八神 聖
アルキの歓迎会も兼ねての、「積分コンテスト」の打ち上げが行われた
基本的にこういう飲み会は自由参加で、仕事が残っている者もいるので全員ではない
佐倉咲も不参加ということで、落ち込んでいたアルキだが、遠藤瑠美が少し酔った様子で寄り添ってくる
「七面先生ぇ、今日は本当にびっくりしました。まさかM.I.Tの博士号を持ってらっしゃるなんて……私……誤解していて……やっぱり先生は素敵ですね!」
「瑠美先生、酔ったあなたも素敵ですよ!ふむ、まだ夜9時半ですね……この後良かったら二人だけの二次会とかいかがですか?M.I.Tの講義もかねて!」
「えぇ!?私に理解出来るかなぁ……」
「ふふ、理解するまで帰しませんよ」
「もぉ、七面先生ったら!」
二人はもう帰ります、と告げて飲み会を抜け出した。お店を出て並んで歩いているとそっと腕を組もうとする瑠美に、心が躍るアルキ
アルキの腕を取ろうとする瑠美が、触れる時だった
「七面先生!」
「――!」
まだ幼さの残る声で名前を呼ばれて、咄嗟に距離を空けてしまうアルキと瑠美は、おそるおそると振り返る
「今日はありがとうございました!」
八神聖が爽やかな笑顔で声を掛けてきた。学校とは違い、スマートな私服姿で、重そうなリュックを肩にかけている
「八神君?……こんな時間にどうしたの?」
「聖、塾か?」
「はい、週一ですけど、いちおう行ってますよ」
「そうか、偉いなお前は……とにかく俺と瑠美先生はこれから用事があるからな!お前も気をつけて……」
「ちょうど良かったです!七面先生に相談したいことがあって!」
「――なっ!……分かった、明日時間をとって……」
「いや〜偶然ってあるんですね〜!」
聖は瑠美が取るはずだった腕を取ると、引きずるようにアルキを連れて行く
「――ちょっ!ちょっと待て聖!俺はこれから人生において大切なイベントが……あぁ……瑠美先生ぇ……」
「……七面先生、もうあんなに生徒に頼られて……素敵です」
聖に引きずられていくアルキ。その様子をほんのりと酔った雰囲気の瑠美は、笑顔で手を振って見送った
「……聖……お前、俺の「未来の伴侶」計画の邪魔をするんだな……」
「七面先生、そんなことより、今あそこに並んで歩いている男女を見て、どう思います?」
「そんなことってお前……」
聖は少し離れたところを歩く男女の方向を、目配せでアルキに伝える
「あれです!」
「男女を見ろって……ん?おぉ!俺好みの美人OLと……同伴?かな……まぁ男のほうは、かなり年上に見えるから彼氏ではないよな」
「やっぱりそう見えますよね」
「……聖は俺に瑠美先生よりあの女性を狙えと……そう言ってるんだな」
「違いますよ!ふざけないで聞いて下さい」
「すまん……」
「あの女性……「探求科」の「加賀見亜里珠」なんですよ!」
「――は?マジか?……女って、化粧であそこまで変わるんだなぁ」
「それも問題ですが、今一緒にいるあの男は、亜里珠の父親ではないんです!」
「……なるほど、援交だって言いたいのか?」
「最悪、そうですね……ただ僕が知る限り、あの男しか一緒にいるところを見ていないので、「パパ活」ではないかと思うんです」
「パパ活か……だったら違法ではないのか」
「――!そうですけど、何かあってからでは遅くないですか?」
「聖は彼女にパパ活を辞めて欲しいんだな!」
「そうですね、理由があるにしても、他にも解決策はあるでしょうし」
「金銭問題とかってことか?」
「それしかないでしょう?パパ活なんてする人は?」
「……決めつけるのは良くないかもな。聖は優秀だからコレだ!って先に答えが出てしまうんだろう?……そこが変わると一気に壁を抜けるかもな」
「……なるほど……でも先生だって、けっこう決めつけてません!?」
「俺はもういい歳だからな、でもしっかり分析してから答えを出すよ」
「分かりました、頭に入れておきます」
「ふっ……素直だな!俺がお前の歳くらいの時は、もっと反抗してたなぁ」
「ちょっと!どっちですか?……先生みたいになるには、どうしたらいいんですか!?」
「聖はいい奴だ!探求科の「仲間」のために、これだけ動ける奴はいないだろう……お前はそのままでいいよ。自分の思うように行動してみろ!失敗してもいい!脱線したら俺が戻してやる!」
「――!」
聖は天才だった。ずっとそう言われてきた……「聖くんはすごいね」「聖くんが言うなら間違いないね」「聖くんは相変わらず優等生でいい子だ」「聖くんに任せたら大丈夫だね」
失敗してもいいなんて言われたことが無い
だが七面歩はそう言う
「いろいろと気にするな!俺がいるから安心しろ!」
ああ……この人の言うことは信頼出来る。ふざけているようなのにしっかりと自分を見てくれている。僕は完璧じゃなくていいんだ
八神聖は恐れていた。周りの期待を裏切ることを……失敗することを……だがそれを許してくれる人がいる。やっぱり、この人と一緒なら安心出来る
