第2話 父さん、冒険者になる
「なんか想像よりボロいな…」
居抜きと思わしき年季の入った平屋の物件、それと対象的なピカピカの『風花の若鷹亭』と書かれた看板。
ここがエブリンの後輩が立ち上げたという、冒険者ギルドで間違いなさそうだ。
「……よし、行くか」
入るかどうか少し悩むも、ここまで来て帰るという選択肢はないだろう。
意を決し入口のスイングドアをくぐると、油が十分さされていないのか、ギギィと喧しい音を立てて開く。
その音に気づいたのか、正面に見えるカウンターの奥で何やら作業をしている小柄な緑髪の女性が、こちらに視線を向けた。
「あ、ごめんなさーい! いま準備中なんです。もう少し待ってもらえる?」
申し訳無さそうに顔の前で両手を合わせる女性。
見たところ20代といったところだろうが、愛嬌を感じさせる仕草が不思議とよく似合う。彼女がエブリンの後輩だろうか。
「お忙しいところすみません。実は私、エブリンさんから紹介を受けた者で…」
「えっ、エブリンって…先輩の? 紹介ってなんの?」
怪訝そうに首を傾げられてしまう。あれ、大丈夫かこれ…?
「私も詳しくは知らないんですが、雑用係が欲しいとか何とか」
「雑用係…? あーあれか! 先輩、前に飲んだときに相談したの覚えててくれたんだ!」
良かった、エブリンの記憶違いというわけではなさそうだ。
気づかれないよう胸を撫で下ろす。
「まあまあ、立ち話もなんですし座ってください! あっ、コーヒー入れますね」
言われるがままカウンター席に腰を下ろし、待つことしばし。
挽きたてのコーヒーが入ったカップを女性から受け取る。
「すみません、気を遣わせてしまって」
「いえいえ~。もしよければ味について、奇譚のないご意見をくださいな」
そのまま俺の隣に座り、ニコニコとこちらを見つめてくる。
この状況で遠慮するのも逆に気が引けるな…。早速一口いただくとしよう。
「……おお、美味い」
浅煎りの豆を使っているのだろうか。苦味は薄く、強めの酸味が感じられる。
好き嫌いが分かれそうではあるものの、個人的には好みの味だ。
「あっはは、お世辞でも嬉しいです。おっと失礼、自己紹介がまだでしたね」
こほんと咳払いした女性は、改めて俺の目をまっすぐと見据えた。
「アンバー・ベルです。冒険者ギルド『風花の若鷹亭』のマスターを務めています。エブリン先輩とは『白狼』に所属しているときにお世話になって。ええ、そりゃもう色々と…」
彼女――ベルさんはそう言うと腕組みし、昔を懐かしむように目を細める。
しかし気のせいだろうか、微かに腕が震えているような…?
「……エブリンにしごかれたんですか?」
「しごきというか……いや、あれはしごきですね。はい、滅茶苦茶しごかれました!」
おかげで随分とタフになりましたけど――。
そう続けたベルさんの眼差しは、どこか遠くを見るようで切なげなものだった。
エブリンのやつ、年下相手にも容赦ないからな…。
「まあ、私のことはこれくらいにして! あなたの自己紹介をお願いしていいですか?」
「はい、ご挨拶が遅くなりました。私、ライン・シュラウスと申します。元鍛冶職人で――」
今は無職です、と続ける前に、ベルさんがずいっと身を寄せてきた。
「シュラウス? もしかして、ステラちゃんのお父さんですか?」
「は、はい、そうですが…」
その勢いに少し引きつつ、肯定の意を返す。
そうか、エブリンの後輩ならステラと面識があってもおかしくない。
ひょっとすると彼女が『白狼』にいた頃、ステラがお世話になっていたのかもしれないな。
「やーんもう! そういうことは早く言ってくださいよ!」
「は……?」
次の瞬間、ベルさんは勢いよく立ち上がった。
なぜか興奮しているようで、そのまま人の背中をバンバンと叩き始める。
この人、わりと力強いな…!?
