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第25話 アラハバキ終

 瞼を腫らしたアラシヤマは、俯きながらも帰還する。

 アルバイトは、相変わらず何も言わない。


「マスターは、帰ってきますよね?」


 アルバイトは、何も言わない。

 拠点の扉をゆっくりと開ける。

 伽藍堂の店内。任務に赴く前にマスターが丁寧に洗っていたドリッパーは、もうとっくに乾いていた。


 シワの寄った資料を無造作にポケットからだす。

 まだ明かりもつけていないリビングの机に、無造作に置かれる二組の資料。


 あれから数時間は経っただろうか、マスターは無事に逃げきれた頃であろうか。

 アラシヤマの落ち着かない心に思考が巡る。


 そんな時、ふと、背後に優しい気配を感じる。


 振り向いても当然誰もいない。

 だが、自然と涙が零れた。

 溢れるようにではなく、宙に尾を引くほうき星のように零れた。


 そして、それはゆっくりとアラシヤマの頬を伝った。

 


 ◇


 そして、その頃。

 とあるホテルの薄暗い部屋の中。


 「ああ、くそ。……どうして」


 そこにあったのはネズミの姿。

 項垂れるようにして、ひとり嘆く。

 

 彼は知ってしまった、 その全知によって。

 最も恐れていた最悪の結末を。


 「ああ……あぁ。俺は、ボクは、僕は。……何も守れない」


 否定したくても情報がそれを許さない。

 こうなる可能性はいくらでもあった。

 だが、彼を送り込んだ。彼を失う可能性があって尚、彼を送り込むしか無かった。


 それが、人類を護るために最前の手段であったから。


 「俺は人類を守らねば。ギルドのボス、新宿ネズミとして。俺が人類を守らねば。知恵のアーカイブとして」


 呪文のようにブツブツと呟く。

 まるでそれは自己暗示。いや、自己洗脳とでも呼ぶべき行為。 


 狂っていたのかもしれない。

 違う、もはや泡沫を持っている時点で狂っていたのだろう。

 彼の心の中にあるのは義務感と、強迫性の正義感。

 それらでもってどんな犠牲すらも正当化しようとする。


 新宿ネズミは正義であった。

 どこまでも狂った正義であった。


 正義のためには全てを切り捨て、護るためにはどんな犠牲をも厭わない。


 それでも、マスターの死に涙が流れた。


 「それでも、世界は守らねば」


 彼はどうなろうと正義であった。

 孤独であり、孤高であり、その心がどんなに悲鳴をあげようとも正義を遂行する。

 そうしないと、呆気なく世界が壊れることを知っていたから。


 彼は知りすぎていた。

 だから、一人で抱え込む。


 「俺は、何も知らねぇ」


 その口癖で全てを隠して。


 ◇


 それは、虫の知らせと呼ぶには些か生々しい感覚であった。

 言ってしまえば泡沫の知らせ、とでも言うべきか。


 その形でマスターの訃報を受け取ったのは、アラシヤマだけではなかった。


 幼少期からの無二の友人、テンチョーもその一人であった。


 「みっちゃん、ちょっと一人にさせてくれ」


 そう言って独り部屋に籠る。


 何時かこうなるであろうことは分かっていた。

 だが、それが来るには余りにも早すぎた。


 ふと思い出すのは先日の一件。

 あの時、もっとちゃんと話していれば変わっただろうか。

 少なくとも喧嘩別れのような別れ方はしなかっただろうか。


 「ああ、クソ!くそぉぉぉぉ!どうして!アイツは!あいつはそんな簡単に……」


 やり場のない怒りの根源は彼を死地へと送ったネズミに対してか、それともこうならざるを得ない世界に対してか。

 

 それとも、あの日の自分に対してか。


 テンチョーの慟哭は、誰にも聞かれず世界に刻まれた。



 ◇ 



 それは、とある喫茶店で行われた。

 喪服を着て集まるのはマスターと関わりの深かった面々。

 まるっきり表情を無くしたアラシヤマもそこにいた。

 そして、怒りを隠そうともしないテンチョーの姿も。 


 「俺は、コイツを兄弟のように思ってた。先代から拾われて、一緒に成長して、一緒の方向に進むと思ってた」


 両の手を強く握る。

 食い込んだ爪が血を流すほどに強く。


「なぁ、ボス。コイツは死ななきゃならなかったのかねぇ」


 マスターは面と向かって苦言をぶつけるが、ネズミは何も返さない。


 「ああ、そうかい」


 どこか失望したように押し黙った。

 そして、それを見かねて口を挟んだのはドクター。

 相変わらずの仮面姿ではあるが、今日ばかりは白衣ではなく喪服に身を包んでいる。

 

 

 「ボス、私は変えなきゃならないと思うがネ」

 「……なにをだ?」


 そこで初めて重い口を開く。


 「世界ヲ。とでも言うべきだろうかネ。君のやり方じゃ、その博愛主義じゃ犠牲が消えることはないヨ」


 ネズミの無表情だった顔が、不快げにくしゃりと歪む。

 

 「例えそれで何を失おうとも。世界は護らなきゃなんねぇんだよ」

 「だガ、君のそのやり方じゃ……」


 うるせよ。と、話を終わらせた。


 それ以上は誰も何も言えなかった。

 

 ネズミを恨んだとて仕方がないことは誰もが分かっていたし、マスターがそれを望むはずが無いことは分かっていた。


 だから、誰も何も言えなかった。


 マスターの死を契機に産まれたそれは軋轢と呼ぶ他ないだろう。


 あるものは、破壊に。

 あるものは、変革に。

 そして、あるものは現状維持に。


 たった一人の男の死をきっかけにそれぞれの方向性に歯車が動き出す。


 

  

 


 

 


 

 

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