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魔術師涼平の明日はどっちだ!  作者: 西門
第七章 古里の陰影
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第66話    幕間:桜と月夜の夢 幻夢

 ――笑い声が聞こえる。


 大爺。お祖父さん、お祖母さん。聡兄、母様。

 巫女のお姉さん。学校の友達。先生。駅前のおまわりさん。

 村のみんな。


「桜っ、また松に登って枝を折りおったな!」


 庭の木から落ちたわたしを抱き上げ、怪我が無いのを確かめると大爺がわたしを叱る。


「八歳になってもお転婆が直らんのかっ」


 その庭が見える居間に座って、お祖父さんは逃げ出す私を指差し、お祖母さんは腹をかかえ笑い転げる。


「逃げるとは何事かっ」


 顔中を赤銅色に染めて、ムキになって追いかける大爺が怖くて、丁度顔を出した聡兄の背中に回りこむと、聡兄は大爺の拳骨から私をかばってくれた。


「観念せえっ」


 でもついに大爺はわたしの服の襟をつかみ、猫の様にぶら提げる。コブシを固めた大爺を見て、わたしは痛みに耐えるために眼をつぶる。


「まあまあ、落ち着いて」


 そこで優しい母様の声がするんだ。




「これは縁結びだよ」


 巫女のおねえさんが照れくさそうに言う。社務所前の埃を箒で掃いていた彼女の懐から、お守りが落ちたのを私が拾ったんだ。


「ここの神様はご利益があるって母様が言ってたよ」


 自慢げな私に目を細めながら嬉しそうに頷く。


「まあ、神頼みばっかりじゃなくて、自分でもがんばらないと駄目なんだけど」と急におねえさんは自己完結し、あわててお守りを仕舞う。

 その視線の先では境内を歩く若禰宜(わかねぎ)の聡兄と信徒の一行がこちらにへと近づいて来た。




「桜ちゃん、もう迷子になったらだめだぞ」


 もうすぐ定年だ、というのが口癖のおまわりさんは、真っ白な頭を振りながら、わたしを見かける度そう声をかける。


「もうっ。あれは幼稚園の頃でしょ。私来年は中学生になるんだよ」


 ぷんぷんしながら抗議するわたしに、大きな笑顔でそうかそうかと返事をしながら、「でも迷子になっちゃだめだぞ」と再び忠告してくれる。





 ――鳴き声が聞こえる。


 鈴木さんちのチロ。さっちゃんちの小梅。岡部喫茶店のゴンタ。

 御田稲荷の烏達。笹山の野猿。芝峠の大鷹。

 土地のみんな。


 チロは黒いプードル。なんか気取ってて飼い主の鈴木のおばさんそっくり。だけど黒い巻き毛はよく手入れされていて艶々してる。


 友達のさっちゃんの猫は、小梅って名前なのに、とっても大きいおでぶさんの三毛。子猫も沢山生んで、この辺りのボス猫だ。


 ゴンタはとても年寄犬で、店の奥の客用ソファにいつも寝そべってる。お客さんがいても無反応。

「ゴンター」とわたしがなでても知らんぷりだ。


 そのくせ若い女の人が好きで、母様や巫女のおねえさんが店に行くと、尻尾を振って寄っていくんだもん。ゴンタめ、わたしが小学二年だからって馬鹿にするなよっ。




「桜さん! 危ないから止めなさい!」


 幼稚園の先生の悲鳴に近い声が田んぼのあぜ道から響く。たまたま私達の戦いを見かけたらしい。


「桜、もうおやつの時間だから帰るわよー」


 その隣にいる母様は、いつもの事だと知っているのでのんびりしたものだ。

 私は今回も勝負がつかなかった相手にべぇっと舌を出すと、くしゃくしゃのおかっぱ頭を両手で整えて、髪についた柿の木の落ち葉を払い落とす。


「今度は勝つからね」と宣言するわたしに、相手も枝にぶら下がりながら挑むように答えた。


「キィーッ」




 稲荷の傍の電柱には、いつも烏の大群が留まっている。特に夕方の電線には、ずらりと黒い塊が並んでいた。

 村のみんなは何故ここに集まるのかいぶかしがっているが、わたしは理由を知っている。


「よっし、今日の分はこれだあああ」


 私は肩までの髪を振り乱しながら、リュックから給食のパンをばら撒く。クラスの皆から食べ残したパンを分けてもらって、いつも夕方の散歩がてらここでばら撒くのだ。


 街の子は、給食の味気ないパンが余り好きではないらしい。

だから小学校に入学してからずっと続けていたら、四年生の今では他のクラスの子も私にパンを分けてくれる様になった。


 黒い嵐の様にわたしに殺到する烏達に囲まれながら、私は叫んでいる。


「大爺は頑固で怖いけど、みんなで守ってあげてねっ」




 わたしの愛する世界。わかっている、これは過去。もう同じじゃない。

 でもとても幸せだったと今ならわかる。

 大好きだったけど大切にしてたかと言われると、当たり前すぎたからわからない。

 




