第一章ー③
創造神様の言葉を信用するなら、この体の持ち主は王族、それも第一王女である。もし、この国の王位継承権が男女平等に与えられているとしたら、狙われたとしてもおかしくない。
目の前の誰かに疑問を投げかけたいのだが、記憶喪失を装っている手前、あからさまに問うことはできない。
「しかしフローラ殿が解毒魔法を使えてよかった。そうでなければサラは亡くなっていた」
ランスロットがどこか強引に話を戻すように言った。
まさか本当にサラが亡くなっていて、アラフィフでバツイチ子持ちのオバサンの魂が入っているなんて考えないだろうな、この超絶イケメンさんは。
フローラも、助けたはずの王女様が死んでいるなんて思いもしないはずだ。
そんな私の考えなど気づくことなく、ランスロットとフローラは会話を進めてゆく。
「発見が遅れていれば、わたくしの解毒魔法でも手遅れでございました。今回は運が良かったのです」
「いいや、それでもだよ。感謝する、フローラ殿」
ランスロットが軽く頭を下げたので、フローラが困ったような笑顔で軽く首を傾けた。
「おやめくださいませ。名門メディウス公爵家の家名を背負うお方が、家臣に対して軽々しく頭を下げるものではございませんよ」
まるで母親が息子を諭すかのように、フローラは優しく語りかける。
なるほど、ランスロットは名門公爵家の出身か。家名を背負うということは、跡取りということだろうか。
少しずつ、情報が私の頭へ蓄積されてゆく。
いろいろとわかってきたところで、私は先程のメリッサの発言で湧いた疑問をフローラへぶつけることにしてみた。
フローラが表情を切り替えたところを見計らい、私は声をかける。
「あの……フローラ、さん」
「フローラとお呼びください、殿下。わたくしは殿下の家臣。殿下から敬称をつけていただける立場ではございません」
「わ……わかりました」
この人、他人にも厳しいけど自分にも厳しいようだ。さすが女官長を務めるだけのことはある。その気概に気圧されてしまった。
でも逆の立場だったら私もそうだっただろう。
前世で警視として働いていたときは、それなりの挟持を持っていたから気を張っていた。部下には多少なりとも威圧を与えていたかもしれない。
そんなことを考えていると、
「殿下、失礼いたします」
そう言って、フローラは私の額に手をかざし、小声でなにかを呟いた。
ふわりと、そしてゆっくりと、目の前が白い光が輝く。とたんに頭痛や倦怠感が和らぎ、体が軽くなってゆく。
なにこれ。一瞬で体調不良がなくなるなんてすごい。
フローラは私の顔色をみて安心したのか、小さく息をついた。
「今のは……なんですか?」
「治癒魔法でございます。お顔の色が少々悪うございましたので、かけさせていただきました」
なるほど、これが魔法か。すごいとしか表現のしようがないうえに、とっても便利。日本にも、こんな魔法があれば救われた命もあるのではないかとさえ考えてしまう。
「殿下、わたくしになにか尋ねたいことがおありになるのではございませんか?」
そうだった。治癒魔法の素晴らしさに感動して、質問したいことがストンと頭から抜け落ちてしまった。
「その前に起きてもいいですか? あなたの魔法のおかげで、体が少し楽になりましたから……」
そう訴えると、真っ先にマリナがスッと動いた。
メリッサはなぜか入り口のほうへ体ごと向いていたが、マリナを見て少し驚いた顔をしてからすぐに私へ近づいた。デイナはメリッサが動いたのを確認してからベッドまで寄ってくる。
それぞれが私の体の腕や体を支えながら起こす。続けて三人は枕を私の背後へいくつか差し込んで、座りやすいように手早く整える。
さらにはマリナが水を持ち、私の目の前にもってきてくれた。
「失礼いたします」
そう前置きしてから、マリナは私の口元へグラスを当てて、慎重に飲ませてくれた。
そろそろ喉が渇く頃だと彼女たちは気づいていたのだろうか。実際に喉が渇きはじめていたので助かった。
水温も病人に合わせて常温に近い。なんて素晴らしい心配り。
水はうっすらと柑橘系の味がして飲みやすいなと思っていたら、メリッサが両手で持っているピッチャーに、水と一緒に薄切りのレモンらしき果実が数枚入っていた。
……あの、ここまでしていただかなくても結構です。
なんて言えないくらい、彼女たちの介護は真剣そのものだ。
私に対する接し方も、まるでガラスで作られた芸術品にでも触れるかのような丁寧さで、そのうえ動作が素早く隙がない。
私自身が平民のせいか、ここまでされるとどうしても恐縮してしまう。
でも……私が起きるだけで三人も必要なのか。介護でも二人くらいで起こすと思うのだけれども。
やはり王女だから大事に扱うのか……。いや、その疑問は後回しにしよう。
「ありがとう、マリナ。それからメリッサに……デイナも」
