第35話 緑の輪っか
子供達は縁側を通って中庭に下り、斜め奥にある泉まで歩く。
「私は秋山歌埜よ、よろしくね」
「僕は紀南涼平。こっちこそよろしく」
二人は互いの名前を再度紹介しあった。
「紀南くんは、家族支援会の集まりには来ないんだね」
歌埜の質問に「僕は子供だから、事故の事は弁護士さんに任せているんだ」と彼は返事をする。
確かに歌埜だって、祖父がいなければ、事故の事は他の大人に任せるだろうし、祖父となるべくくっついていたいから支援会に行くのだった。
「そうなんだ」
「うん」
二人は出会ったばかりということもあり、その後言葉少なに庭の印象を語りあった後は、話題はすぐに尽きてしまった。
歌埜は少年が庭に誘ってくれたので、もっと話かけてくれるものだと思っていたが、どうやらそんなつもりはないらしい。
「僕は正座が苦手だから」という少年の言葉から、実際には歌埜の足が痺れる前に助け出してくれたんだとわかった。
彼はそんな素振りも見せないが、歌埜はその思いやりに気がついたと知らせたくて、足を軽く叩きながら「ありがとう」とお礼をする。
すると歌埜の言いたい事を理解した彼は、照れてはにかむ。
その笑顔に何故か胸が衝かれて、彼女も会話を続ける事もなく、黙って泉に映る庭の広葉樹の陰を見ている形になってしまった。
とはいえ、子供が沈黙に耐えられる訳もなく、歌埜はやがてじれてきて、本当に話したかった話を言う事にする。
祖父に約束したので、仲良くするためのきっかけに、親しみを込める意味で教えてもらった名前で呼んでみる。
「涼平君もあの飛行機にご両親が乗ってたの?」
「うん」
涼平の黒い瞳を見ながら、そこに映っているだろう悲しみの表情を見たくなくて急いで言葉を継ぐ。
「心配ないよ、お祖父ちゃんが、皆は天国にいて幸せだって言ってた」
それは同じ境遇の少年と自分自身をなぐさめるために言ったに過ぎない。だが涼平は、その言葉が真実かを図るが如く、じっと歌埜の眼を見つめる。
歌埜は自分の心が彼の瞳の中で裸にされた気がして、最初の時の様に顔を伏せた。
そんな彼女に耳に、涼平のつぶやきがそっと聞こえる。
「僕はそうは思わない」
歌埜は自らの思いやりと祖父の言葉が否定された様に感じ、かっと腹が立って、思わず小さいが鋭い声で言い返す。
「お祖父ちゃんは嘘つきじゃないっ」
突然の歌埜の立腹に驚いたのか、涼平はあわてて言い直した。
「ごめん。歌埜ちゃんのお祖父さんが嘘をついているという意味じゃないんだ」
「じゃあ、何?」
家族を貶されたと怒り、下手な言い訳は許さないといった剣幕で先を促す歌埜に、涼平は自分の考えを正直に話すことにする。
「僕は父さんも母さんも生きていると思うんだ」
歌埜は一瞬、彼が何を言っているのかわからなくなる。
テレビも新聞も周りの大人も、あの飛行機に乗っていた人は全員死んだって言ってる。家族支援会の人たちさえ。
祖父だって皆は天国にいるって言うけど、それが死んだ事と同じ意味だってぐらいこの年ならわかっている。
なのにこの少年は自分の親が生きていると言う。
「だって、飛行機は見つかっていない」
「乗ってた人の遺体だって、一人も見つかっていないんだ」
「どこかに連れて行かれて生きているんだ」
熱心に語る涼平を見て、逆に歌埜は心が冷めていく。
可哀想に、両親が死んだことを認められないんだ。
歌埜の視線から彼女の考えを読んだのか、涼平は決意を秘めた様子で囁いた。
「証拠がある」
そのとたん、彼の膨らんだ胸ポケットがごそごそと動いたが、少年はそこへ手をやると話しかけた。
「いいんだよ」
すると、ポケットは静かになった。
歌埜はその様子も気になったが、それ以上に「証拠がある」といった彼の言葉に強く興味を引かれた。
今までも飛行機ごと乗客がどこかの国へ無理やり連れて行かれたという説がテレビで紹介されたことは何度かあった。しかし、あくまでワイドショーのレベルであり、真剣に議論などしていない。