 ――苦しむ声が聞こえる。


 社殿の御柱。三重之塔の相輪。杜の木々。谷の小川。

 漂うあれ。棲まうあれ。根づくあれ。

 御山のみんな。


 社殿の中でも最奥の本殿は、神主の大爺達や巫女の母様達しか出入りが許されない。でも気になって忍び込もうとしたら大爺にお尻がはれるほど叩かれた。


「ふざけて良い場か、わからんのか?」


 拝殿の前で正座させられる私に、いつも違い粛然として重々しい大爺の様子や、悲しそうな母様を見て、禁忌について学んだよ。

 だけどいつか私も巫女になったら、あそこにいるものに会いに行こうと決めた日でもあったっけ。




「もうもたないぞっ」


 お祖父さんの悲痛な声が響く。社殿全体は軋みをあげながらも魔風に耐えている。


「情けない事を言うでない!」


 大爺は鬼の形相で一喝すると、印を結びなおして加護の効果を高める。

 神域のはずの境内は、今や轟々とした地鳴りの中で、崩壊しようとしていた。


 わたしはその恐ろしい景色を見ているはずなのに、何の感情も浮かばない。


 変わってしまった世界。そうだよね、そして今がある。

 苦しがるから何がそんなに辛いのかと問い掛けるけど、応えはないの。


 ただ頭が割れるような激痛、お腹が裂けるような苦悶が伝わってくるんだ。

 何とかしてあげたいのに、やり方がわからない。

 

 わたしの夢にでてくる景色はこんな風に繰り返される。

 様々な光景。時間。会話。持っているなんて知りもしなかった幸せ。

 失ってから気づく。ちがう、失ったんじゃない。奪われたんだ。








 いつもここで眼が覚める。理由はたぶん思い出したくないから。

 だから眠ることが怖かった。いつかこの先を夢に見てしまうんじゃないかと。

 そして辛かった。全てが終わるまで続くこの時間が。


 そんな日々が五年続いて、このまま全てが終わると諦めかけた時、涼平が現れた。

 そしたら病院のベッドで、初めて過去以外の夢を見た。


 本当は見ちゃいけなかったかもしれない。でも嬉しくて、楽しくて、幸せで。

 それからは待ってる時間も辛くなくなった。


 だって、次に会う時の事を考えているだけでわくわくするし、会った時の事を思い出すだけで、胸がきゅってなるんだもん。


 夢の中でも彼を見ていると幸せな気持ちになれる。

 涼平との関わりなら、その先の破滅を恐れる必要がないんだ。


 涼平に会う度、陶酔していると自分でもわかっているぐらいのぼせていた。そのまま最期の日まで過ごせればいいなって願ってた。

 

「ひどいよ」


 彼に会った後幸福感に浸るわたしに、そう呟く声が心の奥から聞こえ始めたけど、最初は気づかぬ振りをした。

 その声は羨望と嫉妬に塗りこめられていて、私を息苦しくさせる。声が大きくなってからは耳を塞いでいた。


 もういいじゃない。さんざん我慢したんだから、もういい加減解放してくれてもいいじゃない。 

 そうやって心に鍵をかけて、彼との残りの日々を精一杯大切にするつもりだったのに。


 涼平が来なくなると聞いて、これは罰なんだと思った。

 わたしばかり彼と話したから。わたしばかり幸せになったから。きっとそうなんだよね。


「待ってて」


 だから彼が去った後そう囁いたら、声は聞こえなくなった。




 そうしてわたしは故郷まで来た。

 大爺がいた。駆け寄って抱きつきたかったけど、「帰れ」と言われて泣きそうになったよ。でもわたしは通るつもりだった。


「進めば命は無いぞ、桜」


 大爺が言いたい事はわかるよ。ここに帰ってきたら、私の寿命はさらに短くなるって言いたいんだよね。


 大爺は私を杜の奥に行かせないよう烏達を使う。

 この烏が大爺の(しもべ)だってことはずいぶん昔に母様から教えてもらった。母様も何度か助けてくれたらしい。


 でももう決めた。わたしはわがままを通すんだ。

 だからみんなお願い、私を行かせて。お願い。

 するとわたしの何もかもが白銀の光に満たされていく。


 ……それから何が起こったのか、わたしにはわからない。


 ただ、しばらくして傍で懐かしい大爺の声が聞こえた。

 さっきみたいな他人行儀な口調じゃない。昔私を叱ってくれた大爺の声だ。厳しくても頼もしい。


「全く頑固だ。母親似だ」


 それを耳にして、とっても誇らしくなった事だけはおぼえている。

 そして私は意識を無くした。








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