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どこにいても、彼の声はすぐにわかる。特徴のある声だ。
「僕の知らんとこで、勝手に取引してるんだ。半殺しいうん、腕一本に値切ってくれたんはええけど。けど、腕一本も馬鹿にできまへんで。『おい、とんび、こっち来い』ボキ。たまりまへんで。それで、これですわ」
とんびは、しばらくの間、腕をつって過ごした。やくざに義理立てしたのだ。
舞台の上で、彼の話すことは、たいてい冗談に聞こえた。本当であればあるほど、冗談に聞こえてしまう。才能の一種だ。
「そんなん、何も才能ちゃうわ。逮捕されたりした時、どないするねん。僕、やってません言うたかて、誰も信じてくれへんわ」
「その時は、嘘みたいな本当の話、作ったらええの違う? その話、一生懸命に言うたら、無罪放免や」
「自分でも、何がほんまで、何が自分の作った話か、わからん時あるで」
「そら、とんびちゃん、嘘ばっかり言うてるからや」
「さっきから、自分、何してんねん」
「私らしないこと。赤ちゃんの服、編んでんの」
「うわ、こわ。気、狂たんちゃうか」
「とんびちゃん、そう言う思た。やめや、やめや。自分のマフラーにする」
「そんな、すぐ変えれんのか。笑わへんから、赤ちゃんのにしといたり。けど、大分、目立ってきたなあ」
「もうこれで、女としては終わりやわ。この子、大きくなった時、私、しわしわのおばあさんや。こんなん、誰のせいや」
「僕が子守したるから、遊んできたらええやん」
「そんなん、いやや。私、とんびちゃんと遊びたいいんやもん」
「ほな、ファミコンして遊ぼ」
「一人で勝手に遊び。私、色んなこと考えて、今イライラしてんねん」
「アカンねんで、イライラしたら。おなかの子供もイライラするねんで。育児書に書いてあったわ」
「とんびちゃん、育児書なんか読んでるの?」
「この前、主人に、ええ本教えてもろた」
「また、あんたら、私の知らんとこで、ゴシャゴシャやってんねんね。いい加減にしてよ」
「そやけど、主人にお礼も言わな。居候もさしてもろてるし」
「お姑さんが、離れ建てる、言うてはったわ。お姑さんの家と、渡り廊下でつなげるつもりらしいよ」
「ええ! いややで、僕。そんなん、ペットみたいな生活になるん違うか。いややで」
「そんなん言うても、お姑さん、とんびちゃんのファンなんやもん」
「こわー。僕、やっぱり、マンション帰るわ。一緒に来た、ええやん」
「とんびちゃんのマンションて、いつも、芸能記者隠れてるやん。こんな身体で、テレビ映るん、いややわ」
「それもそうや。しゃーない。辛抱しよ。おばあちゃんにも、おもろいこと言うたげよっと」
「優しい! そやから、とんびちゃん、好きや。ここにいたら、フォーカスされることもないし、ちょうどいいやん」
「あんまりフォーカスされへんと、禁断症状出るん、違うやろか」
「あほらし。やっぱり、好きでフォーカスされてんのやね」
「好き、言うほどやないで。強いて言えば、嫌いやない、いう程度や。妊婦向けの体位でやってみよか」
「そんな気分にならへんわ。もう、欲望とは無縁の人生やわ。神さん仏さんの心境や。一心に、安産祈ってる。年が年やから、不安でいっぱいやねん」
「まだ、三十四やろ。若いで。僕も、三十なったもん、一緒やないか」
「私、もう五になったの。四捨五入したら四十やわ。もう、人生終わりや」
「何で、そんなことで泣くねん。ちょっと、おかしいで」
「ほっといてよ。男なんかにわからへんわ。年いって、涙もろくなってんのや」
「あのな、それな、おなか大きいせいやで。おなか大きい時、ちょっとしたことで、感情的になんねんて。本に書いてあった」
