第2話 深夜の歩道
遠くで鳴っていたサイレンの音が前後から近づいてくる。
深夜でも、この辺りの幹線道路で、車の流れが途切れることは無い。
地方の中規模都市であるこの街は、昔の大きな街道の宿場町が発展して今に至る。
時代が変わっても流通の要所である事はそのままだ。
そのため、歴史的な街並みと新規開発の建築物が地区ごとにモザイクのように散らばっていて、すこし雑然とした雰囲気を漂わせている。
そんな街の幹線道路の脇にある歩道を、一人の男が軽い足取りで走っている。
額から汗が流れ落ちており、それなりの距離を走ってきた様子だ。
近づいてくるサイレンの音が気になったのか、男は速度を落とすと、その場で足踏みをしたまま、背中に背負った小さめのデイパックに右手をまわす。
そして脇に付いているドリンクホルダーから、三五〇ミリリットルのペットボトルを取り出すと、喉が渇いていたのか、中に残っていた半分程度の水を最後の一滴まで飲み干した。
「あー。ごめん、また全部飲んじゃった」
メーカーラベルが無いボトルの飲み口を覗きながら、誰に言うでもなく謝る彼はただの高校生の風体だが、服装はほぼ黒一色だった。
よく見ると服に黒糸で刺繍が縫い取られているが、艶の無い細い糸を使っており、少し離れればただの黒い布と変わらない。
深夜にその格好では、巡回の警官と出くわせば「一応職務質問しとくか」といった判断をされても仕方がないかもしれない。
ただ、もし警官が声をかけたとしても、彼の明るい表情やいつも笑っている様な生き生きとした黒い両目を見れば、犯罪の匂いからはほど遠いとすぐ分かるだろう。
いよいよサイレンの音は大きくなる。
前から来るのがパトカーで後ろから来るのが救急車だ、と彼が判別して間もなく、二台の緊急車両は彼の前ですれ違い、そのまま遠ざかって行った。
救急車のサイレンの音が、ドップラー効果で変化するのをなんとなく聞きながら、その音を追いかける形で、彼は走る事を再開する。
空ボトルの蓋を閉めデイパックのホルダーにもどす。
その近くにネームタグがぶら下がり、鈍い鉄色のプレートにレーザー加工で文字が記されていた。
日本語ではなく、アルファベットでもない。
いや、この世界のどんな国の文字とも思えない飾り文字だった。普通の人は唯のデザインだと思うだろう。
高名な言語学者や歴史学者なら、膨大な同種類の文字資料を大量に入手した後、その人生全てを研究に費やすことで、何がしかの情報の欠片を拾い上げる可能性もゼロではない。
そのような幸運を得た学者なら、文字が 紀南 涼平という名前を示すと理解しただろう。
しかし、この種の文字を難なく読みあげ、あまつさえそこから力を取り出せる者も存在する。
彼らは自ら表に出てくることは少ないが、存在は知られており、この世界ではこう呼ばれていた。
――魔術師、と。