この時……聖は「失敗を恐れる」という心の枷が外れた。特別な言葉を掛けられた訳ではない、ただ知らないうちに自らが作っていた見えない壁を、自らの意思で、「この人みたいになりたい」という思いで乗り越えたのだ
「アルキ先生!この先のカフェで仲間が一人待ってるんで一緒に来て下さい!」
「おう、いいけどあんまり遅くなると親御さんに俺が怒られるんだが」
「怒られ役は、任せましたよ!」
聖は笑顔でそう言うと、近くのカフェに案内した
「あぁ!なんでアンタが一緒にいんの!」
「お前だったか、杏子……こんな遅くに家の人が心配するぞ」
「塾よ!」
「塾、行くくらいなら授業に出ろ!」
「こっちにもいろいろあんのよ!」
「ふぅ……よし分かった!お前がいろいろ心配しなくていいように!俺が授業に出れるようにしてやるよ!」
「――!心配しなくていいように?それは……きっと無理よ」
カフェで待っていたのはラフな私服姿の百地杏子。塾、終わりに聖と待ち合わせていたようだ
「杏子、待たせてゴメン。アルキ先生、連れて来たよ」
「――アルキ先生?……聖……なるほどねぇ、この人頭が良いのは分かるけど、今回の件で相談しても役立つの?」
「この人ってお前……失礼だな、だがそうだよな学年の1位と2位が考えてお手上げなんだろう?」
アルキと聖は飲み物を受け取ると、カウンターにいた杏子を連れてテーブルに座る
「アルキ先生、実はまだ、杏子に話を聞いてないんです。亜里珠のこと……女子のほうが調べやすいと思って頼んでいたんで」
「今日が第一回会議ってことか、じゃ杏子の手腕を拝ませてもらうか」
「何それ?なんか話しづらいじゃん!」
「杏子、とりあえず分かった事を教えて欲しい」
ちょっと不機嫌な杏子に聖が優しく促す
「亜里珠の家って母子家庭じゃん、なんか大学は海外に行きたいみたいで、お金がいるんだって……まぁこの事知ってるのクラスではほとんどいないけど」
「やっぱり留学のために援助交際をしてるってことかな?」
「う〜ん、さすがに援助交際までは、ないんじゃないかなぁ。パパ活で小遣い貰うくらいじゃない?」
「どう思いますか?アルキ先生」
「聖はどれくらい見かけたんだ?亜里珠が男といるところを」
「え〜と……塾の帰りに見かけてたんですけど、月に2、3回くらいですね!初めて見た時は、すぐに亜里珠って分かったんですけど……だんだん大人っぽくなってて、今では意識しないと気付かないくらい大人っぽいから見逃してるかも……学校で彼女を見ると幼いんですよね」
「わたしはパパ活中に見てないから……そんなに大人っぽいの?亜里珠って、どっちかというと童顔だよね、可愛いけど」
「お化粧ってそんなに違うのってくらいだよ!」
「男はいつも同じ男なのか?」
「はい、僕が見た時はあの人だけですね」
「じゃあやっぱり援交じゃないよね!パパ活で小遣い稼ぎくらいだよ」
「だけど……いつ男が求めるか分からないよ!今のうちに辞めさせないと」
「亜里珠だってそれは犯罪だって分かってるでしょ!夢のため、家庭の事情もあるし……辞めなよって言うの簡単じゃないよ」
「あれだけ大人っぽくなってるんだ……男のほうも高校生って知らないんじゃないかなぁ?」
「でも初めは、亜里珠って認識出来るくらい幼かったんだよね!じゃあその男も分かるでしょ?」
「そうだけど……何かあってからじゃ遅いよ!留学だって今では海外用の奨学金もあるし、むしろ日本よりも奨学金制度は充実してるんだ。上手くいけばお金を返さなくてもいいしね」
「……聖……ちゃんと調べてくれてるんだね」
「僕達は仲間だからね!」
「……うん」
聖と杏子の会話を黙って聞いていたアルキが、もう少し会議を膨らませるようにクチを出す
「その男は……彼女が「亜里珠」ってちゃんと「認識」してるのか?」
「「――?」」
「どういう意味?」
「……そうか!なるほど……さすがアルキ先生!」
「――な?何よ二人だけで!」
「アルキ先生が言ってるのは初めにパパ活としてあの男が会っていた「亜里珠」と今、現在会っている「亜里珠」が同一人物だと、「認識」出来ているのかって事だよ!名前を変えて会えばいいんだから!」
「――たしかに!……でもメイクでそんなに違うのかなぁ……わたしはあまりしないから、詳しくないけど。そんなに分かんないものなの?」
「俺はさっき見た時に加賀見亜里珠って事に気付かなかった……むしろいいなぁと思ったぞ」
「――えっ?……キモ……」
「――な!?キモいは……ツラい」
アルキが杏子の一言で落ち込んでるので、優しい聖はそれを打ち消すように話す
「アルキ先生!亜里珠がパパ活をやっていることはお金が目的じゃないって、思ってるんですね!」
「……いいぞ聖!この世の中に、当たり前は無いぞ!」
「どういうこと?アンタ達二人……いつの間にか師弟関係みたいになっちゃって……まぁ聖のこんな表情初めて見て、わたしも嬉しいけど」
杏子は呆れたように溜息を吐くが、聖の見たこともない表情を見ていると、つい笑顔が溢れた……