何の証拠も無かったからだ。
怪しいとされた国については、日本からの要請で西側の監視衛星が秘密裏に地上の施設を精査したらしい。それでも手がかりは無かった。
そんな話を支援会の誰かが話しているのを聞いた。
ところが、彼は証拠があると言う。
「嘘つき」と反射的に歌埜は言ってしまった。
「嘘じゃない」
涼平はズボンのポケットから大事そうに何か丸いものを取り出した。
歌埜は熱心にそれを見たが、その正体が分かった瞬間がっかりした。
それは、なんの変哲も無いシンプルなデザインの白金の指輪だった。鈍い銀色なのは長い間クリーニングをしていないからだろうか。
たぶん結婚指輪だと思う。
彼女の両親も似た指輪をしていたから。
「これのどこが証拠なの?」
「この指輪は母さんの結婚指輪だ」
少年の答えに、歌埜はやっぱりそうかと思う。
それで興味は一気になくなったが、ながれで話の続きをうながす。
「母さんは事故の時、この指輪をはめていたんだ」
「涼平君はなに言ってるの?じゃあ、ここにこれがあるわけ無いでしょ」
だんだんとイライラしてきた歌埜は、不機嫌と分かる声で答えた。
「僕が異世界から魔法で取り戻したんだ」
今度こそ涼平の言葉の意味がわからなかった。
異世界?魔法?取り戻す?
なにいってるのコイツ。
「信じられない?」
「当たり前でしょ」
「うん、そうだよね」とあっさり頷く少年。
「だから魔法を見せるよ」と言う彼の言葉に「主、いけません」という場違いに可愛い声が重なった。
歌埜はあたりを見回すが近くには誰もいない。
祖父と事務長、少年の弁護士は、斜め奥の座敷でまだ話の途中のはずだ。
部屋の襖は開いているがここからはずいぶん離れている。
衝立の向こう側にいるので姿は見えないし、声も届かない。
少女の戸惑った顔を見て笑いをこらえるように少年が胸のポケットを指差すと、そこから薄青の動物が顔をのぞかせた。
狐のような姿だがオコジョよりもずっと小さい。身体全体が綺麗な空色で、四肢や耳の先が濃い藍色。つやつやの体毛は触るととても気持ちよさそうだ。
少年がポケットの前に手をやるとそちらへ飛び移り、すばやい動きで少年の肩まで上ってくる。
つぶらな紺色の瞳がとても愛らしい。
涼平の事を親だと思っているのか、たまに「みゅうみゅう」と鳴いているのも可愛らしくてたまらない。
歌埜はそのキュートな生物に眼が釘づけになった。
でも、その小狐が人間の言葉を話し出すとは思わなかった。
「主、さすがにその魔法はいけません」
「でもこの娘に信じてもらうにはそれが一番だよ」
「危険すぎます、彼女が誰かに話したらどうするんですか?」
その場で起こっていることを信じられない歌埜にかまわず、少年と小狐は何の違和感もなく会話を続けている。
小狐が大きさの割りに、立派な大人が喋る様な口調だったのも驚いが、一番びっくりしたのは、両者がまるでこれが普通の事のように話し続けている事だった。
「歌埜ちゃん、だれにも言わないでくれる?」
いきなり少年から質問されて思わず頷いてしまう歌埜。
「ほら、しゃべらないって」という涼平の台詞に、「主、あんまり意味ないですよ、その約束」と青い小狐は信用できないという態度で反論した。
歌埜は、そこで我に返る。
「約束は絶対守る」
思わず強い口調で告げたので、相手方は両者共に会話を止めてこちらを見た。
◆ ◆ ◆
両親が、友人が海外で挙げる結婚式に出かける日の朝の事。
職場結婚だった両親にとって、その友人は共通の同僚だったので、二人とも招待されたのだ。
出来ちゃった婚だった両親は、ついでに遅ればせならの新婚旅行のつもりもあったらしい。
歌埜も一緒に行きたかったが、教師だった祖父は、孫が遊びのために平日学校を休むことには反対だったので、結局、招待された二人だけという事になった。
それで渋々あきらめた歌埜は、両親と約束した。
「良い子にしているからお土産をたくさん買ってきて」と。
