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魔術師涼平の明日はどっちだ!  作者: 西門
第三章 古里の思い出
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第28話 桜と家族の食卓

 楓は村の渓流の一つに架かる小橋を渡ると、その石の多い土手を川下に降りていく。その手には一本の釣竿と餌とバケツ。

 いつもの巫女姿だがたすき掛けで、袖が邪魔にならないようにしている。楓は肩口の髪が風に吹かれるので整えなおし、釣りの準備を始めた。


 彼女の印象は最初は地味だと感じるかもしれない。誤解を恐れず言うなら、大学を卒業したばかりのちょっと背の高い新入社員、しかも零細企業の事務専門といった感じだろうか。


 しかし何かの拍子に彼女の朗らかな笑顔をみた男のほとんどは、しばらくぽかんとしてから我に帰る。おとなしそうな普段と、気持ちの入った時の豊かな表情が大きな魅力の落差となって男共の心を照らし、捉えるのだった。それは露草が突然ひまわりになったぐらいの変化だった。


 だから、神社で恋愛成就などのお守りを買う男性客は、社務所の受付ではかならず、楓の前に並ぶ。彼女の「ありがとうございます」という言葉と素敵な笑顔のために繰り返し買う奴もいるぐらいだ。


 「なんだい、これでも二十年前は絶世の美女だった私を差し置いて」


 隣で閑古鳥の鳴く桜の祖母はぼやいているが、何年前だろうともちろん客には関係なかった。

 

 山では弥生の風はまだ少し冷たいが、一日中太陽に温められた川辺の岩石は、直接座っても、腰が冷える事はなかった。

 ここは神社の北側の崖沿いにある、神域に入る川だ。だから、ここでは村人は魚を獲ったりしないし、神主も無益な殺生は禁じられている。だが、今日の夕食当番は自分だ。


 それで神殿への供物(くもつ)と家族分の川魚を釣るつもりで、楓はのんびりと大きな岩の上から釣り糸を垂れた。しばらくは山鳥の鳴きかわす気配を楽しんでいたが、やがて思いは娘へと移り、今朝の光景をぼんやりと頭に浮かべる。




  ◆ ◆ ◆




母様(かあさま)、もうすぐ母様の誕生日だね」


 朝もやの中、街の小学校へ行く通学バスを神社の鳥居の前で待っていると、桜はふいにそんな事を言い出した。


「そうねえ」


 誕生日といってもまだ三週間先だ。楓は娘の言いたい事がわからない。


「桜、素敵なプレゼントあげる」


「ありがとう。 じゃあ、桜にもお礼のプレゼントしないとね」


 いつもの様に言葉を返すと待ってましたとばかりに桜は声を高める。


「母様のケーキがいいっ」


 ああ、そういう事かと思い、楓はにっこりする。


「ちゃっかりしてるわね。桜はしっかり者の良いお嫁さんになれるわよ」


「ほんと!? 桜、良いお嫁さんになれるかな?」


 桜は楓の感想に意外なほど強く反応した。楓は、これは何かあったと思い、穏やかに桜へ尋ね返す。


「なれるわよ。どうして?」


「だって、クラスの男の子が桜は乱暴だからお嫁に行けないって」


 桜は、ちょっと落ち込んだ顔になる。


「桜は乱暴なの?」


 楓の質問に桜は首を強く振って否定した。母は娘の様子に、そんな悪態をつかれた事が相当ショックだったんだなと感じた。


「ちがうもん。すぐ手を出す男の子で、転校生の女の子の髪を引っ張ってたから、止めなよって言っただけだもん。そしたらつかみ合いになって……」


 娘の語尾が消えていくので、楓ははっきりと確認する事にした。


「勝ったの?」


「うん?」


 桜は叱られると思っていたらしく、きょとんとした表情だった。楓はそんな娘が愛しくてたまらなくなりながら、質問を繰り返した。


「その男の子との喧嘩に勝ったの?」


「うん、泣かした」


 桜はすこし頬が赤くなる。一見元気印の桜だが、内気でおしとやかな部分も多分に持っており、クラスの乱暴者の男子を泣かした事は、誇らしいよりも恥ずかしい事だと感じた様だ。