「本、本、言うのやめてちょうだい。余計、腹立つから」
「どっか行こ。温泉でも行こ。気分晴れるで」
「とんびちゃん、仕事、どうするん?」
「キャンセル、キャンセル」
「あんた、しまいに失業するで。仕事いうんは、一種の約束やろ。約束破ったらアカン。そうでなくても、いい加減な人間や、思われてるのに。信用ゼロなるよ」
「そやな。僕から仕事取ったら、何も残らへんな。しゃーない、行くわ。ここ、ほんま、別世界や。自分とおったら、他のこと、何も考えられへん」
「ふふ、優しい。やっぱり、赤ちゃんの服にしよっと」
「ようコロコロ変われるわ。帰りに何か買うて来たるわ。オレンジ、どや? りんご、食べたないか? 寿司にしよか? それか、花買うて来よか?」
「聞いてるだけで、おなかと胸がいっぱいになるわ。ええの。何もいらん。とんびちゃんが帰って来てくれるだけでいい。起きて待ってる」
「アカン、アカン。早、寝とかんと、身体に悪い。ちゃんと昼寝して、夜も、早、寝なアカン」
「そんな、寝てばっかりいてられへん。これ編みながら、起きて待ってる」
「そんなこと言われたら、寄り道できへんやないか」
「寄り道なんか、したアカン」
「男の付き合いかて、あんねんで。僕、女待ってますから言うて、帰れると思うか?」
「帰ったらいいやん。僕、帰ります、言うて」
「うん。なるべく言うわ。けど、断りきれへんかったら、ごめんやで」
彼がいなくなると、とたんに、家中が静まり返る。急に、家が広く、見慣れない場所に
変わる。
自分までが変質する。見知らぬ中年の妊婦。孤独な年齢。わびしい生活。よく訓練されたメイド達。退屈な日常。理由のない淋しさ。ビデオで、彼を見る。
すぐ帰ると言いながら、彼は、三日間家をあけた。また、フォーカスされたのだ。
「僕、ちゃんと、他に好きな女いてます。一緒に住んでます。知ってまっしゃろ。皆で、あんだけ騒いだんやから。僕は、無実です。オーイ、見てるか。信用した、アカンで」
彼は、カメラに向かって、叫んだ。
「何で、僕が逮捕されなあきませんの? 婦女暴行やて。それほど、不自由してません」
「あなたが、しつこく付け回して、暴力で犯された、と訴えられていますが」
「こんなん言うてええんか、わからんけど、前やくざにやられたんも、あの女、からんでますねんで。絶対、何かあるわ。マリオいうん、調べてみた、どないです」
「マリオというと、あの橋場マリオですか? アイドル歌手の?」
「まり子、僕、言うで。もう、ええ加減、わけのわからん付き合いやめ。僕、堺まり子とは、ほんまに何もありません。ずっと友達や、思ってました」
「しかし、とんびさん、あなた、彼女のマンションに押し入ったんでしょう? その事実は、どう説明されるんですか」
「何も押し入ってません。鍵渡すから、先行って待ってて、言われたから、待ってただけです」
「マンションの鍵ですか。ほほう。と言うことは、そういう仲だと思っていいわけですね」
「まり子とは、同じ事務所なんです。前から、色々な相談に乗ってたことがあるんです」
「ほほう。相談ですか。すると、かなり前からの付き合いなんですね。しかし、常識で考えても、同じ部屋に、健康な若い男女が一緒にいるとなると」
「あんたらの常識なんか、僕、知らん。頭から、僕、疑ってんねんから、何言うても無駄や」
「コメントを拒否するわけですね」
「ちゃんと説明してるやろ、まり子とは何もないて」
彼は、一生懸命、説明していた。多分、本当のことを言っているのだ。それが、嘘に聞こえることが、おかしかった。
「ほんま、えらい目に会うた」
とんびは、憔悴しきって、戻って来た。
「ごめんな、遅なって。帰してもらえへんかったんや」
