟子は師匠に絶対服従だ。場合によっては信仰する神すら魔法的に解剖し、実験対象にせねばならないのだよ?」


 純粋な信仰心と科学的な探究心の相克(そうこく)について、特に神職である聡へ確認する博士に、聡は家族を、村を思う。


 大爺も父も、結局神主の枠からはみ出せない。それで村が良くなったかと言えば、答えは否だ。

 このままでは村は朽ち果てる。皆もバラバラになってしまうだろう。


「桜、ここの巫女になるのっ」


 姪の誇らしげな仕草。でもこのままでは神社の存在意義の片翼である信徒との繋がりは失われる。

 聡は脂汗を滴らせながら、眉間をしわだらけにして自問自答を続ける。


 それを防ぐためには思い切った手段が必要だ。だが、博士の言うように、信仰の教えとして禁じられる行為に手を染める必要まであるのか?


 しかし、神職としての禁忌が村の繁栄を阻害するなら、その禁忌を破る事で村を救う事も可能ではないか。新しい道が開けるのではないか。


 平凡な神主の一生だと諦めかけていた岐路が今この瞬間なのではないか!? 

 そう、壁を越えるなら今しかない。例え神官の地位を失っても。

 聡は迷いを振りきる如く面をあげて頷く。

 

「わかっています」


 その決意は、聡が嘱望された神主の地位に決別し、魔術師の道を選んだ事を意味した。

「そうか」とジョージは息を吐き出しながら立ち上がり、居ずまいを正す。ゆたりとした着物姿にも関わらず、豪奢なローブをまとったかの様に、逆らえぬ威厳を感じさせる魔術師は、厳かに契約の文言を発する。


「これより師弟契約を取り結ぶ」


 聡はその台詞と同時に片膝をつきながら頭をたれ、瞼を閉じて術師として聞き及んでいた儀式の作法を、必死になって思い起こす。


 その頭上では、師が弟子となる男の前に右腕を上げ、神をも材料とみなす魔法探求の世界へ、新たに入門する徒弟を祝福する印に掌をかざす。


 契約の言葉を放つとそこからは白い光が輝きだし、掌全体を包むように拡大すると、聡の頭頂部へと光の筋が延びだした。


 やがて聡の頭の周りに、リング状の光が形作られ、ゆっくりと彼の頭部に径を狭めて接近する。

 聡は契約を承る旨、緊張に震えそうになる声で誓約する。


 すると光の円環がぴったりと頭に張り付き、聡の瞼は全身に走った痺れにびくりと震えた。

 ヘアバンドの如き帯上の光は黄金色へと変化し、さらに輝きを増す。


 まるで西遊記の斉天大聖が、師の玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)に嵌められた金の輪の様だ。

 聡は儀式が滞りなく終わる事を望みながら、軽く頭を締め付けられる感覚に耐えていた。


 冬の突風が山の木々をかき混ぜるようにざわめかす。

 大黒屋の外では横の大杉の枝が、重さに耐えかねて弓の如くしなる。

 だがそれは強い風のせいではなく、黒羽の塊が、大量にとまっているためだ。


 小さく苛ついたような声で鳴き交わす彼等だが、どうしても宿の中に見通せない部屋が一つある。

 物理障壁も強靭で黒い式神達では手も足もでないし、ちらりと覗く事すら不可能だった。


 だから師弟契約の儀式が進むにつれ、瞳を閉じたまま弟子になる感動を味わっている聡の興奮した顔は分からない。


 そして髯だらけの口角を上げて、隠し切れない嗤いを漏らした師匠のおもても見る事は叶わない。それは独房の看守が愚かな囚人に向ける、蔑みを含んだ憐憫の表情に酷似していた。








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