パパは歌埜を抱きしめて「歌埜はよくばりだな、まかせとけ」と言った。
ママは歌埜に明るく手を振って「冷蔵庫のおやつ、お祖父ちゃんと一緒に食べるのよ」と言った。
なんでもない約束だ。
歌埜は別にお土産がほしかったわけじゃない。
ただ、ちょっとだけさびしくて、早く帰ってきてほしいとお願いする代わりにそんな風に言ってみただけだった。
いまもその約束は守っている。良い子にしている。
だけど、たぶんお土産はもらえない。
なにかあるとすぐ歌埜を抱き上げて、にこにこしながら無精ひげの顔で歌埜の頬をすりすりして「チクチクする」と叱られる、パパ。
いつも笑顔でいい匂いがして、歌埜と一緒にお菓子を作るのが大好きで「未来の有名なパティシエ候補ね」と頭を撫でてくれる、ママ。
たぶん良い子にしてたって帰ってこない。
だけど、歌埜が約束を破ってしまったら、本当に両親は帰ってこない様に思うのだ。
それは嫌だから。諦めるのはやっぱり嫌だから。
◆ ◆ ◆
「良い子にしてたら、パパとママはお土産を買ってくると約束したんだもん」
歌埜の瞳から涙がひと雫ながれた。
それに答える応えはない。
少年は黙って左手を歌埜の前に出した。小狐も今度は何も言わなかった。
「見てて」と少年は意識を集中するように眉間にしわをよせたまま、口の中で何かを呟き、ひどい痛みを感じたように顔を歪める。
そのうち少年の右目がうっすらと輝きだす。
その輝きは瞳が金色になるまで続き、その状態が安定すると、今度は左手に力をこめる。手の平の上にぼんやりと何かの影が現れ始める。
涼平の顔が、固定化を行う際に発生する痛みによってさらに歪む。
不安定な状態で、幻の様に何度も現れては消える過程を繰り返した末、いきなりぎゅっと詰まったように形が定まった。
歌埜は目を見開いたまま、その現れた物体を見つめる。
それは緑色の小さな指輪だった。
石に詳しい人なら、材質が翡翠に似ているとわかる。
よく調べれば、逆にこの世界にはない石だと驚くだろう。
表面には蔓と葉が風に吹かれてなびく様な意匠が彫られている。
「僕は両親が死んだことをどうしても信じられなかった」
緑の指輪を歌埜に渡しながら話す。
「でも皆は死んだと言う。どっちが正しいのかわからなくなって。魔法で居場所を探そうと思ったんだ」
そう言って少年は大人びた苦笑いをする。
「そんな魔法なんて覚えてなかったくせに、主は無茶です」
小狐が突っ込む。
「そうだね」と涼平。
「当然居場所を見つけることには失敗した。だけどかわりに母さんの結婚指輪を手に入れたんだ」
歌埜は頭が混乱しながらも質問する
「でもあなたのお母さんの、い……遺体から持ってきたかも知れないじゃない」
「そうだね」と彼は首を縦に振る。
「だけど研究した結果、少なくとも僕のこの召喚能力は、異世界からしか物を召喚できないことがわかった」
少年の言葉を肯定するように小狐も頷く。
「だから、生死はともかく、両親がこの世界じゃない所にいるのは確かだと思うんだ」
「あくまで推測だけどね」とほろ苦く笑う涼平。
「いえ、主、この推論の確率は充分満足できるものです」
むしろ青狐の方が、理論の確かさに自信を持っている様だ。
そこへ、彼は根拠のない楽観的な望みを追加する。
「それに僕の両親はタフだから、そんなに簡単に死ぬとも思えないんだ」
「わたしのパパとママも!?」
突然湧き出した希望の泉。
絶望の砂漠で心が渇ききっていた旅人が飛びつくように、歌埜は尋ねる。
「絶対とは言えないけどその可能性はある。他の乗客も含めてね」
少年の言葉が意味する事を想像して、歌埜は胸の中心が感情で溢れそうになる。
「だから、僕は行こうと思っているんだ」と涼平は話し続ける。
「生きているか、死んでいるか、分からないけど。行ってみて探し出したいんだ」
「私も連れてって!」
思わず歌埜は涼平に願う。
「それは出来ないよ」
だが、少年は歌埜の望みを考える様子もなく断った。
