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1 サウナ暴走親父

ここに出てくることは、だいたい本当に起こったことです。実際、私の目の前でお爺さんが「いきものがかり」のマフラータオルを使って股間を洗ってから風呂に入ってきたし、風呂の底に大便のような丸い塊を目撃したことも事実です。スキンヘッドの方が、タオルを棒状に丸め、殿様がするチョンまげの様に頭にのせていた人も実際にいました。

スパやサウナで目撃した変な人のことを誇張し、妄想で味付けして小説にしてみました。「ペニス」という単語が沢山出できます。恐らく「ペニス」という言葉の発生数は小説史上1位だと思います。内容は下品なパロディです。

タイトルは大江健三郎の「死者の奢り」シモーヌ・ヴェイユの「重力と恩寵」ノーマンメイラーの「裸者と死者」をもじったつもりですが、内容は全く同期していませんし、できません。書き出しは「死者の奢り」を意識していますが・・・メイラーの「裸者と死者」は絶版になっていますが、素晴らしい小説ですので、文庫で再販をしてほしいでものです。第三話は「犬神家の一族」の登場人物をいじって名前をつけました。犬神家で有名な湖から足が突き出ているシーンのマネで、湯船から腕が突き出ているシーンを書きました。これは私がスパの湯船で実際に目撃したことです。

全体に、ペニスにコンプレックスのある方、頭髪の数量が少ない方、将来的に不安のある方は、不愉快な描写がありますので読むのは控えることをお勧めします。


親父たちは湯船の中、じっと押し黙って体を温めており、ジェットバスから吹き出すお湯の音が、ボゴボゴと絶え間なく聞こえ、時折、手桶や洗面器が浴槽や洗い場のタイルをたたく音が響いていた。まれにタバコを吸いすぎた親父が痰を切ろうとしてえずいている声が、まるで絶滅した怪鳥が復活したかのように聞こえてくる。

俺が通う会員制スポーツクラブのスパには2種類の湯船がある。

一つはジェットバスの吹き出し口を4つ備えた湯船。

もう一つはお湯の温度が少し高めな普通の湯船。

他に10人ほど利用できるサウナ、4人ほどが浸かれる水風呂、12人が座って利用できる洗い場、8人が立って使えるシャワースペース。

俺はいつものようにジムでトレーニングした後、サウナで数分間過ごし、火照った体を水風呂で冷やし、ジェットバスのある湯船の縁に座って足だけをお湯に浸けて佇んでいる。両手を体の横にぴったりと添え、首をガクンと下に向け、自分の股間をじっと見る形で、塗れた陰毛が絡まる自分のペニスと睾丸をぼんやり見つめていた。右側の睾丸に乗り上げたペニスは、水風呂で冷えた影響で、黒ずんだ竿の部分が縮みあがり、幾層もの皺ができている。薄い桃色の亀頭の先の部分がお湯に浸かった状態だ。

その時突然、黒ずんだ竿の部分がさらに縮み始めた。俺の意思とは無関係に、じわじわと縮みだし下腹部にめり込んでゆく。驚きを込めて、俺はじっとペニスを見つめていた。暫くすると今度はまた、竿がゆっくりと伸びてゆく。縮んでは伸び、縮んでは伸び、そしてペニスは動くのを止めた。しかし、そしてその間ペニスから俺には何の感覚も伝わってこないのは何故だろうか。

俺が今まで気が付いていなかっただけで、サウナから水風呂に入り、水風呂から出た後は、いつもペニスは伸びたり縮んだりしていたのだろうか?もしかしたら俺たがの知らないだけで、ペニスは意志をもっており、自由にそのサイズを変えているのか?ペニスが別の人格を持っている。いや、人格どころか、別の生命体、人間に寄生する、別の生物。そうではないことをこれまで証明したことはあるのだろうか?誰もそのことに気が付いていないだけで、ペニスは独立した生命体だとしたら・・・

