第5話 父さん、巻き込まれる
樹木や足元に注意しながら走り続けると、視界を覆う土煙は少しずつ晴れていき、やがて開けた場所に出た。
「――!?」
言葉のとおり開けた場所――多数の木々が放射状になぎ倒され、剥き出しの大地が広がっている。
ついさっきまで草木が生い茂っていたとは思えない、焦土と表現するしかない光景を前に、思わず絶句してしまう。
「っ……ぐっ……」
そのとき、耳鳴りから回復した耳が、小さなうめき声のような音を捉える。
慌てて周囲を見渡すと、焦土の中心でかすかに動く影が見えた。誰かいるのか?
(明らかに普通じゃなそうだが…。ええい、ここまで来て退けるか!)
誰であれ、怪我人がいるのなら放っておけない。
周囲を警戒しつつ、近づいて声をかけることにした。
「お、おい! 大丈夫か!?」
「ぅぐ……」
やはり見間違いではなく、そこには確かに人――少女がいた。
全身に大小様々な傷を負い、衣服も所々が破けて焦げ跡が目立つ。
だが、それ以上に目を引いたのは――。
「つ、角……?」
赤い髪に覆われた少女の頭部から、根本から瘴気を漂わせる漆黒の二本の角が重力に逆らう形で突き出ている。
明らかに、人間ではない。かといって亜人、エルフやドワーフの特徴にも当てはまらない。
まさかこの子は――魔族なのか?
「……ぉい……お主……」
「は、はい!?」
あまりの事態にフリーズしていると、魔族と思わしき少女に呼びかけられて我に返る。
「っぐ……! な、なぜ……人間が、余の魔界におる……?」
「は? 魔界…? 何を言って」
「――見ぃつけたぁ――」
「きゃあっ!」
「ぐおおっ!?」
上の方から声が聞こえたのとほぼ同時に、俺と少女の間に黒い光のようなものが走り、着弾した地面が爆発する。
衝撃でえぐられ撒き散る土くれと一緒に、俺は派手に吹き飛ばされた。
(い、ってぇ~……!?)
剥き出しの地面に叩きつけられた痛みが全身を襲う。
不幸中の幸いというやつか、動けないほどではなさそうだ。
少しだけ冷静になった頭を回し、同じように吹き飛ばされたであろう少女の姿を探す。
(いたっ。だ、大丈夫なのか…?)
少し離れたところに倒れている少女を見つける。が、動く気配がない。
「よっと。ん~、外しちゃったか。土壇場の運はさすがだねぇ、ソフィアさん」
近づいて様子を見るべきか思案している間に、突如、空から女が舞い降りた。
ソフィアと呼ばれた少女は、女の――こちらも頭部から山羊を思わせる2本の角を生やしている――からかうような言葉に反応したのか、のろのろと上半身を起こし、女を睨みつける。
「お主、このような狼藉、ただで済むと思っておるのか…!」
「仕事だからねぇ。恨むなら雇い主か、あなたの出自にしてほしいなぁ」
「戯れ言を叩くなッ!!」
憤怒の表情を浮かべ、少女は女に向かって右手を突き出す。
それを見た女は肩をすくめ、憐憫さえ宿した視線を少女に向けた。
「あなたの魔力は封じてるよ。大人しくしてれば優しく殺して――」
「黒炎ッ!」
ぷすん…。
女の言葉を遮り放った少女の言霊。
それは突き出した手のひらに小さな炎を一瞬生み出した後、そのまま夜の森へと吸い込まれていった。
「ね? だから言ったでしょ?」
「~~~~~っ! 余の、余の力は、こんなものではッ……!」
先ほどの事象は、少女の思い描いたそれとは程遠かったのだろう。
目に涙さえ浮かべ、うつむき、嗚咽混じりに右手を地面に叩きつける。
何度も、何度も…。
「満足した? じゃあ、殺すね」
女はそう言うと、ふわりと重力を無視するように浮かび上がった。
そのまま片手を空に向かって掲げると、瞬く間に女の頭上に真っ赤な炎の塊が形成されていく。
巨大なそれは、小さな太陽のように脈動し、解き放たれるのを今か今かと待ちわびているように見えた。
――考える前に、身体が動いた。
「ま、待ってくれ!」
「? 誰だい、キミ」
少女との間に分け入った俺を、たった今初めて視界に入った(事実そうなのかもしれない)ように、女は不思議そうに見つめる。
「ぶ、部外者が口を挟むのは、野暮だと承知しているが…」
頭上で燃え盛る炎の脈動音が響く中、恐怖とともに小さく喉を鳴らす。
「弱い者イジメは、カッコ悪いんじゃないか…?」
――痛いほどの沈黙が、その場を支配した。
「……弱い者イジメ?」
「そ、そうだ。その子はもうボロボロじゃないか。君たちがどういう関係なのか――少なくとも友好的じゃないとは思うが、片方が一方的に嬲る光景というのは、見ていて気持ちが良いものじゃないだろう? だ、だから、まずは冷静に話し合ったらどう…だろう…」
「――ふ、ふふっ、あっははは! 面白いなぁ、キミ!」
恐怖のあまり言葉尻が小さくなる俺を見て、女はもう片方の手で顔を覆いながら、心の底から楽しそうに笑う。
「聞いたかいソフィアさん。あなた、人族から見て『弱い者』らしいよ?」
「……っ!!」
背後から少女の強い視線を感じる。
弱い者呼ばわりされて怒っているのだろうか。
悪気はないんだ、許してくれよ…!
