第37話 花火とダンス
コンコンと窓ガラスをノックしたが、桜はすぐには起きてこなかった。
これは熟睡しているかもなと判断し、また今度だなと思った時桜の声が聞こえた。
「今夜は来ないんじゃなかったのか?」
だが、窓は開かれず、桜の返事だけが窓ガラスの内側でする状態だ。
ミラーガラスなので、部屋の中は見えないが、彼女のちょっと寝ぼけた声が聞こえる。
「わりい。いつもこの時間に会うから、まだ起きていると思ってた。寝てたんなら帰るわ」
確かに普通の子供ならこんな深夜に起きているほうがおかしいよな。
俺は予告もしないで来た事を後悔しながら、ベランダから地上へ戻ろうと背を向ける。
「待て。せっかく来たんだから話していけ」
だが桜の応えとともに、窓が開いた。それで俺は振り返ったんが、そこから彼女がベランダに出てくる様子はない。
不思議に思った俺が窓から部屋を見ると、そこには可愛いノースリーブのネグリジェ姿の桜が、ぼうっとした表情で突っ立っていた。
少し襟ぐりの深い胸周りにはスモッキング、銀糸でうさぎの刺繍がはいったコットンの白い寝間着は、いつもの装飾過多なゴスロリとは違う。
しかし手の込んだ刺繍が入っており、肩紐がリボンで結ぶ形になっていた。
桜の本当の好みか。柔らかでお洒落だが、微笑ましい感じだな。
ネバーランドに誘われたウェンディーみたいな格好だ。
ま、ゴシック調の豪華なデザインの服も充分以上に似合ってたけど。
俺と会話をしながらも、桜はまだ眠さが残っているのか、いまいち焦点があっていない様子だった。
ちょっと寝癖の入った白銀の髪もあっちこっちへ跳ねとんだままだしな。
「おーい」と目の前で手を振るが反応が鈍い。
ほんとに起きてんのか?
そう思った俺は桜の眼前で一回拍手をする。
その猫騙しに効果があったのか、彼女は正気に戻ると、「あれ?」と周りを見回している。
「花火持って来たぞ」
遅く来た俺も悪いので、桜のボケボケぶりには突っ込まず、手に持った紙袋を掲げると、桜はそれに興味を引かれたらしい。
「ほうほう」と言い「でもベランダは狭すぎるだろう」とすぐに場所の相談に入った。
「ああ、だからちょっとの時間、屋上に行かないか?」
俺の提案に、桜はつかの間考えていたが、「中を通過しては行けないぞ、屋上の鍵も開いていない」としごく常識的な回答をした。
俺もそんな方法は取るつもりがなかったので「まかせろ」といってわざとウインクをする。
「まあ、そうだろうな」
桜も一応答えただけで、実際はわかっていたらしくニヤリとすると「では頼もうか」と腕を差し出した。
「いいのか?」
そこへ俺が尋ねると、彼女は「何が?」いった顔で見返してくる。
「いや、いいならかまわねえけど」と俺は彼女の寝巻着を指差した。
桜は、何気なく自分のネグリジェを見て、俺を見る。
もう一回確かめるように、ネグリジェを見て、俺を見る。
突然、今夜の花火大会で上がった牡丹花火並に顔中が真っ赤になると、桜は急いで窓を閉めようと両手で引きかける。
俺は慌てて窓枠を握って止めた。
「おい、閉める音がっ」
さすがにそんな勢いだと周りに聞こえかねないので、俺はちょっと焦って指摘した。
桜はまだ顔中を朱に染めていたが、俺の言葉に窓枠を動かす速度を落とす。
ただ、最後に窓を閉め切る直前、こっちをにらんでこう言った。
「涼平はエッチだな」
「おいおい、小学生のクセにませてんなあ」と思いながら、俺は桜の準備が整うのを待つ事にした。
◆ ◆ ◆
結局、その後三十分も待たされてから、俺達は屋上にやってきた。魔法で上がってきた俺は、腕から桜を降ろす。
そして屋上にあるおあつらえ向きの広い円形スペース上に結界を張ると、花火を袋から取り出した。
「桜は、今夜の花火大会は見れたのか?」
俺は、花火に付属の取り扱い説明書を読みながら桜に尋ねる。
「いや、私の部屋からでは、海側の花火は見えないからな」と残念そうな彼女。
やっぱりそうか、窓の位置から予想してたけどなあ。
「それで花火を持ってきてくれたのか?」
桜が嬉しそうな顔をするのでこっちも来たかいはあったが、「まあ、いきなりだから期待すんなよ」と口ではうそぶいた。
「わかってるよ」と彼女も応じて「まあ、もうすぐ私はここから出て行くから、ここの屋上でする花火も記念になるさ」と続けた。
「そうなのか?」
俺はそれは良い事だと思ったので、笑う。
「じゃあ、今度は父親と一緒に住むわけか」と当然の様に言うと、彼女は難しい顔で黙ってしまった。
「おいおい、反抗期でも肉親は一緒に住むほうがいいぞ」
俺は、前に聞いた桜の父親評から、事情のありそうな親子関係だとは推察したが、関係改善はできるならその方が良いと思ったので、そう言った。
「まあ、参考にしておくよ」と気が乗らぬ様子の桜だったが、俺も今回はそんな話をしに来たわけでもないので、視線を花火に戻した。
「よし、やり方はわかった」と俺は説明書を折り畳む。
「何を言ってる? 花火なぞ、火をつけるだけではないか」
桜の不審げな声をバックに、俺は桜から少し離れて、手に持った花火にライターで火をつける。
その花火は唯の化粧巻物で真っ直ぐ白い光がススキの様に燃えているだけだったが、俺はその花火を光の筆代わりに、空中へ魔法陣を描き始める。
