第二章ー②
謎は深まるばかりで答えはいっこうに出てこなかった。
そりゃそうか。そもそもこの体、私本来の体ではないのだ。
どうやって太ったのかもわからないのに、見た目がデブでも体重を軽く感じる理由なんてわかるはずもない。
太った痩せた、体が重い軽いの問題は後まわしだ。
とりあえず、筋トレを行うにあたって問題はないということでよしとしておこう。
「それにしても、このお姫様、予想以上に筋肉がないわね」
腕立て伏せを数回繰り返しただけで、腕がプルプルしている。試しに今度は仰向けになって両足をゆっくりと上げ下げしてみた。
太ももをピッタリと合わせて両足を四十五度の角度まで上げ、さらに床からスレスレの位置にまで下ろす。腹筋が鍛えられる運動だが、やはり十回ももたないうちに下腹のあたりが震えだした。
でも、まったく運動ができないというわけではなさそうだ。
「うん、これならまだ……――」
「なにを……しているのですか?」
「ひゃっ……⁉」
突然声をかけられたことで、私の肩が大きく跳ね上がった。
声の方向に慌てて振り返る。そこにはランスロットが立っていた。
知性あふれる切れ長の瞳をこれでもかというくらい見開いて、私をみつめたまま彼は微動だにしない。……違う。きっと驚愕がすぎて硬直しているのだ。
そりゃそうか。王女様が寝室で筋トレなんかしていたら驚くわよね、うん。
私は慌ててその場に立ち上がり、身なりを整えた。そして気づいた。
おそらく今の私はネグリジェ姿だ。
ネグリジェにしてはフリルなんかの装飾が多いけれど、この白っぽくてだぼっとしたワンピースは間違いなく寝間着のはず。
その証拠に、ランスロットは困ったような面持ちで視線を床へ落としている。しかしすぐに考えを改めたようで、胸に手を当て、左足を少しうしろへひいて丁寧に頭を下げた。
「申し訳ありません、殿下。ノックをしたのですが、お返事がなかったため、心配になり勝手に入らせていただきました」
ノック……していたんだ。筋トレに夢中になりすぎて、気づかなかった。
「よろしければ、ベッドへお運びいたしますが……?」
彼が控えめな口調で尋ねてきたので、私は「はい」と首肯しそうになったところで、慌ててかぶりを振った。
ダメダメ。こんな重い体を運ばせるなんて、いくらなんでも申し訳なさ過ぎる。
「い、いえ。自分で戻れます」
そう言って、勢いよく踵を返した瞬間、目の前がクラリと回った。
あ、マズい。これ、本物のめまいね。……そうか、急に筋トレなんてしたから、弱った体がついていかなかったんだ。
サラが毒を飲んで死にかけたという事実をすっかり忘れていた。
「殿下、大丈夫ですか?」
その場に崩れ落ちそうになった体を、ランスロットがすんでのところで抱きとめてくれた。
「ご、ごめんなさい……」
「いいえ。ですが、無茶はなさらないでください」
ニコリともせずにランスロットは軽々と私を横抱きにした。
もちろん、「よっこいせ」なんて格好悪い言葉なぞ口にしない。実にスマートに、かつ優雅ささえ感じさせる動作でこの巨体を持ち上げる。
そしてゆっくりと歩き出した。
なに、この人。見た目に反してものすごい怪力なの? ……っていうか、ものすごく顔が近い。近すぎて、さすがにドキリとさせられる。
そして改めて、彼は超がつくほどの美形だと感じる。この驚くほど整った目鼻立ちは本当に人間の遺伝子から作られた顔なのだろうか。天使か悪魔の遺伝子でも入っているのではないのか。
私が王女というよりも、この人が王子と呼ばれるほうが合っている気がする。
あぁ……そういえば、夢のなかでラファエラも同じことを考えていたっけ。……って、いやいや、夢のなかのランスロットが、私を横抱きしているランスロットと同一人物とは限らないではないか。
そりゃ確かに今の彼は、夢で見たあの少年――ランスロットの父親そっくりだし名前も同じだけれど、そっくりな別人だったらどうするのか。
バカなことを考えるのはやめて、今は……そう、体重のことに集中しよう。
「あの……重くないですか?」
「まさか。殿下が重いなど……。そんなこと、あるはずがございません」
このとき、ランスロットが爽やかな笑顔を私へ向ける。間違いなく社交辞令だとわかるほどの儀礼的な態度だった。
あぁ……貴族って大変ね。身分が上だと、デブに「デブ」って言えないなんて。
従兄に気遣わせるのは忍びない。ここはハッキリと言ってもらおう。そのほうが私もダイエットをがんばれる。
「私の体……ものすごく大きいですよね?」
「大きい?」
「なんというか……横に太いというか、通常の女性の三倍くらい横幅がありすぎるというか……」
「申し訳ございません。言葉の意味を理解いたしかねますが……」
「だから、あの……ものすごく太っていますよね! 体重が百キロくらいはありそうな、超おデブですよね⁉」
私は思いきって言った。言い切ってやった。叫びながら自分で自分が嫌になったくらいだ。
「おデブ……ですか?」
しかし私の発言に対して、ランスロットは不思議そうな顔をして復唱する。
不思議なもので、「おデブ」という俗物的な言葉も、ランスロットが言うと上品に聞こえる。これは美形特権なのか。
「申し訳ありません。私には、殿下がそこまで太っているようには見えません」
お世辞を言うのがうまいなぁと思いつつも、ランスロットの顔を見ていた私は変な違和感に襲われ、なんと返せばいいのかわからなくなった。
これ、お世辞……じゃないよね?
