第7話 父さん、魔王と出逢う
――チュンチュンと、微かな鳥のさえずりが聞こえる。
まぶたの裏をほんのりと照らすのは、窓から差し込む日の光だろうか。
「んぐ、くっ、いってぇ……」
身体を横たえていたベッドから上半身を起こそうとするも、鈍い痛みが身体中を走った。
まだ休息が足りないという全身の訴えを無視し、脂汗をかきながら緩慢とした動作で部屋を出る。
――いや待て。なぜ俺は部屋のベッドで寝ていたんだ?
「もしかしてベルさん、あのあと部屋まで運んでくれたのか…」
廊下の壁に片手をつきながらよたよたと歩みを進めつつ、昨夜のことを思い出そうと試みる。
たしかフェイスを退けたあと、疲労困憊の状態でステラと少女に応急処置を施し、そのままギルドに連れ帰って――
◇
『ベルさん、ただいま戻りました…』
『あっ、ラインさん? 遅かったですね。ちょうど最後のお客さんが帰られたばかりで――ってボロボロすぎません!? というか、その肩に担いでる二人は?』
『申し訳ないんですが、ステラとこの子の手当をお願いします…』
『えっ? あ、ステラちゃん! どこかケガしてるんで――ってぎゃあぁーっ!? こ、ここ、この子、頭から角が生えてますけど! もしかして魔族!?』
『く、詳しいことは明日話しますから…すみません、寝かせてください…ぐはっ』
『ラインさん? ちょっ、困りますよ! ラインさぁーん!?』
◇
――そこから先の記憶はない。
丸投げ以外の表現が思いつかない昨夜のやりとりを思い返し、持ち上げるだけで痛みが走る手で頭をかく。
契約初日から雇い主に迷惑をかけるにしても限度があるだろう。
「……まずはベルさんに謝ろう」
それに、ステラの具合も気になる。
ステラは腹部に軽くないケガを負っていた。最低限の処置は施したが、ちゃんとした治療を受けた方がいいのは明らかだ。
ベルさんのことだから、その辺は上手いこと差配してくれた…と信じたい。
「あとはあの子か。ベルさんには説明すると言ったものの…」
もう一人のケガ人である少女――ソフィアのことを考えると、軽い頭痛に襲われる。
明らかに人間ではない角、魔族であるフェイスに命を狙われていた背景、そのフェイスを土壇場で撃退した(と思われる)強力な魔法。
説明してもらいたいのはこちらも同じだが、どれもこれも明らかに厄介事の匂いしかしない。下手につつけば、やぶ蛇になりかねないだろう。
「慎重に対応しないとな…」
壁伝いに廊下を進んで角を曲がり、ようやく店内へと続く扉の前に辿り着く。
(もうベルさんは起きているだろうか?)
思案しながらドアノブを握り、扉を押し開いた。
「うっ……」
店内に足を踏み入れた瞬間、窓から差し込む強い日差しが目に飛び込んできた。
思わず顔をしかめ、片手を持ち上げて眩しさを避ける。
「あ、父さんだ! おはよー! 朝ご飯あるよー!」
「ふん……」
声が聞こえた方向に腕を動かし、持ち上げた手のひらをゆっくりと開き、指の隙間から覗き込む。
そこにはニコニコしながら大きく手を降るステラと、娘と同じテーブルに座りながらも対象的な仏頂面でこちらを睨む少女と――
「…………」
――物言いたげに、ジト目を向けるベルさんの姿があった。
◇
その後、ベルさんに平謝りしながら、なんと人数分用意してくださったという朝食をいただくことに。
カウンター席に腰を下ろすと、こんがり焼かれたパンと干し肉がのせられた木製の皿と、湯気を立てるスープのカップが静かに差し出された。
(ああ、良い匂いだ――)
瞬間、腹の音がけたたましく鳴り響いた。
「聞かなかったことにしておきます」
「……すみません」
ベルさんの心遣いに感謝しながら、焼きたてのパンを口に運ぶ。
「……っ」
ひと口かじった瞬間、香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
噛むごとに小麦の優しい甘みがじんわりと広がり、思わず目を閉じてしまう。
(美味い…!)
