第三章ー①
アンティークゥムいう世界の東に位置する大陸『オルトゥス』。
月見紗良が転生したオパルス連邦王国の北に位置し、大陸の中央からやや東寄りの位置に、フームスと呼ばれる大きな火山がある。標高五一九九メートル、この大陸でもっとも高い活火山だ。
この火山の九合目に山小屋がいくつか建ち並んでいた。
一軒だけが大きく、その周辺には似たような山小屋が六つほど建っている。
「それにしても、本当に無駄に高いところにアジトを建てましたね、ソール様」
巨大な純白の天狐が、山小屋を見上げて派手なため息をついた。
先端だけ紅色の模様が入った、太く大きな三つの尾っぽが目立つ狐は、額にも紅と金で文様が刻まれている。
一本筋が通ったかのようなエジプト座りは神々しいほど美しく、とても高貴な存在見える。もし人間が見れば神と見間違えたかもしれない。
「たかが四千メートルちょいだぞ? 俺たちなら特に問題ねぇだろ、ユキヅキ」
黒髪に濃褐色の瞳と典型的な東アジア系の面立ちの男――ソールが、天狐の隣に立つ。象よりも大きなユキヅキの隣では、一九〇センチ超えのたくましい長身もかすんでしまう。
ユキヅキの絹のように美しい純白の背中には、山のような荷物が乗せられていた。またソールの背中にも、おおよそ人間が背負えるとは思えないほどの荷物が背負われている。
「だいたい、建てようと言い出したのはムンドゥスだ」
「それに便乗して悪ノリしたのはソール様だけです」
「いいや、アンヌスとヴィータも同意したぜ」
「それはムンドゥス様やソール様が言い出したら、絶対に退かないことをご存じだからですよ。反論は無駄だと理解しておられるんです。だいたい、アーエール様やボヌム様なんてドン引きしてらしたじゃないですか」
「そうだったか? でも建てているときは皆ノリノリだったろ?」
「問題はそこではありません。僕が言いたいのは仕事の効率なんです。神獣様方の気まぐれでこんなアホみたいな標高にアジトを建てたまではいいとして、そこまでの移動を徒歩でと仰るソール様が、僕には全然理解できないんですよ」
「だから、おまえが転移魔法を使うのを許したじゃねぇか」
「あたりまえです。……って言うか、僕が言いたいのはそういうことじゃないんです。いいですか? だいたいあなたは……」
普段は冷静なユキヅキだが、時々こんなふうに口やかましくなる。
ソールはユキヅキの説教を耳にするたび、「おまえ、本当に俺の眷属か?」と言いたくなるのだが、なんとか堪えた。
あまり強く言いすぎると、ユキヅキは他の眷属たちを巻き込んでストライキを起こすことがあるのだ。
(つーても、俺もやり過ぎてるという自覚はあるしなぁ)
眷属に苦労をかけているという自覚はあるものの、それでもソールは自重しない。ある一つの誓いを除いては、やりたいようにやると決めているからだ。
そしてユキヅキはストッパー役として文句を言い続けるものの、最終的には主人であるソールの決定に逆らうことはない。だがユキヅキがしつこく抗議するからこそ、ソールの悪ノリがある程度のところで止まっているのも事実だ。
ただし、ある程度まで、だが。
「……――なんですよ。わかりますか?」
「あー、わかってる、わかってる」
「ソール様……。僕の話、まったく聞いてなかったでしょう?」
主人が適当に聞き流していたことは、ユキヅキにはお見通しらしい。
さすがに四千年以上も眷属としてソールに仕えてきただけのことはある。……と褒めてやりたいが、おそらく褒めたらストライキに入られる。
「効率を考えてくださいと言っているんです。あなたは創造神様方の使徒――神獣様なんですから、僕たちと違って瞬間移動ができるでしょう?」
「ちょっと待て。人里から瞬間移動なんかしたら、逆に目立っちまうだろ。あれ魔法じゃねぇんだぞ」
「じゃあ、神獣としてのお姿に戻って運べばよかったじゃないですか」
「元の大きさに戻って運ぶって……九頭龍にか? いやいや、そのほうが難しいって。力加減を誤ったら、せっかく買った荷物が全部壊れるだろ」
「人里を離れてから元のお姿に戻るという方法もあるはずです」
「いや、だからさ。いくら人目がないところで元の九頭龍の姿に戻ったとしても、空を飛んでるところをみつかったらどうすんだよ? オパルス連邦王国とかウルツァイト帝国とかが、魔物討伐部隊をそれぞれ派遣しちまうだろうが」