「涼平、何をしている?」という桜の問いに「まあ、見てろって」と言うと、そのまま結界内で魔法陣を完成させるために術式を描き続けた。
手早く描いたので、花火が終わる前に魔法は発動したらしく、空中の魔法陣は広がって、半径三メーター程度の円陣となって屋上の床面に張り付いた。
「これは、魔術師が作った特別製の花火セットなんだよ」
俺は、一本十万円以上の消えた手持ち花火を振りながら説明する。
「まず、この魔法陣の花火で、魔法効果の範囲を設定するのさ」
そう言いながら、次の針金芯で練り火薬が緑色の花火に火を付ける。
今度はスパークラー形でグリーンの炎があがると、すぐにパチパチと火花が散った。
そして、散った火花はそのまま消える事なく、魔法陣の端っこへと跳ねて進んでいく。
途中、桜の側を通ったので、思わず桜は顔を手で庇ったが、その手の平に当たった火花は全く熱を感じなかった。
「涼平、この花火熱くないぞ?」と不思議そうに俺に顔を向ける彼女。
「ああ、これは花火の形を模した幻影魔法だからな。光の反射による幻の花火だから、実際には燃えてもいないのさ」
そう、これはライターの火を媒介にした魔法なのだが、火の精霊を使役しているわけではない。
光と相性がいいので、その発動魔力として火の精霊力が使われているだけだ。
だから機能的には普通の花火の形や手順でなくてもいいが、まあ、そこは魔術師の中にも情緒を大事にする商売人がいるって事さ。
魔法陣の縁でまだ光る花火を見ている桜へ、俺は別の巻物花火を手渡す。それは少し太めで先っぽの点火用短冊が動物の耳の様に二つのヤツだ。
「桜もやってみな」
俺に言われて彼女はその花火をおずおずと手に取ると、ライターの火へと短冊を向ける。
その姿は大人顔負けの弁舌を振るう少女からは考えられない臆病さだった。
すぐに花火に火がつき、その先からピンク色の火が噴き出す。
その勢いに驚き、花火を放そうとする桜の手の平ごと、俺はピンクの花火を握って、炎の前に反対の手を出して桜に頷く。
全く焼ける様子がない俺の手を見て、彼女もこの炎が幻だったと思い出したのか、安心したように笑った時、そのピンクの炎が形を変えた。
花火から噴出した炎は途切れずまとまって、雲の様になると、やがて一匹のウサギに姿を変え、桜の周囲をぴょんぴょんと跳ねたり、ころんと転がったりしながら桜の周りを走っている。
「あははは、何だあのウサギは」
桜はその滑稽な炎の動きが面白いのか、声をあげて笑い出し、ウサギの後を追いかける。
俺は彼女の楽しそうな顔を見ながら小人と音符の絵が入った大きな手持ちナイアガラに火をつけて高く掲げる。
それは一斉に滝の如く光の粒を下へと落としていった。
まるで、花火の形に使われる有名な滝のイメージだが、そこから先が違っていた。
光の粒がそれぞれ集まり膨らんで、沢山の小人になったのだ。
缶ジュースぐらいの大きさになった光の小人達は、それぞれ楽器を持っていた。
ヴァイオリンやティンパニー、ピアノやフルートなど様々な楽器を抱えている小さな楽団は、綺麗に勢ぞろいすると、俺の方を見て何かを待っている。
「桜、なにか聞きたい曲は?」と俺は桜に問いかけた。
逃げる幻のウサギを捕まえようとしていた彼女はちょっと考え、夜空を見上げるとリクエストした。
「ムーンリバー」
屋上のさらに上には、九日月。
俺がその曲名を繰り返すと、小人のオーケストラは、ロマンティックな三拍子のスタンダードナンバーを奏で出した。
「なんでこの曲なんだ?」
「……母が好きな人がよく見た、古典映画の挿入歌だそうだ」
にぶい俺も、桜の台詞からそれが父親ではない事ぐらいはわかった。
俺がさっきの父親との同居について、教科書的発言を悔やんでいると、ふいに桜が言う。
「涼平、踊ろうか」
ええ!? 俺踊れねえし。
そんな俺の焦りが顔から出たのか、桜は微笑むと俺の手を強引に引いて魔法陣の中央にやって来る。
そして俺の手をにぎりながら「バーティカルポジションだ」と説明し、俺の右の腕をひじから自然に曲げて、桜の背に添えさせた。
彼女自身は足先を揃えると、俺の前に立って、腰から上は少し反り気味で俺の肩越しに前方を見ようとした。
あいにく、高さが足りなくて、俺のあごを見上げるぐらいになっていたが。
「まあ、こんなもんだな」とつぶやいて、曲に合わせ、桜はゆっくりと動き出す。
本当なら互いのお腹を軽く触れて、リードのタイミングを合わせるらしいが、桜の身長では、彼女の顔は俺の胸あたりに触れてしまう。
それで俺の緊張も心臓の鼓動の速さからバレていたのだろう。
「スローテンポだし、私に合わせていればいいからな」
俺はステップもわからず、桜についていくだけだが、彼女はそれでもいいらしい。
それを聞いて俺も気が楽になり、桜の望み通りに、なんとか円を描くように踊り出す。
魔法陣の縁には緑の光が蝋燭の様にともり、小人の楽団は、引き続き
心地よい音楽を演奏している。
そんな舞台で、とても褒められたものではないダンスを続ける二人の周りを、からかうように、祝福するように幻のウサギが跳ね回る。
楽しそうにステップを踏む桜につられてあたふたしながら、俺はとにかく誰にも見られない様に結界を張っておいてよかったと、心から思うのだった。