第8話 新宿ネズミは凍らない(3)
「ふへ、ふへへへあああああああ!」
狂ったように叫び出したのはヴラドだ。
踏みつけられたまま笑う、嗤う。
「とうとう気が狂ったのね」
「気が狂う!?違う!違うぞ赤薔薇嬢!私は感動しているのだ!貴女の力に、その研鑽に!」
まるでダメージがないかのように足を手で払い除け、その場で立ち上がったヴラド。
血が滴っているはずの頭には一切の傷も見当たらない。
「『ひ、ひれ伏しなさい!』」
「無駄だよ、赤薔薇嬢。貴女の泡沫はもう効かない。よく考えたものだ、言葉に力を乗せ相手に染み込ませることでの強制支配。だが、種が割れればどうだってことは無い」
多少は身体の重さは残るがね、とヴラドは肩をぐるぐると二回まわした。
「さて、そんな貴女を見込んでスカウトだ。『ギルド』を捨てて我ら『フラメルの意志』に入らないか?」
「お断り、よ!」
ミノリは素早く回し蹴りを放つが、ヴラドは容易く片腕で防ぎ、そのままミノリの足を掴んで持ち上げた。
「『ヴラド!離しなさい!』」
ミノリの命令に対してヴラドは少し手の指が動いた程度で反応を示さない。
「『 離せ!離しなさいよ!』」
「悲しいですねぇ、無駄だとわかっていながら抗うその姿勢。とうに枯れ果てた心が涙を流すほどに悲しく、虚しい……」
不意にがっちりと掴んでいた手を開いた。
「だから貴女に慈悲を与えよう」
「『我願うは慈悲への扉』」
突如、ヴラドの背中に三対の黒々とした翼が現れる。
「せめてもの救いを、苦しまずに終わらせてあげましょう」
ヴラドがその手を振り上げた。
◇
――――ぼんやりと、見ていた。
――――何も出来ないままに二人の戦いを。
――――いつだって自分は何も出来ない。
―― ――あの頃に戻ったような気がした。
――――いや、あの頃から何も変わっていないだけか。
アラシヤマは何も出来ずに見ていた、アリスを逃がした後にミノリとヴラドの戦いを。
ふとアラシヤマの脳裏に浮かぶのは三週間の記憶。
彼はこの任務に着くまで何もしていなかった訳ではない。泡沫というものについてドクターの元で学んでいた。
『いいかい?アラシヤマクン。発芽した泡沫は、血液のように循環して体中に流れるのダ』
ドクターは言っていた。練度をあげると泡沫は自由自在に動かせるようになると。
一箇所に集中させることも、均等に広げることも。
『そして、面白いのがここからダヨ。発芽してなくても泡沫自体は動かせるのダ。もちろん、量は少量だがネ』
泡沫持ちは身体能力が一般人と比べて多少上がるがこれは泡沫以外の別の要因によるものだ。
泡沫単体ではこれといった特徴は無い。 覚醒し発芽することにより固有の能力が産み出されそれが現象となるが、発芽前の状態ならばそれも関係ない。
しかし、発芽の有無に関わらず共通の特徴が一つだけある。
泡沫と泡沫は相殺する。
アラシヤマは思い出した。
話半分に聞いていた、自分にはそのチカラがないと思っていたから。
だが、今は違う。
知ってしまった、自分の中にその力があることを。
「どこだ……」
どこかにあるはずだ。
動かせる自分のチカラが。
身体の中に意識を向けるが何も感じない。
その最中もミノリとヴラドは激しい攻防を繰り広げている。
何も出来ない。
それが気持ちを焦らせる。
段々と劣勢になっていくミノリ。
ヴラドから黒々とした翼が生えてくる。
ああ、何も出来ないのか。
心の裏に浮かんだのは『絶望』だった。
「あ?」
その時感じた違和感、異物感。
