第9話 新宿ネズミは凍らない(3)
「終わった……?」
それを呟いたのはアラシヤマだった。
ヴラドは血だまりの中で首を捻切って倒れている。見渡す限り敵は他にはいない様子だ。
「ミノリさん!?」
緊張が切れたのか、力の抜けたように地面に倒れ込むミノリ。
アラシヤマはそれを見てすぐさま駆け寄ろうとするが、彼自身も脚がもつれてその場に倒れ込んだ。
「はは、少年も疲れてんじゃん」
「ふっ、ほんとですね」
疲労感と、緊張感の緩急と。そして抜けない興奮と。
精神的なものも肉体的なものも綯い交ぜになって身体が動かない二人。
頭を空っぽにして笑った。
しばらく待てば応援の人間が来るだろうと、気を緩めて笑った。
「はは、は」
「いつまで笑ってるんだよ、少年」
「え?」
もうアラシヤマは笑っていない。
そもそもこの嗄れた声は、先程まで聞いた声だった。
「逃げろ!」と、言ったのはミノリの声。
気がつけばアラシヤマの隣に血塗れの男が一人立っている。
ねじ切れたはずのその首はしっかり繋がっており、目は血走っている。
「まさか私が残機を減らすことなるとは、油断しました」
落ち着いた言葉とは裏腹にその手はアラシヤマの命へと伸びていた、純粋な殺意と共に。
泡沫で生み出された剣身がアラシヤマへと迫る。
一度力の抜けた身体はすぐには動かない。
身体は動かない。それでも目だけは、恐怖に見開いていた。
今度こそ、終わりか。
アラシヤマはせめてもの抵抗として腕で顔を覆った。
「はーい、そこまでにしてくれ」
ヴラドの背後、誰も気が付かぬうちに小太りの男が現れる。
「テンチョー!気をつけて!そいつは――――」
ミノリの言葉も止まぬうちにヴラドはテンチョーへと剣身だけの刃を突き刺す。
しかし、振り向きざまに放たれたそれはテンチョーに届くことはなかった。
「だからそこまでって言ってるでしょーが」
すぐさまヴラドの真後ろに現れると、そのまま自重の乗った蹴りでヴラドの横っ腹を打ち抜く。その蹴りは非常に重く、ヴラドの身体は数メートルもの距離を弾き飛ばされた。
「グフッ!貴様は!?」
「選択肢は二つだ。これからやって来る総勢二十名の泡沫持ちと戦うか、戦いをやめておとなしく帰るか。ちなみに俺は帰る方をお勧めするよ?」
一瞬の逡巡。
「他の有象無象はともかく、かの常在不在と戦うには些かきついものがありますね……?では、またどこかで?」
軽い爆発と共に巻き起こる砂埃。
そしてそれが晴れるころにはヴラドの姿はなかった。
「ふぅ、災難だったねー。みっちゃん、アラシヤマくん。ちょっとまっててな、応急処置を……あら、落ちちゃったか」
意識の飛んだアラシヤマとミノリ。
荒れ果てたモール内には二人の寝息だけが静かに聞こえていた。
◇
アラシヤマが目を覚ますと、そこは見慣れたベッドの上だった。
「終わったのか」
ヴラドがなぜか死んでおらず、テンチョーが現れたところまでは覚えている。ここに今いるということはあの戦いは終わったのだろうとアラシヤマは納得した。
不意に足音が聞こえ、そちらに目を向けるとノックもなしに扉が開く。
「おお!目が覚めたかー!少年!」
「ミノリさんも無事だったんですね!」
「もちのろんだよー。むしろ少年の方が重傷だったんだよー。三日も目覚めないんだから」
ミノリの無事を確認して安堵するアラシヤマ。
ずっと横になっていたためか凝り固まっていた身体をゆっくりと起こした。
「あいたたっ……と。僕三日も寝てたんですね」
テンチョー呼んでくるね、と部屋から出ていくミノリ。
「テンチョー!アラシヤマ少年が目ぇ覚ましたよー!」
しばらくして聞こえてきた、どたどたと慌ただしい足音に思わず笑みをこぼすアラシヤマ。
それは、無事に戻ってきたことへの安堵から生まれる柔らかい笑みだった。
「おお!無事でよかったよアラシヤマくん!」
「テンチョーに助けていただいたおかげで……」
アラシヤマはふと、視線を感じて扉の方を見た。
「あれ?」
その視線の先には扉の陰から室内を除く銀髪の少女がいた。
「ああ、そうだ。あらためて紹介しよう。あの後色々あってうちに住むことになった、アリスちゃんだよ」
「ヒラサカ アリスです。あ、あの時は……」
一歩前に出て緊張した様子で口を開くアリス。それをみてアラシヤマはふっと微笑んだ。
「君が無事でよかったよ。本当に、よかった」
ひどく優しい、慈しむような笑みをアリスへと向ける。
そんなアラシヤマをみたアリスの色白い顔が赤く染めあがる。
「あ、ああああ……ありがとうございましたぁああああああ」
叫びながら逃げるように部屋から出ていった。
「えぇ!?」
「あーあ。これはこれは、少年も隅に置けないねー」
ニヤニヤと笑うミノリ。
状況についていけないアラシヤマ。
「え!?それってどういう意味で……」
混乱するアラシヤマにテンチョーが声をかけた。
「アラシヤマくん。誇りなさい。彼女は君が命を張って助けたんだ」
「……僕が」
彼女を救った――テンチョーのその言葉に俯くアラシヤマ。
過去の後ろ暗い感情が不意に湧き上がってきた。
あの時見捨てたもの、向き合えず逃げた母親の事、嘘をついてここにいること、人を救えるほど立派な人間じゃ――――
「いいかい、アラシヤマくん。泡沫持ちは何かしら過去に重たいものを抱えてる。君にもきっとあるだろうし、それが何かは分からない。でも、今は誇れ。君は一人の少女の人生を救ったんだ」
顔をあげるアラシヤマ。
にかっと笑う、テンチョーがいた。
「今はそれだけで十分だろ?」
「はい!」
快晴のように破顔した。






