第22話 アラハバキ5
アラハバキ5
乱雑に紙束が積み上げられている。
それを掻き分けるように探すのはアラシヤマとクレオパトラの二人。
「くそっ、なんで今どき紙なんか使ってんのよ」
鬱陶しそうに愚痴を零すクレオパトラ。
彼女の言う通り、全ての情報を紙で書き記しており電子機器の一切がそこにはなかった。
「ごめんねー、アラシヤマくん。私の記憶では資料室の場所までしかわかんなかったの」
謝りつつも、表情の険しいクレオパトラ。
何せタイムリミットは刻一刻と迫ってきている。
そんな中でふと、手を止めたのはアラシヤマ。
紙束の中に視線が吸い込まれる。
まるでそこから引力が発生しているかのように視線が話せない。
『黒衣の王についての記述』
その一文に嫌に惹かれる。
懐かしいような、何かを思い出すような。
『黒衣の王』その名がカリカリと記憶を引っ掻く。
「ねぇ!手が止まってるよ」
その甲高い声で現実に引き戻される。
すみません、と一言謝るとその資料をポケットに押し込んだ。
「ないなぁ」
口調は穏やかだが、それに反するように表情は険しい。
眉間にはシワが入り、資料を掻き分ける手つきも荒々しい。見つからないからと更に書類の山を崩す。
「アラシヤマ、動かないで」
その時、扉を挟んだ外から靴音が聞こえた。
凍りついたように手が止まる二人。
一歩一歩、足音が近づいてくるのがわかる。
アラシヤマの身体は微塵も言うことを聞かない。まるでコツコツと歩いてくるその音を掻き消すように、止むことの無い心音が嫌に大きく聞こえる。そして、そこから逃がさないと言わんばかりに緊張で身体が磔にされた。
段々と近づく音はもうすぐ扉の前だ。
「扉が開けられそうになったら物陰に隠れなさい。そしたら、私が何とかするから隙をついて逃げなさい」
そんな言葉を聞き、なんとか身体に言うことを聞かせる。
一歩。一歩近づく。
そして、そのまま扉の前を過ぎ足音は遠のいた。
アラシヤマの全身から力が抜ける。
そして、それはクレオパトラとて例外ではなく。
少し疲れたように視線を落とした。
「よし、続きを探すわよ。時間が無い」
切り替えたように探し出す。
そして、そこから探すこと五分程。
不意に手を止めるクレオパトラ。
それに合わせてアラシヤマの視線も彼女へと向く。
「あった」
そう一言呟いた彼女の手にあった書類。
『アラハバキ降臨についての記述』
中身を確認しようともせず、即座にアラシヤマに押し付ける。
それをポケットに押し込むアラシヤマ。
「よし、もうこんなとこに用はないわ。派手に出るわよ」
そういうや否や、アラシヤマの手を引き小走りで外に出た。
途中何人ものフラメルの意志の構成員とすれ違い、時に声をかけられるが無視を決め込み、ひたすらに進む。
そして、突如後方から大きな爆発音が鳴り響いた。
「くくっ、アルバイトがやったな」
もう教会の出口が見え始め、段々と口調が崩れだすクレオパトラ。
構成員達は皆爆発元に足を進めており、出入口には人がいない。脱出は最早、このまま成功するように思われる。
「なあ、アラシヤマ。帰ったら焼肉食おうぜ」
「おお、いいですね!この前みたいに庭でやりましょう」
「いいな。せっかくだしみっちゃんたちも呼ぶか」
そんな軽口を叩き合う。
「ちゃんと、テンチョーとも仲直りしなきゃダメですよ?」
「おま、それ誰から聞いたんだよ」
「ふふ、アルバイトさんです」
楽しそうに、笑い合う。
この後は任務成功の祝勝会だと。
出入口から二人は飛び出る。
もうその頃にはクレオパトラはマスターの姿に戻っていた。
二人で走りながら逃げ出す。後は帰るだけだと、二人で駆ける。
そんな中、アラシヤマは幻視していた。
皆で騒ぎながらBBQをする光景を。
テンチョーとマスターはなんやかんや仲良く飲み交わし、ミノリは酔ってネズミに甘える。
それをアリスと一緒に肉を食べながら笑い、アルバイトが黙々を肉を焼く。
アラシヤマは思い出していた。
マスターと過したこの数日間を。
彼は感情が豊かだった。まるで泡沫持ちではないかのように、明るく、活発で、時に暗く悩む。
何も無かった幼少期に戻れたような気さえしたし、泡沫持ちでも壊れた心を取り戻せるような気さえした。
――――だが、それらは爆音と共に砕かれる。
「おやおや?ネズミが入り込んでると思えば、どこかで見た顔がありますね?」
「アラシヤマ!このまま真っ直ぐすすめ!アルバイトが待ってる!」
後ろに現れたのはいつか見たヴラドの姿。
敵襲を察したマスターが咄嗟にアラシヤマに声をかける。
「おい!早く行け!」
「でも……マスターが」
マスターを一人残して行くことに逡巡するアラシヤマ。その思考が足を止める。
その隙に、アラシヤマに向かってくる一本の剣。ヴラドのものだ。
思わず腕で顔を覆うアラシヤマだったが、衝撃は一向に来ない。
「なん……で?」
恐る恐る目を開けると、マスターがその剣を素手で掴んでいた。
刀身しかないその剣はマスターの手のひらを傷つけ、血が垂れる。
だが、それ以上のダメージは無いようでそのままニカッと笑みをこぼす。
「大丈夫だ。俺はかの偉大なるネズミの右腕で『変幻自在』のマスターだぞ?安心して進め。後で合流するから、な?」
そう言って、アラシヤマの頭にぽん、と手を置く。
「焼肉、ですからね?」
「おう、任せろ」
アラシヤマは走り去った。
もう後ろは振り返らない、全力で走る。
例えそれが、今生の別れのような気がしていたとしても。
彼は言ったのだ、大丈夫だと。
彼は言ったのだ、安心して進めと。
交わした時間は短くとも、そこに信頼は産まれていた。
まるで、父親のようであり、兄のようであった。
優しかった、暖かかった。
何故かポロポロと涙が溢れるが大丈夫だ。
彼は約束したから。
恐らくあそこにいるのはヴラドだけでは無い。
他のセフィロトも沢山いる。マスターが扮していたクレオパトラだって帰ってくるだろう。
誰もが、ダメだと思うだろう。
誰もが、彼は死んでしまうと思うだろう。
だが、きっと彼は……。
「こっちです!アラシヤマくん!」
そう言って扉を開けて待つのはアルバイト。
直ぐさまその車内に転がり込む。
扉が開いたまま動き出し、それに手を伸ばし無理やり閉める。
「大丈夫です。マスターは死なないです」
そういったアルバイトにアラシヤマは頷く。
顔をグシャグシャに歪ませて、瞼に収まり切らない涙を零しながら。
なんども、何度も頷いた。
彼はあんなところで死にはしないと。
自分に言い聞かせるように頷いた。