お礼を言うと、マリナがにこりと微笑み、そして胸に右手を当てて低頭した。メリッサとデイナもそれに続く
。
「私どもにはもったいないお言葉でございます」
代表で、マリナが私の礼に答えてくれた。
喉も潤ったところで、私はフローラを見上げた。
「フローラ。皆さんのお話を聞いていると私は毒を飲んだとわかるのですが、それは私が自ら飲んだのですか? それとも誰かに飲まされたのですか?」
その瞬間、場の空気がおかしくなった。
質問を投げかけられたフローラだけでなく、マリナ、メリッサ、デイナ、そしてランスロットも、目を丸くして呆然としている。
さすがに驚きすぎではないか。
「あの……私はなにかおかしなことを言いましたか?」
質問を重ねると、最初に我に返ったのがランスロットで、続けてフローラも大きく体を震わせてから、改めて私に視線を置きゆっくりと低頭した。
「失礼いたしました。殿下がご記憶を失われているのは真実であるとご発言から実感してしまい……。不覚にも、言葉に詰まった次第でございます」
なんだか嫌な予感がする。ここはハッキリさせておいたほうがよさそうだ。
「なぜ、そう思われたのですか?」
「ご記憶を失われる前の殿下は、とても繊細なお心をお持ちで……恐ろしい話、暗闇や人々の諍い、暴力行為などから目を背けておられました」
あぁ……。つまり超臆病だったということか。なるほどね。
サラがあまりに怖がりなものだから、自らが死にかけた理由を質問できるはずがないのにと驚いたのだろう。それも、この場の全員がほぼ同時に。
どんな王女様だったの、まったく……と呆れる前に、この先はどうしようかと思い悩む。
質問を続けることは、なんとなく危険な気がする。
なぜなら私は、あのキッチンで出くわす黒光りした昆虫くらいしか怖いものが思いつかない。警察官という前世での仕事柄、惨殺死体を見ることもわりと平気なほうだ。
そのため勢いに任せて質問を重ねてしまうと、彼女たちが持ち続けている『サラ王女』の性格とは確実に乖離してゆく。
彼らが持つ『臆病な王女様』というイメージが確実に壊れるだろう。
さすがに中身だけが違うとは考えつかないとは思うが、別人だという感覚を持つ可能性は捨てきれない。
そう考えた理由の一つが、魔法だ。
先ほどフローラが見せた治癒魔法が存在するのであれば、他にも違った魔法があるかもしれない。たとえば変身する魔法とか。
とはいえ、生前の世界では魔法なんて存在しなかった。あったとしてもマンガやゲームなどの空想世界だけ。その空想世界の知識すら、私には欠片もない。
だが、どうしても疑問のほうが勝る。王女が毒を飲んだ理由を知りたい。
これは私がこの先、この世界で生き続けるために必要なことなのだ。
「そんなに臆病なのですか……私は」
私の呟きに対し、誰も否定しないし肯定もしない。やはり、サラという名の王女様のイメージは全員が同じものを持っている。
でも、臆病な私……か。
「そんな自分は……わかりません」
ほとんど無意識に、ごく自然な感想が口からこぼれた。
前世の私は『強い女』だと、他人からよく言われてきた。それは警察官という職種に就いていたせいもあるだろう。
今でこそ男女差が和らぎつつあるものの、警察組織は基本的に男性社会だ。
特に私が入った頃は男尊女卑の意識が強烈にあった時代だから、女というだけで仕事ができないと勝手に判断され、男性警察官から見下されることが多々あった。
昇進だって、男性と比べると遅いと感じたこともある。
そういった批判や風潮を仕事ぶりではね除けるごとに、いつしか私は『強い女』だと、半ば揶揄されるように言われた。
私自身には自覚がなかったものの、他人から何度も言われるのであれば、そういうふうに見える言動を私は他人へ見せ続けてきたのかもしれない。
そして実際に私は今、まったくイメージができない。些細なことにさえ恐怖を覚える人間の感情が。
目の前にいる人たちが頭のなかで思い描いている臆病な王女様の姿が――
「わからないからでしょうか、あまり怖くないのです。ですから、私が毒を飲んだときのことを教えていただけますか?」
言いながら、私は両手の指先で軽くこめかみを押さえた。少し頭痛がしてきたからだ。だが、まだ我慢できる。
今はともかく、証言を得なければ話にならない。
私がこの世界で生き抜くためになにをすべきなのか、サラは毒をどのようにして飲んだのか。それを知る必要があった。
「フローラ。お願いします。教えてください」
私は再度フローラへ語りかける。
フローラはまぶたを下ろして少しだけ考えると、ゆっくりと目を開けた。
もしかしたら覚悟を決めたのかも知れない。そんなことを思わせるほど彼女は慎重に、ゆっくりと語った。
「殿下はわたくしの目の前で、ご自身で毒を飲まれたと考えております」