第17話 友達
俺は、前と同じ時間に桜の所にやって来ていた。
今夜は少し三日月の身幅が増し、照らす光も明るくなっている。
「お、涼平。約束どおり来たな」
彼女は至極満足そうに頷いた。今夜の桜は銀色の後ろ髪を緩く三つ編みにしている。
サイドも編みこんでいて、全部で八本にまとめてあるようだ。
依然として前髪は長すぎ、瞳は隠れたままだが、人形のような可愛さは増していた。
「来ないと今度は三島由紀夫の本が読みたくなるかも、と言ったのは桜だろ」
隣のベランダに来たらちょいちょいと手招きをされたので、一緒のベランダに並んで座りながらも俺は納得できない。
本当なら「桜ちゃん」とでも呼ぶべき年齢の子供だが、この高飛車な態度を考えるととても「ちゃん」付けする気にはならないぜ。
桜も年上の俺を「さん」付けしないので、お互い様だと意地を張っている面もある。小学生相手に何やってんだかな。
「それって脅しに近いって言ったろ?」
とりあえず、俺は前回と同じ抵抗をしてみるが、今回もあっさりかわされた。
「交渉だよ」
桜にふっふ、と意地悪そうに笑われるのはやっぱり納得出来なかったが、俺自身結局断りきれず来たには違いないので仕方なく頷く。
「それで、今日は何の話だ」
「おいおい、友達は話題がなくても喋るもんじゃないのか」
桜にそう返されて、幼馴染達との会話を思い出す。
「それもそうだな」
「まあ、涼平に聞きたいことはあるんだがな」
桜は、知りたくてたまらない事があるらしい。髪で見えないが、声から想像すると今桜の目は輝やいているはずだ。
「何だよ?」
「最初に会った時、壁を駆け上がって来ただろ。今夜もそうだが。いったいどんな魔法でこんな事ができるのかと思ってな」
彼女は、質問と同時に正解を自分で答える。だから俺は何の捻りもなく回答した。
「桜が言ったまんまだよ」
「なんだって?」
ちいさく空けた口と銀髪から、俺はうさぎを思い浮かべる。
不思議そうな顔はほんと毒がないのなあ。
「だから魔法だよ」
「そうか! 涼平は魔法使いなのか」
「まあ、世間は正式には魔術師って呼ぶけどな」
得心がいった桜に、訂正を入れる。
俺は魔法使いという言葉が大好きだが、それをこの世界の魔術師と同じ意味で使われるのは嫌いだ。俺の心の中では、魔法使いと魔術師は分けて考えていた。
「私は魔術師の友人は始めてだ」
俺を見る桜はちょっと嬉しそうだ。
まあそうかもな、と俺は同意したが、理由は魔術師の数が少ないからではない。
「自分から魔術師って言うヤツは少ないからな」
「そうなのか?」
もったいないと言わんばかりの桜は、きっと魔法を知ったばかりの自分だと、俺は懐かしく思った。
「魔術師を本業にしているヤツはともかく、副業レベルの場合、逆に知られると面倒な事もあるのさ」
「たとえば?」
俺はちょっと考えてから話し出す。
「そうだな。会社員が魔術師の力を持っていたとして、その会社の金庫からいきなりお金が消えたら?