意識を向けるとそれはゆっくりと動いた。
何も考えずに走り出した。
目の前ではヴラドの手刀がミノリに牙を剥く。
ここで止めなければ彼女は死ぬ。
我武者羅にヴラドの背中に飛びついた。
体制を崩したヴラドにすぐさま馬乗りになって殴りつける。
その両手には泡沫が纏われていた。
◇
ミノリが命を断たれようとしたその時、ヴラドは後ろから強い衝撃を受けて体制を崩した。
それまで意識の隅にすら置いてなかったアラシヤマからの強烈なタックル。
一瞬パニックを起こし、その隙にそのまま馬乗りに身体を押さえつけられた。
「ふっ、!ふっ!」
息を漏らしながら懸命に殴りつけるアラシヤマ。
ヴラドも反撃をしようと泡沫で爆発を起こそうとするが失敗する。
ヴラドの泡沫にはほんの一瞬の溜めが必要なのだが、その溜めの間にアラシヤマの泡沫で相殺されるのだ。
「くっ、そがああああああ」
不意にヴラドの六対の羽が輝いた。
すると、宙に現れたのは持ち手のない漆黒の長剣。それが三本。
己の意志を持ったように自由に動きアラシヤマの無防備な背中へと突き刺さらんとする。
「『その剣を止めなさい!』」
それを止めたのはミノリの言葉だった。
アラシヤマの方に意識が割かれ、ミノリの泡沫の相殺ができなかったのだ。
しかし、ミノリの言葉で意識を割かれたのはヴラドだけではなかった。
一瞬、ほんのワンテンポだけアラシヤマの手も止まる。
それを見逃さなかったヴラドはすぐさま爆発を起こし、その爆風でアラシヤマを弾き飛ばした。
「よくも、よくも!よくも!ヨクモ!発芽もしてない雑魚が私をコケにしやがってぇ! 」
すぐさま数十の剣を生成しアラシヤマへと向けるヴラド。
「『ヴラドはその剣を己に射出しなさい!』」
ミノリの言葉で自分に牙を剥く剣に、一つ舌打ちをしてかき消した。
「中和しようとすればガキが、ガキの相手をすれば貴女が。……やりにくいですねぇ?」
幾分か冷静さを取り戻したヴラド。
それに対して冷や汗をかくミノリ。
戦力と呼べるほどの力はないアラシヤマと効きずらいミノリの泡沫。
ヴラドが冷静さを欠いていたため優勢であったが、今の状況で倒せるのか。相手の泡沫は爆発と剣の生成。一人一種類のはずの泡沫をなぜ二つも持っているのかはこの際置いておく。
それぞれの力が強力なだけに、ミノリはここから勝てるビジョンが浮かばないでいた。
「アラシヤマ少年。警戒したまま話を聞いてくれ」
あくまでもヴラドへの意識は逸らさずに頷くアラシヤマ。
「ここから博打にでる。君には時間稼ぎを頼みたい」
「博打?」
「そうだよ。時間は三分間程なんだけど行けそう?」
「……やります」
「ふっ、頼んだよ」
真剣に頷くアラシヤマにミノリは満足気に笑った。
ヴラドの背後に回り込むように走るアラシヤマ。
「何をコソコソと話していたかと思えば……二手に別れたとて何か変わるとでも?」
身体はアラシヤマの方に向けるがそれと同時にミノリへと剣を飛ばす。
遠距離は剣で、近づいてきたら爆発。
その二つを使い分けながら巧みに戦うが、アラシヤマは回避に専念しているのか当たる様子がない。
次第にイライラとしてくるヴラド。
だんだんと当てることに躍起になっていき、何もしてこないミノリへの意識が遠のいていった。
「どうした?当ててみろよ?」
「口だけは立派なガキが!」
――――そこまで凡そ三分間。
「『自分の首をネジ切れ』」
ヴラドは絶命した。
書いてるうちに思ったよりボリューム出たのでもう一話続きます……