「っはぁ、こんなに笑ったのは久しぶりだなぁ。キミ、なかなか面白い人族だね。コメディのセンスを感じるよ」
「お笑いの技能はないんだけどな…」
冷や汗をかきながら軽口で返す。
未だに何者かはわからないが、俺と少女の生殺与奪の権利を握っているのは、間違いなくこの女だ。
できれば交渉で立ち去ってもらいたいが…。
「さて、どうしようか。ソフィアさんは殺すとして、キミは奴隷として連れ帰るのも面白そうだよねぇ。でもちょっと面倒だよなぁ…うーん…」
女は上空に炎球を浮かべたまま、何やら物騒なことを呟きつつ思案し始めた。
少女を連れて逃げるなら今がチャンスか?
……いや、見たところ少女は満足に動けそうもない。抱えて行くにしても、すぐに追いつかれてしまうだろう。
だからといって、事ここに至って少女を置き去りにするという選択肢もない。
(八方塞がりじゃねえか。クソッ、なんで野犬退治がこんな大事に…!)
この状況に飛び込んだのは自分自身だと分かってはいるものの、心の中で悪態をつく。
「よし決めた。キミ、名前は?」
少し悩むも、答えなければ相手は気分を害するだろう。名乗ることにする。
「……ラインだ。ライン・シュラウス」
「良い名前だねぇ。じゃあライン、今からソフィアさんを殺す。そこにいると巻き込まれるから、退いてくれると嬉しいなぁ」
退けるわけねえだろ…!
気を抜くとガタガタ震えそうになる両足を踏ん張り、少女を庇うように両手を広げる。
それを意思表示と受け止めたのか。女の眼が、スゥッと細められた。
「残念だなぁ。キミとは良い関係を築けると思ったのに…」
言葉とは裏腹に抑えきれない女の愉悦に呼応するように、上空の炎はさらに膨張しながら輝きを増していく。
「最期だし自己紹介しとこうかな。ボクはフェイス。キミたち人族からは『黒の明星』って呼ばれてる。ライン、生まれ変わったらボクのところにおいでよ。そのときは一緒に遊ぼう」
「お、おい待て!? まだ話は終わって…!」
これ以上話すことはないと言わんばかりに、女魔族――フェイスは、火球を掲げた手を振り下ろした。
「―――――!」
「なぁっ……!?」
反射的に振り返り、そのまま少女に覆い被さる。
こんなもんで防げる攻撃じゃないだろうけど、やらないよりマシだろう…!
直後、巨大な炎塊は俺と少女に直撃し、容赦なく全身を焼き尽くし――。
「……?」
おかしい、とっくに直撃しているはずなんだが…。
「っ……! いいかげん退かんか、この下郎っ!」
「ぐほぉっ!?」
下敷きにしていた少女の膝蹴りを股間に受け悶絶する。
耐え難い痛みに襲われながらも、何が起きたのか確かめるため、今一度フェイスがいるであろう場所に視線を移す。
「――――――」
そこには、火球を掲げていた方の腕を失った無表情のフェイスと。
「マズったなぁ……」
妻の形見の双剣を構え、彼女に対峙するステラの姿があった。