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魔術師涼平の明日はどっちだ!  作者: 西門
第五章 さだめと反抗
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第50話 深夜の病室

「嘘だろ」


 俺は眼の前で桜の語った内容とその表情の軽さに、思わず問い返してしまう。


「こんな話で嘘をついて何になる?」


 桜は、至近距離で彼女の肩を掴んだまま茫然とした俺に手を伸ばすと、右目の前に伸びた髪を、触れるかどうか分からない程微かにさわった。


「だけどっ」


 声を上げようとする俺をあやすためか、指の動きが撫でる様に優しくなる。

 

 これじゃあ、俺が頑是無い子供だ。

 俺は冷静になろうと努めながら、彼女に病状を尋ねる。


「神経系の難病らしい。細かい点は省くが、神経伝達物質が上手く形成されないために、ニューロンの接続に問題が生じて、体内の各器官へ同時多発的に様々な障害を発生させる。

 原因は不明。根本的な治療法も見つかっていないのだ」


 簡潔に答える彼女は、自分の事では無いかの様だ。


「なんとかならないのかよ」


 俺の呻きに似た問いかけに、桜は首を横に振る。


「これでもいろいろと試してきたんだ。

 先端治療や放射線、薬物も正式認証前の試薬までこれでもかと大量に飲ませてもらったよ。普通の食事よりも薬の方が多かったぐらいさ」


 だから薬の味には詳しいんだとちょっと誇らしげに言う。


「一時的には効果があるが、すぐに耐性ができてしまうのだ。

 複数の臓器で別の症状が発生するために、同じ治療方法が通じない事もあるしな。結局は、残念ながら時間切れというわけだ」


「だったらもっといい病院に転院すれば」と俺が言いかけると、彼女はやれやれといった顔でこの病院について説明を始めた。

 

