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9 されるがまま

 ミスティアは窓から差し込む陽射しで目覚めた。夕暮れの燃えるような陽射しは、鋭く室内に差し込み真っ黒い影を落とす。

 もうすぐ夜になる寸前の、太陽の最後の煌めきだ。

 身じろぎし、知らない場所で目覚めたことに一瞬びっくりするが、眠る前の事を思いだして緊張を解く。


「起きたのか」

「……はい」


 ミスティアが起き上がったと同時に部屋の中から声がした。

 またびっくりして肩が揺れたが、声は眠る前に聞いた神官オルトのものだった。すぐに頷く。


「体調はどうだ?」

「元気、です」

「そうか。空腹だろうか?」


 夕陽を受けてオルトの彫りの深い顔には影が落ちている。硬い言葉遣いも、低い声も、本来聞く者に恐怖を与える厳しさがある。

 しかし、ミスティアに向ける言葉にも声にも、敵意がない。棘もない。

 すっかり安心したミスティアは、つぎはぎのワンピースの上から自分のお腹に手を当てて、自分の身体の調子を探る。

 すぐに、ぐぅ、と音がした。胃が動いたのが分かる。


「スープでパンを煮たものを持ってこさせよう。こちらへ」

「はい」


 椅子の上には先程使ったクッションが置かれていて、座面が高い。

 どうやって座ろうかとミスティアが逡巡する間もなく、オルトがひょいと抱えて椅子に座らせた。

 すぐに背後の扉が開いて、そこで見習い神官がミスティアを見てぎょっとする。清潔な室内に似つかわしくない、不潔でぼろぼろの見た目と臭いに驚いたのだ。


「ふむ、湯浴みと着替えの用意を頼んでもいいでしょうか」

「あの、オルト神官、こちらの子は……」

「教会に入る事が決まった子です。……あと、はさみも準備をお願いします」

「畏まりました」


 ミスティアの見た目を見て必要性を十分に理解した見習い神官は、いっそ使命感を帯びた顔で頷き、スープを配膳して下がった。

 椅子に座るところから目の前の神官たちのやりとりまで、終始自分のことなのに他人が行ってくれたミスティアは、このスープを食べるの仕事は自分でするのだとようやく気付いて、厳かな気持ちで両手で皿を持ち上げた。


   ◇◇◇


「これは……また」

「えぇ、物凄いですね」


 見習い神官には女性もいる。

 ミスティアの湯浴みを手伝ったのは二人の女性の神官で、最初、すぐに汚水になったお湯に眉をひそめたものの、丁寧にミスティアを洗って洗って洗いまくった。少し擦りすぎたので、回復魔法もかけながら。


 ミスティアは湯浴みを知っていた。浴槽を水で満たし、お湯にするのもミスティアの仕事だった。

 レイヴンフット邸の浴室には水の魔石と火の魔石があり、授かる前のミスティアも、その魔石に触れると魔力を吸い取られ魔法が使えた。

 どのくらいの時間魔石に触れればどのくらいの水が出て、どのくらいの熱が生まれるのかは、昔からやっていたことなので感覚で分かる。


 教会のお風呂はレイヴンフット邸の浴室に比べて質素で小さかったが、ミスティアが使う分には充分な広さだった。

 人生で初めての入浴は、ミスティアにとって未知の体験の連続だった。


 そして今、何度か湯を変え、体中にこびりついた垢もせっせと落とし(出てくる垢の量がすさまじく、女性神官はミスティアが無くなってしまうのではないかと危惧していた)新しい石鹸を半分以上使い、今まで何もされていなかった肌がボロボロなのでクリームを塗った。教会では、簡単な調薬とその処方も引き受けている。

 大きなタオルで身体と髪を拭われて、そしてさっきの女性神官たちの言葉に繋がる。


「どうしよう、これは……危ないんじゃない?」

「オルト神官がお守りくださるはずよ。それにしたって、ねぇ」

「髪はどうしましょうね。ミスティアちゃん、傷んでいるから、短く切ってもいい?」


 髪が痛かったことはないが、とミスティアは思ったものの、よく分からないので頷いた。

 世話をしてくれたのはメリーとルーシーという女性神官だ。二人とも綺麗な女性で、湯浴みを手伝うために簡素なローブに着替えている。そのローブもすっかり濡れていたが、嫌な顔一つせずにミスティアに触れてお風呂に入れてくれた。


「髪が短いのは私とお揃いだね。髪型もお揃いにしていいかな?」

「はい」


 タオルでミスティアの身体の水気を拭いながら、自分の頭を指さしたのはルーシーだ。

 若草色の髪を顎のラインに沿って綺麗に切りそろえている。前髪は眉の上で真っ直ぐになっているが、梳いているのでやぼったくない。


「でも私みたいに伸ばすのもいいものよ。今度はぼさぼさにしないように、ケアのやり方を教えてあげるから、綺麗に伸ばしてみるのもいいんじゃない?」


 用意していたシーツを浴室の床に敷き、浴室用の低い椅子を真ん中に置いて、ハサミを片手に微笑むのがメリー。

 濃い桃色の髪は素直に背中を流れる長さで、前髪は作らず顔の横に流している。


 ミスティアの家にいた使用人はひっつめた髪型をしていたし、妹や継母は常に頭を下げて接していたのでどういう髪だったかよく覚えていない。

 だから、こういう風にするのはどう? と聞かれて、初めてまじまじと他人の髪を見た。


「……きれい」

「ありがとう。さぁ、ミスティアちゃんの髪も、できるだけ綺麗にしましょう」


 髪は、千切れたり抜け落ちたりすることはあったが、切ったことはない。

 伸ばしっぱなしだったそれを、今のようにきれいに洗ったこともない。

 そういえば、洗っただけで視界が少しよくなった気がする。


 言われたままに用意された椅子に座ると、メリーはミスティアの身体にもシーツを巻いた。


「怖かったら、目を瞑っていてもいいからね」

「はい」


 か細い声だが、今は十分に食べ物を食べ、ぐっすりと眠ったので震えてはいない。

 ハサミ。縫物は布が汚れるからと触れなかったので、見たことしかない道具だ。刃物だったように思う。


 自分の髪を切るのだと理解はしていたが、刃物同士が擦れる音に慣れなくて、ミスティアは目を閉じた。身体が温まって心地よかったせいで、重たくなっていた瞼は素直に落ちる。

 メリーは自分の身体でミスティアを支えながら、丁寧にハサミを入れていった。

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