第47話 里緒とカレー
里緒は三杯目のカレーのおかわりをスプーンで口に運びながら、龍真と花火大会の話題で盛り上がっている涼平の話を聞き流していた。
野外の食事会はもちろん、誕生日やクリスマスパーティなど、特別なイベントにカレーが出るのは里緒にとって当然で、それが無いと何か大切な物が欠けているとすら思ってしまう。
だが、他の人にはそれが奇妙に感じるらしく、歌埜に初めてその話をした時も、不思議そうだった。
「キャンプならわかるけど、大晦日までカレーが出る家は、多くは無いと思うわよ」
里緒にとっては、それこそ何で皆カレーについてそんなに興味が薄いのかと問い返したいぐらいだ。
今日の焼肉も美味しいけど、普段食べるメニューだったら、カレーこそ究極を求めるにふさわしい料理だと思えるからだ。
なのに皆は、案外市販のルーで平然としていると里緒は不満だった。
確かに市販のヤツも美味しいけど、やっぱり自分だけのカレーがあるはず、と里緒はこだわりを捨てられない。
実際は、それぞれの家庭で好みの具も違うし、異なるルーを混ぜたり、ちょっとスパイスを加えたりする。それで少しずつ味が違うその家独特の物になるので、カレーも充分家によって味が違うのだが。
だが里緒は、いつの頃からか、自分だけのカレーを追い求めているのだった。気がついたらカレーが好きだったのだ。
何故そこまでこだわっているのか自分でも不思議なのだが、気になるんだからしょうが無い。
もっとも自分では作れないので、その夢が叶う事可能性が低い点には目をつぶっているが。
ただ、沢山の味のカレーを食べて来た里緒でも、毎日食べても良いと思えるほどの味には、偶然のレシピで、たった一度しか出会った事がない。なのにいつどこで食べたかが思い出せない。
薄っすらと舌に残るあの味を再び感じたくて、その後いろんな店に行ったり、家族や幼馴染はもちろん、友達にまで頼んで作ってもらった。
その間も料理本を読みあさり、ついに自分で調理するという禁断の方法にも挑戦したが、やっぱり駄目だった。
未だに続く伽哩道の苦労話を長々と学校でしている里緒に、歌埜の返事は一言だけだ。
「つまり一期一会というわけね」
涼平と龍真はまだ話を続けている。
「魚政に今日の食材を買いに行ったら、おっさんから花火の感想をしつこく尋ねられてかなわなかったぜ」
「社長が?」と龍真。
「ああ。他の客にも同じだ。あれは、買いに来た客全員に聞きまくっていると見た」
涼平はその場を思い返しているように説明する。
「評判がよかったから鼻が高かったんだろう」
龍真の答えに頷きながらも、涼平は話を続けた。
「もちろん、あの花火は良かったぜ。だけど、あんだけしつこかったのは、隣で商売してた奥さんに聞かせるためだと確信したね」
「じゃあ、里緒の予想が正しかったのか?」
龍真が言うのは、花火大会時のスターマインの名前についての里緒の発言だ。
「ああ。珍しくお前の直感が当たったなあ、里緒」
涼平の声に反応しない里緒に、龍真が怪訝そうに里緒を見る。
「里緒、どうした?」
それで、里緒は我に返り「なんでもないよ、カレーを味わっていただけ」と返事をする。
「居候、三杯目にはそっと出し、って格言知ってるか?」
涼平のからかいに、里緒は「スズちゃんは黙ってデザートの用意するっ」と反撃。
「はいはい」
なにか突っ込んでくるはずと身構えた里緒に涼平は反論せず、土蔵付近の井戸に冷やしたスイカを取りに行こうとする。
そこへ「俺も手伝おう」と言った龍真と二人で歩きだした。
里緒はその背中を見ながら、むずかゆいような気持ちになった。
◆ ◆ ◆
最近涼平がおかしいと里緒は思う。
何がどうとは言えないけど、おかしい。時期はたぶん、宝石店に泥棒が入ったあたりから。
教室で話しててもたまにボーっとしていることが多くなった。
いつもだったら絶対「里緒馬鹿じゃねえの」って突っ込んでくるような話題にもスルーな事が増えた気がする。
なんて言うか、そう、心ここにあらずって表現が当てはまるかな、と里緒はカレーを口に入れる。
