初舞台
「そろそろ潮時かな」
深夜に次の巡業地に向かって細い山道を運転していたオレは、思わず口にしていた。
昔のようにお笑いブームの時なら、小さな事務所に所属するピン芸人のオレでもそれなりに仕事をもらえた。だが、今では毎日が食うや食わずの状態だ。
人を笑わせることが好き。ただそれだけで飛び込んだこの世界だが、今はもうそんなことより生活する金が欲しくて人前でバカなマネを繰り返している。
どこへ行っても「お前のネタは古い」「どこかで見たことがある」「つまらない」と言われているが、それはオレ自身一番よく分かっている。
昔はいつでも降りてきたネタは、今では涸れた井戸のごとくなにも残っちゃいないんだ、若いころ受けていたネタを多少今風にアレンジするのが関の山のオレに目新しいものが作れるはずもない。
そんなことを考えていると、道のはしっこに女の人が立っていて、手を少し上げてオレに止まって欲しそうにしているのが見えた。
これは昔からよくある幽霊で、乗せてしばらく走っているといつの間にかいなくなるという設定かと思ったけれど、もし生きているのなら、こんな場所から歩いて街へ出るには明日の昼過ぎくらいになるだろう。とても女の人の足では無理だ。
恐怖感でちょっと迷ったが、オレは車を止めて窓を開け彼女に話しかけた。
「どうしました?」
「その……私、む、無理やり連れて来られて、置いてかれたんです」
改めて彼女をながめると、服のあちこちが破けて顔に殴られたらしいあとまである。
「街まで送りますよ。後ろに乗ってください」
少しホッとした顔をしながら彼女は後部座席に乗りこんだ。
オレは詳しい話はなにも聞かないことにして、少しでも気持ちが楽になるよう運転しながら自己紹介や芸人のウラ話、オレ自身の失敗談なんかを思いつくまま話し続けた。
とはいえ、疲れて眠ってしまったら静かにしようと思い、時々車内ミラーで様子をうかがっていたが、彼女は興味しんしんでオレの話を聞いてくれている。
こうなるとオレの芸人根性が顔を出し、持ちネタを2、3披露したところ、彼女はプッと吹き出した。
ずっと「つまらない」と言われ続けてきたオレは、彼女が笑ってくれたことに感激して街に着くまでありとあらゆる持ちネタを出しまくり、なんと彼女は爆笑までしてくれた。
「よかったら家まで送りましょうか?」
まだ約束の時間までずいぶんある。なによりあんな状態の彼女がオレのネタで笑ってくれたんだ。ただの親切なんかじゃない。彼女は大切なお客さんだ。
「お言葉に甘えてもいいですか」
「もちろんです」
「それじゃあ隣に移りますね」
そう言って助手席へ移動してきた彼女になにか違和感を覚えたが、よく分からないままナビを任せることにした。
「もうすぐそこです」
彼女はそう言ってオレをジッと見る。
「どうしました?」
「実は、あなたにお話ししておかないといけないことがあります」
「なんですか改まって?」
「驚かないでほしいのですが、私は幽霊なんです」
「そうですか。いや、オレも最初に見かけた時は幽霊かと思いましたけどね」
ノリに合わせてくれているのかと思い、オレも軽く返事をする。
「……20年前。あなたに車に乗せていただいたあの場所で、私は殺され捨てられたのです。
それ以来、通りかかる車に乗せてもらっても、必ず山の出口付近で元の場所に引き戻されました。
ですが今回、あなたのお話が面白すぎてもっと聞きたい、もっと聞いていたいと思っているうちに山から出ることができました」
「え、ま、マジで?」
しかし、彼女の言葉から冗談やウソは微塵も感じられない。
「本当です」
大笑いしていただけに、実感はないが……。
「あ、すみません。着きました、ここです」
一軒の農家の前で車を停めると、彼女はドアを開けずに外へ出た。
そこでようやくオレはさっきの違和感の正体に気がついた。彼女の服はどこも破けておらず、顔の汚れもキレイさっぱり消えていることに。
「本当にありがとうございました」
深く頭を下げて、彼女はニッコリ笑って消えていく。
今からこの家のチャイムを押して、彼女の話をしたところで信じてもらえないことくらい分かっている。
しばらくぼう然としていたオレは、巡業地へと急ぐことにした。
彼女は殺されてから20年もの間、家に帰ることだけを思い、苦しんできたんだろうな。
それに比べてオレは、歳を取り、ネタが降りてこないことを言い訳にして、自分で自分の可能性を否定していたんじゃないだろうか。
幽霊とはいえ、思い切り笑ってくれた彼女に、「人を楽しませる楽しみ」を思い出させてもらった気がする。
今夜の舞台は最高のものにしてやる。
オレの本当の芸人生活は今日から始まるんだ!