「そりゃ九つの頭を持つ巨大な竜種が空を飛べば、当然、検討するでしょうね」
「だろ? だからダメだ」
「でも、このフームス火山を取り巻く巨大樹海には人間や魔人、亜人や獣人も含めて、ほとんど入れないように結界を張ってるじゃないですか。通り抜けられるのって魔物や動物くらいで。どうやって討伐に来るんですか?」
「もしかしたら、結界を破るかもしれねぇだろ?」
「まさか。神獣様の結界を解ける生物なんて、僕が聖獣として転生してから四千年以上見ていません。だいたい、その複雑な結界を張ってるのってソール様ですよね?」
「いや、ボヌムだな」
答えたとたん、ユキヅキが半眼となってソールを見据えた。
「ソール様……嘘はいけません。自分が仕えている主の力の質は、眷属である僕たちにはすぐに見抜けるんですから」
「はい、俺です。すみませんでした」
「なんですぐわかる嘘つくかな、この単細胞神獣様は……」
(主を単細胞と言うのは、どうかと思うぞ、ユキヅキ)
ソールは内心で思いつつも、それ以上の言葉を控えた。
反論すれば、おそらく倍になって返される。
「そりゃ荷物運びだって、俺が九頭龍の姿に戻って空を飛んだら一瞬だってことはわかるよ? でもな、おもしろくねぇだろ、それじゃ」
「僕は買い出しには合理性しか求めていません」
「仕入れ品を背負い、苦労して登る。そうして手に入れたモノを食べる。すっげぇ働いたって気がするだろ?」
「移動時間の短縮で、他の仕事ができるとは思いませんか?」
あぁ言えばこう言う。屁理屈も多い。まったく愛嬌のない眷属だ。
……とは思ったが、やはりソールはそれ以上、ユキヅキには言わなかった。
どうせまた、あとでブツブツと小声で愚痴るのだ。相手をするのが面倒くさくなりそうだったので、ソールは放置することにした。
「……ったく。僕はどうして、わざわざ異世界転生してまで、こんなおちゃらけた神獣様のお世話なんてしているんでしょうか」
ユキヅキは異世界からの転生者――もとい、転生狐だ。
日本で車にひき殺された本土ギツネで、死後、神獣の手伝いをするために創造神たちが転生させた。
そして、そういった転生動物は他にもいる。
ユキヅキは天狐だが、前世では猫でケット・シーに生まれ変わったもの、前世はロバでユニコーンとなったもの、犬がケルベロス、オウムがスパルナ……と、転生後の姿はさまざまだ。
その姿は前世に反映されているのか、だいたい似た感じの魔物となるらしい。
さらに転生した魔物は『聖獣』と呼ばれ、世界中に存在する魔物とは別格の存在となる。
聖獣と同じ名前の魔物は世界中にいるが、その強さは桁違い。同族同種で戦ったとしても、聖獣相手では瞬殺されるだろう。
そんな破格の存在が、ソールたち神獣の傍で働いている。
「まったく……ソール様だって地球からの転生者ですよね? もう少し僕たちに『あぁ、偉大なる神獣様のお仕事を手伝っているなぁ』って思わせてください」
「まぁ、いつか……そのうちにな」
苦笑とともに適当に答えつつ、ソールはもっとも大きな山小屋の短い階段を登り、幅二メートルほどのウッドデッキに荷物を置いた。
ユキヅキも浮遊魔法を使い背中の荷物をウッドデッキへ下ろすと、体の大きさを大型犬くらいに変化させた。巨大なままでは、共同スペースとなる中央の小屋へ入れない。
ソールは一部の荷物手に取り、共同住居と呼んでいる山小屋のドアを開けた。
このアジトはアンティークゥムの人間たちがいう宿屋を手本として造ったため、大きめの木製ドアを開けるとすぐに食堂が広がっている。
「おかえり、早かったね。買い出しご苦労さま」
カウンター向こうのキッチンスペースに一人の青年が立っていた。
焦げ茶色の髪に琥珀色の瞳、そして黄色人種よりもやや浅黒い肌。どこか原住民の雰囲気が混じるスパニッシュ系の面立ちは、地球であれば中南米でよくみかけるだろう。
穏やかで知性を漂わせるその整った顔には、とてもやわらかな微笑が浮かんでいる。
「あれ? ボヌム、おまえこそ早くねぇか? 朝食のとき、オパルスにいる知人に会いに行くから帰りは遅くなるって言ってただろ?」
「あぁ、彼とお茶をしていたら急に呼び出されてね。戻らないと失礼になるかと思って」
「呼び出し? ……って、え?」