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小説タイトルはキミが考えて。  作者: のら


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第1話 書けない僕と払えない彼女

 書けない。

 まったくもって書けない。


 もう何日目だろう。

 パソコンのエディターを開いて一時間。

 画面は真っ白なまま、カーソルだけが律儀に瞬いている。


 書かなきゃ、と思うほど、脳裏に他人の小説の一節が浮かんでは消える。


 誰かの上手い比喩。

 誰かの泣かせ方。

 誰かのテンポ。


 それを追い払うたびに、自分の中が空っぽだと分かる。


 小説を書き始めたのは離婚してからだ。

 暇つぶしに覗いた投稿サイトが、無料なのに、やけに面白くて、気づけば毎晩、読みふけっていた。40過ぎてから、こんなにハマるものがあるとは思わなかった。


 そのうち、思った。

 自分にも書けるんじゃないか、と。


 あの頃は良かった。

 アイデアは湧いて、文章にすれば形になった。

 公開すれば読まれた。

 褒められた。

 数字が伸びた。

 書籍化もして、何冊も出せて、コミカライズまで決まった。


 そこでたぶん、僕は乗る船を間違えた。


 傲慢という名の船。


 既存作品の連載で作家を名乗り、SNSで講釈を垂れて、プロ作家マウントを振り回して、読者を数字で見て。


 そのくせ、新作を書こうとなると、一文字も出なくなっていた。


「……」


 キーボードに指を置く。

 押せない。押したくない。

 押した瞬間、また空っぽが確定してしまう気がした。


 その時だった。


 廊下の方から男女の話し声と、ドサドサ、バサバサという荷物が出される音。

 次いで、ジャラジャラと鍵束のような金属音。

 男の声と女の焦るような声。


「……うるさいな、男女の揉め事か?」


 好奇心が勝って、反射的に玄関に向かい扉を開けた。


 音の理由を見た。

 いや、見てしまった。


 廊下に積まれた荷物と雨に濡れた女だった。

 そして最悪なことに彼女と目が合った。


「……見てた?」


 ドアから半身を出している僕に、女は言った。

 

 彼女の濡れた前髪がおでこに貼り付いている。

 段ボールが二つ、ビニール袋がいくつか。

 どれも「急いでまとめました」感が酷い。


「いや、見てない」

 僕はそう言いながら、彼女を凝視している。


「見てたじゃん、助けてよ」

 言い返す声が妙に落ち着いているのが逆に怖い。


 その横で管理会社っぽい男が僕の顔を見て、事務的に笑った。


「お知り合いですか?」


「違――」


 否定しようとした瞬間、彼女が被せてきた。


「彼氏です」


「違う」


「彼氏です(圧)」


「ちょっ――」

 そこまで言い切れることに、逆に感心してしまった。


 管理会社の男が一瞬、目を細めた。

 面倒ごとを早く終わらせたい目だ。

 

 分かる。

 僕もそういう目を最近よくしてる。


「……いずれにしても、荷物の引き取りをお願いできますか。滞納三か月で、鍵はすでに交換済みですので」


「え? 滞納?」


 興味はさほどないくせに、僕は脊髄反射で聞き返してしまった。


 女は小さく笑った。


「うん。私、家賃ってやつを舐めてた」


「舐めちゃダメだろ」


「舐めた結果がこれ」


 彼女は段ボールを軽く叩いた。湿気で角がふにゃってる。


 背後から、別のドアが開いた。

 隣の部屋のおばさんが顔を出し、状況を見て目を丸くする。


「あらあら……大丈夫? 雨も降ってるのに」


「大丈夫でーす」


 女が明るく返事をした。

 嘘だ。顔色が悪い。唇が冷えて白い。


 おばさんが僕を見た。


「あなた、彼氏さん?」

「違い――」

「はい、彼です。隣同士が縁で」

「……おい」


 おばさんは納得したように頷くと、管理会社の男に向かって言った。


「若い子を雨の中に放り出すなんてねえ……」

「規定でして」

「規定、規定。人の心って規定にないのかしら」


 おばさんが正論のナイフを振り回す。


 管理会社の男は咳払いして、僕に書類を差し出した。


「では、こちらにサインを――」

「なんで僕が?」

「彼氏さんですよね?」

「違うって、さっきから――」


 女が僕の袖をつまんだ。濡れた指が冷たい。


「ねえ。助けてって言ったら、助けてくれる?」

「――それは時と場合による」

「じゃあ今がまさに、その時で、その場合だと思う」


「……論理が雑すぎる」


「私、この後、ここで倒れるけど」

「脅さないでよ」

「脅しじゃない。予告」


 彼女は笑いながら、肩で息をした。

 ……冗談の体裁で限界が見えてきてる。


 僕は舌打ちした。

 自分の人生に対しての舌打ちだ。


「……とりあえず。荷物、雨に濡れない端っこに移動させません?」

 僕の提案に管理会社の男が頷く。

 