どうもランスロットが気遣いから嘘を言っているようには思えない。
「あなたには、私の体がどのくらいの太さに見えていますか? お世辞はなしで、正直に教えてください」
思いきって、私は尋ねてみる。
ランスロットは私をベッドへ横たえると、そっと掛け布団をかけ直してくれた。それから、やわらかく微笑む。
「なぜ、そのようなことをお尋ねになるのですか?」
「私には、自分がひどく太って見えているからです。だから、他の方から見た私がどのくらい太っているように見えるのかを知りたい」
「なに……?」
ふいに、ランスロットの視線が鋭くなった。
「先ほど鏡を欲しがったのはそのせいですか?」
「はい……」
うなずいて、私は自分の顔の前に右手を掲げた。
「私にはこの手が……ブヨブヨの肉団子のように見えます」
「それはいつ頃から……あぁ、いや、申し訳ありません」
ランスロットは謝罪で唐突に会話を切る。私が記憶喪失であることを思い出したのだろう。
しかしそのあとは、「そうか、だから……」などと、一人で納得したように呟いていて、それが気になった。
「なにかご存じなのですか?」
「いいえ。ですが、殿下はご存じなくとも問題ございません」
「私自身のことを知らなくていいというのは納得がゆきません。あなたは知らなくとも、私の肉体に関する情報をお持ちのはずです。答えてください」
少し強めの口調で断言しても、ランスロットは表情を崩さないし答えない。まるで笑顔の仮面を付けているかのようだ。
このままでは埒が明かない。そう判断した私は、最終手段を持ち出すことにした。
「……王女として命令すれば、あなたは答えてくださいますか?」
ようやくランスロットの表情が崩れた。端正な顔を包んでいた笑顔は、苦虫を噛み潰したかのような微笑へと変化している。
「本当に……記憶がないのだな。普段のサラであれば、私に反論するようなことは言わなかった」
――まるで別人だ。
ランスロットは表情にその思いを滲ませている。
中身が別人であることは事実なのでそこは無視するとして、ランスロットの黙秘は王族を守るためのものだろうか。それとも、サラ自身のためか。
どちらだとしても、それは余計なお世話だ。それに……
「女性に反論されることがお嫌いですか?」
なんとなくランスロットの物言いにカチンときてしまい、私は自然に言い返していた。
まるで女性が男性に反論することを許容できない。そしてサラも一歩ひいて男性を立てることができる女性だから気に入っていた――と言っているように聞こえたのだ。
「文句を言わず、ただ素直にあなたの言葉を受け入れる。あなたはそんな人形のような女性が好みなのですか? だったら私ではなく人形とお話しください」
従兄だかなんだか知らないが、女性を意のままに操りたい欲求を持つ男など、いくら世界一の超絶イケメンだってごめんだ。
そこまで考えて、私は首をかしげた。
このセリフ、どこかで聞いたような気がする。どこで聞いたんだっけ……?
