第51話 幕間:桜と月夜の夢 覚悟
もうすぐ夜が明けるね。
薄もやの中で夜明け前の灯りが、窓ガラス越しにこの部屋を照らしているよ。
ベッドの中でまんじりともせずに過ごした私は、顔の半分側が明るくなって来た事にようやく気づいたんだ。
ごめんね、涼平。
本当は最期まで黙っているつもりだったんだ。
あなたと残りの時を少しでも長く分かち合って、幸福を手の平一杯につかまえて、その思い出と一緒にお別れするつもりだったの。
ふふ。私、自分の部屋に男の子を入れたのはあなたが最初だったのよ。
病院でできた男性の友人だって、絶対この部屋には入れなかったんだから。
だって、VIP待遇だって思われるのも、きっと退院できないんだって哀れまれるのもいやだったから。
なのに寝巻着といい、涼平には私の初めてばっかりだね。
ちょっと緊張してお気にのぬいぐるみを抱きしめちゃったけど、子供っぽいと思われなかったかなあ。
初めてっていえば、男の子の髪に自分からふれたのも初めてだったよ。
だって、不意に触りたくなったんだもん。さらさらしてて、とても心地良い感触だったなあ。
私の寿命はあと二週間ちょっと。
実はこの病院に入る時、ひとつだけ母様と父親にお願いした事があるの。
全てが無駄に終わってその時が来たら、一月だけ自由な時間がほしいって。
「絶対助けるから」
母様は泣きながらそう言ってくれたけど、自分の身体だし難しい事はわかっていたんだ。
その時初めて会った父親という男も了承してくれて良かったよ。
何にも話さなくて、指示は全部家人から伝えさせる嫌なヤツだけどさ。
それからは、同じ一日が永遠に続いていると錯覚する時間が始まったんだよ。
医療スタッフは私の身体を全身をくまなく検査して、治療方法を検討して実行してくれたよ。
未知の病に正解なんてわからないよね。
だから可能性の高い推論から順番に試し、失敗すればその理由を分析するんだって言ってた。
トライ&エラー。トライ&エラー。
CPUにプログラムを走らせるのと同じ理屈。
ここの医者の中でも優秀という触れ込みで、難病研究について情熱を燃やす特別医療スタッフ達は、病気の根絶にひどく熱心だったな。
彼等は私にも思いやりのある言葉をかけてくれたよ。
治療効果が上がれば一緒に喜び、無ければ患者を励ましてくれるんだ。
患者にとってその暖かい言葉は、自分を鼓舞し、スタッフに対する信頼と感謝を導いたと思う。
ただ、彼等の平板な瞳の奥を見た私にはわかっちゃった。
本当は病原体を持つ素材の感情なんて、全く興味がないって。
私は少女じゃなかった。私は人間ですらなかった。
彼等にとって手術台にいるのは人間ではなく、置いてある人形と同じ。
彼等は治療行為を問題なく試すため、「思いやりのある言葉」というマニュアルに沿って対応しているだけの話だったんだよ。
試験薬は覚えていない程飲まされたなあ。
私には効果が無かったけど、そのデータを活用してこの五年の間に正式承認された薬も結構あったらしいよ。
私が眠っていると思い込んだ看護士達がそう話していたんだ。
「そして私に残ったのは、副作用の銀髪ってわけだ」
この長い髪さえも、試薬の残留反応を計るために勝手に切る事は許してくれなかったけどね。
朝の早い小鳥達のさえずりが聞こえてくるよ。
まだ朝日は昇っていないけど、そろそろ起きなきゃね。
いつまでもこうしてはいられないしね。
本当に涼平に黙って逝くつもりだったんだよ。
でももう少し一緒にお話できると思っていたんだ。
なのに「桜と会うのは今夜が最後になる」なんて言うからさ、ちょっと意地悪をしたくなったの。
だって、最後の二週間だもん。
涼平と一杯お話して、一杯ふざけて、心の隅っこまであなたの笑顔をつめこんで、永遠の眠りにつくつもりだったんだもん。
そんな素敵なわがままを涼平は駄目だって言ったんだよ。
病院のスタッフに読まれるのが嫌だったから、日記なんて付けてなかったけど、こんな事なら涼平との毎日を記しておくんだった。
でも、涼平が真剣なのはわかったから。
彼が魔術師なのはわかっているし、話せない事が多いのも知ってる。
あれだけ人に気を使うあなたが、あえて私と会えないと言うぐらいだから、本当に必要な事なんだね。
だから、代わりに私の事を覚えていてほしくて。
涼平の心のどこかに刻んでほしくて。
言ってしまった。
その後の涼平を見てたら、言わないほうが良かったとも思ったけど。
病気はあなたのせいじゃないのに。
あんなに悲しそうな顔をするから、私が困ってしまったよ。私は最初から覚悟していたから、どうって事もないしね。
病院で友人や知人と別れを繰り返していると、もうそれが当たり前になっちゃって、今だって「ああ、私の順番がきたんだな」って思うぐらいに人の死に慣れてしまってるんだよ。
でもごめん、私のために怒るあなたを見て、幸せの余り動悸がしてしまったのも本当なの。
顔を真っ赤してる涼平を初めて見たよ。
あなたを怒らせて幸福なんて、ふふ、身勝手な私を許してね。
そして、すぐこの部屋から追い出してごめんなさい。
あなたは優しいから、私の話を聞いたら自分を曲げてしまうと思ったの。
私に嫌われるのを承知で言いに来たくせに、馬鹿なんだから。
「俺はさ、よく考えなしで行動する馬鹿だと言われるんだよ」って言ってたから、皆そう思っているみたいだしね。
あなたにはあなたの大切な事がある。
私はあなたの望みを邪魔するのは嫌。
今度の新月にはいなくなっちゃう私なのに。
あなたの思い出の中で「こいつのせいで」なんて思われるのは耐えられないもん。
だからあれ以上会話を続けないようにしたの。
涼平がベッドに近づいてきた時はどうしようかと思ったよ。
「行かないで」って言ってしまいそうで、思わず口を布団で隠した。
絶対言っちゃだめだもん。
でもお別れの言葉はちゃんと聞こえたよね。だから、私は泣かない。
まだする事ができちゃったから、それを済ますまでは。