ぼんやりとそんなことを考えていると、隣の親父が細く長い足をM字に広げ、これも細い腕に付いている両手の細い指先を丁寧に使い、細い手足とはバランスの取れない大きく丸く膨らんだ腹の下にある自身のペニスの先端を、節足動物が前足を動かしているような動きで、丁寧にいじくっているのが目に入ってくる。高校生の時に文学かぶれの姉から読まされた、カフカの主人公が毒虫になってしまう「変身」という小説の主人公グレゴール・ザムザからとって、俺はこの親父に『ザムザ氏』という綽名を付けている。湯船の中で自身のペニスをいじっている親父は、他にもよく見かけるのだが、ここから『ザムザ氏』独特の生態表現を発揮する。

『ザムザ氏』は、ゆっくり尻を持ち上げ、姿勢をⅯ字開脚から前傾姿勢に変化させてジェットバスの吹き出し口にケツを向け、肛門周辺を刺激し始める。

通常、ジェットバスは肩や腰、背中を刺激して血行とコリを改善するためにあるのだが、肛門の刺激に使うのは、『ザムザ氏』以外に俺は知らない。5秒ほどその姿勢を保ち、ジェットバスの勢いを利用してそのまま湯船の端まで進んでいく。丸い尻から細い足が生えた姿で前進する姿は甲虫が急ぎ足で逃げていくようだ。

『ザムザ氏』はステンレス製の手摺を掴み立ち上がり出て行く。長年の重力の影響で左側だけが偏って伸びた陰嚢の裏側が、ガニ股足の間から垂れ下がっている。カフカのグレゴール・ザムザは家族の邪魔者になり、父親から投げつけられたリンゴの傷が原因で亡くなったと記憶しているのだが、こちらの『ザムザ氏』は家に帰って柔らかい腹にリンゴを投げつけられ傷をつけられることは無い。待っているのは冷蔵庫で冷えたビールだろう。

右側に目をやると、対角線方向に、両腕を広げリングのコーナーでゴングが鳴るのを待っているボクサーの様なポーズで、湯船に浸かっている限界まで日焼けした親父と目が合う。この親父はスポーツクラブの日焼けマシンを使って身体全体、頭の先から足の先、股間の一物から尻全体まで年中真っ黒だ。この親父には『男優』と綽名をつけてある。『男優』はもちろんアダルトビデオ出演の男優だ。俺はこの親父が出演している作品を見た記憶があり、綽名ではなく本当に男優ではないかと思っているのだが・・・・・

『男優』とのにらみ合いが数秒間続いた後、目をそらして俺の左側に目をやる。つられて俺もそちらを見ると、サウナの扉が開いていた。そこから出てきたのは全身を真っ赤にした『サウナ暴走親父』だ。年齢は70歳代中ごろだろう。長身で痩せ型、股間の真ん中に細長いペニス、その左右には年相応に皮の伸びた陰嚢をぶら下げている。全身汗まみれ、細く長い腕をダラリと前に垂らし、苦しげなしかめ面で中空を見つめ、開いた口からは、粘度の高い涎が糸をひいている。

『お風呂、サウナ入浴前は水分を補給し、体調管理には十分ご注意して無理なくご利用していただきますようお願いいたします』スパ入り口にある表示も完全に無視している。

この親父はいつも体力の限界までサウナで過ごし、そのあと何故か水風呂に入らない。いつ倒れるとも知れない足取りで奥にあるタイル張りの休憩スペースへ向かう。目的はしばらくじっとして整うためだろう。そこには今、誰も座っていないので『暴走親父』は整いスペースを独占して使用する。手桶で汲んだお湯でタイルを洗い流し、全身をそこに横たえる。通常なら三人が座れる場所を一人で独占するのだ。

『お風呂、サウナでは、皆様が気持ちよく過ごせるように、場所取りなどせず、譲り合ってのご使用をお願いいたします』の表示、これも完全無視。『暴走親父』の存在は、サウナ、スパエリアのアンチテーゼなのだ。他の親父たちは、自分の迷惑にならない限り、好き勝手をしている暴走親父のことは余り気にしない様子だ。

