第62話 アスレイの計画
露天商と口論をして、胸糞悪くなりながら大天幕の通路でそいつの姿に気づいた時、アスレイは最初知らぬ振りをしたが、そのままやり過ごす事ができず、通り過ぎる際に睨みつけてしまった。
あの病院に来ていた若造と、こんな場所で会うとは。
だが、魔術師の夏の祭典とも言えるこのバザールに魔術師が来る事は、別におかしくもない。
ただアスレイは、今回望んでこの市場に来たわけではない事が腹立たしかった。
あの杜から飛んできた烏共が結界を覆い尽くした時、アスレイは万事休すだと観念しかけた。しかし思わず突っ込んだ服のポケットから、このバザールの広告をつかみ出した瞬間、脱出の方法が閃いた。
魔術師のバザール。誰でも転移できる場所。
そしていつもなら使えないはずの転移魔法陣も、夏の開催期間を挟んだ二週間だけは、使用可能になる。今はまさにその時期だ。
必死に魔法陣を描き、呪文を詠唱したアスレイは、転移後の砂漠の景色を見て、安心の余り腰が抜け、その場に座り込んでしまった。
「絶対絶命だったぜ、まったく」
彼は地表近くの茹だる様な砂漠の暑さと、黒い杜で捕まった場合の恐怖に、体中から汗を流して安堵の息を何度も吐き出した。
少しして気分の落ち着いたアスレイは、市場の様子を眺める。
夏のバザールイベント自体はまだ準備段階で、屋台や天幕もちらほら見かける程度だ。
帰りはまたあの杜の前へと逆転移させられてしまうが、それはなんとか方法を考えるとして、とりあえず落ち着く宿泊先を探さねばならない。
「むしろちょうどいい」
アスレイは周りを見て、準備に余念の無い人々をすり抜け、天幕の横に積まれた木箱の脇に行く。
目立たぬように自分の背のバッグから袋を取り出すと、中を覗き込む。
そこには、宝飾店の買取人を使い魔に襲わせて奪い取った魔法具が入っている。
アスレイは、一般には流通不可能な盗品を、このバザールで売り払って、それを元手に新しい魔法具を入手しようと考えた。
「使い魔も全部無くしちまったし、なんとかしないとな」
アスレイは、表情を険しくしながら吐き捨てる。
あの若造と糞チビには、たっぷりお礼をしなきゃ、腹の虫が収まらない。
身の安全を確保したとたん、自分を振りまわした二人への憎悪が彼の目を吊り上げさせる。
「もし糞チビが生きていたらの話だがな」
彼は黒い烏にたかられた少女の姿を思い浮かべる。
とにかくカマイタチでは魔術師の餓鬼に歯が立たない。実力差が嫉妬の炎になって自分を焼く。
チビの不可触の付与魔法の正体も暴けなかった。だが、若造は病院でチビに触っていたように思う。つまり、チビが認める人間なら、あの魔法は無効になるらしい。
「やっぱ魔術師の餓鬼を始末して、操るのが良いって事だな」
アスレイは、最初の自分の案がまだ有効な事に、満足げな嗤い声をあげる。
「それには武器だ」
魔術師同士の争いは、敵の詠唱を妨害しつつ自分のそれを成功させる事が勝利の基本だ。
そのためには、敵に直接攻撃をかけて肉体を傷つければ、反射神経の劣った老魔術師などはすぐに倒してしまえる。
「すばしっこいから、師匠の時みたいにはいかねえか」
己の師匠を殺めた時の事を思い出したアスレイは、平然としながら入手すべき武器となる魔法具について検討していく。
だが、そのためには盗品を高値で売りさばく必要があった。
アスレイの魔術師専用銀行口座は魔法学舎の連絡で閉鎖されている。
一般人向け他人名義の口座を持ってはいるが、このバザールでは使用できない。
もちろん、裏の世界にはなんでもあるので、魔術師専用の裏口座もあるのだが、引き出し手数料が高く設定されていて、ケチなアスレイとしては安直に引き出すのは嫌だった。
それがここに持っている盗品を売り、現金か金塊に換えればその問題も解決するのだ。
「どこかの愚かで財布の紐が緩い商人を探さないとな」
アスレイは彼の詐術にひっかかる犠牲者を探そうと辺りを見回すが、バザール開催日前に商売をしている店はなかったし、主催結社も許可をしない。
「しゃあねえな。バザールが始まるまで、宿で作戦を練るとするか」
彼はそう虚勢を張る。
本当は犯罪者のアスレイにとって、魔術師が集うこの市場は、魔法学舎の関係者に見つかって捕縛される危険も多分にある。
だがマスクなどで顔を隠せば、その方が注目を浴びてしまう事を経験上学んでいた。
アスレイはとにかく平凡な人物に見えるよう、挙動不審な動きを避ける。
そして早めに市場を見に来た商人の振りをして、宿泊用の天幕の一つに入っていく。
◆ ◆ ◆
そして今日、バザールの初日。
アスレイはさんざん市場の店を回ったが、どこも相手にしてくれなかった。