「あのメガ強いステラちゃんのお父さんってことは、そりゃもうギガお強いんでしょう!? 何かしらの技能でBくらいお持ちだったりするんでしょう!?」
「あ、いや、その…」
どうやら俺の能力をステラの才能から逆算しているらしい。よくある誤解だ。
しかしメガだのギガだの、独特な形容をする人だな…。
「そんな人がいきなり加入してくれるなんて…! ああっツイてる、ツキまくってるわ、私! じゃあ早速、条件面の交渉をしましょう! なにぶん設立したてのギルドなので限界はありますけど、可能な限りの誠意を持って契約させていただきますのでっ!」
「いやだから待ってください!? その、実はですね…」
興奮して話をガンガン進めようとするベルさんを制し、事情を説明していく。
・自分が技能なしであること。
・所属していた鍛冶ギルドが解散し、無職になったこと。
・友人のエブリンから、ここの雑用係として紹介を受けたこと。
俺が説明し終えるころには、ベルさんはすっぱいものを食べたときのように顔のパーツを中央に寄せ、それはもう渋そうな表情にシフトしていた。
とんでもない顔するなこの人…。
「ごめんなさい。私、勝手に舞い上がって興奮しちゃって…」
「俺が言うのも親バカっぽくてあれですが…。あれだけ才能ある子の父親って聞いたら、誰だってそう思いますよ。そういう反応には慣れてますから気にしないでください、ははは」
フォローのため、最後に軽めの自虐を入れておく。
エブリンあたりに聞かれるとしかめっ面されそうだが、ときには必要な自虐だってあると思う。
「ふっうぐぅ~、ホンッッドにごめんなざい…!」
……やっぱり不要だったかもしれない。
罪悪感を刺激されたのか、カウンターに突っ伏して泣き出してしまったベルさんを慰めながら、俺は脳内で『それ見たことか』とふんぞりかえるエブリンに謝るのだった。
◇
それから十数分後。
ようやく泣き止んだベルさんから、『風花の若鷹亭』の現状について話してもらうことになった。
「ぐすっ…。うちのギルドって設立したばっかりで、専属の冒険者がほとんどいなくて。なので依頼が入ったときは私が直接こなすか、『白狼』に仲介料の一部を支払って、向こうの冒険者にスポットで引き受けてもらってるんです」
そういえば、俺が所属していた鍛冶ギルドでも繁忙期(ほぼなかったが…)になると人手が足りず、提携している大手ギルドから職員を融通してもらっていた。
業種は違えど、中小零細ギルドの悩みは似通っているのかもしれない。
「いちおう『白狼』からは円満な形で独立したので、わりとお安くはしてもらってるんです。だけど、塵も積もれば何とやらって感じでして…」
「中抜きされるとつらいですよね…。お気持ちお察しします」
「ありがとうございます。で、ここからはラインさんにも関係してくるんですが…」
そう言って席を離れたベルさんは、カウンター奥側にある棚から書類の束を取り出す。
その中から数枚を抜き取ってカウンターの上に並べた。
「うちに寄せられた依頼の一部です。どうぞご覧になってください」
「あ、はあ。では失礼して」
ベルさんに言われるがまま、依頼書と思わしき書類に目を通していく。
どれどれ?
◆
・いなくなった猫を探してほしい
・週に1回、買い物の代行をお願いしたい
・ラブレターの代筆を頼めないだろうか
・近くの森をうろつく野犬が怖いから退治して
・旅行中、留守番の爺さんの下の世話を頼みたい
◆
「…………」
これは、冒険者の仕事というか…。
「率直なご感想をどうぞ」
「その……なんでしょう。頑張れば俺にでも出来そうかなぁ、と」
言葉を選んで遠慮がちに告げると、ベルさんの顔がぱぁっと明るくなった。
「良かったー! じゃあ専属冒険者として契約ってことで! 給料は基本1割・歩合9割でいかがでしょう!」
決断が早い…! そもそも専属冒険者? 雑用係ではなく?
というか給与の比率えぐいな!?
「あ、あの、雑用係と伺っていたのですが…?」
「大丈夫、こんなのほとんど雑用なみたいなもんですよ! さあラインさん、こちらの契約書にサインを! ああご安心ください、少なくとも最低限の衣食住に困らない額のお給料はお支払いします! ……うちが破産しなければ」
「最後に怖いこと言わないでくれます!? そもそも、その、自分に冒険者は無理かと…」
エブリンや娘のステラを見ているからわかる。
冒険者になるには最低限の資質――それに適した技能が必要だ。
ろくな戦闘経験もない三十路の技能なしに務まるとは到底思えない。
「そんなことありません! ラインさん、身体も締まってイイ感じにムキムキですし、技能なしでも武器さえあれば最低限の戦闘はこなせます! 話し方だって礼儀正しいですし、泣いてる私を慰めるくらいの優しさもある! つまり依頼人との折衝適正がある! ほどよく知勇兼備のナイスガイとくれば、もう冒険者になるしかありませんよねぇ!?」
人の話し聞かねえなこの人!?
怒涛の勢いで褒め殺されて悪い気はしないものの、やはり冒険者になるのは…。
「むう、ここまで言ってもダメですか? いったい何が不満なんです!?」
全部だよ! とは、こちらから訪問した手前、さすがに言いづらい…。
「――いくらです?」
「は?」
「いくらなら、そのたくましい身体をうちに捧げてくれるんですか?」
唐突にいかがわしいお店で使われそうなフレーズが飛び出してきた。
「誤解を招く表現は止めてくれませんか!?」
「そういうのいいですから。腹割って話しましょう。いくらです?」
ベルさんの目を見る。
……据わってやがる。どうやら本気のようだ。
「……じゃ、じゃあ、これくらいで」
依頼書の空きスペースに、ダメ元で前職の3割増しの金額を書いてみる
「ほぉん。実績なしの技能なし、なしなしですからねぇ~」
無常にも二重線で消されたその横に、新たな額が書き込まれる。
前職よりかなり下がるが、まあ、父娘ふたり食べていけなくはない額だ。
なしなしの三十路に提示される額としては妥当なのかもしれない。
「……これは、固定給と認識して構いませんか?」
しばしの沈黙の後、喉の奥から絞り出すような俺の声に、ベルさんは天使のように優しい笑みを浮かべた。
「はい! うちのギルドへの専属料として毎月お支払いします。もちろんこれとは別に、依頼を達成する度に報酬をお渡ししますよ。いわゆる歩合ってやつです」
実質的な歩合もあるなら、悪くないのでは…?
「あと、これはあくまで私の想像なんですけどぉ。ステラちゃん、パパが同業種になるって聞いたら喜ぶんじゃないかなぁ~」
そう、ステラ。
いま俺が優先すべきことは、ここに来た目的はなんだ?
――ステラのヒモにならないためだろうが――!
「ベルさん……」
「お決まりのようですね」
俺の表情からすべてを察したのか、ベルさんは「ニタリ…」としか形容できない笑みを浮かべた。
その手に、契約書を持ちながら――。
「ようこそ『風花の若鷹亭』へ。歓迎しましょう、盛大に…!」