第63話 ブラックマーケット
「ここは、安全なのか?」
アスレイが商人の男に尋ねたの最初の質問は、それだった。
男は可笑しそうな表情をする。
「初めて来られた皆様は、大抵そのご質問をされますね」
アスレイは、自分が凡人だと揶揄された様で苦々しいが、顔には表さない。
「ご心配なく。ここはしっかりと管理されておりますから」
それで緊張を解き、あらためてこのマーケットを見回した。
暗く先が見えな地下空洞の下に延々と広がる天幕群は、地上のバザールの規模には劣るが、それでも充分な数だ。
これでよく露見しないものだと不安になって、つい男に尋ねてしまった。
二人は砂漠の天幕から、長い縦坑の梯子を降りて、この場所までやってきた。
人が一人分しか通れない狭い穴に、息が詰まりそうになりながら出口につくと、そこは三階ほどの高さの高見櫓の様になっており、マーケット全体を上から見下ろす事が出来た。
離れた位置に同じ櫓が何本かあるところから、アスレイも秘密の出入口が複数あるとわかる。
「それにしてもブラックマーケットの店がこんなにあるとはな」
初めてバザールの裏世界を訪れたアスレイは、少しばかり興奮した。
「さすがに、規模では地上にはかないませんが、扱う魔法具の豊富さと品質はむしろこちらの方が上かもしれません」
男の解説にアスレイも頷く。
なにしろここの店で扱う品には、魔法学舎の禁止事項が存在しない。
金さえ積めば、大抵の望みは叶うのだろう。
「私の店はあの旗の下にあります」
男が指差す先の天幕の屋根の上高く柱が延び、黒蓮が染め抜かれた大きな旗がたなびいている。
地下に風はないが、風精を使役してるのだ。その周囲ではセントエルモの青白い火の様な光が旗を照らしている。
「ここなら交渉次第で取引が可能ですよ。市場を回ってみてはいかがですか」
男の言葉から、彼自身がアスレイと取引する気がないと気づく。
「お前が案内してくれないのか?」
アスレイは内心の不安を隠して文句を言うが、男は取り合わない。
「私の役目はここまでです。あとは地上にお戻りになる際に店にお越し下さい」
そう言って、一礼すると商人は櫓の隅にある階段から、さっさと下っていってしまった。
「けっ。商売人のクセに、愛想も欲もねえんじゃ、大物になれないぜ」
アスレイは、そうあし様に言うと、もう一度天幕の景色を眺める。
天幕は色とりどりで、屋根にあたる上方にも魔法紋や絵図が描かれている。
これは、地上のバザールとは違う所だ。
多分自分の様に櫓から見下ろす人間を意識して、看板広告の意味で描いているんだろう。
あと、天幕自体がぼうっと光っているのは、太陽の光の恩恵を得られない代わりに、店自体が灯りとなっているらしい。それがなければ、この巨大な空洞は真っ暗なはずだった。
だが、旗が立っているのは、さっきの商人の天幕だけだ。
どうやらあいつはこの市場への案内を生業にする店に勤めているらしい。
アスレイは、あの男が店主だと思っていない。一人でやるには、危険が大きい仕事だからだ。
ブラックマーケット自体に人を連れてくると言うことは、客が増えるが囮のリスクも増える。
情報を引き出すために捕縛されるかもしれない。
下手をすれば、市場全員が魔法学舎に一網打尽にされてしまう。
だから慎重さを要求される、そんな役割を担う人間が、裏組織に所属していない事などありえない。
とにかくなるべく高値で盗品を換金したい。そのためには情報収集だと、アスレイは一階に向かいながら、市場を一回りする事に決めた。
そんな彼が櫓から出たとたん、なんともいえない匂いが嗅覚を刺激し、顔を顰める。
「なんだ、この甘ったるい空気は」
口だけで呼吸しながら、アスレイはこぼした。
通りすぎる人々は、慣れてしまったのか平然としているが、彼にはこの安い香水のようなベタベタした香りが不快だった。
この地下の市場は充分な高さと奥行きを持っているが、なんでも地上並といかず、特に換気についてはどうしても空気がこもってしまう様だ。
気温は生ぬるい程度で我慢できるが、このキツイ香りはたまらなかった。
しかし天幕内なら店主が風や水の精霊で浄化しているが、店の外までする奇特なヤツなど、この地上にもいない。
それで、どこからか漏れ出す様々な食べ物や、薬などの匂いが入り混じり、腐りかけの果物の匂いになって、市場の底に淀んでいる。
アスレイは、バッグから地味なバンダナを取り出して顔の下半分をしっかり覆った。
裏の場所のここなら顔を隠しても、大して気にされないだろう。
この生地は比較的安い魔法具で、簡単な煙や一酸化炭素は遮断し、通常の空気に変換して呼吸可能にする。止むを得ず自分が手を下す場合、屋根裏の埃の吸い込み防止や、火事場泥棒で重宝するのだ。