 だから楓は、逆に桜をほめる。


「えらいぞっ」


 彼女は娘を強く抱きしめると、黒髪にある天使の輪を撫でる。そして楓は、桜がケーキを食べたがった理由に気づく。


 この娘は落ち込むと、とっても甘いものがほしくなるのよね。だから、今は楓が甘やかしてあげる事にする。


「桜は悪くない。かっこいいぞっ お母さんは桜が大好きだよ」


 桜は母の腕の中で、今度は嬉しさの余り興奮し真っ赤になって笑っている。


「私も母様が大好き!」


 そうして(しばら)く抱きしめてから、楓は桜の目を見て話をする。


「でも、やっぱり喧嘩はしないほうがいいし、桜は女の子で力も弱いし気をつけてね。今度そんな事を見つけたら、つかまれる前にその女の子を連れて逃げるか、先生に知らせるのよ」


 桜は恥ずかしそうに「わかった」と返事をする。

 そこへ坂道の上から、バスが降りてくるのが見えた。 桜は目の前に止まったバスに乗り込むと、先に乗っていた他の子供に「おはよう」と挨拶しながら席につき、窓を開けて元気に母へ手を振る。


「行ってきます」


「はい、行ってらっしゃい。気をつけてね」


 そうしてバスが反対の山陰に入るまで、母娘は手を振り合っていた。




  ◆ ◆ ◆




「良い娘に育ったわよね。さすが私、なんてね」


 楓は独り言を言いつつ、竿を上げ、餌の様子を確認すると、再び岩の下の流れがよどんだ辺りへ針を投げ入れる。

 

 桜ももう小学生か。

 楓はあっという間に過ぎた歳月をふと思い起こし、掌中の珠の如く育てた娘の成長に我知らず誇らしい気持ちになった。


 私が桜の母になったのは、神社の社の奥の杜、神職の一族以外には誰も行かぬ、知っていなければ気づかない藪の細い路を教えてもらい暫くしてからの頃だった。


 そこには御神木がある。

 巫女の仕事として、早朝にそこへお神酒を持って行くのだ。いままでは聡兄さんの役目だったが、通常の巫女を超えた術師の修行を開始するにあたり、これが桜の最初の仕事になった。


 幹には大人の腕の太さのしめ縄が何本、何重と固く巻かれ、その両端は地面の杭につながれている。それは神木を祀るというより、この地に縛り付けている様だ。幹の太さは大人が三人手をつないだ程で、樹齢については誰も知らない。


 高さは普通だが枝ぶりは広く、まるで歳を経た女の髪か肌の様に、どこか硬くざらざらとした感触で、色も灰の混ざった黒の印象だ。

 その威容と陰の気配に楓は少し不気味ささえ感じた事を覚えている。

 