 白百合総合病院は、この都市の中核病院として地域医療に大きな貢献をしている。

 だが、単なる地方の総合病院ではない。


 世界的企業連合体(コングロマリット)に属する、聖路加庭園医療セント・ルカガーデン・メディカルグループ日本法人の一つでもあるからだ。


 病院として六十年を超える歴史があり、最初は第二次大戦直後に開業した小さな町医者だった。

 それがいまでは、いくつかの難病の指定治療病院として成果を挙げるまでに到っており、評判を聞いた患者や最先端医療を身につけたい気鋭の医療従事者も多く集う大病院だ。


 下手な国立大付属など足元にも及ばない優秀な医者を抱えており、病理研究でも聖路加庭園グループの国際医療連携のおかげで、国内では群を抜く実績がある。


 桜がここに入院したのはずいぶん前らしい。

 通常の治療では効果をあげない症状が彼女の身体を蝕んでおり、母親がツテを頼って、空きの少ないVIP待遇の特別病室に押し込んだとの事だった。

 それ以来彼女が病院の敷地から出たことはないと告げられた。


 それでも当初は、遊歩道を母親と散歩したり、見舞客にも密かな人気の洒落たカフェテリアで仲良く一緒にランチを取ったりしていた、と彼女は懐かしそうだ。

 しかし母親が彼女の元を訪れなくなってからは、定期的な精密検査と新しい治療が試される時以外、桜がその部屋をでる事はほとんど無くなったと語る。


「だから、ここは今や私の家でもあるのさ」


 桜は、すっきりとした表情で俺に説明する。

 彼女の話は何処にも偽りが感じられず、俺は自分の馬鹿さ加減から立ち直れずにいた。




  ◆ ◆ ◆




 そして今俺達は桜の病室の中だ。

 初めて入ったその部屋は、普通の病室の雰囲気とは大分違っていた。

 彼女はベッドに戻り、電動式のリクライニングを操作して、上半身を起こしている。


 その腕にはお気に入りらしい、オランダ生まれのウサギのぬいぐるみを抱きかかえる。

 何故俺が桜の好みを分かるかといえば、他にもそのシンプルなイラストが使用された小物が見え隠れするからだ。


 だが、俺はそんな軽口は一切叩かず、折りたたみのパイプ椅子に腰掛け、ただ黙って桜の話を聞いていた。


 壁に掛かった時計だけは、病院らしい丸いクロームの事務的なデザインで、秒針の時を刻む音がやけに耳障りだった。すでに深夜の二時を回ろうとしている。


「通常の病室と違いVIPルームだし、長期療養が必要な患者が対象だから、ある程度は患者の希望を聞いてもらえるのだよ」


 桜は三部屋分の病室の広さに設置した、本が詰まったカントリー調の本棚や、おちついた若草色の壁、可愛い花柄のカーテンなどを見やりながら、少し恥ずかしそうだった。


 まるでモンゴメリーの小説の主人公が暮らした部屋のインテリア達。

 そんな中で無機質な操作ランプの並ぶ医療用ベッドは、どこまでも場違いだ。


 赤毛の主人公は最初一人だったが、やがて家族や友達に囲まれた。この部屋も、そんな自由闊達な主人公と同じぐらいの明るさを保っている。

 それは桜の内面を表すようだったが、それだけに俺は胸が詰まってたまらない。

 一人ぼっちの最期には全然似つかわしくないからだ。


「いつからいるんだ?」


 俺は頭の整理が追いつかず、つまらない質問をする始末だ。


「五年前からだ」


 じゃあ、五歳ぐらいから入院したままなのかよ。そんなに長くこの病院に……

 俺は、桜の閉じられた世界での日々が正直想像できなかった。


「その、友達とかは出来たのか?」


 俺のためらいがちな問いにも、彼女は明るく頷く。


「ああ、同じ年頃の患者や、結構長く入院していたお年寄りもいたからな」


 その答えを聞いて、俺は自分の無神経さを後悔する。


 病院で出来る友人は、当然患者が多い。お互い怪我や病を抱えている者同士、話も合うだろう。

 だが患者はいつか病院を出て行く。回復するか、死亡して。


 桜は退院する友人を見て、羨ましかったはずだ。友達の最期を知って、寂しかったと思う。

 そして治癒が困難な自分自身の将来に、どれほどの恐怖を感じていたのだろう。


 すぐには死なないが助かる可能性は極めて低い。でももしかしたら治療方法が見つかるかもしれない。

 絶望と希望の円環の中でもがく間に刻まれた時間は、一億五千七百六十八万秒。


「俺はさ、よく考えなしで行動する馬鹿だと言われるんだよ」


 桜に向かってぎこちなく笑う。


「そんな事ねえと思う事も多かったけど、やっぱ皆の言う通りだったな」


