第30話 商店街での再遭遇
アクアランプの夜の店内は結構落ち着いているが、中は客が多く繁盛していた。
昼は食事が中心のファミリー層やスイーツ目当ての女性客が多く、お酒はビールかワインといった程度だ。
しかし一旦午後三時に店が中休みに入って、夕方六時から再開すると、カクテル以外にウイスキーやバーボン、日本酒や泡盛といった、高度数の酒精の類が登場する。
料理も酒が進むようなツマミになるし、夜の店にあわせてライトは薄暗く間接系やスポット中心のわりとリュクスな雰囲気に様変わりする。
外観や内装は和風のままでいながら、ここまで雰囲気が違うと客層は昼と夜では大きく変わる。
地元でも、アクラランプは昼と夜は別の店と認識されているぐらいだ。客単価としては夜の方が高いが、だからといって昼の料理や給仕に手抜きする事は絶対なかった。
その代わり差別化として、テーブルと椅子は昼夜で変えている。
普通こんな事をする店はない。
毎日2回、地下倉庫へと入れ替えるのは大きな手間だが、そこは店長のこだわりが優先されている。
昼の落ち着いた色の和風のデザインに比べ、夜の低めのテーブルや椅子達は、重厚な英国伝統の紳士クラブの様だった。
ただ、若干女性らしいイメージが加味され、よりラグジュアリーになってはいる。
しかも魔法による形状記憶素材で、復元性、軽量性、防汚性にも優れているので、持ち運びには助かるのだった。
ちなみにそのダークボルドーの本皮のチェアは、腰掛けると体を包み込む様に沈むので、皆座った後思わず快感のため息を吐いてしまう。
実はこのチェアは疲労回復と精神安定の魔法効果が付与されている魔法具なので、座っているだけで、肩こりや腰の痛みなどの持病も改善されるし、うつ症状にも前向きな効果がある。
もちろん一日の疲れや、仕事の失敗による落ち込みぐらいなら、五分も座れば全快して元気になる。
一度ここで酒を飲んだお客は、ここのお酒は正に百薬の長だと絶賛してくれ、足しげく通ってくれるようになるが、このチェアこそが、隠れた回復薬と言っても過言ではない。
これが俺の以前言った、店長目当以外の残り半分のリピーターが来店する理由だった。
ただ、このチェアのネックはまず価格で、一脚2千万円ほどになる事、後は定期的に維持魔法をかけてやらないと、形状記憶素材の持つ効果が薄れてしまうことだ。
◆ ◆ ◆
俺は、今夜は夜番だったが、明日の早番も出るので、少し早めに切り上げさせてもらった。
「店長、おつかれさまでした」
混んでいるのに早引なのは気が引けたが、もうすぐ止める大学生のバイトが最後のご奉公とばかりに、今月は沢山シフトを入れてくれたので、店の店員の数には若干余裕がある。
「はい、涼平さん。おつかれさまでした。気をつけて帰ってくださいね」
他のバイトへ先に挨拶した後、美雨さんにも帰る事を伝えると、カウンターでカクテルを手早く作りながら、笑って返事をしてくれた。
この時間だと夜の街はまだまだ、人通りも多い。
日課の帰宅ランニングをしている俺は、行きかう人の波を避けるのが面倒になってきたので、いつもと違うルートで帰る事にした。
桜にもバイトが昼夜連続なので、今夜は行けないと前に伝えているから、問題ないしな。
少し大回りになるが、旧市街の商店街を抜けるコースで行くか。
俺は足を速めると、山に向かって左側へ曲がった。
この街は、元々街道の宿場町だったため、歴史的な建築物も多く残っている。
高度経済成長期には、再開発によって近代的な建物も増えたが、現代では古い街並みを残す事で、観光客を呼び寄せたり、独自の文化を継承を目的に、なるべく旧来の姿を保とうとする活動も熱心に行われて
る。
この旧市街は、まさにその景観保全地区の入口にあたり、この辺りからは、旧家と呼ばれる棟屋敷や、神社、仏閣などが増えていくのだった。