 そういえばあの頃の私は、高校に入学したばかりで、学業や部活と、神職修行の両立に悩み初めていたっけなあ。

 朝は日の出前に起きて潔斎し、社殿を清めて通常の巫女の務めを果たして朝食を済ます頃には学校に遅刻しそうだったな。楓は、昔の自分に懐かしくなる。


 自転車を全力でこいで、登り坂から校門に駆け込む私の姿は、いつしか朝の学校名物になっちゃったもんなあ。

 間に合うか毎日賭けてた男子達は、校舎の屋上から簀巻(すま)きにして吊るしてあげたけどさ。


 学校が終わるとまた急いで帰って、今度は聡と術師としての修行を夜半まで繰り返した。さらに休日になると、普段の遅れを取り戻すかの様に繰り返される荒行がある。


 山野を昼夜かけ跋渉(ばっしょう)して霊気をその身に宿す修行内容は、神主というより、山伏に近かった。

 そんな時の指導の先達(せんだつ)は大爺で、まるで天狗の様な身軽さと体力は、普段の短気で年老いた祖父とはまるで違う迫力を放っており、孫達に有無を言わせない。


 楓と聡は置いてきぼりに成らぬ為、途中からは()う様になってついて行き、延々と深い山の奥を引きずり回されるのだった。


 そんな日々の中でだって恋をして。結局振られて。

 その上赤子を育てるのはさすがの私にも一大決心だったな。

 学業と修行へ育児まで加わって、本当に大変だった。


 でも、家族や知り合い、学校の先生や級友まで、村の皆が助けてくれたからがんばれたんだと思う。

 みんなに感謝してる。だからこの村にちょっとでも恩返しがしたい。

 桜は私の娘ってだけじゃない、村の皆の娘なんだから。


 でも桜には、そんな事を気にせず、自由を与えてあげたい。

 聡兄さんの苦しみに気づいてからは、そんな風に思うようになった。愛着が執心に変わる前に、新しい世界へ羽ばたいていけるように。


「母様と同じこの神社の巫女さんになる」


 いつもそう言って小さな胸を張る姿には、親として、神に仕える職の者として誇りを感じる。だが、いま術師としての桜は堅い胡桃の中で膝をだかえ、まどろんでいる状態だ。外からは娘の霊力の程は殆どわからない。


 そんな桜も中学へ行く頃には、巫女の真の才能が明らかになる。

 お赤飯を炊いた日から数えて次の満月、社殿で祀る神へと神女(しんめ)として嫁ぎ、また術師として仕える儀式があり、その場で桜の霊力が示されるのだ。


 そして私は確信している。

 桜は歴代の巫女の中でも比類なき才能を持っていると。根拠は無いし、ただの親ばかかもしれないけど。ただ最初に桜の顔と瞳を見た瞬間、わかったのだ。


 でも、だからこそ桜には人生にいろんな選択肢を残してあげたい。

 なまじ才能があった聡兄さんは、家族や村の期待を裏切れなかった。私も、神主の一族としての役目を捨てる事はないだろう。だけど桜までそれに縛られる必要はないのだから。




  ◆ ◆ ◆




「いけない、もうこんな時間だわ」


 陽のかげり具合で大体の時間を理解して少し焦る。

 いつのまにか長い事考えにふけっていたらしい。

 楓はバケツの中がただの水なのを覗いて、額を手で叩く。間もなく桜が学校から帰ってくるだろう。


「お腹すいた、母様おやつおやつ」というおねだりが聞こえてくる様だ。


「しょうがない」


 楓は苦笑いで竿をあげ片付けると、バケツを岩の先端、川面の近くに置き直す。そうして周りの様子を伺い、人の気配がないのを確認してから、まぶたを閉じる。


 やがて楓の口からは、低く小さな声で言葉の羅列が韻律とともにつむぎ出される。全ては聞き取れないが、この川の魚神への祈りのようだ。

 それは西洋の魔術師の詠唱に似ているが、やはり異なる術式を構成し世界への影響を織り成していく。


 そして、楓はいきなり拍手(かしわで)を一回打った。


  するとその音に魅かれたかの如く、川面から七匹の川魚が跳ね上がり、自ら望んだ様にバケツに飛び込んだ。楓は目を開いて魚の数を確認すると満足げに頷く。


「よっし。これでお供えと家族の分はオッケー」


 楓は丁寧に川に向かって頭を下げて感謝する。そして竿と重くなったバケツを持って、最初やってきた石の土手から橋へと戻っていった。

 