親父は仰向けに横たわったままゆっくりと、バンザイの姿勢ととる。肋骨が、なだらかに浮かび上がり、へこんだ腹、弛んだ下腹が続く。下腹の先には、ダラリと萎びたたペニスと陰嚢が完璧なフォルムを放っている。萎びたペニスはまるで一本の沢庵漬け。そして陰嚢は、それを挟む二つのいなり寿司の様だ。

俺は、この親父のペニスも伸びたり縮んだりするのか観察してみたが、変化は特にない。水風呂で冷やさないと起きない現象なのだろうか。三分ほどその状態を保ち、十分整ったのだろうか、暴走親父がアニメーションの巨人のようにゆっくりと起き上がる。が、立ち上がろうとする様子が変だ。ふらついている。そして、顔色が悪い。以前、同じ状態の親父を見た時より、明らかにふらついている。ゆらゆら、ゆらゆら、巨人が重心を失う。

「はむーっ」

親父が奇妙な悲鳴をあげ、目を見開き、湯船に備え付けられた手すりをつかもうとする。しかしその手は届きそうにない。湿った空気を掴んだ親父は、回転し後頭部から崩れ堕ちる。

「ゴンッ」鈍い音が響き渡り、仰向けで倒れたまま動かなくなる。

悲鳴と転倒する音を聞いた親父たちに緊張が走り、スパエリアの空気が凍りつく。打ち所が悪く死んでしまうのではないのだろうか?助けに行かないといけないのだろうか?

面倒だ・・・・俺は気か付かないフリをするため自分のペニスを見下ろしながら、妄想に逃げ込む。

うめき声と共に、暴走親父の枯れ枝のような腕が天に伸びていく。生きていた。しかし、誰かが、状態を見に行かないといけない。その時、頼もしいヒーローが現れる。うめき声を聞きつけたムキムキのマッチョマンが、洗い場からピカピカの身体で登場する。

「大丈夫ですか!!!」

スポーツクラブのジムエリアで、誰よりも熱心にトレーニングをしている男だ。

トレーニングマシンの使い方が分からない初心者がいると、使い方を笑顔でレクチャーしているジムの親切マッチョマンでもある。ところが、救助を急いだ親切マッチョマンは、タイルに足を滑らせてしまう。

「うおっ!」驚愕の声と共にとともに、弓なりの形で見事に宙を舞い、親切マッチョマンは、暴走親父の上にダイブする。デッドリフトで鍛えぬかれた親切マッチョマンのプリプリした尻の割れ目から覗く親父の顔が、苦痛と悲しみにゆがむ。

ドタバタ悲劇はまだ続く。

水風呂から巨大な影が動き出し、水位が急激に下がるのが目の端に入る。出てきたのは身長190センチ、体重170キロあるかと思われる、我がスポーツクラブで一番の巨漢。電信柱のような太ももで歩いてくる。湯船やサウナで彼が隣になると身の危険を感じるほどだ。

巨漢の目的は、先ほどまで暴走親父が寝ころんでいた休憩スペースに行くこと。道を塞ぐ裸の重なり合った男二人には全く無関心だ。ところが無関心な巨漢は間違いを犯した。二人が倒れているところを通らないで、少し遠回りだが、洗い場から整いスペースに回って移動すればよかったのだが。重い体での遠回りが面倒だったのだろうか、転倒し、重なり合った二人の狭い脇を、横向きになり、カニ歩きですり抜けようした。助けを求める暴走親父の手が、巨漢のカニ足を掴む。無関心な巨漢は、困惑の表情を浮かべ、親父の手から足を抜こうとするが、掴まれた足を軸に、見事なワルツのターンで巨大な腹から二人の上に堕ちる。肉が激しくぶつかる音がする。それから信じられない事が起き始める。巨漢の分厚い背中が沈み込み、ゆっくりと下の二人を体ごと飲み込み始めたのだ。無関心と困惑が、笑顔と驚愕、苦痛と悲しみをのみ込んで行く。

