第39話 美雨刑事の取調室
「主、私に話があるのではありませんか?」
いきなり、美雨さんに尋ねられて、俺は意味がわからなかった。
「はい?」
だからとぼけた返答になったのは仕方が無い。
今は、アクアランプのランチメニューの混雑からやっと開放されて、昼休憩の時間だ。
今日は冷製パスタを軸にしながらも、落ち着いた南仏系料理で、特に女性客に人気だった。
おかげで最後のオーダーを給仕する頃には二時を回っていたのだ。
早番のバイト達は昼食のまかないを交代で食べて、帰っていった。夜担当の遅番は、後一時間はやってこないだろう。
アクアランプで一番ゆっくりと時間が流れるひと時といってもいい。
俺は、従業員用の控え室で、美雨さん特性の水出しコーヒーを食後の余韻として味わっていた。
俺も少しのんびりしたら、帰るつもりだ。計画実施のために色々と準備もあるしな。
そんな、ちょっと気が抜けたタイミングで、この追求劇は開始したのだった。
「正確に言うと、私に隠し事をしていませんか?」
美雨さんの次の質問で、俺は余計に混乱した。
「何いってるんだよ。美雨さんに隠し事なんて」
「無いんですか?」と素朴な顔で尋ね返す彼女に「も、もちろん」とうわずって言いながら、内心は別の回答をしていた。
……あり過ぎてどの件かわかんねえ。
俺だって、青い春真っ盛りの男子高校生だ。前にも言った通り、美雨さんを使い魔と割り切れていない以上、綺麗なお姉さんに隠したいアレコレは当然ある。
雑誌か? DVDか? ネットのお気に入りか?
すぐにそっちを浮かべる自分が情けないが、やっぱり美雨さんにジト目や生温かい目で見られるのは嫌なのだ。
そこで俺は、使い魔に対し主人の威厳を示す事にした。
「い、いや。主としては、使い魔に言えない事もあるわけで」
「どんな事をですか?」
その威厳はとてもとても小さかったらしく、なんの意味もなかったが。
俺は、もうこうなったら正直に言っちまえとばかりに話す。
「えーと、主というより、一人の男としてであって」
「そうなんですか?」
美雨さんは途中からニヤニヤと笑い出している。
それで俺は、彼女の質問が本気じゃなかったと感じてほっとしながら「美雨さん、主をからかってはいけません」と美雨さんの口真似をする。
「すいません。そうそう、昨晩のイベントの後、どこか寄りました?」
「ああ、花火大会の帰り委員長を送ってったよ」
美雨さんはそれを聞いて「私も花火大会見たかったですね」と羨ましそうだ。
俺も魚政の花火の素晴らしさを思い出す。
「美雨さんも来れば良かったのに。おっさんの店の花火なんて凄かったよ」と感想を述べる。
「まあ、都合が悪かったので仕方がありません。社長には申し訳なかったですが」
美雨さんも結構本気で残念そうだ。
「用事って昨日じゃないと駄目だったのかい?」
「ええ。相手は忙しい人ですし、計画実施までに対応する必要があったので、今回は向こうの希望日に沿いました」
美雨さんの言う用事とは、カマイタチの魔術師の件についての情報収集だ。
彼女は自分の主人が襲われた事を許す気はない。だから、口ではともかく最初から自分で探っていた。
俺は、自分だけの事なら異世界に行ってしまえば終わりだから、正直余り気にしていなかった。
しかし委員長が襲われた事で、この世界にいる内に彼女の危険を排除する必要が出てきたので、魔術師の居所を探す事にしたのだ。
「ギリアム爺さんなら話は早いんだけどな」
俺は髯面の守銭奴を思い浮かべる。
「彼も情報を豊富に持っていますが、賞金首関連の情報よりも魔術式や魔法具が専門分野ですから」
確かに、魔法具の作成について、あの爺さんの知識や情報が無ければ、俺達だけではまだまだ時間がかかっただろう。
美雨さんは適材適所ですと言ってから結論を言う。
「数日の内に、相手の情報が集まると思います」
「で、さっきの続きですが」
美雨さんは何でも無いように話をつづけるので、俺はまたからかわれるのかと苦笑いした。
過保護なお姉さんだよね。
だが、俺は誤解していた。