 僕は段ボールを一つ持った。


 軽い。

 中身が見えた。

 たくさんの化粧品、下の名前だけの名刺。少しの衣服。

 生活の薄さが、やけに重かった。


「ありがとう、ダーリン」

「ダーリンじゃない」

「じゃ、いい人さん?」

「それもなんか嫌だ」

「嫌だ嫌だ、言いながら持ってますよね」


 彼女が、わずかに目尻を下げた。

 笑いなのか、泣きなのか分からない顔。


 おばさんが感心したように言う。


「あなた、優しいのねぇ」

「優しくないです、仕方なくです」

「優しい人はみんなそう言うのよ」

「僕は違います」


「――じゃあ何なの」

 女が聞いた。


 僕は答えられなかった。

 何者かを言えるほど、僕の最近はまとまっていない。


 荷物を寄せ終わって、管理会社の男が片付け始めた。雨は強くなって、廊下の先が白く霞んでいる。


「ねえ」

 女が小声で言った。

 このシチュエーション。小声の時点で、絶対良くない話と相場は決まってる。


「……何」


「このままだとさ、私、行くとこない」

「……で?」

「……で?って?」


 ダメだ。

 47にもなるおっさんが、20代女子に完璧なまでにイニシアチブ(主導権)を持っていかれてる。


「……親は?」

「論外」

「……彼氏は」

「募集中。なってくれてもいいよ」

「……友達は」

「友達って、どこに売ってるの?」

「……売ってないね」

「でしょ?」


 女は段ボールの上に座り込んだ。

 濡れた髪が頬に張り付いている。寒さで肩が細かく震えているのに、気丈な顔をしてる。


「……あなたの部屋。空き部屋ある?」

「ない」

「じゃあ、空いてる床」

「ない」

「床はあるでしょ」

「床はあるけど、ない」

「日本語通じないふり?」


 僕は自分の額を押さえた。

 今、僕の頭の中には「この女を部屋に入れたら僕の日常が壊れる」という予感と「この女を雨に放り出したら、人として壊れる」という予感が同時に鳴っている。


 しかも最悪なのは、管理会社の人と、隣のおばさんがずっと見てることだ。


「……分かった」

 口が勝手に言った。

「――管理会社さん、サインしますよ」

 続けて、口が勝手に言ってた。

 

 彼女が顔を上げる。目が、ぱっと明るくなる。


「泊めてくれる?」

「一晩だけな。緊急措置ってやつ」


 そう言いながら、手渡された書類の中身も確認せず、とにかくサインした。

 早く、この狂った時間から撤退したかった。


 書類にサインしながら、彼女を追い返す良い方法が思いついた。


「やった」

「ただし、条件がある。……男と女、分かるよね」


「……いいよ、何でも!」


「……」


『男・おっさん・独りもん』が『条件』と言えば、引くのが20代女子じゃないのか?

 瞬時に察して「やっぱり友達のとこいく」となるのを期待したのに。


 一瞬にして計画はおじゃんになった。

 僕は自然と深いため息をが出た。

 

「……期限付き。今夜だけ。明日以降は、状況見て――」


「状況見て?」


 女が首を傾げた。


「状況って、私がどれだけ可哀想かってこと?」

「違う。僕がどれだけ巻き込まれたくないかってこと」

「正直でいいね」

「正直じゃないと死ぬんだよ」


 彼女が小さく笑った。

 滞納して追い出されるくらいだ。必ず他にも借金とかあるはず。 

 取立屋とかに巻き込まれるのはごめんだ。


「あと、僕の生活を崩さないで」

「え、崩れてるの?」

「崩れてない。……崩れてないことにしてる」

「なるほど。崩れてるね」

「黙れ」


 彼女は段ボールを抱え直して立ち上がった。

 足下の濡れた荷物は足で引きずりながら、僕の玄関の前に来る。


 おばさんが嬉しそうに言った。


「良かったわぁ。若い子が雨に濡れて――」

「若い子って言うのやめてください。なんか、僕に下心があるように聞こえます」

「じゃあ何て言えばいいの」

「人でいいです」


 僕が言うと、おばさんは目を丸くして、それからふっと笑った。


「……そうね。人よね」


 ――しまった。

 やましい気持ちなく、清々しいまでの善意で彼女を受け入れることを承諾したような流れを自ら作ってしまったっぽくなってる。

 

 僕は少し焦りと後悔を滲ませた。

 管理会社の男も、最後に一礼した。


「では、これで全て完了です」


「あ、ちょっとッ」

 僕の焦りと裏腹に男は帰り支度をしている。


「……ご健闘を」


「ちょ、健闘って」


 呆然とする僕を女が覗き込んできた。


「ね、寒いから、中、入るね!」


「……あ、う、うん……」

 咄嗟の事で無意識に返事してしまった。


 階段を下りていく管理会社の男。

 にっこり微笑んで部屋に入る隣のおばさん。

 いそいそと荷物を抱えながら、僕の部屋に入っていく女。


 そして、雨の中、呆然とする僕。


 こうして、僕の奇妙な同棲生活が否応なしに始まってしまった。

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