第49話 告白
いつものバイトの帰り道を、同じ様な深夜の時間に歩く。
夜空には十三日の月が道路を照らしていた。
俺は、今夜長く交わした美雨さんとの議論の結果について、頭で納得はしていたが、気が進まなかった。
確かに、桜と接触する事は、俺の計画にとって好ましくないし、ましてや、魔術師としての力を見せる人間が少ないに越したことはない。
「業マーカーとして異世界に送り込んでいる主の因果情報と現在のの因果情報が大きくずれて、不可避なほどに歪んでしまったら、最初からやり直しになってしまいます」
そう語る美雨さんの言葉に大げさな点はない。
DNAマーカーと違い、因果分岐による変質影響が大きい以上、変化を減少させることに努めなくてはならないのが業マーカーだ。
「誰からも召喚されないにもかかわらず、異世界に行こうとしている私達は、いわば自分自身を押し売りしているわけで、まずその世界で自らの存在の足場を構築する必要があるのです」
異世界から召喚されるのであれば、自己存在についての担保は召喚側で行われているはずだと考えられる。違う場合は召喚が失敗するだけだ、この世界の実験の様に。
二つの世界は、構成する元素や暗黒物質まで異なる可能性があるのだから、魔力の変換を通じて肉体的な生存を確保するのは当然として、存在そのものを維持することも重要なのだ。
「主は計画に変更なしと言われました。ではその障害となる要因の排除についても積極的になって下さい」
美雨さんに理路整然と諭される。
俺はそんな使い魔の態度に、誰の望みのために彼女が粉骨砕身しているのかと猛省していた。
「主は優しいですから」
そうなぐさめる彼女は、あえて厳しく接してくれる事で、俺が美雨さんに強制された形を作ってくれる。それに甘えるばかりの自分の行動に、今の体たらくがある。
「なにもかも捨てると決めたんだろ」
俺は、ともすれば先延ばしにしようとする誘惑に耐える。
安易な衝動で動いた俺の落ち度が、長年の計画を無為にしてしまうかもしれないのだ。
だから彼女の因果律の修正方法について、感情は別として頷かざるを得なかった。
◆ ◆ ◆
「よう、桜」
例によって九階のベランダで並んで座りながら、俺は桜に挨拶をした。
「涼平、先日の花火は楽しかったぞ」
楽しそうにせっせとよじ登った桜は、相変わらず生意気な口調のままお礼を言ってくれた。
今日も白のゴスロリだが、袖が広がって白拍子の様でもあり、束ねた髪からは女武者の様でもあった。
なんとなく、凛々しさを感じてその印象を話す。
「サムライって感じだな」
すると桜は、ちょっと照れた様に、俺の腕を押しながら胸をそらす。
「まあな」
桜はひらひらと手だけで「夢幻のごとくなり」と有名な舞の一節を踊った。
「神主や巫女の祈祷の所作は、能や歌舞伎の動きに通じる部分もあるのだと母が教えてくれた」
彼女は、懐かしそうに話を続ける。
「そうか」
だが俺は、今夜桜に話す内容が彼女を傷つけると知っていたので、自然と口数も少なくなってしまう。
「なんだ、元気が無いな」
桜は冴えない俺の表情をすぐに見抜いて、心配そうに尋ねてくる。
「体調でも悪いのか?」
いつも高飛車な彼女が、そんな気配りをしてくれる事さえ申し訳わけなくて、俺はますます無口になる。
「一体どうしたんだ?」
不審げな桜に、俺は耐えられなくなって頭を下げた。
「桜、すまん」
「何を言っているかわからんぞ?」
桜は突然謝り出した俺を見ながら「不可解なヤツだな」と苦笑いだ。
それで俺は、ついに言わなくてはならない事を告げる。
「桜と会うのは今夜が最後になる」
それを聞いた桜の顔は、俺の言葉が伝わらなかった様に、きょとんとした。
いつもならその愛らしい素顔に俺の心は和むのだが、今は胸が罪悪感で苦しくて堪らない。
俺から友達になると約束したくせに。
彼女をそれ以上見られず目を伏せた俺だったが、全く反応が無い桜が気係りになって顔をあげる。
桜の顔はその髪以上に真っ白になっていた。
◆ ◆ ◆
「理由は?」
しばらくして桜は静かに問い掛ける。
「すまん。それも言えないんだ」