「どうしてだ?」


 いつしか桜は、会話の一つ一つをゆっくりと話す様になっていた。


「俺はお前の選択肢を奪ってしまったんだな」


 最初に出会った時を思い出して悔いる。俺の勝手な思い込みで、生死の権利を……


「そう思うか?」


 桜の応えに頷き、俺は謝罪しようと口を開きかける。


 それがわかったのだろう。桜は手をあげて遮った。


「私を見損なうなよ。涼平と友人関係を築く選択はこちらから提示した物だ。その対価として自殺を中止した。平等な取引だよ」


「だけど、俺はその関係を解消すると言いに来たんだぜ」


 俺が自分の裏切りを認めたのに、桜は何も言わずに笑っている。


「おい、俺は酷いヤツだろ。なあ、そうだろっ」


 俺は逆に、桜に罵倒されたらどんなに気が楽になるかと情けない事を考えてしまった。


「涼平からは友達として、私の一生の内でもベストスリーに入るぐらいの娯楽を提供してもらったよ。それで充分さ」


 茶化す様に三本の指を立てる桜からは、これ以上暗い話は嫌だという気持ちが伝わって来る。

 それで俺もそれ以上己を責めるという、安っぽい自己満足に浸る愚を避けられた。


「なんだよ、一番じゃないのかよ」


 無理やりふざける俺に、彼女は「まだまだ、私の家族ネタにはかなわないな。特に祖父母の夫婦(めおと)漫才にはとても及ばんよ」と自慢される。


「家族は付き添わないのか?」


 踏み込んだ俺の問いに、桜は隠すことなど無いように答える。


「ここは完全看護だから付き添いはいらない」


「だからって見舞いぐらいは来るだろ」


 うごめく俺の憤りは自分への怒りだったが、それを今は桜の家族にぶつける。


「……ここへ強引に入院する条件が、付き添いは母のみで見舞いはすべて断る事だったんだよ」


 桜は俺をなだめるように言葉を継ぐ。

「誰がそんなひどい条件を」と言いかけて俺は気づいた。


「父親か?」


 俺は椅子から立ち上がる。


「父と母の契約だ」


 そんな桜の言葉も聞いてはいない。

 

 そんな親がいるのか!?自分の娘にそんな仕打ちがどうしてできるんだ!

 今度は父親を非難する気持ちで一杯になった俺だが、本当は違う。


 俺は腹の奥で猛り狂うこの思いを、誰か悪者を探してぶつけてしまいたかったのだ。

 それは自分の無自覚、無理解、無能への抑え切れない破壊衝動とも言える感情で、同時に大切なものをみすみす失ってしまう事への根源的な恐怖だった。


 そんな俺の激怒する姿を、桜はどこか嬉しそうに見ていた。


「涼平は怒りん坊だったんだな」


 まるで、田舎のワルガキの正体を見破ったといわんばかりの顔だ。俺が場違いな表情と台詞に驚いていると、桜は全く違う話をする。


「涼平、私はそろそろ眠いんだが」


 それは、桜からの合図だった。


「桜、だけど」


 我に返った俺が桜に近寄ると、彼女は上掛けを口元まで引き寄せる。


「まだ、寝巻着に着替えていないしな。就寝の準備もしたいのだよ」


 俺は何と言えばよかったのだろう。

 自分勝手に、会うのは今夜が最後だと言いに来て、今はここから去る様に桜に告げられている。

 だから俺は何も言えず頷く事しかできなかった。


「私はこのまま見送らせてもらうぞ」


 窓はオートロックだから心配いらんと言って、桜はベッドの上から小さく手を振る。


 彼女は何故こんなにも落ち着いているのか。

 それは五年という歳月がもたらした悟りにちかい境地なのか。


「なんでだよ……」


 彼女の中では決着がついているのか、俺の呟きにも桜は答えない。 

 俺はやるせない思いと共に無言で窓枠に足をかけて、外へと出る。

 死を待つ少女のみが横たわる場所から、生命に満ちた世界へ。

 

「さよなら」


 窓ガラスを閉める間際、別れの言葉が隙間から漏れ出してきた。

 俺はその言葉の意味が自分の心に伝わる前に、少しでもここから離れたくて、逃げるようにベランダから飛び降りた。




  ◆ ◆ ◆




 あくる日、俺は面会時間前から、白百合総合病院一階のロビーの椅子でイライラしながら待っていた。

 すでに病院内は混雑しており、ここの評判が高い事が知れる。


 だが、俺は診察しに来たわけではもちろんない。

 病院自体は九時から開いていたが、九階の特別病室への面会申請も含め、見舞い客は十時からしか面会の許可が下りないのだ。というより、十時までは申請すら受け付けてくれない。