もちろん大手の魔法結社は対象外だ。
行けば、連絡を受けた魔法学舎の人間が乗り込んできて交渉中に捕まるだろう。
反抗のため、バザール内で攻撃魔法を使用すれば、その瞬間市場の主催結社S&Eも敵に回す事になる。
最悪、一時的に転移魔法陣使用不可の措置をとられ、アスレイは完全に袋の鼠だ。魔法学舎とS&Eに組まれては、逃げられはしない。
だからアスレイは、小さな天幕や露天商を狙って取引を持ちかけたのだが、全員が盗品について知っているらしい。
怪しげな目で断られると、弱みのあるアスレイは、憤懣を感じながらも引きさがるしかない。その繰り返しでとうとう夜になってしまう。
だがバザールはブラックマーケットとしての側面も持つので、どこかに闇の品を引き取る店は必ずあるはずなのだ。
もちろん建前は規則で禁止している主催結社に露見すれば大事になるので、堂々と店を構えているわけもなかった。
アスレイは、犯罪者同士の情報をそれなり持っていたが、危ない橋を渡りたくなかった。
それで魔法学舎の構成員がうろうろする魔術師のマーケットに足を踏み入れる度胸は無く、いつも開催広告や出展カタログを眺めては、口惜しい気分を味わっているだけだった。
結果的に、彼はバザールの裏情報については詳しくない。
「くそっ。こんなことならもっと情報を集めておくんだったぜ」
憮然としながら、篝火の公園の隅で羊肉を炙ってナンで巻いた軽食をかじっていると、反対の入口側でたち歩く大勢の人間の隙間から、若造とその連れが広場にやって来る姿が垣間見えた。
いま、これ以上顔を合わせるのは得策ではない。
アスレイは、すうっと後ろに下がり、他の人々にまぎれながら、広場を抜け出した。
「畜生、どうすればいいんだよ」
アスレイは焦っていた。
盗品が売れなけば、最悪自分の裏口座から高い手数料を我慢して金を下ろし、武器を購入するつもりだった。
ところが、ブラックマーケットの情報がない今、闇の金融機関や両替商もどれかわからない。
このままでは何の対策も打てず、バザールの終了後数日で、転移魔法陣が使用不可になる直前に、あの杜へ強制転移させられてしまうのだ。
「冗談じゃねえ」
ぞっとしながら夜の天幕の間を抜けていく。
市場のあちこちでは魔法の灯火が燃えている。だから足元が分からないほど暗くはないが、すこし先は暗い夜の中に落ち込んでいる。
「お客様、ちょっといいですか?」
そんな所で、突然声をかけられたアスレイは、文字通り飛び上がってしまった。
「な、なんだっ」
声の方に目を凝らすと、少し前方から商人風のチュニックを着た人影が現れる。
中年の男だったが、東洋系の面立ちがあの若造を思い出させて苛つく。
亜細亜人は皆同じ顔してやがるからかなわねえ。
アスレイは、警戒しながら距離を置いて立ち止まった。
男はそんな彼の態度を気にせず、話かけてきた。
「あなた様は昼にいろんな所で、魔法具を売ろうとしていらっしゃいましたよね?」
まるで商店の店員の様な口調に、官憲の類ではないと少しだけ安心する。
「そ、それがどうした?」
それでもアスレイは相手の正体が分からぬ以上緊張はとかず質問を質問で返す。
「いわくつきの品ですね」
男の応えに、背を向けそうになったアスレイは、次の台詞でその動きを止めた。
「ブラックマーケットにご案内しますよ」
疑わしげなアスレイが、それでも話を聞く気になったのに気を良くしたらしい男は、丁寧な言葉使いで説明をする。
「お客様の様に初めてバザールにいわく付きの品、私達は特別品と呼んでおりますが、をお持ちになられた方に、相応しい市場をご紹介するのが、私の役目です」
「嘘じゃないとどうして言える」
「それは信じていただくしかありません」
男のあっさりとした答えに、アスレイはこの商人の言葉は真実だと判断する。
いや、追い詰められている彼は、そう信じたかった。
しかし、それなら言いたい事があった。
「なんでこんなに俺に声をかけるのが遅くなったんだ?」
そうすれば、足を棒にして市場中を歩いたり、小さい店の商人達に軽蔑される事も無かった。
「私共といたしましても、あなた様が魔法学舎や結社の囮かどうか、判断する時間が必要でした」
その男の明快な回答に、臆病な犯罪者であるアスレイは、渋々納得した。そこへ男は付け加える。
「それにブラックマーケットなんですから、お誘いするなら闇夜が相応しいかと」
アスレイはこの商人が冗談を言ったのか判別できず無反応になってしまった。
「そろそろよろしいですか?」
そんな彼の反応を無視して、商人はアスレイをいざなう。
アスレイは、顔を強張らせながらも頷き、その男の後についていった。
男はくねくねと天幕の群れの間をすり抜ける。