たぶん他の社員はその会社員が魔術師だと言う事を警察に話すだろ?」
「調べれば無罪とわかるではないか」
桜は何が問題なのかといった態度だ。
「疑われる事が面倒だって意味だよ」
しかも一度疑われると、何かあるたびに疑いの目でみるヤツが必ず出てくる事も、それに対して潔白を主張する事も面倒だ。だが、と俺は追加する。
「もっと嫌な事がある」
「ふむ? なにが嫌なんだ?」
桜は俺と向き合いたいのか、体を捻って、ベランダと平行になり、その上で体育座りをしようとする。
おいおいアブねえだろ、俺は体を支えてもとの姿勢に戻した。
桜は不満そうだったが、そのまま足をぶらつかせると俺に話を続けさせる事にしたようだ。
「魔術師が万能だって誤解してるヤツがいる事さ」
「そうか?」
「絵本に出てくる魔法使いの様に、困った人を皆助けることなんて出来ない。それは魔術師じゃなくて、神様の役目だろう。なのに、金が払えないから助けてくれないと逆恨みするヤツは結構いるんだよ」
「そうか、そうだな。本当に困ったら、神でも悪魔でも魔術師でも、助けてくれれば何でもいいのかもしれんな」
桜は思うところでもあるのか、いやに熱心に頷く。
「それで、神と同じ事が出来ると思ってもらっても、こっちが迷惑だ」
「いや、まったくだ」
実際、俺にとっても子供心に憧れ、想像した魔法使いは万能なのだった。
だが自分が魔術師になって魔法を使える今は、出来る事もわかってきた。もちろんこれから出来る事も増えていくだろう。
それでも、いや、だからこそ魔法使いは魔術師とは別の存在であってほしかった。
単なる子供時代の感傷だとわかってはいたが。
◆ ◆ ◆
「じゃあ今度は、涼平の事を教えてくれ」
話が進む内に、桜の興味は俺自身へ移ったようだ。
「何を?」
俺としては、話の内容次第で答えてやろうと思っている。
どう考えても口が災いして友達の少なそうなこの少女に、少しかまってやるのも悪くないと、ちょっと上から目線なお兄さん状態だった。
「涼平はなんでいつもこんな時間に歩いているんだ? 泥棒か?」
この瞬間、上から目線は終了した。
「おいっ 俺を何だと思ってる」
桜は、たちまちつられて興奮する俺を冷静に捌いて、理由を指摘する。
「黒尽くめではないか。そんな服に似合う職業を挙げただけだ」
「人の好みにケチをつけるな。自分だって純白ゴスロリのくせに」
俺は西洋人形の様で可愛いと思った印象も忘れて、突っ込み返す。
「だからこれは家人のお仕着せなんだっ この種の服しか買ってくれなくてなっ」
桜の好みとは違うのか、ことさら家族が無理やり買ったと強調すればするほど、逆にあやしいと思った俺は、疑わしげに感想をもらす。
「ほんとかあ」
それが桜には気に入らなかったらしい。俺を指さしながら心臓へ特大の釘を打ちつけるように宣告する。
「女性のファッションを下手にあげつらうヤツは、一生!絶対!確実にもてんぞ」
「そうか、すまん」
俺は、小学生の女子にそう断言されてさすがに落ち込み、停戦を申し出た。
「だから、バイトの帰り道なんだよ」
「バイト?」
「ああ、料理店でバイトして生活費稼いでいるんだよ」
俺は、なんで話が脱線するのか自分でも首を捻りながら説明する。
「家がとても貧乏なのか」
とたんに桜の哀れみに満ちた視線を感じ、バイトしてたら極貧とか、お前極端すぎと返事をして、自分の状況について告げる。
「まあ、それなりの蓄えはあるんだが、自立するには働くべきと主張する鬼コーチがいてな」
「鬼コーチ?」
「ああ、俺の師匠で人生の先輩だ。小金持ちの孤児がダメになるのを心配してくれるのさ」
俺の言葉に引っかかりを感じると問いを重ねた。
「両親はいないのか?」
「昔、飛行機事故でな」
「すまん」
桜はすぐに悟ると謝った。
「いやもう十年以上前の事だから、気にすんな」
俺はヒラヒラと手を振ると、それでも気にする桜に笑いかけた。
「で、その鬼コーチが言うには楽して身に着けた金はその大切さが分からないから、汗をかいて手に入れる必要があるって譲らないんだよ」
