第二章ー①
懐かしい夢をみた。
それは物心ついた頃から何度もみてきた夢。
内容はさまざまだったが、絶対に変わらない登場人物たちがいる。
それは長く美しい銀髪に躑躅色の瞳を持った王女様と、同じく銀髪に菫色の瞳を持つ美少年。しかも私は王女様となって、少年と楽しげに過ごすのである。
時代は十八~十九世紀くらいで、場所はヨーロッパだろうか。少なくとも二百年くらいは古い時代だと感じる衣装を着ている。
しかし衣装や建物の内装はヨーロッパのようでも、住んでいる世界が違うとも感じていた。
この夢の登場人物たちが魔法を使用していたからだ。
私も少年も、あたりまえのように魔法を使い、やれ自分のほうがすごいだの、治癒魔法を使えるようになりたいだの、次は上級魔法を試してみましょうなどと言い合って遊ぶ。
夢にしては世界観が壮大だし、空想にしてはリアルすぎたので、実は私は作家に向いているんじゃないかと思ったこともある。
ただ原稿用紙に向かってすぐ、「あ、勘違いだった」と気づいた。
私の夢はドラマのように物語が続くのではなく、時系列を無視したワンシーンをぶつ切りにみている感じだったので、話としてまとまらなかったのだ。
この不思議な夢だけは五十路を越えて亡くなるまでみていた。だからてっきり夢のなかの私は日本に戻れたと勘違いした。
目覚めてから、すぐに天蓋が視界に入ったとき、異世界にいることを再認識してガッカリしたのは言うまでもない。
でも、まさか異世界へ来てもみるとは思わなかった。
しかも今回の夢は、前世でみていた夢と少し違っていた。
「登場人物の名前……初めて知った」
この夢、不思議なことに、目覚めてしまうと登場人物たちの名前を一切覚えていなかったのである。
単なる夢だし、日本にいた頃は名前がわからなくても特に問題がなかったのでスルーしていたのだが、いま思い出してみると、背景などがこの世界のものに近い気がする。
いや、近いなんてものじゃない。間違いなく、あれはこの世界での夢だ。
ラファエラという王女は知らないが、ランスロットという少年は先ほど出会った青年が子供の頃の姿に違いない。
他人のそら似とは思えないほどに面影がありすぎるのだ。
よほどの奇跡でも起こらないかぎり、名前と姓と容姿が重なる人物が夢に出ることなどないだろう。
なぜ異世界の人物の夢をみることができたのかはさておき、疑問はまだある。
一つは、私自身の視点となっていた王女『ラファエラ』だ。
夢のなかで鏡を見ることがあったので、私は彼女の外見を知っていた。
ラファエラは艶やかな銀髪と、赤みの強い紫の瞳を持っている美少女だった。宝石に例えるとアヤナスピネルだろうか。光の加減によっては濃いめのピンクにも見える珍しい赤紫色だ。
おそらく前世の世界では存在しない瞳の色。夢のなかのランスロットがバイオレット・サファイアのような青みが強めの紫だったから、妙に好対照に感じた。
いつも夢をみると彼女の瞳に不思議な力を感じた。瞳のせいなのか妙に強い存在感を放つ王女だと、毎回思っていた。
自分が主人公になったかのような夢のなかで、私は他人事のように彼女を客観的に眺めながら、この王女は間違うと瞳で他人を操れるかもしれないと危惧していたように覚えている。
では、そのラファエラとは誰なのか。
夢のなかでランスロットから『王太女殿下』と呼ばれていた。
王太子が確か継承権第一位の王子だったと記憶している。つまり、王位継承権第一位の王女がいるということか。
あの女性がこの世界に実在するのであれば、すでに王位を継ぐ女性がいるということになる。
そうなると、私の魂が入ったエレノーラ・セシリア・サラという王女が女王となる可能性は低く、創造神様と交した約束を叶えることが難しくなりそう……
「あっ……!」
あの大蛇の女神様が脳裏に浮かんだのと同時に、私は自分の醜い姿をも思い出してしまった。
そうだった。私は完全にハメられたのだ。
傾国の美女のごとく妖しい容姿を持つ創造神様とやらに一杯食わされた。
私は右手を目の前に掲げ、そのブクブクに脂肪がついた指を見る。
「もしかしてこの王女様の体へ入った転生者は、全員自殺したんじゃないでしょうね」
だとしたら、この肉体へ無理やり入れた転生者が全員失敗したのも納得だ。痩身を美と考える現代の女の子は、この体を享受できるはずがない。
「あの嘘つき創造神めぇ~~」
頭では創造神様が嘘をついていないと理解している。なぜなら創造神様は、余計な情報を伝えなかっただけなのだから。
しかし、理解するのと納得するのは話が別である。
特に、あまりに衝撃的な真実を知ってしまったときは余計だ。
精神的な衝撃から逃れるため、私は急に襲ってきた眠気に任せて昼寝してみたのだけれど……
目覚めたらスッキリとしたメリハリボディの美少女に大変身~!