そんな中の商店街は、江戸時代といういよりは昭和四十年代の姿に近い。石油ショック前後のトタンやプラスチック看板全盛期の店構えで、見た目はチープなのだが、どこか懐かしい。
巨大な郊外型ショッピングセンターはもちろん皆無で、地元経営者の駅前スーパーすらまだまだ小さかった時代を、タイムカプセルに納めた様だ。
この辺りは今やチェーンやフランチャイズの大手企業グループに押されて、細々と商売を続けており、本当の昔なじみと、この景観地区へくる観光客を相手に日々のたつきを得ていた。
そんな訳で、夜は早い時間に店を閉める所がほとんどだ。
俺が通る商店街のアーケードの店は全てシャッターが降り、自動販売機と、街頭の白い蛍光灯の灯りが、点々と続いているだけだった。
◆ ◆ ◆
「きゃっ」
いきなり女性の驚きとも悲鳴ともつかない声が聞こえ、俺は白天馬の魔道具をオンにして、急いでその場所へと駆けつけた。
そこには、酒屋横の狭いわき道から飛び出し倒れたと思える、俺と同じ高校の制服を着た女の子がうずくまっており、ふくらはぎから血を流している。
傍には学校指定のバッグが転がっているが、その丈夫な布の片側の表面には鋭い傷が走って裂けており、開いたバッグの中の本も、2冊ほど切断されているようだ。
バッグが盾になったのだろう、幸運にも彼女自身の傷は深くないようだ。
そして剃刀で切ったような傷跡と以前も感じた魔力の気配から、姿を隠していても、俺は女生徒を襲った相手がだれなのか直ぐにわかった。
「おい、今度は通り魔か? つーか前も問答無用だったな」
「ジャマヲスルナ」
今度も会話にならないのかと考えていた俺に、カマイタチは抑揚の無い声で何処からか応えを返す。 その声には不快な響きがあり、長く会話したいとは思えない。
「なんだ、喋れるんじゃねえか。じゃ、さっさとどっか行け」
俺は駄目元でそう持ちかける。
「オマエコソサレ」
しかし魔術師の使い魔は自らの意志なのか、主人を返事を代弁しているのかわからないが、俺の言葉に従うつもりはないらしい。
やれやれと思いながら、右目に集中して、魔法発動を準備する。
そんな俺の後ろから、聞きなれたキツイ声で女生徒の声がかかった。
「私の事は無視していいから」
俺が目をそっちへ向けると、不機嫌な顔で答えながら眼鏡の位置を直し、紺のプリーツスカートからハンカチを取り出して、傷口を押さえる知り合いがいた。
「あー。まあ、そうしたいんだが」と頭をかきつつ、
「里緒が今度こそ委員長と一緒に四人で花火大会行くって張り切ってるんだよな。委員長も聞いてるだろ? だから大怪我されると困……」
俺の台詞を聞き終わる前に、歌埜は言葉を跳ね返す。
「その日はバイトがあるから無理。なくても嫌」
「俺もいるから?」と問う。
「馬鹿平がいるから」と即答する歌埜。
「じゃあ里緒と龍真と委員長って組合せなら行く?」
「そんな選択肢は無い」
俺はちょっと考えて妥協案を提示するが、すぐ拒否されてしまう。
「いやあ、結構あるかもしんないしさあ」
彼女に将来の可能性を含め、再検討を依頼しようと自分の感想を漏らす。
「馬鹿な家来でもないのに、馬に蹴られる様な真似はしない」
彼女は、あり得る可能性について冷静に指摘する。
「それはそうか。じゃあ、やっぱ今回は俺も込みで」
そんな俺へ、歌埜は今一番言いたい台詞はこれだという様に、視線を強めて断言する。
「馬鹿平はだから馬鹿」
そうして二人が言い合う間にも、カマイタチは闇の中から俺の隙を伺っているはずだ。
しかし前回の一匹は、放った真空の刃を俺の俊敏な動きで迎撃されて逆に瞬殺されており、カマイタチも安易な仕掛けが自滅に繋がる事は知っているだろう。
