波音にまぎれた境界線
卒業してしばらく経ったある夜。
しょう兄ちゃんに誘われて、
久しぶりの夜ドライブに出かけた。
助手席に座りながら、
私はふと、
子どもの頃のように甘えてみたくなった。
「ねえ、もう少しゆっくり運転して」
すると彼は、
微笑んで速度を落とした。
昔みたいに、
肩を借りて座り、
頭を撫でられる。
懐かしい感覚に、心がほっとする。
それから、
たまに夜ドライブに誘われるようになった。
話すことはたわいないことばかり。
でも、その時間が、
少しずつ、私たちの特別な時間になっていった。
ある日、
ドライブの帰りに海辺に立ち寄った。
波の音が静かに響く。
月明かりが水面に反射して、
夜の海が静かに光っていた。
「もう大きくなったな」
彼は笑いながら、
少し私を子供扱いしてくる。
——その言葉に、胸がちくりとした。
ふと、
私の手が彼の手に触れた。
衝動的に、
唇が重なる。
短く、静かなキス。
息が止まりそうになり、
心臓がぐっと跳ねた瞬間。
——そして、
彼が、私をそっと引き寄せる。
今度は、
しょう兄ちゃんからのキス。
大人の香りと温度が混ざるその唇は、
優しくて、でも力強く、
胸の奥まで染み込むようだった。
息を合わせるようにして、
私の体は自然に彼に寄せられる。
——幼い頃の兄妹ではなく、
大人同士としての触れ合い。
波音と夜風が背中を押す中で、
私は目を閉じた。
心の奥で、小さな戸惑いと、
新しい感情が交錯する。
でも、怖くはなかった。
私は、
もう一度だけ、
彼にキスをした。
——これが、
許されない罪だとしても。
後悔はしない。
だから、
どうか躊躇わないで。
心の中で、
そう願った。
彼は何も言わず、
私の手を取った。
そのまま、
車へと戻っていく。
——だめだったのかもしれない。
また、
あの遠い距離に
戻ってしまうのかもしれない。
胸が苦しくなって、
息が詰まりそうになった。
助手席に座らされ、
彼がエンジンをかける。
低い音が、
夜に溶けていく。
その沈黙が、
耐えきれなかった。
「……好き」
思っていたより、
声が小さかった。
「一度だけでいい……」
「だから、お願い」
震えていたかもしれない。
泣きそうな顔をしていたかもしれない。
でも、
目は逸らさなかった。
彼は、
ハンドルから手を離し、
深く息を吐いた。
「……ずるいな」
そう呟いてから、
ゆっくりこちらを向く。
その目は、
もう“兄”のものじゃなかった。
「奈々」
名前を呼ばれただけで、
胸がいっぱいになる。
「一度だけ、なんて言うな」
そう言って、
彼は私の頬に触れた。
優しくて、
でも逃がさない手。
唇が重なる。
さっきよりも深く、
確かめるようなキス。
——それは、
子どもに向けられるものじゃなかった。
息が絡んで、
心臓の音が近くなる。
私は、
もう戻れない場所に
足を踏み入れたのだと知った。
それでも。
怖くなかった。
夜の海は、
何も言わず、
ただ静かに波を打っていた。