……なんてご都合的な展開はさすがに起こらなかった。
私は掲げていた右手を額に当ててため息をつく。
「こんな体だって知っていたら、絶対に転生しなかったわよ……」
ぽっちゃりなんてレベルではない。手を見るだけでも衝撃ボリュームの肉体の持ち主だとわかる。
あのとき体力があったなら、姿見がある場所まで駆け寄っただろう。いや、逆に見るのが怖くて動けないか。
自分で体を触ってみても、かなり太い。体重が百キログラムを超えている気がする。
力士並みの巨体。でも力士ほど上背があるわけではないから、ぜい肉が横に広がるぶん余計に太さが目立っているのではないかと予想する。
私は脳裏に浮かんだ力士を振り払うべく、激しく頭を左右に振った。
これを知っていたから、女神様は逆に『生き返り』なんて無茶な条件を出したのではないか。
「やだもぉ~。もう幽霊でいいから日本へ戻りたいぃ~」
自分でもかつてないほど情けない声がでた。たぶん、人生で一番だと思う。
その声に合わせて、私はベッドの上で手足をバタつかせる。
太いわりにはよく動く手足で、羽毛の掛け布団や枕、ベッドマットが思いのほか派手に音を立てた。手足の動きに合わせてふわふわと揺れる。
全員に退室してもらって一人きりになったのをいいことに、私はベッドの上でやりたい放題である。
とはいえ隣室に誰かが控えているかもしれないので、大きな音を出さないように気をつけているけれどね。
「暴れたい……」
香港のカンフーコメディ映画の主人公のように、ヌンチャクを振り回して破壊して回りたい気分だ。
それとも覆面をかぶって、孤児院で暮らす子供たちのためにプロレスでもして金を稼いでやろうか。いっそ深紅の飛行艇に乗り込んで、あの超有名な台詞を言ってやるのもいい。そうしたら、乙女のキスで元に戻るかもしれない。
意味不明な現実逃避が脳内をグルグル巡ったところで、私はようやく自分を取り戻した。
前世で警視だった頃、自分がどんなミスをしても、部下がどんなミスを報告してきたとしても、あからさまな嫌がらせを受けたときだって、私は歯を食いしばって立ち上がった。
今がどん底と考えればいい。そうすれば、あとは登ってゆくだけだ。
しっかりしなさい、月見彩良! 立ち直りの早さと男がドン引きするほどの強気とド根性があなたの取り柄でしょう!
「……さて! 落ち込むのはここまで!」
私は目の前で両手を叩いて思考を切り替える。
超がつくほどデブであることは、覆しようのない事実なのだから仕方がない。これは痩せることで解決するしかないのだ。
それにダイエットは今後の私の活動能力を大幅に上げる。このような動きにくい肉体では行動範囲がどんどん狭くなるし、自衛すらままならない。
もちろん、ボヨボヨ肉体が私のメンタルへ与える悪影響も無視できない。
「とりあえず、筋トレとウォーキングを日課にするとして……」
私にはダイエットよりも重要で、先に手をつけるべき事案がある。
「やっぱり、最初に調べるべきは毒の入手経路かしらね」
サラが自分で飲んだにしろ、他人から飲まされたにしろ、必ず入手するためのルートがある。それをまずは探らなければならない。
そのためにも、まずは毒の種類を知ることから始めるべきだろう。
「とは言っても、私はこの世界にコネがないのよねぇ……」
日本であれば、それなりに情報通の知り合いがいた。裏社会に通じる者も少なからずいて、事件のときにはそれなりに重宝させてもらったものだ。
しかしこの世界での私は赤子も同じである。
コネどころか知人、いや親兄弟すらわからない。
そういえば、創造神様は王位を継げと言っていたが、国王は存命なのだろうか。
「あぁもう! そういう細かな情報こそが、生き延びるための知恵なのに!」
知らない世界の知らない王女の体へ転生させておきながら、詳細を伝えずに異世界に突如放り込むとは、まったく恐ろしい創造神だ。
泳げない子供を水深百メートルはある海へ放り投げ、「泳いで帰ってこい」なんて暴挙に出る親のようなものである。