それぞれの腕と足、三本のペニス、六個の睾丸、三人のすべてが重なり合い、融合してゆくのだ。

骨と皮の老人、筋肉の塊の笑顔、巨大な重量の脂肪。スパエリアでの偶然の出会いによって、人類が新しい進化の段階に入り、生命の神秘が未知の扉を開いたのだろうか。

ここでタイミングよく救世主が現れる。

「失礼しまーす」

スポーツクラブのロゴが入った鮮やかなグリーンのポロシャツとハーフパンツ姿のスタッフが、水質検査キットをもってスパエリアに登場する。スパ水質の定刻点検だ。

彼は、細身で筋肉質の引き締まった身体をしており、スタジオエリアのインストラクターもしている。いつも笑顔を保っているが、目は常に状況把握を怠らず、奇麗に刈り上げた頭髪の横の小さな耳は、どんなお客様の声も聞き逃さない。

後ろから、見習いスタッフが着るネイビーブルーのTシャツ姿の華奢な男が無愛想についてくる。二人とも、六本の手足が出た肉の塊を前にして、しばらくの間、言葉を失っている。

そこに、他人の事などには何の関心も持たない、自分が損をすることだけが大嫌いなクレーム親父が登場した。融合した肉の塊を指さして文句をたれはじめた。

「こんなんあったら、通られへんやろが。洗い場通ったら、知らん奴に、泡付けられたわ!」

「申し訳ありません、直ぐに移動させますから」とインストラクターが丁寧に返答する。

このクレーム親父の身体は、太りすぎの太鼓腹。健康診断では必ず《要再検査》の指定を受けているはずだ。悪玉コレステロールが増えすぎ、クレーム塊となって溢れ出しているのだろうか。クレーム親父の皮を被った小さなペニスは小指の先ほどのサイズしかなく、太鼓腹の脂肪に飲み込まれており、豊富な陰毛の中からモグラの鼻面のように少しだけ覗いている。股間全体がモグラの顔のようだ。

おれはこの親父の様なペニスのことを『モグラタイプ』と呼んでいる。

「前も、デンキ(照明)切れて三日位そのままやったやろ。ほんま、ちゃんとやれよ」

クレーム親父は、スパ中に響き渡る声で、捨てセリフを残し去っていく。

他の親父たちは、クレーム親父のカスハラに対しては見て見ぬふりを決め込む。

「ロッカーキーのベルトが3つ巻いてあるよ。会員さんたちだ!どうしてこんなことになったのだろう?」

「転んで、くっ付いたんや。順番に転んで、べちゃっとな。くっ付いたんや、三人さんが」

俺が秘かに、『孤独な老人』と呼んでいる、身長150センチと少しくらいの小さな爺さんが、知らない間に、インストラクターと見習いスタッフの間にたっている。

孤独な老人は、長く伸びた真っ白な眉毛の下に、小さな目をいつも眩しそうに細めている。

そして、その体格とはつりあわない立派な、まるで松茸の見本のようなペニスが白髪交じりの陰毛の間から、真っ直ぐに垂れ下がる。

「人間がくっつくなんてないですよ!悪魔かなんかの仕業ですよ!」

無愛想だった見習いスタッフが、急に感情表現豊かな青年に変貌し、慄いた声で言う。

「悪魔なんていないよ。イトウ君は、変な漫画ばかり読みすぎだよ」

「くっついたんですか!くっついたのなら、引っ張れば離れるかもしれませんね」

とインストラクターは前向きな対応で答える。

「よし、イトウ君、手を持ち上げるように引っ張り上げてくれ、ぼくが足を引き上げるから」

二人はしばらく巨漢をひっぱり上げようと頑張ってみる。

「ミズシマさん、重くて、少しも持ち上がりませんよ!」

「んー、よし。裏返して細い人から引きはがそう、そうしないと、どんどん混ざりあっていくね」

二人で裏返すのは、無理と冷静に判断したミズシマさんが、親父たちに向かって呼びかける。

「皆さーん!すいませんが、ご協力お願い致します!人命救助です!」

目撃者の救護義務。自動車免許証更新の講習。会社、町内会での消防訓練。AED講習。避難訓練。親父たちは、過去にはそれほど熱心には参加していなかった訓練の数々を思い出す。それに、先ほどのクレーム親父身勝手な言動が反面教師となっていた。

