第17話 護家鼠 終
何も問題はなくとは行かなかったが、新垣議員護衛の件は成功ということで処理された。多大な死者を出しつつもの成功と言う形で。
「んで、マスター。ボスはなんて言ってんだよ」
閑古鳥の鳴く喫茶店の中、普段より荒々しい口調で問うのはテンチョー。それはどこか苛立っているようで、右足を忙しなく上下に揺らす。
「まあ、上手くいってるってよ」
それとは対照的に落ち着いた様子でカウンターに寄りかかり、ぼんやりと紫煙を吐き出すのはマスター。
吐き出した煙は宙に溶けて消えるが、その行方を追うように虚空を見つめる。
「上手くいっ……そうかよ。上手くいかねぇもんだな、何もかも」
テンチョーは納得いってないように一瞬感情を露わにするが、それをグッと飲み込んだ。不貞腐れるように珈琲を飲み干す。
マスターもそれに特段反応を示すことは無いまま、灰皿を煙草で叩く。
「なあ、テンチョー。店長が亡くなってから、もう10年以上たつんだぜ?俺らも遠いところまで来ちまったよな」
「ああ?なんで今更爺さんの話を」
「いや、ふと思ったんだ。俺とお前で店長の意思を意志を継ぐなんて言ってよ。糞ガキだった俺らも育てる側になってさ……」
感傷に浸る、と言って終わらせてしまうには些か想いが乗りすぎていた。
テンチョーもどこか遠い目をしているが、はっと思い出したようにニヤリと笑う。
「なーに言ってんだ。お前は誰も育ててねぇだろ」
「はっ、そりゃそうだな」
くだらねぇ、と笑う二人のその瞳には笑い声と裏腹に哀愁が籠っていた。届かぬ過去を懐かしむようでいて、過去の後悔を拭いきれないような瞳である。
それにしても、とテンチョーは話題を変える。
「お前は最近何してんだよ」
「そりゃあ、この店が赤字にならないように必死に経営をだな……」
はっ、と鼻で笑うテンチョー。
「せっかく、爺さんから引き継いだ店を落ちぶれさせやがって……って、そんな話じゃねぇよ。分かってるだろ?本職の方、ギルドの仕事の方だよ」
さも軽いことのように笑いながら言うが、テンチョーへと返ってくるのは真顔と沈黙。
「なら、言えないのも知ってるだろ?」
それを聞いて項垂れた。
「ああ、そりゃそうだな」
寂しそうに呟くその様は、普段の飄々とした様からは想像もつかないほどのものであり、ミノリやアラシヤマが見れば驚くであろう。
そもそも、ここまで感情を表に出すのが珍しいのだ。彼はミノリの上についたその時から、感情に仮面を被せているのだから。
「てか、急に訪ねてきたかと思えばしみったれて、結局お前は何しに来たんだよ」
ぶっきらぼうに言い放つマスターに、顔を上げるテンチョー。
口をもごつかせ言い淀む。
「なんだよ、さっきから。言いたいことがあるんだろ?」
マスターの急かすような言葉に非常に言いづらそうに、重たい口を開く。
「なぁ、ボスって何を考えてるんだ?」
それは、泣きそうな顔にも見える。
不安気で、壊れそうで。
マスターは答えない。
「なぁ、あの人はなにをしようとしてるんだ?みっちゃんも、アリスちゃんも、アラシヤマも。アイツらを使って何をやろうとしてるんだよ!?」
語気が荒くなるが、マスターは押し黙ったままである。
「なあ、マスター。知ってるだろ?普段起きないようなことが立て続けに二度も起きてる。フラメルの意志とかいうイカレ集団の襲来、それが終わったかと思ったら野良の泡沫持ちが徒党を組んでやがる。今思えば、アラシヤマを拾ったのもおかしかった。なんであいつが都合よくうちの裏に寝てるんだよ!なぁ!?なんでそれをボスは知ってるんだ!?ボスは俺らを使って何をしようとしてるんだよ!?」
段々と温度感の上がるテンチョー。声量が上がり、語気が荒くなる。
だが、マスターは何も言わない。まるで何も言えないように押し黙る。
「だんまりかよ……。ああ、分かってたよ。どうしようもないことは知ってたはずだ。初戦俺らはあの人のコマでしか無いかもしれないな」
「それは違う!!」
何も言わなかったマスターが不意に口を開いた。それも、かなりの声量で。
二人以外誰もいない店内に、残響が後をひく。
「それは、違うんだ……。あの人は、ボスはなるべく問題が起きないように。なるべく穏便に俺らが笑って過ごせるように動かしてくれてる。何も言えないが、それだけは……分かってくれ」
ここはもしかしたら、亀裂のはじまりかもしれない。
ここはもしかしたら、いつか芽吹く間違いの種かもしれない。
ただ、確実に言えるのは、彼らの道は分かたれた。
到着点が同じ場所であっても、同じ道程を進むことはなくなった。
そして、ここで間違いがあったとすれば、彼らのボスであるネズミ自身も壊れていた事、そして彼ら自身もとっくに壊れていたこと。
それ故に、彼ら一人一人が他者の感情を思いやることに大きな欠落があった事。
「わりぃ、邪魔したな」
そう言って席を立つテンチョー。普段はここでそのまま席を立ち、マスターが「お代を払えよ」なんてやり取りを冗談めいてするのだが、もうそんな雰囲気ではない。
それどころか、普段は出さないコーヒー代を払って席を立つ。
「……まいど」
それはテンチョーからの手切れ金であったかもしれない。
それは、いつか返すためのコインだったかも知れない。
もしかしたら、どちらにもなりうる小銭だったかもしれない。
複雑な感情のまま、マスターは300円を胸ポケットにしまう。
「また、来るよ」
ぎこちない笑みを浮かべて、テンチョーが店を出た。




