第48話 アスレイの欲望
夏の日差しにミラーガラスが反射する監視対象の建物から、一キロ以上離れたアパートの屋上で、カマイタチはうずくまっている。
その姿は異様だが、何重もの結界の隠蔽効果で簡単には他人から見咎められたりしない。
しかも、わざと魔力探知を直接対象の窓に向けず、魔力の間接反射波を拾い、逆探知を防ぐ程の念の入れ様だった。もっともその部屋の結界は完璧で、締め切った窓の内側の魔力を完全に遮断している。
カマイタチは使い魔として自分自身意識を持っているが、主人である魔術師の意思が乗り移った時は、その身体の主導権を強制的に奪われる事になる。
例えるなら、車の運転手としてハンドルを握っていた自分が、一瞬にして助手席に移る様なものだ。
本人の意識は残るが、傍観者の立場になってしまうのだ。
もっともカマイタチ程度の使い魔では、犬猫より少しマシな自意識のため、命令も単純な物しか受け付けないのだから、魔術師が遠隔操作しないと役に立たない。
「役立たずが」
使い魔に乗り移っているアスレイは、金壷まなこの顔をしかめ、苦々しく毒づく。
今も少女を終日監視するように命じているが、一匹目をあの若造に始末されてからは、遠くからしか見張ることが出来ないからだ。
ランゼットが居場所を美雨に教えたことも知らず、この強盗殺人犯のアスレイ・チャック・タカナカは、使い魔を通しての監視を続けている。これは彼の本来の犯行スタイルからは完全に逸脱していた。
だが、いまさら中止するつもりはない。
もともとあそこに使い魔を送った理由は別にあったが、そのおかげで思いもかけないお宝にぶち当たったのだから。
カマイタチには、普段から魔力探知の魔法をかけてあり、アスレイが乗り移っていない時も、大きな魔力を感じたら報告する様に命じてある。
おかげで、来日早々、魔法具を扱う宝飾店や商人を発見して、その品を奪う事が出来た。
アスレイは決して自分で被害者達を襲ったりはせず、使い魔を操作して事を行う。
路上の犯行は、風属性で大ぶりなナイフの傷に見せかけたりしているので、警察も最初は通り魔の犯罪だと誤解し、その場にいた不審者を捜査する。店舗強盗にしても目撃者探しから始まるのは同様だ。
つまり使い魔を遠隔操作して襲っている限り、現行犯逮捕はありえない。
自分の身の安全が確保されているアスレイにとって、この強盗犯罪はとてもリスクは低いのだ。
もちろん、警察もいずれは魔法による犯行だと気づくし、厄介な魔法学舎から追跡されている事は承知しているので、犯行は一時に集中して行い、すぐに別の国へ出国する。
「そうすりゃ、魔法学舎なんて大した事ねえ」
くっく。
アスレイは猫背を一層縮めて、自分の学び舎をあざわらう。
魔法学舎は原則大陸に一つであり、基本的に教育機関だ。
実際の警察力としては大した事はない。長い歴史の中で必死で強化しているようだが、彼にとっては慎重であれば、捕縛される心配などなかった。
そのため、学舎は賞金稼ぎまで利用しているが、アスレイ程度の賞金では、南の離島へ逃げてしまえば、まず追ってきたりはしない。
魔法学舎の倫理委員会の噂は真実だと知っているが、禁忌実験や大量殺人でもしない限り、直属の抹殺部隊が差し向けられる可能性も少ないはずだ。
だからアスレイは、そんな風に犯罪のほとぼりを冷ましては、犯行を繰り返してきたのだった。
そんな臆病な彼が犯行後も、この地にとどまっている理由は一つ。
あの少女の持つ護符の存在だ。
◆ ◆ ◆
あの夜、カマイタチを公園の茂みに隠して、これからの動きを考えていた時の事だった。
魔力を持つ男が近づいていた事をぎりぎりまで探知できず、アスレイは混乱した。
そんな瞬間、いきなり目の前に満月が昇った様な清冽な輝きが周囲に満ちたのだ。
使い魔にかけていた魔法探知の感知限界を超えたらしく、どこからその魔力があふれ出して来るのか、しばらくは分からなかった程だ。
我に返って、やっと特定した時には、対象先のベランダ付近に、二人の人物がいた。
アスレイは、風属性ともうひとつ、優れている能力がある。それが、魔力探知だった。
そこで使い魔を通じて可能な限界に近い探知魔術を再発動すると、何らかの魔法具から漏れ出している事が推測された。
「漏れる魔力だけでもあんなに多種で膨大とは」
アスレイは呟く。
今まで奪った貴重な品が、ただのゴミに思える程だ。この魔法具には遙かに桁違いの希少価値があるだろう。
「欲しい」