洗い場や湯船から、裸の親父たちがノロノロと集まってくる。俺もそれに続いた。

「皆さん、この人たちを入口の広いスペースに移しますから、みんなで押してください」

親父のたちが三人分の肉塊を一斉に押し始めた。肉塊から、「イタイ、いたい、痛い」と小さく悲しい声が聞こえてくる。肉が床のタイルの表面に引っかかって動かない。

「イトウ君、レンタルバスタオル沢山取ってきて。タイルに引っかかって痛そうだ。バスタオルを敷いてから動かそう」

親父たちはミズシマさんの指示で、重い肉塊を持ち上げるチームと、その下に白いバスタオルを挟み込んでいていくチームに分けられる。

俺は肉を持ち上げるチームに振り分けられる。6人が身体を横向きにして肩を押し当てるようにと言うミズシマさんの指示に従う。

「セットと言ったら一斉に肩で押し上げてください」ラグビーのスクラム用語だ。

「レディーーーセット!」

俺たちは一斉に300㎏近くある人間が融合した肉の塊にアタックする。俺も滑らないようタイルに足を踏ん張って全身の力を肩に込めて濡れた塊を突き上げる。が、まるで動かない。すかさずミズシマさんの指導が入る。

「6人で呼吸を合わせてください。タイミングが合えば必ず持ち上がりますから」

ミズシマさんの励ましを受けた、俺たちが塊にアタックを続けること5回目。6人の息がピタリと合い肉塊が奇跡のように持ち上がる。「そのまま、そのまま」とミズシマさんの声が聞こえ、俺たちは持続的に肉塊に力を加え続ける。ミズシマさんとイトウ君が素早くバスタオルを何枚か滑り込ませるのを体の下に感じる。そしてゆっくりと塊をバスタオルの上に下ろす。同じように塊の反対側にバスタオルを他の親父たちが力を合わせて敷いていく。そしてそのまま続けてミズシマさんは、俺たちにバスタオルを引っ張らせ、入り口のスペースに移動させようとする。しかし俺たちは持ち上げる作業を終えたばかりで、息が上がっており他の誰かが変わってくれることを期待していた。が、誰も交代を名乗り出るものは居なかった。息が上がったままの俺たちがのろのろと肉塊の乗ったバスタオルを引きずる。ミズシマさんの叱咤激励が、裸の俺たちに飛んでくる。

他の会員が洗い場で髭を剃っているのが目に入る。俺たちに親切心を起こしたことを後悔する気持ちが広がる。客としてきている場所で裸のまま奴隷のように扱われ、不条理な気持ちを募らせた俺たちの、不満、怒り、やるせなさが流れる汗となり雲を作り後悔の雨を降らすようだ。

「ボディソープで滑らせたらどうでしょう」

イトウ君が気の利いたことを提案する

 ボディソープを含んだバスタオルが摩擦により沢山のシャボンの泡を作り出し、シャボン玉を発生させ、メルヘンチックな中、俺たちは肉塊をのろのろと運び出すのだろう。奴隷扱いに疲れたことから来る妄想状態の俺は、妄想の中でさらに妄想を重ね合わせる。

 肉塊は移動を終えて、スパエリアの広いスペースで山のように存在しており、三人分の呼吸音が激しく混ざり合い、肉塊頂上の辺りが大きく上下している。

「今度は裏返して、一番下の細い人を上にしますから、横に並んでください」

俺たちは力を籠め顔を真っ赤にし、塊の三人を裏返しにかかる。

「いちっ、にっ、さん、しー、それーっ」

塊が、ゴロンゴロンと回転し裏返る。

巨漢が一番下になり融合した三人の全体像が顕わになる。

それは怪物だった。肉塊の片側から二つの苦悶に歪む顔が突き出ており、反対側の肉塊からは背の高い『暴走親父』の突き出た後頭部が左右に苦しげに動いている。そして人間の形と思えない凹凸に覆われ広がった肉塊と、そこから突き出た蠢く沢山の手足。肉塊は少しずつ皮膚の色が違う三層に分かれており、元々三人の人間であったことがわかる。そこにいる皆の顔が恐怖で引き攣る。