「どうして!? お願い!」
歌埜は叫びたい気持ちで涼平を問い詰める。
「あっちが安全だとは限らないし、帰ってこられるかもわからないんだ」
「パパやママに会えるならそれでもいいっ」
少女は一所懸命になって涼平を説得しようとする。
「……歌埜ちゃん、落ち着いて」
そんな歌埜の肩を抑え、涼平は彼女の名を優しく呼ぶ。
「お祖父さんはどうなるの?」
突然言われた言葉に硬直する歌埜。
「お祖父さん、家族はもう君だけなんだってさっき言ってたよね」
「でも……」
苦しそうな表情で服の胸の生地を握り締める歌埜。
涼平はその苦しげな表情を見ていたが、やがてゆっくりと告げる。
「君のパパとママも探すから」
「ほんと?」
歌埜はすがるように涼平を見つめる。
「見つけられるかは約束できないけど。それでも、ぼくの両親を探すのと同じぐらい、がんばって探すから」
涼平の瞳はまっすぐ歌埜の瞳とつながっていた。
その光は本気だった。誓っていた。
この人は信じられる、だから歌埜はそう思った。
涼平と歌埜ははしばらく無言で会話をした。そして歌埜は頷いて答えた。
「……うん、わかった。涼平君を信じる」
その返事に、安心したように笑いながら、涼平は歌埜に頼み事をする。
「じゃあ、歌埜ちゃんに僕からもお願いがある」
「なに?」
私に出来るなら何でも協力しようと頷く歌埜だったが、少年の意外な依頼に驚く。
「今後、僕のことはただの知り合いとして扱ってほしい」
「どうして!?」
これから二人で協力して両親を探すのだと思っていた彼女にとって、その依頼は承服できかねた。
「この能力を使える事はなるべく知られたくないんだ」
「誰にも言わない。約束するから、これからも涼平君と会って話を聞かせて」
必死に頼んでくる歌埜をみて困ったような顔になる少年。
「あなたの安全のためなのです」
その様子を見かねて、小狐が口を挟む。
「異世界からの召喚魔法で試されている術はいくつかありますが、この特殊な召喚術を使えるのは、おそらくこの世界で主だけです」
青い狐は歌埜に理解させるため、かみ砕く様に説明する。
「そして鼻の利く強欲な人間はすでに主の周辺を嗅ぎまわって、主から異世界の恩恵を強奪しようと考えています」
小狐は自らの鼻をふんふんとさせながら続ける。
「そんな愚か者は、あなたが特に主と親しくすれば、あなたを主の弱みとして判断する事もあるのです」
歌埜が涼平をみると残念そうに小さく頷いた。
「しかし、主はあなたに四六時中ついて、身を守るわけにはいきません」
歌埜にも、そんな事が無理な話であることはわかった。
「とはいえ、こうして会った以上知らない振りはできませんし、支援会でも同世代の子供を普通に親しくさせようと勧めてくる可能性もあります。しかしあなたの身の安全のためには、主との親密度はなるべく少なくする事が重要なのです」
小狐は最後に念押しするように重ねて言った。
「だから今後、主には特に興味がないという態度を貫いてください」
歌埜は到底納得できなかったが、自分の身を案じてくれている少年に、これ以上無理なことを言いたくなかった。
それに、両親が生きているかもしれないという希望を与えてくれただけで、少年には感謝してもしきれない。
「……わかった。でも異世界に行く前には教えてね」
「うん。何年かかるかわかんないし、とにかく気長に待っててよ」
冗談のように話す少年の口調はふざけているようだったが、歌埜には彼の言いたいことがわかった。
どれだけの年月をかけても必ず約束を守ると言ってくれたのだ。
「待ってる、涼平君。約束だよ」
「わかった、歌埜ちゃん。約束だ」
二人は互いの小指を絡ませて、互いの目を見つめる。
「指きりげんまん、嘘ついたら、針千本飲ます」
そして、歌うように約束の言葉を唱えた。
「指、契った」
◆ ◆ ◆
祖父と事務長は、弁護士と少年に丁寧にお礼を述べて屋敷を後にした。
そして家から十分遠ざかった頃、事務局長が突如怒り出した。