 無理やり入ってしまおうかとも考えたが、ロビーとエレベータや登り階段の間には、ガラスで仕切られた入退室をチェックするゲートがある。


 まるで空港の持ち物検査の様なゲートは、受付で許可証を貰わないと通れず、病院スタッフ以外に警備員まで配置しているので、騒ぎを起こさずに入り込む事はできなかった。

 テロや院内感染防止のためという説明だが、この物々しい監視体制は、他の日本の病院では考えられない。


 もちろんこんな明るくなっているのに魔法で外から侵入もできず、俺は時間の進みが遅いと感じながら、昨夜の会話を思い出す。


「さよなら」と囁くような桜の別れを。


「あのままで済ませるわけ無いだろうが」


 屋敷に帰ってからも、俺は全く眠れなかった。

 昨日はいきなり衝撃的な話を聞いたから、頭も良く回っておらず、柄にもなく激しく激発してしまったのだ。


 とにかく、もう一度桜の話を聞こうと開院時間に合わせてやってきたのだが、そこで面会時間は一時間後といわれてしまった。

 しかしようやくロビーの吹き抜け上部の大時計が十時を示したので、俺は駆け出すように急いで受付前に行き、座った事務員に、九階の桜へ面会を申し込んだ。


「受付できません」


 事務員は無表情に俺の申請を却下する。


「ふざけんなっ」


 事務員に掴みかからんばかりの勢いで俺は詰め寄る。事務員はその表情に怯えたのか、汗をかきながらも説明した。


「でも、出来ないんです」


「誰かが、桜との面会を却下してるのか?」


 俺は桜の父親を念頭に、大声で事務員の男を締め上げる。


「違います。本人の拒否がなければ、誰でもお会い頂けます」


 その男の回答に、一瞬言葉を失った。


 じゃあ、桜が会わないと言ってるって事か?


「面会ご希望の患者さんは、以前から面会は全て断ると受付に連絡して頂いています」 


 その説明で、桜が入院時から全ての見舞い客を断る条件で入院した事を思い出した俺は、再度自分の名前を出して確認してもらおうとした。


「なんの騒ぎだね?」


 俺は自覚していなかったが、周りに彼の声がそうとう響いていたらしく、後ろから落ち着いた男性の問いかけが聞こえた。

 

 俺がそちらを見ると、白衣を着た背の高い痩せぎすの男が受付を見ている。

 事務員は急に緊張した様に態度を改め、唾を飲み込む。


「院長……」


 俺は院長と呼ばれたその医者を改めて観察する。

 髪は品良く整えられ、血色も悪くはないが、平凡な容貌だ。ただ、その医者にはとても目立つ特徴があり、それは濃いサングラスを掛けている事だった。


「なにかあったのか?」


 再度院長に質問された事務員は背筋を伸ばして、説明する。


「この方が、九階の宇都宮さんに面会を申し込まれたのですが、受付出来ないというと納得いただけなくて」


「本人の許可がないと受付できない事は伝えたのかね?」


「はい」


 それを聞いた院長は、俺に向かって丁寧に対応する。


「そういうわけです。申し訳ありませんが、入院患者の承諾なしに面会を許可する事はできません」


 俺はさっきまでの興奮を抑え、冷静になろうとつとめて対応する。


「彼女は、ずっと前から全ての見舞客を断ってきたと思うので、受付はその情報のままだと思います。あらためて私の名を伝えて確認してもらえませんか?」


 すると院長は面白い事を聞いた様な顔になる。


「誰にも会わないという患者が、あなたなら会うとでも?」


 俺は、ただ頷く。院長はしばらく考えていたが、事務員に向かって指示を出した。


「この方の名前をお聞きして、患者に確認してみたまえ」


 事務員は驚いたようだったが、院長の命令に従う。


「病室の内線に応答しません」


 何度か掛け直しても繋がらず、事務員は申し訳なさそうに俺に告げるが、逆に院長は不審げに携帯を取り出して医療スタッフへ話を始める。


「九〇九号室の患者の様子を確認しろ。ああ、向こうは望まんだろうが、倒れているかもしれん」


 その言葉に俺は思わず院長へ向き直る。すぐに院長へ返信があった。


「何? 部屋に誰もいないだと? ドアの鍵は中からは開かないはずだろう? ロックされていた? 窓も? 九階だぞ。そんなはずはない。もう一度確認しろ」


 今や院長は、俺の存在など忘れた様に、矢継ぎ早に指示を出し始めた。


 そして俺は、院長の携帯から漏れ聞こえる会話から悟った。

 桜がこの病院から姿を消したんだと。








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