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第31話 全面戦争6

 彼が帰ってきた時、明らかに憔悴していた。

 何も、出来なかった。


 マスターの訃報が耳に入った時、彼は塞ぎ込んでいた。

 またしても何も出来なかった。


 そして、彼が再び顔見せた時。

 何もかもが変わり果てていた。

 直感的に理解した。マスターの死で壊れてしまったのだと。


 そして、覚悟を決めた。

 もう彼があんな顔をしなくてもいいように、もう彼がこれ以上壊れることのないように。


 私が、彼を蝕む全てを凍らせる。彼に届く前に私が砕く。


 それは、ヒラサカ アリスの覚悟であった。



 ◇


 アリスが手をかざすとそれに合わせて氷柱が噴出する。まるで自我を持っているかのように自由自在にヴラドへと向かう氷柱。だが、ヴラドの方も当然のような顔をして浮遊する剣で迎え撃つ。


「すこしは、戦えるようになったようですね?」


 アリスの攻撃を受け流しながら余裕綽々と言葉を零す。

 次第に増えていく氷柱。数としてはアリスの圧倒。

 だが、それを許さないヴラドのパワー。

 風を切る剣が全ての氷柱を砕く。


「して、氷柱ばかりで攻撃が単調なのでは?」


 もはや視界を覆うほどの氷柱がヴラドを襲うが、変わらず全てを剣で弾く。

 一方的な言葉にアリスからの返答はなく、ただひたすらに氷柱が砕けるシャリシャリとした音だけが響く。


「これは面倒ですねぇ?クレオパトラは……無理なようで」


 防御一辺倒、これ以上手を出せることはない。

 クレオパトラの反応もなく、今すぐの助けも望めない。

 負けないが、勝てない。

 二人の戦いは膠着している。



 ◇


 アリスがヴラドとの戦いを始めた頃、ミノリとクレオパトラは別部屋へと移っていた。


「あら、大人しく着いてきてくれるのね」

「アリスちゃんの邪魔になっちゃうからねー」


 ダラダラと話しながら移動するその様はとても敵同士とは思えない。

 だが、この裏でそれぞれが牽制をしあっていた。

 言葉に、視線に、それぞれの泡沫を乗せながら。


「まあ、私としてもあの二人に巻き込まれるのはごめんだから、ちょうど良かったわ」

「ふふ、あんな激しい戦い。おばさんにはキツいよね」


 刹那、空気が凍った。


「――――あ?」

「いやいや、もう歳だろうしきついでしょー?」

「この……若いだけの小娘が。言うじゃない」

「あら、年齢がコンプレックスでした?それはそれはごめんなさい」


 際限なく煽るミノリに、クレオパトラの形相が歪む。

 もう、許さない。と、その手をミノリに向ける。


「あなたは愛を知らない。だから誰からも愛されない、誰も愛せない」


 ――――だからせめて、私を愛しなさい。


 ミノリは泡沫の中に囚われた。


 ◇


 揺蕩う意識の中で感じていた。

 それはなんてことの無い孤独であった。


 今までの私の続きでしかない、ただの孤独だった。


 だが、それに愛が差し伸べられた。

 知らない愛。だけど、暖かい愛。


 思いに割り込むようにふと思い出すのは過去のこと。


 当事、10歳の誕生日の事。父親が不意に消えた。

 その日を境にお母さんは私に対して冷たくなった。

 そして、終いにはお母さんは冷たく動かなくなった。

 

 私とお母さんを捨てたあの男は、のうのうと生きている。全てが壊れた先に出会った組織にいた。アルバイトなどとふざけた名前で働いていた。


 許せなかった。

 けど、復讐をする気も起きなかった。


 結局私は、お母さんも嫌いだったから。


 彼女から愛は貰えなかったし、だから私はほかの人に与える愛も知らなかった。


 だから私は大人になれなかった。


 愛も優しさも知らないままに身体だけが成長したから。


 だから、この優しさが。


 今感じている暖かさが。



 ――――心底気持ち悪い。


 思考の微睡みから浮き上がる。


 気持ちの悪い愛に包まれていたその中から再び孤独へと戻る。



「くそっ!あの時の男といい!アンタといい!なんで私の泡沫が効かないのよ!」


 気持ちの悪い愛を向けた女が私に叫ぶ。

 そんな泡沫、私に効くわけがない。


 だって私は愛されたい訳じゃない。

 愛したい訳じゃない。


 ただ、



「『私を見なさい。私に魅せられなさい。私の言うがままに、踊りなさい』」


 全てを支配したいだけなのだから。


 何色にも染まらない、黒いドレスがミノリを包み込んだ。


「どうして!貴女は愛が欲しいはずで!貴女は愛を貰えなかったはずで!私の泡沫が言ってたのに!」


 ヒステリックに叫ぶクレオパトラ。

 彼女にはミノリの心中が理解できなかった。


 ミノリの心を覗いた時、確かに彼女は愛を持っていなかった。

 愛を与えられず、誰にも与えることができず。

 空っぽの心だった。


 だから、与えてやった。

 愛を埋め込んであげた。

 もう私無しでは生きられないほどに愛を注いだ。


 なのに。



「気持ち悪いもん詰めてんじゃ無いわよ!」


 どこからが飛んできた拳大の石が、クレオパトラの側頭部を穿つ。

 泡沫持ち特有の身体強度で致命傷には至らない。とはいえかなりのサイズ。

 その一撃は確実に大きなダメージを与えた。


「どう、して!どうして!」

「私は愛なんて知らない。貴方が言ったんだよ。愛を貰えなかった。だけどね、私は愛なんか欲しくなかった。そもそも貰えなかったから知らなかったんだよ」


 だから、私は全てを支配したい。そう言いながらその場の全てを支配する。

 彼女が操る石は床を剥がしたものであった。

 それ故に攻撃が激しくなるほどにその数は増えていく。余波で床が砕けるほどにミノリの手数も増えていく。



「何度でも言う。私は愛を求めない、だから貴女を愛さない。そもそも他人に興味なんてないの」


 誰かが言っていた、愛とは執着であると。

 誰かが言っていた、愛を与えられることは救いであると。

 誰かが言っていた、愛そのものを必要としないものは等しく化け物であると。



 愛を押し付ける泡沫と、支配を押し付ける泡沫。


 どちらも縛り付けるものではあれど、その本質は根本的に違った。

 

「ただ、私の意のままに沈め」


 赤い、紅い鮮血が舞う。

 情熱のように熱く、傲慢な程に赤い。 

 黒いドレスに飛び散ったそれは、染み込むことはなく表面を流れた。


 そうしてミノリ対クレオパトラは、彼女が愛を知らぬゆえに一方的な決着で幕を閉じる。ミノリの新たな自己理解のみを残して。


 自身の愛の不必要性を学んだミノリは、細切れの死体を前に楽しそうに笑い声をあげた。


 

 

  

 

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