リョウちゃんもなんか変だと思ってるみたい。
スズちゃんの反応を確かめながら話題を選んでいる気がする。
でも泥棒や強盗の続報にも大して興味ない涼平に、また悪い事に巻き込まれてるわけではないらしいと、里緒は内心ほっとしていた。
里緒は中学時代、怖いぐらいに荒れた涼平を見ている。とても悲しくて心配だった。
あの当時、里緒や龍真に隠れて涼平がなにかやってた事も薄々知っていた。絶対教えてくれなかったが。
でも高校受験の頃には落ち着いたから安心した。
「リョウちゃんのおかげだよね。感謝しろよ馬鹿平」と里緒は心の中でつぶやく。
まあ、スズちゃんのことだから、心配してる側が損するような話になる事も多いんだけど。
他の人はどう思ってるかなーと思って、歌埜に聞いてみたら、「馬鹿平はいつもあんなもんでしょ」と言われてしまった。
里緒は怒ると思わず涼平を馬鹿平って言ってしまうけど、歌埜ちゃんは基本、馬鹿平と呼ぶから、最初にこのあだ名を言ってしまった里緒としては、小指のさきほど反省している。
ただ、涼平がおかしいという気持ちは変わらないので、「そーかな?」って言ったら、「里緒は佐藤君の事でイッパイイッパイだと思ったら余裕あるわね」ってからかわれた。
歌埜ちゃん、さすがにいつもリョウちゃんの事だけ考えてるわけじゃないよ。
そして歌埜ちゃんには私の気持ちを教えてあるんだけど、あんまり協力してくれないんだよねー。
歌埜いわく「やるだけバカバカしい」らしい。
「ひどいよ、歌埜ちゃん。それでも親友ですか」とむくれる里緒に「ま、里緒は早く家来離れしなさい」とも言われた。
「えー。それって逆だと思うんだ。私自身リョウちゃんに頼ってると言われたら、あっさり頷いちゃうけど」
涼平は、龍真に八割、里緒に二割ぐらいの比率で迷惑をかけてくるし、その後始末を里緒達がしてる事を涼平が感謝してると信じたい。
……感謝してないかも。あ、そうか。スズちゃんが自覚してなきゃ一緒ってことか。
「馬鹿平に期待しちゃだめよ。馬鹿なんだから」
「それは酷いよ歌埜ちゃん。なにげに歌埜ちゃんはスズちゃんにキツイよね」
「そうじゃなくて、水戸黄門じゃないんだから、助さん角さん主従三人旅は永遠には無理ってこと」
さすが時代劇好きの歌埜は例えが個性的だと里緒は感心した。
「それはわかってるよ。いずれ皆高校卒業するし、私の夢はリョウちゃんのお嫁さんだから。
もしリョウちゃんに振られたら、涙涙で日も明けない生活だよ、怖すぎだよ。
だから告白する勇気が出ないんだって言ってるでしょ」
そう嘆く里緒に、あっさりと保証してくれる親友。
「心配しなくても、このままなら里緒は、ハッピーエンド確定ルートだから」
「そうかな、そうだといいな。やっぱ歌埜ちゃんは親友だねっ」
龍真とのバラ色の新婚生活を想像しておもわず照れてしまう里緒。
歌埜はタープの中の簡易テーブルに、頬杖をつきながら続けて言う。
「その頃には馬鹿平も家来から卒業して、彼女も出来て楽しくやってるわよ」
「……そうなのかな?それはなんか変かも。スズちゃんが里緒の家来じゃなくなるなんて。なんか変だよ。
でも考えてみたら、歌埜ちゃんの言うとおり、スズちゃんだって好きな子ができてデートしたりするのは当然だよね……」
急に話を続ける気が無くなってしまったらしい里緒の様子を複雑な表情で見ながら、歌埜は別の話題を振る。
「馬鹿平の心配より、里緒は残ってる数学の宿題を心配をしたほうがいいんじゃないの?」
「うああ、それは思い出したくなかったー」
歌埜ちゃあん、と泣きついてくる里緒の頭をよしよしと撫でつつ、鞄に入ったままの、封をしたペットボトルを思い浮かべる。
それは一学期、下駄箱の前でもらったものだ。何度か開けようと思いつつ、そのままになっていた。
馬鹿平め、ただのクラスメートの私には渡すなって言ってるのに、と歌埜は胸の奥がきしむ。
「さっさと異世界に行っちゃえばいいのよ」
色々と考えるうちにむかついてきた歌埜は、自分自身本音か嘘かわからない思いを、心中でこっそりと呟くのだった。