今の俺なら、やり様で巨万の富を得る事はさほど難しくない。
美雨自身、楽に金銭を得る手段はあるだろう。別にハイリスクハイリターンが悪いとも思わない。 なのにあえて地道に料理店を営んでいる。
彼女が俺に対し、自ら模範を垂れているんだと俺は理解しているし、そんな美雨を素敵だと思う。
それは派手な生活より地道な暮らしが一番だという意味じゃない。
美雨は、俺に普通の家庭を形作ろうと努力してくれている。
両親が傍にいたら、魔法を知らなければ、こうだったかもしれない平凡な幸せを。
それに意味があるかは、俺と彼女が知っていればいい事なのだ。
「いい鬼コーチだな」
ふいに桜が褒めてくれたので、俺は素直に感謝した。
「ありがと」
「涼平、嬉しそうだな」
そんな俺がおかしかったのか、くすりと笑った桜は、さっきの怒りもあらわな少女とは別人の様だ。
やっぱ妖精みたいだなあ、あらためて思う。
「ああ、鬼コーチも今や俺の家族みたいなモンだからさ」
「そうか、じゃあ涼平は今一人じゃないんだな」
俺から相手への家族愛を感じて、すこしさびしそうな表情の桜。
だが次の台詞を聞いて、そんな気分もどこかへ行ったかのように食いついてきた。
「まあ、うるさい幼馴染達もいるしな」
「うるさいのか?」
「ああ、二枚目の方は頼りになる親友だが、もう一人は俺を家来扱いするひでえヤツだ」
それを聞いて俺の親友の顔を想像し、にやつく桜。
俺は「まったく女の子ってヤツは」という視線も気にならないらしい。
まあ、二枚目が見たくない女子など、この世にいないだろうけどな。
だが、家来発言の幼馴染に対しては、ちょっと悔しかったみたいだ。
「ほう、その美形とはぜひ面識を得たい。しかも私より先に涼平を下僕にしている男がいるとは」
「下僕じゃねーし、男じゃねえ」
俺はうんざいりしながら返事をした。
◆ ◆ ◆
桜は涼平の言う幼馴染の片方が女の子だと知り、興味のレベルゲージが跳ね上がるのを感じる。
「ほほう。それはさらに興味深いな。どんな娘なんだ」
「そうだな、親友に守られてやりたい放題のおてんば姫って感じか」
そうふざけて答える涼平の声はとても優しい。優しすぎて、桜はなぜか泣きたくなってくる。
「親友が守っているのか?」
涼平は気にも留めず話を続けるが、桜にとっては重要な質問だ。
「ああ、騎士は昔からあいつの十八番だからな」
「で、涼平は家来と」
桜はその親友とおてんば姫が相思相愛なんだと理解し、涼平もその仲を喜んでいる事がわかると、訳もなくとても安心した。
「まあ、姫いわく、パシリだそうだ。ふざけてるだろ?」
「それで涼平はいいのか?」
さすがに酷い扱いだと、自分が下僕扱いしたのも忘れ、涼平の代わりに憤慨した桜は、彼の答えを聞くんじゃなかったと激しく後悔した。
「……まあ、結構楽しいかもな」
涼平はとても穏やかな顔をしていた。
あるべき所にあるべき物がある。調和のとれた世界にいる者が持つ表情だった。
だが、答えるまでの刹那の逡巡。それで何故、涼平の気持ちがわかったのか。桜自身、説明など出来ない。
そして、彼らの事は何にも知らないけど、涼平の決断を支持しようと決めた。
彼女の心を救ってくれた、涼平の優しさを信じようと。
そして、桜も涼平を見習おうと思った。涼平と良い友達になろう。自分の望みより相手の幸せを思いやれる様な、そんな友達に。
「そうか。なら私がどうこう言う話ではないか」
涼平は自らの発言について、桜が何故そんな反応をするのかわからないらしい。
「どういう意味だよ」
そう言って自分の台詞の突っ込み所を確認してくる。
みんな、自分の気持ちはわかっている様でわからない。
桜は心の中でため息をつくと、涼平との会話を先ほどの様に脱線させて楽しむ事にする。
「心配するな」
「だから何の心配だよ」
「涼平のいわゆるM属性についてはここだけの秘密だ」
「Mじゃねえええええええ」
期待通り、彼はつられて脱線してくれた。
いつまでたってもファンタジーにならないなあ。
すいません。