 その夜、隣の県に用事で三日間出かけていた神主の祖父と祖母が、神社に帰ってきた。

 すこし遅めの食事の席で、桜は学校であった出来事を皆に聞いてほしくて急いで話し出す。


 ところが食堂の板間のテーブルの上には川魚の香ばしい焼き物と良く味のしみた筑前煮、しゃきしゃきの野菜サラダ、出来立て大根と油揚げの味噌汁。

 そこに、湯気をあげる真っ白なご飯と自家製の漬物が並んで、一口食べるととても美味しい。


 母が作った好物ばかりが並んだ夕食の膳に、桜は食べる事と話す事が一緒にしたくてご飯を口に入れながら話を続ける。


「だから、先生が言、ごくん、たの。桜さんは、もぐ、いつも」


「桜、食べながら話してはだめよ」


 楓に注意されて、桜は味噌汁で口の中のご飯と蓮根の煮物を飲み込む。


「母様、これでいい?」


 桜が確認するように言うので、楓は「はい、よくできました」と褒める。


「それで先生は何といったんだい?」


 祖父が目を細めながら、桜に続きを尋ねる。


「うん、先生はね、桜さんはいつも落ち着きがたりませんよ。パンは良くかんで飲み込んで、その後牛乳をゆっくり飲みましょうって言ったの」


「落ち着きがないのは、桜の今の様子でよく分かったわい」


 大爺は、苦笑いをしながら楽しそうに会話に加わる。


「桜は落ち着いてるよ。あの時は給食を早く食べて、遊びたかっただけだもん」


「それを落ち着いておらんと先生は言うんじゃ」


大爺は呆れて注意する。


「えー」


 不満そうな桜に、聡が何か思いついたのか、にこにこと話かける。


「良く噛まずに急いで食べると、大きくなれないよ、桜」


「ほんと? 聡兄」


 桜はクラスで並ぶと前から一番目なのが、今の悩みなのだ。


 授業参観日に楓の事を見た級友から、「桜ちゃんのお母さんって背が高くて綺麗だね」と言われてから、一層、自分も母親の様になりたくなったらしい。


「桜、心配すんじゃないよ。あたしゃ、早く食べても大きくなったからね」


 桜の祖母は、福々しい丸顔で息子のアドバイスをあっさり蹴飛ばしながら、二杯目のご飯を顔にまけず太ったお腹の横にあるお(ひつ)から自分の茶碗へ大盛りによそう。

 ついでに空になりかけの桜の茶碗も受け取ると、テンコ盛りにして返す。

 そして手の中のご飯の山に目を白黒させる桜へ明るく発破をかける。


「たんと食べて大きくおなり」


「お前は食べ過ぎて横に大きくなったんだろう」


 そんな祖母に、祖父は沢庵をバリバリ噛んで嚥下すると、なにげに突っ込んだ。


「なんだってえ」


 気にしている事をよくも馬鹿正直に言ったと、夫へ文句を言うべく身構えるいい年をした祖母と、毎度の事で余裕の祖父。


「やめんか」


そこへ、長年娘と婿の夫婦漫才(めおとまんざい)を見てきた大爺が、うんざりして止めに

入る。


 そんな一連の父母と祖父の掛け合いを尻目に、「伯父」である聡は、箸を止めて自らの発言根拠を「姪」の桜に説明する事にした。


「桜の母さんの楓は、給食を良く噛んで食べるのがゆっくりしていたから、きっと背が高くなったんだよ。それから桜。(にい)、じゃなくて、伯父(おじ)、だよ」


 最後を強調する聡は、一見すると真面目な顔だが、目じりの端が笑いのためか皺になった。


「ねえねえ母様、聡兄の話は本当?」


 一方桜は、聡の台詞の最後はあっさり無視して、気になった部分だけ楓に確認した。


「そうねえ。確かに食べ終わるのは大抵最後だったかな」


 楓は兄の意図がわかって、内心にやつきながら肯定する。


「じゃあ、これからは母様みたいに、ゆっくり良く噛んで食べる!」


 桜は、憧れの母と同じ食事法をすぐ取り入れると宣言した。

 桜以外の家族は全員、そんな素直な彼女が愛しいやら可笑しいやらで今にも吹き出しそうだ。


 子供の頃、給食を食べ終わるのが遅い楓の理由は、良く噛んでいたからではない。好き嫌いがとても多かったからだ。


 高校までの楓は、意外なぐらい食物の好みがうるさかった。特に肉類が苦手で、なかなか全部食べられない。しかし、当時のお年を召した担任の先生方は厳しくて、全部食べ終わらないと掃除の時間になっても一人で机の前で食べさせられた。


 桜の母になると決めた高一からは、意志の力で好き嫌いを改善したが、そんなわけで楓にとっては、給食といえば灰色の記憶だったりする。

 いまは、アレルギーの問題や、食育教育の指導方針も違い、そんな話はあまり聞かない。

 昔の人は食べ物を粗末にする事には、(こと)の外厳しかったという事もあろう。


 つまり本当は楓のちょっと情けない昔話なのだが、「私も母様みたいにすらっと背の高い美人になるんだあ」と上機嫌でふんふん盛り上がっている桜の可愛い様子に、誰も真実を教える気になれない。

 笑い出すのを我慢して、皆はしきりと桜の決心を褒める。


 そして、桜の母に対する理想像はさらに補強されたのだった。









これでひとまず桜の昔話は小休止です。

皆さん見てくれてありがとう!



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