「テレビ、見てたわ」
「見ててくれたか。警察、いる時もインタビューされてる時も、自分のことばっかり考えてたわ。心配してるやろな、思て」
「とんびちゃん、ちょっと優しすぎるわ。まず、自分の心配せんとアカン。女て、ほんまは、強いし怖いもんやで。主人が心配して、電話くれたわ。国際電話や。今、中近東いるねんて。信じたり、言うてはったわ。調べさすとも言うてはった」
「何ちゅう情報網や。中近東にまで、僕の逮捕のニュース流れてんのか」
「あちこちにエージェント置いてはんねん」
「何か、何しても、無罪になるような気してきたわ」
「そんな暇ないで。自分の身は、自分で守らな」
「ジョークです。それにしても、けったいな話やろ?」
堺まり子は、彼と同じプロダクションの専属タレントだ。歌手が本業だが、今のところヒット曲もなく、ドラマのわき役でテレビに出演したり、カバーガールに使われたりしている。十八歳で、かなり印象的な女の子だ。野心があるのか、瞳がいつも輝いている。
アイドル歌手橋場マリオと恋愛関係にあると、とんびは言っていた。一度、自分のマンションの前で、フォーカスされた仲だ。そのお陰で、やくざに腕を折られそうになった。
そして、今度は、強姦事件だ。
「僕を訴えて、何の得があるんやろ」
「とんびちゃん、きっと誰かに、ものすご恨まれてるんやで」
「脅かしたら、いややで。僕、そんな覚えないで。僕、女にも男にも優しいんやで」
「それが、アカン言うねん。優しするの、私だけにしとき」
「前聞いた時、マリオに女いる、言うてたわ。マリオて男前やから、そら女の一人や二人、いるやろけどな」
「あ、知ってる。それ、高瀬真弓ちがう?」
「何で、自分が知ってんねん」
「だって、とんびちゃんが出て来るん、スキャンダル専門のワイドショウ多いもん。芸能界に詳しなってしもたわ」
「けど、まり子、ほんま、マリオ好きなんやで」
「とんびちゃん、ほんまに何もしてないんか? つい同情して可愛がったとか、僕がマリオの代わりなったる、言うたとか」
「あのなあ。僕、そんな軽い男、違うねんで。今まで付き合うてて、わからんか。ほんまは、ものすご真面目な青年やねんで」
「何が青年やの。もう、おじさんやろ。おばさんと恋愛してんねんから」
「おじさん言われると、胸がズキンと痛む。何でやろ。僕も、強姦犯人で、芸能生活終わりやわ」
「人のギャグやってんと、ちょっと真面目に考え」
「頭の中で考えてるて。僕、口と頭、別々の人間やねん」
「そうか。口と頭と身体、全部別人やねんな」
「怒ること違うやろ。皆別人やから、自分のこと、普通の人の三人分愛してるんやないか」
この前のやくざが、とんびにまり子のマンションの鍵を渡しに来る。
「何で、やくざが、その子のマンションの鍵持ってるの?」
「そう言うたら、そうやな」
鍵を渡されたとんびは、ノコノコと、まり子のマンションに行き、鍵を開けようとする。
「そう言うたら、鍵壊れてたわ。窓も割れてた」
「それ、警察に言うたんか?」
「言うてへん。今、思い出してんもん」
「あほ」
鍵を持ったまま、まり子が出てくるのを待つ。
「そう言うたら、何か息切らしてたな。ハアハア言うてた」
「どうせ、それも言うてへんのでしょう?」
「今、思い出した言うてるやろ」
「もういいの。とんびちゃん、帰って」とまり子は言う。
「鍵、返して」
「今、マリオ、来てるんか?」
「うん」
「そら、邪魔やな」
「とんびちゃん、血液型、何型?」
「僕? 僕、B型」
「そう、ちょうどいいわ」
「まり子、幸せになるんやで」
そう言って、とんびは、マンションを後にし、見事にフォーカスされ、その上、帰る途中で、警察に任意同行を求められる。まり子が、彼を訴えたのだ。