美雨さんは最初から、これ以上無い程本気だったのだ。
「家にあった魔法花火はどうしたのですか?」
美雨さんは、取調室で犯罪者から自供を引き出す熟練刑事の様に、微笑んでいる。
「あれは去年の夏バザールで買った残りでしたね。どこで使ったんですか?」
考えてみれば、屋敷の中は美雨さんにとって文字通り自分の庭なんだから、押入れから俺が何を持ち出しているかは端から承知なわけだ。俺が呼ばないから干渉して来ないだけなんだよな。
……つい忘れてしまうから、とり頭と言われるんだけどさ。
つまり、健全な男子としてのアレコレも知られてるわけだが、そこは美雨さんのプライバシー保護に対する考え方を信頼して、目を背けていてくれる事を期待する。
というかこれ以上考えると恥ずかしさで煩悶したあげく憤死するので、思考停止を選択した。
「主、全て話したほうが、気が楽になりますよ?」
そんな刑事ドラマを彷彿とさせる囁きに、俺は我知らず喉をごくりと鳴らして、罪人の如く下を向いた。
アクアランプの控え室は、今や間違いなく美雨刑事の取調室だった。
「これでも飲んでください」
そして哀れな子羊に、親愛なる使い魔は「カツ丼食うか」と言い出しかねない仕草で、食後のコーヒーを注ぎ直して追い詰めてくる。
「えーと」汗が噴き出す罪人。
「なんですか?」微笑む刑事。
「えーと、だからさ?」なんとか誤魔化そうとする俺。
「はい」無駄ですよと顔中で宣言する美雨さん。
ほどなくして、俺は美雨さんの忠告をその日に破って同じルートで帰宅した事から、桜と出会ってその後も何度か話し、昨日深夜、魔法花火を一緒にした事まで、一切合切白状する事になるのだった。
◆ ◆ ◆
「だから主はとり頭というんですよ」
美雨さんは、呆れ返った顔で俺に懇々と説教をする。
結局、昼休憩の時間だけでは済まず、俺は夜の屋敷の仏間で正座しながら、すでに一時間程、彼女の言葉を聞いている。
この仏間は俺の両親が事故に遭った際、親戚が集った部屋だ。その時は無かった位牌が二つ、仏壇の奥に並んでいる。
俺も美雨さんも、それがただの木の板だという罰当たりな可能性を求めて色々して来たわけだが、彼女は真剣に俺を叱る時、いつも必ずこの仏壇の前に向かい合わせで座らせるのだ。
すると彼女の後背にある仏壇の金箔の飾りが、美雨さんの周りで輝きを増す気がして、何故か神々しささえ感じる。
俗にいうハロー効果ってやつですか?
ともかく子供頃から、この部屋に来るという事は、俺にとって長いお説教の始まりを意味するのだった。
そんな過去の思い出は微塵も感じさせず、美雨さんは言葉を連ねる。
「何度も言っていますが、因果律というものは、その分岐が複雑すぎて最終的な結論は無限にしかなりえません。
神がダイスを振ろうが振るまいが、猫が箱の中で半分生きて半分死んでいようが、その分岐自体の増加を防ぐ事は困難です」
子供の頃から聞かされている話の行き先はわかっているが、叱責時は彼女のルールに従わないと後が怖いので、俺は黙って足のしびれに耐えていた。
「ほとんど無意味ではありますが、それでも選択肢を少しでも限定しようと望むなら、己が世界の大きな改変に対し、積極的な関与を控えるぐらいです。
小さな改変でも分岐は生じますが、その違いは誤差の範囲で収まるかもしれませんしね。
もちろん完全に無意味とも言い切れないといった頼りないレベルですが、何にもしないよりはマシでしょう」
ここまで一気に言い切ると、美雨さんは俺がきちんと話を聞いているか確認する。
そして俺がこくりと頷いたのを見て、そのまま話を再開した。それは説教というより、すでに講義に近かった。
「ただ魔術師は直接世界の法則へ介入する力がある分、一般人より因果律への影響があります。
特に、主の力は大きいのでなおさら慎重になる必要があるのです」
そこで俺を指差しながら声を高める師匠。
「なのに、このとり頭の弟子ときたら、自分から見知らぬ他人との関係性を構築するばかりか、魔法具を使用して関係性の範囲を拡大するとは」