「〔賽〕」
俺は結界魔法を発動する。今回は音だけでなく、光や熱も遮断する少しレベルの高い効果を持っている。
「まあ、無難にいこうかな」
指輪に魔力を送り、現れた銀剣を右手に握る。
前の一匹にはいきなり襲われたし、攻撃から四大精霊に属している事はわかったので、とっさの判断で対応した。
四大精霊上では、使い魔の属性である風精と、木霊などは仲がいい。
そして、カマイタチの東洋的な見かけなら五行の方が効果がありそうだ。
それで木属性を傷つけられるなら、木と相性の良い風属性へもダメージ効果があるかもという安易な思い付きで、五行の金剋木に従い、銀剣による攻撃をしてみたのだ。
まあ、聖銀製だし、全てに破邪の効果もあるとは期待したけどな。
魔法体系が違うのに良く効いたので内心驚いたんだけど、よくよく見るとこの使い魔は元が式神のイタチだったものを魔法で強化させてカマイタチにした様だ。
その時に使った強化術式が四大精霊系だったらしく、最初に五行の術式で作られた式神は、二つの術式が下手な形でからんでしまったと考えられる。
右目から相手の情報が脳内に示され、前回の当てずっぽうが結果的に正しかったと分かったが、俺は、魔術師の術式のおそまつさに正直呆れてしまった。
「体系を重ねて強化するならともかく、弱点の方が大きくなっちゃだめだろ」
俺の酷評を聞いたカマイタチの気配が怒りの滲んだものへと変化したので、この使い魔は、今は主人と心が繋がった傀儡なのだと判明した。
「ま、いいか。来いや」
テレビの喧嘩師の様にかっこをつけて、俺は右目を光らせながら、左手でわき道の暗がりへ向かい、おいでおいでと挑発する。
しかし、ビールのプラケースが積み上げられた小路の闇から飛び出してくる敵の姿はない。俺はあてが外れて銀剣の構えを解いた。
その直後、彼の死角である後方上空から、空気を切り裂き黒い影がすばやい動きで雪崩落ちるように俺へ襲い掛かる。
カマイタチは、俺の動きの速さから遠距離の真空刃では避けられると思い、確実に仕留めるため直接攻撃を選択したのだ。
振り上げた異常に長い尻尾の先端には鋭い鎌。
影はその刃先を、遠心力も利用して周囲の風を引き千切る如く、俺の首めがけ打ち下ろす。
俺の小太刀程度の銀剣ではとても届かぬ距離からの攻撃。しかも身体は鎌の後ろを向いており、今から振り返ってもとても防ぐ事は出来ない。
「馬鹿平、危ないっ」
歌埜の叫びを聞きながら、俺は鍵語を唱えた。
「〔多聞〕」
突然。カマイタチの目の前に銀の光が伸び上がる。
その光は聖なる力と陰陽の効力で使い魔の存在を霧散させるよう働き、それが使い魔が見た最後の映像となった。
歌埜は思わず伏せた目をこちらに向けると、その眼を大きく広げる。
彼女の目には、半身になった俺の左脇から右手に握られた長大な三叉の槍が突き出ており、その穂先ではカマイタチの頭部が貫かれていた。
銀剣の刃の部分は今や棒状の持ち手と石突になっており、柄頭と握りの部分は俺の後方へと伸びる槍に変化して、口金の先は毘沙門天の掲げる戦槍と酷似した形となって完成している。
使い魔が煙の様に解けて消え去ると、俺は槍を剣へと戻して、辺りの様子を伺った。他の敵はいないと判断し、銀剣も指輪に戻すと、結界を解いてから座ったままの歌埜に近づき容態を聞く。
「傷みせてみな」
「大丈夫だから、すぐ止まるわよ」
夜の蛍光灯にほっそりとした右足のふくらはぎが白く照らされている。しかし彼女の押さえるハンカチは、血を吸って赤く重くなっており、このままほっておけるとは思えなかった。
「いいから見せろって」
俺は強引に赤いハンカチを退けると、人差し指ぐらいの切り傷から血が流れ出す。カマイタチの真空刃によるものだろうが、バッグと本のおかげで、こんな浅い程度でよかったと安心した。