考えながら、私はランスロットを見上げた。
怒っているのではないかと思ったのもある。……というよりも、正直、激怒して欲しかった。
彼自身がそれを正しいと思っているのであれば、その思考を叩き潰してやるし、もし違うのであればそれでもいい。そうであるなら私は潔く謝罪する。
……いや、それはダメだ。私の記憶喪失がバレるかもしれない。おとなしくして、できるだけサラに近づかねば。ランスロットも先ほど言っていたではないか。普段のサラは彼に反論しなかった、と。
でも不思議なことに、私はそんなことを思うのと同時に、彼がこのうろ覚えのセリフの答えを持っている気もしていたのだ。
だから、見上げたのだけれど……なに、その顔?
予想に反して、彼の表に乗るのは驚愕。そして、それゆえの無言だった。
なにをそんなに驚くことがあるのかわからない。ただわかるのは、おそらく彼は、私が欲する回答を持っていないということだ。
答える気がないのであれば寝室から出て行って欲しい。捜索ができない。彼が出て行ったら早速行動しよう。
そんなことを考えながら彼が怒って出て行くのを待っていたら、突然、ランスロットが笑い出した。
声を出して笑う姿にすら品性を感じる。これが公爵家の人間ということなのか。
とはいえ、笑い方の品性などどうでもいいことだ。
「私、なにかおもしろいことを言いましたか?」
「いえ……申し訳ありません。私がまだ幼い頃、似たようなことを仰った方を思い出したのです。そのときの父の顔を思い出してしまいました」
この世界にも、私と同じ考え方の女性がいたらしい。
しかも公爵家のランスロットが「方」と敬うのであれば、相手は王族……って、そうか!
「ラファエラ!」
「っ……⁉」
私が両手を叩いて叫ぶのと同時に、ランスロットの顔色が変わった。
先ほど以上の驚愕を表情に乗せて、私を凝視している。その菫色の瞳は深みを増し、背筋が凍りそうなほどに鋭く感じた。
「なぜ……きみがその名を知っている?」
なんなの、その質問。まさか、知っている人物なのだろうか。
だったら、私のほうこそ逆に問いたい。
「あなたはラファエラという王女様をご存じなのですか?」
質問を質問で切り返したのが良くなかったのだろうか。
ランスロットが私の顔の隣に右手をつき、その端正な顔を近づけるとまっすぐに私の瞳を覗きこんだ。
「……きみは何者だ?」
口調こそ落ち着いているものの、その表情は険しい。彼がまとう雰囲気もどことなく鋭利な冷気を感じるし、あきらかに私を疑っている顔だ。
え? 嘘……。もしかして……バレた?
焦燥感が全身を駆け巡るような錯覚を覚える。
いや、落ち着け私。そもそも肉体はサラ王女本人だ。変身しているわけではないのだから、外見でバレるはずがない。
まだ彼は確信に至っていない。仮に中身が偽者とバレたとしても、ギリギリまで知らぬ存ぜぬを貫き通せ。
そして、できる限り情報を聞き出せ。自分に有利な情報を。
「どういう……意味ですか?」
「記憶を失う前から、サラはラファエラ殿下のことは知らない。いや、知っているはずがないんだ」
「どうして知らないのですか?」
「サラが生まれた年に亡くなられている」
「そう……ですか。すでに亡くなられた方だったのですか」
ランスロットが「殿下」と呼んだのであれば、ラファエラが王族であることは間違いない。
そして私が我がことように感じながらみていた夢の人物は実在した。でも、サラと入れ替わるようにして亡くなっていたとは……
そこまで考えて、少し疑問が湧いた。
なぜサラは同じ王族を知らないのか。姉妹とまではいかなくても、王族であるなら、親戚、もしくは遠戚という可能性もある。名前くらいは知っているものではないのか。
あまりに遠い血縁ならともかく、親族を知らない王族なんているのだろうか。
夢に出てきた『ランスロット』が今目の前にいる彼と同一人物ならば、彼女は過去の人ということになる。
夢のなかで、ラファエラは二十歳を祝ってもらっていた。
もし生きていたら……って、今は何年後なのだろうか。そういえば私はサラの年齢すら知らない。さらに現時点のランスロットの年齢も知らないことに気づいた。
とりあえず、ラファエラのことは後まわしにするか。
続けて私は、この状況をどう突破しようかと思考を切り替える。
ランスロットに壁ならぬ枕ドンされて、その美しい顔を近づけられた状態で問い詰められている。
言い訳を考えてみるものの、どうも上手い言葉が出てこない。