イトウ君が再び「悪魔ですよ!魔王の誕生ですよ!」

その時、スパ全体に怪鳥の叫び声が響き渡る。

「鳥の声だ!悪魔の鳥だ!魔鳥がいます!」とイトウ君が慌てふためく。

「あれは会員の小林さんがだよ。たばこの吸いすぎで痰を吐くのに嗚咽しているだけだよ」

ミズシマさんが冷静に答える。

「イトウ君、バスタオルもっと持ってきてください」

ミズシマさんがバスタオルを、六本の手足に手際よく括り付ける。

ミズシマさんは、俺たち一人一人に指示を出す。

「一番上になった、細いおじいさんから引き剥がしますから。あなたとあなたは右足、あなたとあなたは左足、あなたは右腕、あなたは、左腕、合図をしたら括ったバスタオルを引っ張って持ち上げてください。私は頭を持ち上げながら掛け声をかけますから、よろしくお願いします」

「イトウ君は状態をよく見て報告してください」

「ほかの人は、体がはがれだしたら、背中やお尻を持ち上げてくださいね」

大きな肉の塊を、半袖、短パンのスタッフと素っ裸の親父達とが、取り囲む姿は、秘境に住む裸族の儀式を、現代社会の探検隊が調査しているようだ。

ミズシマさんの人間分離プログラムがスタートする。

「それじゃ行きますよ」「いち、に、さん、し、で持ち上げてください」

「ハイッ、いちっ、にっ、さん、しー」 とミズシマさんが呼びかけ。

「いち、にっ、さん、しー」と親父たちが答える。

「にいっ、にっ、さん、しー」

「にんっ、にっ、さん、しー」


それぞれ、親父たちは、太っているか、太りかけている。

太っていると、普通に立っていても、親父たちの短いペニスは股の下に垂れ下がることはない。それは、ペニスの竿の大部分が下腹の脂肪にめり込んで、亀頭だけが前面に押し出された状態になってしまうからだ。その様は、まるで鈴のようだ。陰嚢の座布団に鎮座する鈴のような亀頭。ミズシマさんの掛け声に合わせて、全裸の親父たちが肉塊の手足に巻いたタオルを引っ張りくっついた人間を引きはがしにかかる。親父の動きに同期してそれぞれのペニスがプルン、プルン、プルーンと揺れるのだ。揺れる亀頭から鈴のチリ、チリ、チリ、チリーンという音色が聴こえてくるかのようだ。

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

どこかで、このような鈴を鳴らす神事を見たことがある…気がする。

神事の効果なのか、暴走親父の身体が、浮き上がってきた。

「どう?イトウ君!」

「揺れています。お爺さんのお尻と、背中が出てきました!」

「よし、皆さんもうひと踏ん張りです」

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

暴走親父がさらに浮かび上がってくる。近づく肉の海からの生還が近づくのだろうか。

その時、イトウ君が何かを見つけ、驚いて声を出す

「背中に何か浮かび上がってきました」

「顔です!顔だ!とんがった顔です。嗚呼やっぱり悪魔だ。悪魔の顔だ!魔王の誕生だ!」

親父たちは、股間の鈴の音色で悪魔を召喚してしまったのだろうか・・・・・・・

「あれ?顔じゃないです。サツマイモかな?サツマイモの先が出てきました」

親父たちは、ミズシマさんの引率で、芋ほりに来た幼稚園児だったのだろうか・・・・・・・

「ちんこや。かわを被ったちんこや」

孤独な老人が、断言する。

親切マッチョマンの股間と暴走親父の身体は、他の部分より、融合が進んでいたようだ。

親父たちが持った手足を、上げたり、下ろしたりするのに合わせて、サツマイモの先のような物が、出たり引っ込んだりする。

親切マッチョマンが叫ぶ。「痛い、痛い!いたーい!!ちんちん痛い!皮むける!」

親切マッチョマンは包茎だった。

「ちぎれる。ちぎれる!さきっぽ痛い!!」

ミズシマさんが冷静に言う。

「なるほど!これはもう、包茎が治るチャンスですよ」

親父たちは、親切マッチョマンの包茎を治すために、こんなことをしているのか?