美雨さんはめったに顔に出さない怒りのためかその頬が紅潮している。
その稀な表情に、叱られながらも見とれていると、いきなり頭を強めにデコピンされた。
「しかも、この大切な時期に」
「美雨さん、暴力反対」
けっこう痛くて、俺は額を押さえながら弱々しく主張するが、幼少の頃から庇護者兼教育者の彼女に通じる訳もなく「甘えないでください」ともう一発追加された。
そのデコピンで俺はバランスが乱れて正座をくずし、後ろに片手をついた。
すると、足の先から一気に痺れが駆け上がってくる。畳メインの和風住宅に住んでいても、さすがに長時間の正座には慣れていないのだ。
「まあ、確かに俺の早とちりからかもしれないんだけど」
変な姿勢に固まったまま、痺れに耐えながら俺は言い訳をする。
そして珍しくぷんぷん怒っている使い魔に、俺は青狐だった彼女を思い出した。
綺麗というよりちょっと可愛く感じて、表情が緩んだところを見とがめられる。
慌てて顔を逸らし、隣の部屋と縁側の外に輝く美しい世界を眺めた。
「主、なにが可笑しいのですか?」
まだ少し膨れている美雨さんをなだめながら、俺は頼む。
「うん、もうちょっと待ってくれるかな」とさらに残った片手を後ろにして足を浮かせた。
聡い美雨さんはそこで俺が変な体制でいる理由に感づいたらしく、口元をほころばせると、何と長い指でおれの足の裏をちょんとつついたのだ。
俺は、彼女が驚愕するほどの反応で飛び上がり、両足をあげて後ろに転がる羽目になった。
美雨さんは獲物で遊ぶ狐の様に続けて俺の脚をつんつんとつつく。その度俺は、電気ショックを受けたように足を引きつらせた。彼女はそんな俺の姿にどこか満足そうになってこう言った。
「主、真面目に聞いてください」
ええ!? それってどうなんですか。
そう反論したかったが、俺は痺れが落ち着くまではと我慢して、起き上がりながらようよう答える事ができた。
「ま、馬鹿だと思うけど、後悔したくないからさ」
俺の口調から何を感じたのか、美雨さんは表情を改め「何もしなかった事で成し遂げられる事もあるのですよ」と告げる。
「両世界の因果律同期を取る意味で、重なった存在の次空間誤差拡大の原因になる変化は少ない方がいいし、不確定因子も同様だ、というのは理解してるんだけど」
不肖の弟子も師の理論講義を忘れていない事を示す。
「ただ、無視ってやっぱ心に良くないんだ」
「当たり前です」
人助けが出来る実力と余裕があれば、それを行使したいと思うのは人間の善意だ。
そして人と人が関われば、何がしかの影響がこの世界に出る。
認識するだけでも世界に影響があるといわれるならばなおさらだ。
さらに異世界への副次的な影響にいたっては、魔法学舎の教授達が集まる高等魔術学院でも推論の範疇をでる事はない。
ただ高等魔術学院が所持していない非常に貴重な資料を俺達は手に入れている。
それは俺と美雨さんが繰り返した様々な召喚実験結果から実証された分析資料だ。
それによる理論が正しければ、世界間の干渉要因、つまり俺の急激な因果律の変化は最後の瞬間まで抑えるべきとなる。
その為可能な限りこの世界の出来事を無視するという遠い昔の結論に、師匠はさっきの一言以外何も論評しない。
代わりに、使い魔として再確認をしてきた。
「では、主の今後の方針をお聞かせください」
彼女はわざと、俺が桜と出会った日にアクアランプで交わした会話をなぞってきたようだ。
「変更はしない」
だから俺も、あえてその流れに乗って答えた。
「里緒さんや、龍真さん達は?」
「変更なしだよ」
それは事ある度に、二人の間で交わされる確認事項でもある。選択は十年前に済んでいる。
それから何度か変更を迫られる事もあったが、全てを捨ててこれに賭けてきた。
これからも取り返しが付かない貴重なものを捨てると知っている。かけがえの無い存在になってしまった時間に幸せを感じているとしても。
それでも、俺は選んだ。あとは準備を整えて実行するだけだ。
もう。何者にも。邪魔はさせない。
今回は固い話ですいません。
皆さん読んでくれてありがとう!