強盗犯罪に手を染める魔術師は、欲望にぎらつく相貌で使い魔を通じてさらに情報を集めようとする。
ただこの距離からだと、どちらがこの魔力を発動しているのかわからない。
幸運にも、少しして少女が部屋に戻って窓を閉めると、この凛とした魔力がふつりと途絶えた事で、彼女がその魔法具の持主だと分かった。
どうやら、少女の部屋には外部干渉を遮断する強固な結界が張られているらしい。
それを破る対策は考えねばならないが「まずはあの男だ」とアスレイは判断する。
あの男が魔術師なのは明白だ。
少女と会話をしていた所をみると知り合いだろう。そうなれば、アスレイが魔法具を奪おうとする場合、邪魔をしてくるかもしれない。
そう思っていると相手の男がカマイタチに声をかけてきた。
「出てこいよ」
アスレイは結界を張って話かけてきた、その男の容貌を確認する。
「まだ、十代の若造じゃないか」と彼は馬鹿にすると、この場で始末する事に決めた。
「こないなら帰るけど」
男はアスレイの返事が無い事で興味をなくしたのか背を向けた。
「お前が張った結界のせいで、誰にも気づかれず死ね」
そう嘲笑し、彼は全ての使い魔で襲いかかる。
だが、思ったより身のこなしも軽く、若造は使い魔の攻撃を避けた。
「俺何かやったか?」といぶかしげな男。
「将来邪魔になる前にいなくなってもらうんだよ」
アスレイは勝手な都合でうそぶくと、再度襲撃をかけようと使い魔を動かす。
ところが、若造は風の精霊力を帯びたカマイタチ共より速く動くと、一撃で一匹を消し去った。
アスレイは突然男の手に現れた銀の小剣を見て、一旦退却する事に決めた。
この切換えの早さが自分を危険から遠ざけるには重要だと思っていたからだ。
◆ ◆ ◆
「にもかかわらず、またあの若造にやられるとは」
ぎりっと奥歯をかみ締めて、商店街で偶発した二度目の争いを思い浮かべる。
あれも、使い魔が偶然見つけた魔力値の高い女を追いかけた結果だった。
まさか、あそこにあの若い魔術師が現れるとは思わなかったが、前回の戦闘から対策は考えたというのに、またしてもあの銀の武器に屈してしまった。
アスレイは、男がカマイタチの強化魔法について酷評した事を許しはしない。
「ぜってえ、くびり殺してやる」
だが、あの武器はやっかいだ、間合いの取り方が難しい。
「ちんけな餓鬼のくせに、分不相応な魔法具をもってやがる」
アスレイは、いまや逃がした高い魔力値の品やあの若造の武器についても、興味を持っている。
「どっちもすぐ手にいれてやるさ」
だが、それらに比べても、少女の持つ護符は喉から手がでるほど欲しい物だった。
欲しくて欲しくて無意識によだれがでてくる。
それで昼夜見張っているが、獲物の少女は、普段全く外へ出ることは無い。
唯一の例外が魔術師の男と会う夜だった。男が姿を現す直前になると、少女は外にでる。
「けっ。ロミオとジュリエットかよ」
しかも腹立たしい事に、あの若造はベランダですかさず結界を張るので、アスレイが少女を見ることができるのは、それまでの短い時間だ。
だが、わずかな時間に垣間見る魔法具の光は、あれを我が物にという妄執を欲深い魔術師の心中に渦巻かせる。こんなに欲しいと思った品は初めてだった。
彼がそこまで固執するのは、魔法具それ自体の価値以外に、持主の少女の儚さが、彼の嗜虐性を呼び覚ましたからだ。
あの魔法具を無理やり少女から手に入れた自分を想像するアスレイは、実際激しい性的興奮さえ感じていたのだ。
しかし部屋の結界を破る手立てをまだ思いついていない以上、ベランダで襲うしかない。
但し部屋へそんな手段を講ずるぐらいなら、それなりに魔法知識を持つ人物があの建物にいると考えるべきだろう。
だが、今まで男と少女の密会を邪魔する様子はない。つまり邪魔な若造を排除してしまえば方法はある。
少女を部屋からおびき出すには、あいつを殺してから死霊術の得意な魔術師に頼んで、俺の使い魔にすればいいのだ。
「あっさりと窓を開けてくれるだろうぜ。くっく」
その後は男の手で少女を殺させる。
「そうか、俺がロミオをあの世に送る毒薬ってわけだな。心配すんな。二人一緒に天国へ送ってやるぜ」
下卑たわらいで、死人の若造に護符を奪われる血まみれの少女を思い浮かべ、妙案だと悦に入っていたアスレイだが、やがて表情を改める。
「そのためには、あの餓鬼をぶち殺す使い魔がいるな……」
アスレイはその入手手段について何度目かの検討を始めたのだった。