「俺達を馬鹿にしている、哀れんでいる」と。
同じ事故で家族を失ったにもかかわらず、あの少年は経済的な苦労も知らず、以前と同じ生活を続けていけるんだと。
「彼からみたら、俺たちはきっと惨めな存在に違いない。だから哀れんでお金を恵んでくれるんだ。
思いやりの気持ちから寄付をするんじゃない。蔑んでいるだけなんだ」
あの少年は嘘つきだと。
歌埜の祖父は自分の右腕で、いつも冷静な事務局長が、今激しく少年や弁護士を非難する様子を黙って見ていた。
この経験豊かな支援会会長は、少年やその弁護士が支援会の皆を蔑んでいるなどとは全く考えていない。
事務局長が、それが不当な非難だと知りつつやめられない事にも気づいていた。
祖父は思う。ただ、事務長は自分が幸せだった昔と苦痛の多い今を比べてしまっているだけだと。
少年の環境が全く変わっていないように見えたから。
事務局長が二度と手に入れられないものを事故の後でも持っているように思えたから。
同じ犠牲者なのに天と地ほども違う環境を目の前にして、我を忘れているだけだ。
少年の持っているお金が自分にあれば不幸になることは無かったと。
とどのつまりは少年に無意識に八つ当たりしているだけなのだ。
もちろん少年にとって以前と同じはずなどない。
愛する家族を亡くした被害者同士の悲しみに変わりなどないのだから。
そしてどれだけお金があろうが、幼い子供にとって愛情溢れる親の代わりになるものなどないのだ。
孫の歌埜同様、両親を失って、その前と同じで居られるはずがない。
少年の心がどれだけ悲鳴を上げているかは、孫の姿を見ていれば容易に想像できる。
辛い時でも祖父のわしに甘えるのを我慢し、こっそり涙を噛み締めて良い子でいようとする孫。
そんな愛しくて可哀想な、誰よりも大切な歌埜を見ていてればわかる。
そうは思っていたが、老人は事務局長の言葉を否定したりはしなかった。
少年に向かって直接面罵したわけでもなく、自分の生活時間の多くを支援会の対応に割いている彼が、ほんの一時他者を羨んで罵ったとしても、誰が責められるというのか。
冷静になれば彼もそんな自分を恥じて、自らを律しようとするだろう。
会長は支援会の右腕である彼の人格を信頼していた。
むしろ、自分の前で素直な気持ちを吐き出してくれてほっとしているぐらいだった。事務長は真面目すぎるきらいがあると懸念していた。
激した感情を吐露して、少し落ち着きをとりもどしつつある彼に向かって、会長は話題を変えようと少し遅い昼食について相談することにした。
歌埜はショックをうけていた。
あの真面目な事務局長が寄付をしてくれる少年を罵ったことに。
涼平君が私たちを哀れみ、蔑んでいるんだという話に。
そして祖父が少年をかばう様子が無いことに。
ではあの屋敷で彼が話したことは全て嘘だったのだろうか。
そしてあの魔法も。
そんなはずはない。
歌埜は目のまえで何もない少年の手の平の上に緑の指輪が現れるのを見た。あれは手品じゃないと断言できる。
だから事務長や祖父が彼をそんな風に考えているのは悲しかった。
でも歌埜は事務長の非難に対して、反論したりはしない。
涼平君と約束したのだ。
彼には興味が無いという態度をよそおうと。
歌埜はスカートの中に仕舞った、翡翠に似た指輪をつかむ。
涼平君は約束してくれた。歌埜のパパとママを探してくれると。
どれだけかかっても。違う世界に居ても。
だから、歌埜も約束した。涼平君を信じて待つと。
「約束は絶対守る」
歌埜は心の中でつぶやく。
そして、今やかけがえのない宝物になった緑の輪っかを、護符のようにもう一度握りしめた。
それは幼い歌埜にとって、ゆっくり膨らんでいく涼平への気持ちを、決して明かさぬ秘めた想いとして、指輪へ封じ込める儀式でもあった。
契約の意味で契ったと当て字で読ませました。
契丹文字とかあるので、セーフって事で。
いや、やっぱアウトですかね、ごめんなさい。