「聞いてたら、とんびちゃんて、ほんまのアホやね。それで、警察で、何言うたん?」
「僕、何にもしてません、言うた」
「警察、信じたん?」
「全然、偏見持って、僕見とんねん。絶対やったと思ってたで」
「ま、事件にはなりませんわ」と取り調べの警官は言う。
「どうせ、痴話喧嘩のもつれでしょう。あんたも、ちょっと、身慎まなアカンわ。この一年で、どれだけ世間を騒がせてん? 派手にやりすぎやわ。女泣かしたら、後が怖いねんで。覚えときや。そや、この紙に、サインしといて」
「これ、調書でっか?」
「余計な心配せんでええ。うちの娘、あんたのファンやねん。黙ってサインしたら、ええねん。うちの娘、ガッカリさせるようなことしたら、わしも許さへんで」
「それで、とんびちゃん、どない言うたん」
「お世話なりました、言うて、釈放や。事情聴取いうやつちゃうか? その後が、記者会見や。忙しかった。腹立つから、マリオの名前、出したった。黙っとくつもりやったんやけど、つい、口がしゃべりよったんや」
「まだ、そんなこと言うてんの? 何もかも言うたったら、ええねん。何やの、その女。とんびちゃんのこと、まるきし踏みつけにしてるやないの。きっと、誰かに強姦されて、それ、マリオに知られたなかったんやわ。それとも、マリオが、誰か雇て、女襲わせたんやわ。もう、その女、邪魔になったんやわ。高瀬真弓と婚約発表してたもん」
「自分、えげつない想像力やな。まり子て、かいらし女やねんで。男に嫌われるような女と違う」
「もう、とんびちゃんの顔なんか見たい思わへん。浮気してんのと一緒やないの。何が、かいらし女やの。私のことも、かいらし言うたな。そうか。とんびちゃんの『かいらし』いうん、ようわかったわ」
「怒ってる場合と違うやろ。怒ったら、おなかの子供にさわるやろ。けど、おかしい話やろ。そう思わへんか?」
「とんびちゃんが、おかししてんのや。何もおかしいことないわ。はめられてるだけや、まり子いう女に。もう一回警察行って、ちゃんと話、して来」
「いやじゃ。警察なんか二度と行くか」
「もう、この話、やめよ。あほらしい」
しかし、残念なことに、私は、嫉妬深い女だった。何日も経たないうちに、私は、とんびに言った。
「とんびちゃん、あのまり子いう子、どないしてる?」
「黙っとこ思たんやけど、まり子、どこにもおらへんねん。マンションにも行ってみたけど、どっか引っ越しした後やった」
「もうええ。話したん、間違いやった。そうか。マンションまで行ってみたん?」
「そら、心配やで」
「そら、心配やろな。待っとき。こうなったら、私、あのやくざに連絡つけてみる。あのおじさん、絶対何か知ってるわ」
「何で、やくざと関係あるねん」
「とんびちゃんには、わからへんから、ちょっと黙っとき」
電話をかけた。居場所は、ちゃんと突きとめてあるのだ。
「おかけになった電話番号は、現在使われておりません・・・」
「どないしてん。おかしな顔して」
「とんびちゃん、えらいことや。あのおじさんも、いてはらへん。きっと、もう死んではるんやわ」
「脅かしたらいやや。きっと、旅行か何か行ってんねんで」
「待っとき。あのおじさんは、実は、学校の先生やねん。これも、調べてあんねん。非常勤で、あちこちの学校回ってはんねん。昼の顔と夜の顔、違う人やねん」
「何で、自分、そこまで知ってんねん」
「主人の情報網で、ちょっと調べさせたんや」
「へえ」
「今、S市の中学で、週に三日教えてる」
「何教えてんねん」
「英語やて」
「嘘やろ。体操か何か、違うんか」
「学校に電話かけてみよ」
大久保真生は、無断欠勤を続けている。学校側も困惑を隠せない。