よくよく考えると、昨日は依頼中に干し肉をかじって以来、何も飲み食いしていない。
おそらく元々美味いんだろうが、空腹という最高のスパイスを得た今の俺にとっては、これ以上ないご馳走に思える。
「…………っ!」
一度意識してしまうと、暴走した食欲は止まらない。
さっきまでの疲労感と節々の痛みががウソのように消え去り、気づけばあっという間に完食してしまった。
「っぷはぁっ……み、満たされた……」
「お粗末さまでした。はいコーヒー、どうぞ」
「あ、ありがとうございます。何から何まですみません」
「ふふ、いいんですよ」
あとでたっぷり聞かせてもらいますから――。
にこやかにコーヒーを差し出すベルさんの声に、ぞわっと寒気が走る。
一瞬とはいえ、昨晩フェイスから感じた恐怖に匹敵するものだった…。
「ねーねーキミ、この角ってホンモノなの?」
「くだらんことを聞く…っておい! 気安く触ろうとするでない!?」
「ごめんごめん、そんな怒るとは思わなくて」
「ふんっ」
一方、テーブル席ではステラと少女がきゃーきゃー話し込んでいる。
ステラが一方的にちょっかいを出しているようにも見えるが…まあ、コミュニケーションがとれるのはいいことだ。
というかあの二人、結構なケガだったはずだよな…?
◇
その後、改めて俺、ベルさん、ステラ、少女の4人でテーブルを囲む。
店を開けなくて大丈夫か尋ねたが、ベルさんから「納得できる説明がされるまでは開けません」と返された。
……要するに、逃げ場はないということだろう。気が滅入る。
「ところでステラ、ケガは大丈夫か? ちゃんと教会で見てもらった方が…」
「へーきへーき。ほれ」
そう言うとステラは上着の裾をつかんで引き上げ、腹部を露出した。
昨夜フェイスにやられて出血していたはずだが、傷跡一つ残っていない。
ベルさんの治療が良かったのか? それにしたってさすがに……。
「――ってこら! はしたない真似をするんじゃありませんっ!」
「い~じゃん、別にこれくらい。減るもんじゃないんだしさ」
「ダメ! そういう日頃の行いで品性の良し悪しは決まるんだよ!」
「あははっ。わかったってば。次から気をつけま~す」
カラカラと笑いながら答えるステラ。絶対わかってない…。
「こほんっ。ではラインさん、この状況を説明してくださいます?」
しびれを切らしたのか、ベルさんが口火を切る。
いよいよ本題というわけだ。しかし…。
「自分自身、何が起きたのか把握しきれていないんですが…」
実際のところ、説明しようにも材料が少なすぎるのである。
1.野犬退治の依頼中、少女と魔族の争いに巻き込まれたこと
2.その最中でステラが助けに入り、ケガを負ったこと
3.最終的に謎の渦が巻き起こり、少女の魔法で魔族を追い払ったこと
現時点で俺が把握していることと言えば、これくらいしかない。
「要するに…ラインさんは巻き込まれた側、被害者ってことですか?」
「まあ、そうなるんですかね。ですので詳しい話となると…」
彼女から聞くしかないだろう――。
俺とベルさんの視線を受けた少女は、腕を組んだまま黙して語らない。
「黙ってちゃわかんないよ~。せめて名前くらい教えてくんない?」
ピンと張り詰めた空気の中、物怖じせずにステラが質問を投げかける。
我が子ながら肝が座っている。あるいは、何も考えていないだけだろうか?
しばしの沈黙を経て、少女は目を閉じたまま静かに口を開いた。
「……本来であれば、人間ごとき劣等種と話すことなどない。――が、曲がりなりにも命を救われた恩義がある。答えぬは不義であろうな」
静寂の中で彼女のまぶたが持ち上がり、現れた赤黒い瞳で俺たちを見据える。
ステラでさえもが息を潜める中、凛とした声が静寂を切り裂き――
「余はソフィア。先代――第7代魔王ゾナムの孫にして、当代の魔王である」
――そのまま、とんでもない爆弾が投下された。