第7話 新宿ネズミは凍らない(2)
『私を見なさい、私に魅せられなさい』
それはミノリの言葉だった。
その言葉と共にミノリの服装が煽情的な黒いドレスへと変わる。
「さて、話をしましょう?平坂有栖さん」
それに対して有栖は応えない。
まるで何も見えていないかのようにぼんやりと二人を見つめている。
「少年はしばらくそこで待ってて」
一歩、ミノリが近づいた。
「やあ、アリスちゃんって呼んでもいいかな?」
相も変わらず反応はない。
また一歩ずつ近づく。
「おねえさんは、ミノリっていうんだー。アリスちゃんはいつからここにいるの?」
一歩ずつ近づき、ついに五メートル範囲に入る。
「お姉さんもね、似たような力持ってるんだー。アリスちゃんのは夏場とかによさそうだね!」
尚も近づくミノリにとうとうアリスが口を開いた。
「……いで」
「え?」
「こないで!!」
アリスの周囲五メートルにすさまじい勢いで氷柱が生える。
そしてそれは足を踏み入れていたミノリにも牙を剥いた。
「くっ……」
「ミノリさん!」
ミノリの右肩が浅く割かれて血が滴る。
アラシヤマが思わず駆け寄ろうとするも手で制された。
「大丈夫だよ、少年。泡沫は泡沫持ちには効きづらいんだ」
そうは言うものの、ミノリの負傷は明らかに大きい。
その傷をみて、アリスは静かに狼狽えた。
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃ」
「大丈夫だよ、アリスちゃん。ほらこっちへおいで」
血塗れの腕のままアリスに手を伸ばすミノリ。
そっと、アリスも近づいた。
――その刹那。
地面が爆発した。
その衝撃でタイルが巻き上がり近くにいたミノリやアリスに突き刺さる。
「ぐっ、アルバイト!あんたの力ですぐに客を逃がして!!そのままボスに連絡を!」
すぐさまに指示を飛ばすミノリ。
そのまま腕に刺さったタイルを抜きながら体制を整える。
すると土煙も止まぬままに、しゃがれた老人のような声がその場に響き渡った。
「おやおやおやァ?てっきり今ので死んだと思ってたんですがぁ……ねぇ?」
立ち込める砂埃の中から現れたのは中世ヨーロッパのタキシードのような服を身にまとった長身の男だった。
釣り目で表情を感じさせない顔立ち。先程の声の主である。
しかし、その声とは裏腹に見た目は若々しく、見た目だけでいえば20代半ばほどに見える。
「おぉ、これはこれはお嬢さん?なかなか頑丈ですね?」
首をコキコキと鳴らしながら近寄る男にミノリは後ずさる。
「何者かは知らないけどレディに対して随分だねー?」
「ふん、確かに失礼致しましたね?紳士たるもの先ずは名乗りから、私の名前はヴラド・ツェペシュ。かのニコラ・フラメルに恩寵を受けしセフィラが一人。ケセドのヴラドと申します。以後お見知り置きを?」
優雅に、そして愉快にお辞儀をする男。しかし、そこから出る威圧感は止むことはなくミノリはその男に対して勝てないと直観的に感じていた。
「ドラキュラ公気取りのおじさんがこんな所に一体なんの用で?」
少しづつ、確実に後ずさりながら時間を稼ぐミノリ。
「なに、良い泡沫持ちがいたのでね。回収に参った次第ですよ」
「ふーん。私を誘いに?」
「いえいえ、私が求めているのは平坂有栖。なのですが――」
後ろを振り向くヴラド。
しかし、そこにはアリスはいなかった。
ヴラドの視線の奥先には意識を失った彼女を抱えて外に出ようとしているアラシヤマ。
「逃げて少年!」
「逃げられるとでも?」
ヴラドの足元が爆発したかと思うとその爆風に乗りアラシヤマへと急接近する。
そのままアラシヤマへと手を伸ばすが、アラシヤマは咄嗟に抱えていたアリスを投げ飛ばしヴラドとの距離を離した。
「まだ、発芽もしてない少年のようですがしっかり身体能力はこちら側ですね?」
「何の話だ……」
時間を稼ごうとするアラシヤマだが、それを見透かしたかのようにヴラドはアリスの元へと歩みを進めた。
「『 こちらを見なさい!』」
それは、ミノリの声だった。
その声の方に視線を向けるアラシヤマとヴラド。
「『こちらに来なさい!ヴラド!』」
すると、ヴラドの足が一歩ずつミノリの方へと向かう。
その足は小刻みに震えており、自分の意思とは別に動いているかのようであった。
「ふぅ、やっと馴染んだね。ここからは貴方の好きにはさせないよ?」
「くっ、精神操作系の泡沫ですね?だが、そんなもの私の泡沫で中和してしまえばいいでしょう?」
ふっ、とミノリは笑う。
「できるわけないでしょ」
腕を組み、コツコツと足音を立てながらヴラドに近くミノリ。
大きく背中の空いた漆黒のドレス。傷口から滴る血液すらもアクセサリーのように彼女を彩る。さながら戦場に咲く一輪の花、などでは無く戦場を支配する美しい薔薇。
「愛は言葉、言葉は音。音は身体に染み渡り、そこに乗った意味は心まで届く。私の声を聞いたならば私の愛を受けたならば、迷わず私を愛しなさい」
「その語り口、この力、貴様まさか赤薔薇嬢か!」
ヴラドの身体は抵抗しながらもミノリの元へと惹き寄せられ、終いにはその場に頭を垂れる。
ミノリは妖艶な笑みを浮かべ、その色気と共に足を振り上げ――そのまま踏み抜いた。
「あらあら?口調が崩れているわよ?紳士様?」
地面へと沈むほど踏みつけられた頭。
その血飛沫でミノリの身体に赤い薔薇が咲く。
「ふ、ふへ……。ふへへへへへぇ」
ヴラドはぐしゃりと歪んだ笑みを浮かべた。