「そうと決まれば、まずは情報収集ね」
私は行動するために、ベッドサイドテーブルへ視線を振った。
そこには豪華な装飾を施された置き時計がある。
昼寝の前に確認し、この世界にも時計があるのかと感心しながら眠りについたので覚えていた。
針は十四時を少し過ぎたところを示している。
「小一時間ほど寝ちゃったってところかしら」
部屋のカーテンが閉められていたので室内がかなり暗く、夜なのかと思っていた。まだ十四時なら、少しは動くことができる。
もちろん、この体に残るエネルギーが続く限りだけれども。
「まずは寝室からやりますか」
家宅捜索ならぬ、自室捜索だ。
探すモノは毒物、そして家族を示すなにか。
初めての部屋だし、王族の寝室になにが置かれているのかわからない。
家族の写真などがあればいいが、カメラがこの世界にあるかもわからないから、期待できない。
ただ私には、一つだけ期待している物証があった。毒物だ。
サラ自身が自殺したくて毒を手に入れたのであれば、必ずどこかに隠していたはずだ。そして隠すとすれば寝室の可能性が高い。
なぜなら寝室はもっともプライベートな空間のはずだから。
女官たちが王女に対してどのように接するのかはわからないが、寝るときも一緒ということはさすがにない……と思いたい。
護衛がつくにしても、配置は寝室の外だと……思う。たぶん。
実際、警視庁にある警備部警護課でも対象者の寝室にまで入って護衛したという話はほとんど聞かない。そこまで切羽詰まった事情を持つ護衛対象であるなら、もっと違う方法を選ぶはずだからだ。
それに女官長であるフローラもそうだが、マリナたち女官は王女が起床してからは就寝まで常に付き添っているのではないか。
だとしたら心理的に、応接室などの人の往来が多そうな場所には隠せない。
あの絶世の美女ならぬ美形であるランスロットも、従兄であるなら気さくに訪れているかもしれないしね。
女官たちはともかく、ランスロットにみつかったら即処分されてしまうだろう。
「まぁ、それは王女様が自殺したと仮定しての話ではあるけどね」
捜査は視野を広くもって行うべきだ。
この事件には証言も証拠も、何もかもが足りない。
だから自殺だけではなく、毒を使った殺人であることも視野に入れなければならない。
ともかく私は起きてみることにした。
いくら動きにくいほどの巨体とはいえ、寝たまま物を探せるような能力はない。
「よっこい……せ? っと?」
体を横に向けてから、ベッドに手をついて起き上がったときに、ふっと違和感を覚える。……妙に体が軽い。
マリナたち女官が三人がかりで起床させたとは思えないほどにスッと起きられたのだ。
服毒した肉体を魔法で解毒させているのだから、体調だって本調子ではないはずと考え、それなりに気遣って起きたつもりだったのに。
「そういえば、さっき手足をバタつかせたとき、そんなに重みを感じなかったような……?」
体が重くなれば自然、自身にかかる負荷が上がる。ゆえに肥満になると動きが鈍くなるわけだが、先ほどといい今といい、さほど負荷を感じずに動けた。
「なんというか……風船みたいな体ね、この王女様」
もしかしたら歩けるかもしれない。ちょっと歩いてみようかと思い立ち、私はそっとベッドから足をおろした。
足下にやわらかそうなルームシューズが置いてあったので、それをはいてみる。バレエシューズに似たデザインのそれは、シルクで作られているのか、とても肌触りがいい。
「うん、軽いわね、体が」
一歩一歩踏みしめながら歩くと、自然に感想がこぼれていた。
こんなに巨体なのに、なぜこれほど軽いのだろう。ここまで軽やかに歩けるとは思えない見た目なのに……適正体重のような自然さだ。
私はためしに腕立て伏せをしてみた。
ぶよんぶよんの脂肪は邪魔なのは間違いない。けれど……
「……あ、やっぱりおかしい」
腕にかかる負荷が予想よりも軽い。腕を曲げて伸ばし体を持ち上げるという行為に必要以上の苦労を覚えない。
「なに? この例えようのない違和感……」