ミズシマさんは、まだ続ける。

「包茎も治して、こちら側に戻ってくるチャンスですよ!」

「ハイッ、続けます。いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

「もうひと頑張りです。もうすぐです。もうひと頑張りです」

まるで、助産師が妊婦を励ましているような勢いで、親切マッチョマンに声をかける。

やはりペニスは、独立した生命だったのだ!小さな命が、新しく生まれようとしている。

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

「ハイハイハイハイッ!もうひと頑張り!まだまだーいけますよ!」

親父たちのはらも、プルン、プルン、プルーン

ミズシマさんが、親父たちをさらに煽る。

「いちっ、にっ、さん、しー」

プル、プル、プル、プルーン

「にいっ、にっ、さん、しー」

チリ、チリ、チリ、チリーン

スパエリアが、エアロビのスタジオレッスンの場になったのだろうか・・・・・

親父たちの汗が弾ける!

ミズシマさんの笑顔が最高に輝く!

「ハイハイハイハーイ!あと、よっつ!」


救急車のサイレンが、だんだん近づいてくる。

裸の親父たちが、遠巻きに救急隊員を迎え入れる。

救急隊員がサウナ暴走親父を毛布に包み、スパエリアから、運び出す。

更衣室で、ストレッチャーに載せ替えて、エレベーターで救急車に向かう。

スポーツクラブのスタッフが暴走親父の持ち物、衣服、靴を白いビニール袋に入れて後をついてゆく。

救急車のサイレンが、だんだん遠ざかって行く。

暴走親父は病院へ運ばれてゆく。


1か月後。

俺は、いつものようにジムでトレーニングした後、サウナで数分間過ごし火照った体を水風呂で冷やし、浴槽の淵に座り足だけをお湯につけ、自分のペニスが伸び縮みするのを眺めながら佇んでいた。湯船の入り口に老人が現れた。老人はお湯を樹脂桶に汲み、タオルを濡らし、そのタオルで陰嚢の裏からペニスの先まで丁寧にタオルで洗い出した。湯船に入る前に汚れを落とし、マナーを大切にしているつもりだろう。タオルをよく見ると『いきものがかり』と書いてある。いきものがかりのファンだった子供がライブの物販で購入したマフラータオルだろう。いきものがかりのファンからしたら不謹慎極まりない親父だろうが、俺からすればペニス生物説のメタファーを見事に表現する親父だ。

俺の隣には久しぶりに見る『ザムザ氏』がⅯ字開脚でペニスの先を整えている。しばらくの間『ザムザ氏』は来ていなかった。久しぶりに見る『ザムザ氏』の腹が、その理由を表していた。腹に数か所小さな傷跡があるのだ。腹腔鏡手術の跡だ。『ザムザ氏』は自分の外から邪魔者として攻撃されることは無かったのだが、自分自身の内部に疾患という邪魔者を生み出し攻撃を受けていたのだ。

その時、サウナの扉が開き、あの暴走親父が出てきた。

以前のように皮膚が赤くなるまでサウナに入ることなくなっていた。粘液質の涎もたらしてはいない。

暴走親父は、体調には十分注意して、サウナを利用する安全親父に変わってしまった。

少し汗をかいた状態で、誰も居ない休憩スペースに向かい、お湯でタイルを洗い流し、

全身をそこに横たえる。横たわったままゆっくりと、バンザイする。肋骨が、なだらかに浮かび上がり、凹んだ腹、下腹の先には、だらりとのびたペニスと陰嚢が完璧なフォルムを放つ。しなびたペニスはまるで一本の沢庵、陰嚢は、それを挟む二つのいなり寿司のようだ。




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