勉強家は本に頭脳も身体も助けられるってわけだなあ、と呟く。
もちろん浅いといっても命に別状が無いという意味で、これは縫う必要があるレベルの裂傷だ。
「ちょっと待ってろ」
俺は背のデイパックから泉水のペットボトルを取り出し、蓋を開けて、彼女の傷口を丁寧に洗う。
歌埜は黙ってその様子を見ていたが、やがて痛みが去り、気がつくと出血も止まって、細い線の様になった傷の上には、薄いかさぶたが出来ていた。
「これなら傷跡も残んないからさ」
俺の言葉に、歌埜は思わずふうっと息を吐いて安心する。
「前に渡したボトルは?」
「家においてあるわ」
「だから、持ってろって」
普段の自分を棚に上げて歌埜に忠告すると、返事も聞かず少し責めるように尋ねる。
「それで、おそわれた理由は?」
「通り魔に聞きなさいよ」
歌埜は一方的な俺の調子に、鋼鉄の硬さで返答する。
「ま、そりゃそうだが、あいつは魔術師の使い魔だ。なんか思い当たることないのかよ?」
「ないわ」
しかし答えた歌埜の目が、ほんの一瞬泳いだ事を見逃しはしない。
「なんだよ?」
「だから、ないったらない」
低い声で依怙地に繰り返す歌埜を見て、コイツは普段から口が堅いからこれ以上は無理だなと判断し、俺はさっきの交渉を再開する。
「じゃあそれはいいけど、危ないトコを救った恩人に対するお礼はあってもいいんじゃねえの?」
「そうね」
そう言うと歌埜は立ち上がり、姿勢を正す。傷の痛みも無い様子で、彼女は素直に頭を下げて俺に礼を言う。
「助けてくれて本当にありがとう」
そんな彼女には、嫌々といった態度は微塵も感じられないのだった。
委員長は変な所で生真面目だよな。
俺は思わず笑いたくなりながら、追加の要望をあげる。
「出来れば具体的な行動で恩返ししてほしいな」
とたんに眼鏡の奥が不穏当になるんだから勘弁して欲しいが。
「喜びの余り抱きつけとでも?」
歌埜のたとえに、俺は内心ちょっと傷つきながら反論する。
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「そんな馬鹿だと思ってる」
容赦の無い彼女の言葉に焦れたように、「そうじゃなくて、花火大会の件だよ」と具体的な条件を出した。
「家来だもんね」
歌埜は、俺への里緒の扱いを確認する。
「家来じゃねーし。また俺のせいで親友と遊べないって嫌味を言われるのは沢山なんだよ」
その光景を想像してげっそりすると、俺はちょっと意地悪く指摘する。
「それとも委員長は親友の望みより、恩人の頼みより、自分の感情を優先するわけ?」
「嫌な言い方」
歌埜は眉を上げて、むっつりと黙り込む。
「悪いな」
俺も卑怯な論法だとは思っていたが、心おきなく平和に花火大会を楽しみたかった。しばらく黙っていた歌埜は、自分の中で折り合いをつけたのか、ようやく頷いた。
「……わかった。私だって里緒とは遊びたいし、馬鹿平への借りは出来るだけ早く返したいから。バイトは何とかするわ」
「ありがたい」
俺はほっとして感謝しつつ、ゆっくりと付け加える。
「ようやく決まった事も知らせたいしな」
歌埜は鉄壁の無表情をほんの少しだけ強張らせると、その意味を考えて「そう」と呟く。その後は顔を伏せたので、眼鏡の反射で遮られた、瞳の表情まではわからなかった。
「さて家まで送るよ」
歌埜の破れたバッグを抱かえ、念のため申し出ると、歌埜は焦った様に断る。
「別にいいから。もう大丈夫だし」
「委員長には、花火大会までは元気でいてほしいんだよ」
そんな彼女の抗議をかわし、俺は女生徒の家の方向へさっさと向かう。。
「余計なお世話よ」
俺が振り返ると、歌埜は俺の背中を見ながら文句を言う事はやめて、斜め後ろを付いて歩き出した。