「どないしよう、とんびちゃん」
「どないしようて、何が?」
「まり子いう子も、きっと殺されてるんやで」
「自分、それ、願望と違うか?」
「そんなん違うわ。とんびちゃん、こうなったら、マリオの事務所、電話かけ」
「マリオと何の関係あんねん」
「まあ、ウダウダ言うてんと、電話し。あの男くさい。絶対くさい」
「くさいくさいて、何のことや。僕、マリオなんか知らんねんで。あ、もしもし、はあ・・・おい、どちらさまですか、言うてはるで、事務所の人」
「もう、電話貸し。ええ、お忙しいとこ、すみません。橋場マリオさんに、以前、仕事頼まれた者なんです。ええ、堺まり子さんのこと、言うてもらったらわかります。ええ、それくらいでしたら待ってます。とんびちゃん、マリオ、電話に出るで。はい。お久しぶりです。以前、主人がお世話になりました。ほら、坂田とんびの件で。はい、じゃ、待ってます。とんびちゃん、マリオ、話に乗って来たで。ああ、内緒やったんですか。別に、知られて困ること違いますでしょう? 主人、ずっと家帰って来ないんです。マリオさんやったら、ご存じやないか思いましたん。心配ですので、マリオさんが、ご存じやなかったら、『ケイサツ』行こか思てました。そうですか。知ってはるんですか。よかったわ、『ケイサツ』行く前に、お電話して。今夜、十一時、埠頭ですか。随分、人けのないとこですね。まり子さん? ええ、高校の時の友達なんです。ほんと、偶然ですねえ。まり子さんもいないんです。まさか、主人とまり子さん、何もありませんよね。マリオさんのこと、主人とまり子さんから、何でも聞きました。縁あるんですね、マリオさんとは。じゃ、十一時、埠頭で。私、真っ赤なスカーフ、かぶって行きます。マリオさんは、わかります。有名人やから」
ガチャリ、と電話は切れた。
「何やねん。埠頭やの、十一時やのて」
「ちょっと黙ってて。考えてんねんから。よし、とんびちゃん、活躍さしたろ」
「そんなことになるん違うか、思た。何、ゴソゴソしてんねん」
「とんびちゃん、この服、貸したげる。それと、このスカーフかぶり」
「いやじゃ。女装すんの、仕事だけで十分じゃ。そんな趣味あるか。いやや言うたら、いやや」
「そうか。そしたら、家で待ってたらいいわ。私が行って来るから」
「僕、女装大好きです。させてください。慣れてるわ、そんなもん。よう似合うから驚くなよ。似合うから、いややねん」
「せりふ覚えるのも得意やな。忘れたら、アドリブでやったらええわ」
「あのなあ。自分、いつも僕しゃべってるん、アドリブや思うやろ。違うねんで。あれ、長い長い時間かけて、計画的にしゃべってんねんで」
「そしたら、これも計画的にしゃべったらいいやん」
「はい」
埠頭に十一時。
とんびは、一人で立っている。
どこから見ても、女だ。赤いスカーフがよく似合う。
十一時の汽笛が鳴っている。
背後から、橋場マリオ登場。
「大久保の奥さんですか」
「はい。マリオさんですね。テレビよりハンサムなんですね。大久保は、どこにいるんですか。私、大久保に会いたいんです」
「外国行ってもらいました。独身や、言うてはったから」
「私、内縁の妻なんです。世間には、内緒だったんです。いつまで待っても帰って来ないから、大久保の身に何かあったんじゃないか、思って心配だったんです。マリオさんのこと聞いてましたから、お電話したんです」
「口軽い男なんですね。もっと、口かたい思てました」
「ひどく、口軽いんです。酔うと、何でもベラベラしゃべるんです。聞いてないのに、とんびさんのこととか、まり子さんのこととか。まり子さん、主人の仕事なんでしょう」
「そこまで、しゃべってんのか」