なんとか匂いを防いだが吐きそうな気分のまま、アスレイは店の様子をうかがう。
ざわざわと人の行きかう光景はさっきまでいた魔術師のバザールと変わらない。
人種も様々な所も同じだが、上で顔を隠しているのは、大抵高貴な人物がお忍びできているのに対し、ここは彼同様脛に傷を持つごろつきが大半だ。
露天商も並んでいるが、違うのは灼熱の太陽を考慮しなくてよいので、日陰用の天幕がない点だ。
四方や天井で薄く光る布は、照明代わりらしいが、明らかな灯火を使わないのは、ブラックマーケットの規則か慣習らしい。
人の表情も一見すればただの商売人同士の気安さで、売り買いの交渉も派手に交わされている。
しかしその眼や仕草には、喰いあいを恐れない荒々しさと、水に落ちた犬を叩き殺す冷酷さに加え、金の為なら自分の子供も嗤って犠牲にする様な、すえた計算高さが感じる。
たまに誰かが持ち歩くランタンも、火精ではなく魔法具の放つ魔光で、薄紫のおぼろな灯りは、どこか人を闇に向かわせる魅力を持つ。
そしてその誘いについて路地に入れば、あっという間に命を落としそうな、どこか剣呑な雰囲気が市場に漂っていた。
「ここは長居しちゃまずそうな場所だぜ」
アスレイは、強欲で残忍だったが、身の危険には人一倍敏感だった。
だからこの路地の天幕の中で、単なる裏取引以外にどれほど恐ろしい交渉が行われているのか、これ以上想像する気はなかった。
アスレイは慎重に歩き回り、市場を回る。
余りの広さに全部はとても無理だったが、それでも何軒かの商いの様子を見ながら、騙しやすそうな店に目星をつける。
その中で一番トロそうな貴金属の商店前に立つと、店主に声をかけた。
「ここは、買取もしてくれるのか?」
「も、もちろんだよ」
店の商人は、ぼそぼそと返事をする。
顔も平凡な造りで、覇気も無い。鈍重そうな体つきに間抜けそうな面を見て、アスレイは組みしやすしと判断した。
「な、何か売物が、あ、あるのかい?」
「これだ」
アスレイは袋の中身をちらりと見せる。
男は店の椅子から愚鈍な動きで立ち上がって覗き、「き、金五キロだね」と買取価格を提示した。
正直言って、もっと安い値段で叩かれると思っていたアスレイは、見かけと違う即決ぶりに驚きながらも、上乗せの交渉を開始する。
「おいおい、これなら純金十キロ、いや二十キロはするだろう?」
「じ、じゃあ、ほ、他の店を当たってみてよ」
商人は商談は終わったという態度で、のそりと店の中に戻ろうとする。
「待てよ」と肩を掴もうとするアスレイに、男は素早く向き直り、いつの間にかダガーを彼の首筋に近づけていた。今までが嘘の様な、尖った表情で脅す。
「ここで他人の体に触るのは、相手を抱くか殺す時だけだ」
アスレイは硬直したまま動けない。
刃先が緑なのは、毒が塗ってあるからだろう。
「わ、悪かったよ」
慌てて謝ると、男は底冷えのする眼でアスレイを睨みつけてから、ダガーを離しかき消すように仕舞った。
「素人が欲をかくと死ぬぞ」
魔法学舎で重矯正指導手配をされた、強盗殺人犯を素人扱いする露天の店主の台詞に怯えながら、アスレイは迎合する。
「わ、わかった。それで値段は」
「金五キロだ。嫌なら他へ行け。その代わり今度来た時は金四キロだ」
アスレイは、悔しさを押さえ黙って魔道具の入った袋を渡す。
提示金額は悪いものではなかったし、こんな連中と付き合っていては命がいくつあっても足りない。
アスレイが強者でいられるのは、一般人相手だったり作戦を練った上で、魔術師を罠にはめるかしてきたからだ。通り魔の様にいきなり切りつける奴らとはこれ以上交渉したくないと、自分の事を棚に上げアスレイは内心毒づく。
「身の程は知っているようだな」
男は袋を受け取り中身をその場で出して確認すると奥へ行き、見慣れた純金のプレートを渡す。
これは魔術師間の無記名小切手ともいえる。
通常の金融機関でも換金可能な魔法の為替だった。
アスレイは、そこに記載された内容を確認すると懐へとしまった。
その後、金を掴んだアスレイは、必要以上に慎重になってしまう。
他の店先で良さそうな魔法具の武器を見つけても、強引な交渉で金を巻き上げられる恐怖に、店員達に声をかけられない。
臆病なアスレイは途方にくれたが、ふいにこの市場へ案内してきた男の事を思い出した。
あいつは物腰も地上の商人の様に穏やかだったし、なんとか同行してもらえれば、交渉しやすいだろう。
「我ながらいい考えだ」
一人合点して、アスレイは市場の中心で旗のなびく天幕へと足を速めた。