まるで歩いた経路を惑わす様な動きのまま、魔法の灯火の影に入ると、そこには小さな天幕があった。
商人は魔法で入口を開けて入ると、アスレイも中にいる事を確認して再び魔法で鍵をかける。
なんの変哲も無い天幕は、中に入ってもただ地味な円模様の絨毯が敷かれているだけで、よくある簡易休憩所とそっくりだ。
このバザール会場は熱砂の上で開催されるため、熱中症防止の手段に、この様な休憩施設が沢山もうけられている。
魔術師にも得手不得手があり、皆が冷却魔法を使いこなせるわけではない。そこで、この施設が必要となるのだった。
「お待ちください」
男はアスレイの知らない呪文を詠唱した。
すると、今まで絨毯の模様だと思っていた絵柄が、立体感を持ってマンホールの様な形を作る。
その蓋を持ち上げると、下へと続く穴があった。
驚くアスレイに、商人は肘を曲げ、芝居がかった仕草で案内する。
「ようこそ、闇市場へ」
◆ ◆ ◆
「それで、ティンの色恋は何処まで進んだんじゃ?」
ギリアムは露店で手に入れた度数の高い蒸留酒を銅のジョッキであおりながら、俺に絡む。
三人が座ったテーブルの上には、多国籍な料理のテイクアウトが所狭しと並んでいた。
ここに陣取ってから、かれこれ一時間ほどだろうか。
魔法具職人は、その取引先の師弟と様々な情報の交換をしていたが、思い出したようにこの話に戻ってくるのだ。
「爺さん、飲みすぎだぜ」
俺は、転がる複数の空のジョッキに辟易した様子で話を逸らそうと試みるが、海千山千の老商人にそんな手は通じない。
「師匠としてラベール嬢は、弟子の不純異性交遊をしっかり管理しておるのか?」
今度は美雨に話を振る。
「不純じゃねえ」
俺は我慢できず答えてしまう。
「お前には聞いておらん」
ギリアムはにやにやしながら俺の口出しを阻んだ。
「で、どうなんじゃ?」
老人に再度尋ねられ、俺がブンブンと首をふる仕草を横目に見ながら、美雨はのんびりと首を傾げ、ギリアムと同じ酒精を頼んだ彼女は小さめのマグカップに口をつける。
「問題ないと思いますよ」
師匠の返答にほっとした様子の弟子に不満なギリアムは、さらに突っ込みを続けた。
「それはラベール嬢が、ティンに騙されているのかもしれんぞ?」
「爺さん、余計な事言うな!」
俺がわめく。
「ギリアム、大丈夫です」
この話題に火を付けた美雨は余裕の笑みで、三人の間に消火液の形をした大量の油を注ぎ込んだ。
「熱心に声をかけた一人は逃げちゃいましたし、もう一人は寝込んでます」
「し、師匠……」
美雨の言葉に、俺は引きつった顔のまま固まる。
「ほう。二股とは豪勢じゃのう」
ギリアムは酔いで鼻を赤くしながら「ティンもやるもんじゃ」と感心した。
「しかし逃げられたか。昔から二兎追うものは、と言うじゃろう」
東洋の格言まで精通する老人は、俺の肩を雑に叩く。
俺は、酔っ払いを適当にあしらいながら使い魔の表情を探るが、そこに怒りや失望の感情は見受けられない。
「美雨さんにとっては、俺が里緒に別れを告げる事も計算の内なのかな」
そんな風に彼が感じる程、この件に対する美雨の反応は冷静だった。
桜の時とは明らかに違う反応に、涼平は違和感を感じたが、今はそれどころではない。
美雨の燃料投下で盛り上がるギリアムの追求をかわさなくてはならないのだ。
「いや、片方は小学生だし、もう一方も雨に濡れて夏風邪引いただけだ」
言った瞬間、まずいと思った俺だったが、案の定ギリアムは食いついてきた。
「おい、子供はいかんぞ。犯罪じゃ。あと、風邪引かせるほど長く雨中で口説くとは、お前もずいぶん飢えているんじゃのう」
ギリアムは真面目なのかふざけているのか判然としない酔漢の仕草で叱責し、ジョッキを振り回しながら俺を哀れむ。
俺は、このピンチをどうしのごうかと知恵を絞るが、師匠の美雨が面白がって止めない以上、この場で一番下っ端の弟子は酒の肴になるしかない。
それでも上手く言い逃れるために、ギリアムを見ながら渇いた喉を湿らせるつもりで勢いよく飲んだマグの中身は、俺が頼んだ果汁水ではなかった。
喉を燃えながら通り過ぎる液体に咳き込みながら、美雨の持つ同じ形のマグを見る。
「し、師匠、それ……」
「ああ、ちょっと水がわりに飲ませてもらってます」
平然と答える美雨の顔と違い、俺の顔はどんどん熱くなってくる。
「ここは日本じゃないので、二十歳以下でも大丈夫ですよ」
そんな使い魔のアドバイスも、頭がクラクラしてよく聞こえない。
「では、若人の武勇をさらに聞く事にするかのう」
ギリアムは急速に酔っ払った俺から、さらに話を聞きだそうと、自分のジョッキと俺のマグを打ち合わせて乾杯した。