「まり子さんのこと、邪魔やったんでしょう。けど、マリオさんのこと、愛してはったのに」
「何も、僕のことなんか愛してへんかったわ。あいつ、とんびが好きやったんや。何かいうたら、とんびちゃんが、とんびちゃんが、言うて。何がとんびちゃんや。あんな軽薄な男。あほや。ただのあほや。何も取り柄ない芸人やないか。子供できたいうたかて、とんびの子かもわからへん。僕の気持ちわかるか? ヘラヘラヘラヘラして、世渡り上手で。大嫌いやった、あの男。まり子、強姦させたった。泣いてたわ。泣いたらええねん。とんび、訴えられて、警察引っ張られよった。いい気味や。『ひどいわ』言うねんで。どっちがひどいんや。僕の人生、滅茶苦茶にしといて。今まで、どんな苦労した思う? いやな女と寝たり、いやな男のご機嫌とったり。それで、やっとスター歌手や。金もできた。成功への階段、ずっと先まで見えてるわ。何もかも思いのままや。やっと、人生、花開くねん」
「せこい人生やね」ととんびが言った。
「成功して、どうすんの。お金や名声で、何を買うの。何兆円あったかて、愛情や幸せ、買われへんのに」
「そや。やっとわかった。もう遅いけどな。もう、何もかも遅い。取り返しつかへん。大久保が言うとった。『待ってくれ言うても遅いんでっせ。死んだら、もう、帰って来ませんねんで』て。その通りやった。今になって、まり子のこと、愛してたことに、気ついた
んや。まり子も大久保も、もう帰って来いへん。あんたも、二人と同じとこ、行かしたる。もう、恨みないけど、知りすぎた罰や」
「やっぱり、うちの人、もう生きてへんねんね。まり子ちゃんも、死んでしまったんやね。そんな気がしてた。もう覚悟はできてる。私、あの人好きやった。心の底から愛してた。いいわ、殺して。あの人のいないこの世には、何の未練もないわ。殺して。早く殺して」
「まり子」
橋場マリオが、泣き崩れた。警官が、マリオを逮捕した。
「とんびちゃん、ようあんだけ悪口言われて、辛抱したわ。途中で怒って、役忘れるか思た」
「何でやの? マリオ、かわいそうやないか」
「とんびちゃん、一つ聞きたいことがあるんやけど。ずっと、大久保夫人になりきってたんか?」
「そうや。何で?」
「それならいいんやけど」
「何で? 何で?」
「もういい、言うたやろ。しつこい。そやな、なりきってたんやな。そやから、マリオ、何も疑わんとしゃべったんや。大久保の奥さんに、よろしく言うてくれ、言うてたそうやで」
「僕、急に悲しなってきた。ちょっとごめん。僕、泣くから、あっち向いててな」
「何で泣くの。そんなに、あの子、好きやったんか」
「うん。友達やもん。かわいそうやろ。あのおっさんも、きっとええ人やったんや。腕折るん、まけてくれたんやから。もう、話しかけんといて」
「主人、ビックリするやろな」
「話しかけた、アカン」
とんびと二人で、橋場マリオの公判を見に行った。マリオは、薄笑いを浮かべて、殺害の事実を認めた。
「アカン、見てられへん」
とんびは、途中で、席を立った。
「どないしたん、とんびちゃん」
「かわいそうで、見てられへん」
「誰が? マリオ、笑ってたやん」
「そやから、かわいそうや、言うねん。マリオ、まり子のこと、考えてんねん」
「何で、とんびちゃんが泣くの。大事なまり子ちゃん殺した犯人やないの。人が見てる。こんなとこで泣いたアカン。困ったなあ。泣きな、とんびちゃん。とんびちゃん泣いてたら、私も泣くよ。私が泣いたら、おなかの子も泣くからね」
「そんなこと言うたかて、もう止まらへん」
橋場マリオは、死刑から懲役刑に減刑された。そして、間もなく、獄中で病没した。穏やかな死に顔だったと言われている。弱冠二十二才の若さだった。




