4 さる夢
「な、内定もらえた……!!」
就活が、とうとう終わりを迎えた。
苦しい時間だった。しばらくスーツがトラウマになるくらいには苦痛だった。
けれど、それももう終わった。
今日はぐっすり眠れそうだ。
いつものように夢の世界を訪れたが、何か違和感を覚えた。いつもの森であるはずなのに、シンと静まり返っている。木々も草も風に揺れていないのだ。
「おはよう、キサラギ」
「?」
クロが目の前にいた。
けれど、服装がいつもと違う。
「今日はなんか、キラキラしてるね」
いつもは麻みたいな素材の服だったのに、今日は明らかに質が違う服を着ている。
そうまるで、王侯貴族が着るような………。
「ああ、今日は記念すべき日だからな」
「へぇ~、何かお祭りがあるの?」
「そうだな、そうしてもいい」
「?」
話がみえない。
クロは何が言いたいのだろうか。
「さあ、こちらにおいで」
差し伸べられた手を掴もうとした瞬間、脳内に警鐘が鳴り響いた。まるで、この手を掴めば二度と逃れられないような、そんな感覚。
「………ねえ、なんでこっちに来ないの?」
クロは微笑んだまま、目を細める。
早くこの手を掴めというような視線。
「!」
伸ばしかけた手を引っ込める。
これは明らかにおかしい。
私の様子に微笑みを一瞬消した彼は、苛立ったように足を進めようとした。けれど、彼が一歩踏み出すことはなかった。
視線を巡らせれば、彼はあるラインで立ち止まっているようだった。
(あ、これ、向こうに行ったらだめだ)
「ごめん、そっちには行けない」
そう言った瞬間、彼の顔から表情が消えた。
虚無といってもいいほどの顔にゾッとした。
クロのあんな顔、見たことない。
「こちらに来い」
「行けない」
「何故だ」
「なんか、そっちに行ったらもう帰れない気がする」
私の言葉に、彼は目を見張った。
そして、綺麗に微笑んだ。
それを見て、私は恐怖した。
あれは、獲物を狩るケモノの目だ。
「勘がいいんだな。………だが、手遅れだ」
ドゴッ ドゴッ ドゴッ
「!?」
突然、足元から赤い鎖が現れた。
地面からはえたそれらは、一斉に私へ襲いかかった。
瞬発的に、私はクロがいる反対方向へ走った。
鎖が追いかけてくる。
冷や汗が溢れ出る手のひらを握りしめ、私は懸命に走った。しかし、とうとう赤い鎖に手足を絡め取られた。
ズリズリ…… ズリズリ……
どんどんクロがいる方向へ引きずられる。
ズリズリ…… ズリズリ……
「おかえり。………こんなに汚れて、怪我はしていないか?」
「………っ!!」
彼がいる場所まで来てしまった。
あの境界を越えてしまえば、私は…………。
「お願い!早く目を覚ましてッ!!」
ガバッ
「ハァッハァッ……!」
目を覚ますと、私は脂汗で服が濡れていた。
時計をみれば、まだ6時になる前だった。
汗の気持ち悪さに朝風呂へ入った。
「あれは夢……あれは夢……」
その日から私は、体を酷使するようになった。
ある日は本を大量に読み、気絶するように眠り、
ある日は外を走り回り、気絶するように眠り、
ある日は滅多に飲まないお酒を飲んで眠った。
これらは全て、夢をみないための手段だった。
「ま、まさかあの夢が都市伝説に出てくるアレだったとは……」
そう、あの電車の夢である都市伝説。
まあ、今回は電車ではなかったが、それに近いものを感じた。あの夢も都市伝説の夢も、現実に侵食してくることは共通している。
「あれは絶対、私を向こう側に連れていく気だった……」
流石にまだ死にたくない。
就活も落ち着いたし、お祓いにでも行こう。
スマホを取り出し、神社と寺を調べる。
「……あれ?お祓いってどっちだっけ」
不信心な私は、まずお祓いする場所について調べ始めた。夢から目が覚め、安堵していたこの時の私は能天気だったとしか言いようがない。
この後、夢に追われるようになるとも知らずに。
「おかえり」
「こちらへ来い」
「キサラギ――――」
お祓いは意味がなかった。
くそう!あの神主さん、実力不足だったか。
「キサラギ、もう諦めろ」
「ふん!やなこった!」
今度はお坊さんにお願いしよう。
きっとこの男を振り払ってくれる。
「キサラギ、俺はお前と一緒に生きたいだけだ」
「私も生きたいんだよ!」
そっち行ったら死んじゃうでしょうが!
私は今日も森を駆け回っていた。
もちろん、赤い鎖は後ろから追いかけてきてる。
「しつこいよ!もう諦めるか別の人にしてよ!」
流石は怪異と言うべきか。
その執念深さは感服するものだった。
毎夜私を夢で追うくらいには粘り強い。
「へぶっ」
あ、転けた。
その瞬間、私はしっかりと鎖に囚われた。
「ああ、やっと……」
手足を捕らえられ宙吊りにされた私は、クロの前に差し出された。両手を広げ、私を捕らえようとしている。
「わあああーー!!わたしはまだ死んでなるものかあぁーー!!」
諦め悪く叫んだところで、今日の夢は終わった。
【クロヴィスside】
彼女との狩りは甘美なものだった。
獣の性を理解していない彼女は、懸命に逃げ回る。
逃げれば逃げるほど獣の本能を刺激することも知らずに、彼女は逃げた。
「愛らしい」
彼女はこの世界から逃げられない。
すでに因縁は結ばれた。
彼女の体には、すでに何百という楔が打ち込まれている。それらは彼女の中で絡み合い、この世界、いや、クロヴィス・デ・ドリートと深く繋がってしまった。
「彼女を捕らえたら、魔術師たちに褒美をやるか」
彼女に幾重ものあの首輪をかけられたのは、彼らの尽力があったからだ。
彼女はすでに檻の中にいることを知らない。
だが、それでいい。
「希望は最後に挫くものだ」
赤い鎖を弄び、玉座で肘をつく王。
その不気味な王の様子に、王城の者たちは戦慄していた。今までは完璧すぎて近寄りがたかったが、今は得体が知れなさすぎて近寄れない。
しかし、それを本人に進言できる者はおらず、王城では静かに狂気が渦巻いていた。