俺は口元を引き締める。
これ以上踏み込まないためには、異世界の話も絶対に言う訳にはいかなかった。
だが、桜もそれが魔術師に関わる事だとすぐに感づいたらしい。
「つまり魔法関連か?」
俺が答えられないでいると、桜は薄っすらと微笑んだ。彼女は落ち着いており、約束を反故にした俺を責めてこない。
俺は予想したのと違う桜の態度に違和感を感じながら、彼女の話を聞く。
「まあ、涼平が私を信用すればいいだけの話なのだがな」
「そう言われると困るけど」
俺は桜が理詰めの反応を続ける事が意外だった。もっと感情的になって非難されると思ったんだけどな。
「私が信用できないと?」
「残念ながら完全には」
今度こそ桜に怒鳴られると覚悟して、俺は答えた。だが桜はまだ声を荒げない。
「……どうしてもだめか」
「ああ」
無理やり聞き出す魔法もある以上、本人の意思は無関係なのだ。
桜は真剣な俺の口調に何事か得心したように頷く。
「わかった」
むしろ俺の方が、こんなに簡単に桜が納得したのが信じられず、拍子抜けしてしまう。
「なんだ? 私は無茶は言わない人間だぞ」
そう面白そうに自己分析をする彼女に、呆れながらも安心する俺がいた。
二人はなにげなく、満月にもう少し足りない月を見上げる。
桜の横顔を見るのにも慣れて、俺はいつのまにか空中の指定席に馴染んでいた事に気づく。
「涼平、色々とありがとう。楽しかったよ」
そして桜は面を戻し俺を見つめながら、真面目にそう感謝してくれた。
「あらためてお礼を言われるとなんか照れるよな」
俺は何だかむずむずするような気持ちで横を向いてとぼける。
そこへ桜は、懲りずに俺に再度交渉してきた。
「誰にもいわないぞ?」
「そんなの我慢できるとは限らないだろ」
やはり一筋縄では行かなかったか。
俺は辛抱強く彼女を説得する。俺の身勝手で約束を破るんだから、それぐらいは当然だ。
「ふむ、ではしばらく他人に話すのを我慢してやろう」
「だからしばらくでは駄目」
その代わり俺は、今回どんな桜の譲歩も、意味がないと教えるつもりだった。
罵詈雑言を浴びても、軽蔑されても、自分の計画を優先すると決めたからだ。
桜はそんな俺に切り札を出してくる。
「大丈夫だ、そのうち私は死んでいるからな」
やっぱりそうきたか……
俺は自分が友人になる事で、桜の自殺を思い留まらせたからには、自分が彼女の前から去ると話した時点で、この話題が出ると覚悟はしていた。
それでも短い時間で培った友情が無意味だった様に、あっさりと出会った時の話を蒸し返す桜に対して、何故か無性に腹が立ってくる。
こんなに気持ちが乱れる理由が分からないまま、俺は口調を強める。
「自殺は止めたんじゃなかったのか?」
こんなの理不尽だよな。桜こそ俺に裏切られたんだから。
そう感じつつ言葉を止められない俺がいた。だが俺の不愉快な態度を気にもせず、至極冷静に桜は応える。
「しないよ、友達との約束だからな」
「だったらっ」
俺は桜に顔を近づけ、我知らず彼女の肩を強く掴む。
「そんな事言うな」
思わず声を大きくする俺に対して、不意に桜が質問する。
「涼平、ここはどこだ?」
そう問われて、俺は後頭部を石で殴られたほどの衝撃を感じる。
ここは街中の幹線道路にも近いし良い立地だし「この規模のマンション建てたら最低七千万かなー」と勝手に想像した場所だ。そんな場所の九階のベランダだ。手すり自体の幅は三十センチもある。
ただしこの土地に今建っているのはマンションではない。
広い敷地には遊歩道や小公園まであるが、それは回復期の入院患者のリハビリや、長期入院患者のメンタルケアのためだ。
俺はここが白百合総合病院の特別病室だったと思い出す。
「もうすぐここを出るって事は退院だろ……」
俺は不吉な予感に突然うろたえ出す。
なのに桜は、子供が取っておきの内緒話を打ち明ける様にどこか得意げな顔になる。
焦っている俺は、髪に隠れた瞳の奥の感情を読み取れないまま、桜から告げられた。
「涼平と出会った時点で余命一ヶ月だった」
桜は、冗談みたいにおどけた仕草で微笑む。
「もうすぐ私は死ぬんだ」